中華 状元への道

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2018年 06月 24日

スイス代表シャキリ 「双頭の鷲」ポーズってなんだ?

スイス代表がセルビア代表に勝利し、決勝ゴールをあげたシャキリがぴろぴろポーズ。これはちょうちょじゃありません。双頭の鷲、アルバニアのシンボルなんです。国旗にも描かれている。

 そもそもスイス代表なのになんでアルバニア?シャキリはコソボ出身。4歳で両親とスイスに渡ったという。コソボはセルビアから独立したアルバニア人国家です。(セルビアは独立認めてません) ちなみにシャキリはShaqiri とかきますがアルバニア国家の原語名はShqipëriaなんか関係ありそう。鷲の国ってこと。

その双頭の鷲ポーズをセルビアを撃破したゲームでやってしまった。旧ユーゴ内戦は複雑に絡みあった構造がありますがセルビア人によるアルバニア人排斥が大きな要素の一つ。そこからNATO空爆につながるのです。

アルバニアに旅行行く前にいろいろチェックしたので再掲します。

そんな両国はかつて国際マッチで観客交えた大乱闘もやってます。サッカーは戦争だというけれどFIFAが政治ネタに敏感になるのもわかります。





でもねアルバニア人はいいか悪いか小さな独立国家ですから愛国心が強いのです。あのポーズもみんながやってます。セルビア相手にやったらいけない。
かつて世界の火薬庫と呼ばれたバルカンは宗教民族歴史が入り組んでますのでそっとしとかないといけません。オシムさんもそれで旧ユーゴ監督辞めました。
以上


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by zhuangyuan | 2018-06-24 05:18 | 文化、歴史 | Comments(0)
2018年 02月 07日

「絎」という字をおくられて

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祖母の納骨がおわった。
70数年ぶりに祖父の隣に並んだ。
つまり終戦の年以来のこと。

祖父は原爆で逝った。
母が生まれる前に。
開拓を志して学んだが、軍人になって祖母をつれて満洲に行き、戦局が悪化して帰ったところが広島だった。後から追いかけた祖母が広島について二週間しか経っていなかった。

祖父とは祖母は子供のころ近くに住んでいたと聞いた。祖母は、近所に住む祖父の母親つまり私の曽祖母と仲がよくいつも可愛がってもらっていたそうな。私にとって曽祖母はいつも和服姿で縁側にちょこんと座ってわらってる印象が残っている。そんな曽祖母が長男の嫁に近所の娘さんを選んだ。短い結婚生活だった。

  戦後、祖母は娘である私の母とふたりきりで生きた。白いマルチーズを飼っていた。働く母親と小さな娘と室内犬。母はその犬が亡くなったのがあまりに悲しくて二度とペットは飼わなかった。

 祖母はずいぶんと開明的考えを持っていたんだと思う。ドレスメーカー女学院の先生として生計を立て娘を中学校から私立に入れた。女性として洋裁という技術を身につけ、職を持ち、将来を見越して女性である娘に学業をさせる。その甲斐があったのかなかったのか、母は早稲田大学に入り教職免許をとるが、父と出会い中退した。父は演劇部の先輩だが時代のせいか授業に出ずぶらぶらしていたそうだ。初めて結婚を申し込んだ時、祖母にきっぱり断られたという。大学ぐらいしっかり出ろと。   

 父は一念発起し北海道で酪農を学ぶべく大学に入りなおした。ただし母を連れて行った。学生時代に。極寒ビンボー話はよく聞いた。お金はないけどどれも楽しそうな話ばかりだった。当時、祖母は何を思い東京で暮らしていたのだろうか?ちなみに私は父の学生時代に北海道で生まれた。

 私は祖母にとって初孫だが、彼女のおかげでずいぶんと勇気付けられた。不器用だった私は年子の弟にくらべ、何をやってもすぐにできなかった。うまくできなくてもトライすることをいつも褒めてもらった。愚直に続けているうちにできるようになった。あきらめずに反復する。こうした耐性ができたのは祖母のおかげだと思う。巨大なタコ型滑り台を下から登る。勾配がきつくて上まで届かない。何度も何度も繰り返す。祖母はずっと見ている。時々声をかけつつ。そのうちできるようになる。成功すると信じることができた。一緒に住んでた頃、1日10円のお小遣いをくれてた。コツコツ貯めれば。大きくなる。

 お絵描きだって折り紙だっていつも励ましてくれた。ある時、特別上手にかけたと思った絵を嬉々として祖母に見せにいった。アニメのキャラクターの下敷きを白い紙に透かして写したのだ。原画そっくりに。祖母は悲しいそうに言った。自分の力でやりなさい。上手なんだから。オリジナリティを大切にする人だった。80歳を超えても油絵を描いていた。ある年、区展に出して区長賞をとった。祖母の家実物を見せてもらいにゆくと彼女は言うのだ。自分の絵はつまらない。創造性がない。いつも嫌になる。八十を超えてもなお自分を抜け出したいのだ。作品の題名は「破れ蓮(やれはす)」という。上野不忍池に広がる冬の蓮を描いた。ハスはレンと読む。なくなった祖父もレンだった。廉と書く。

質素な一人暮らしの枕元に祖父の写真があるきりで、部屋に飾りものはないが、小さな黄色いパンジーの絵が立派な額縁に入れて掲げられている。絵を介して知り合ったある高名な画家から花の絵を贈られたことがあるそうだ。画家の名前は後になって知るのだが、息子が習い始めた絵の先生に紹介された本がその画家の書いたものだった。時代は確かに連なってる。ぐるぐると迂回しながらも。

 ひ孫ができるとたまに家にきてくれた。きまって早朝に訪れた。たいていは娘が好きだと言ったクッキーとポケットティッシュをたくさん持って。娘は小さなころ気管支が弱く鼻水がよく出ていた。街で配るティッシュをもったいない世代は必ずもらうのだ。秋に珍しい木ノ実をたくさん持ってきてくれたこともある。娘がどんぐり拾いが好きだったから。

 突然の訪問にあわてて着替えて玄関に出迎えるといつも2、3言交わしただけで、さっと帰ってしまう。用事があるのよって。速足でトントンあるいて去ってゆく。耳は遠くなっても、ずっと健脚だった。高齢者センターで卓球チャンピオンだと自慢してたな。一番高齢なのにね。

倒れたのも高齢者センターだった。その後、持ち直し、介護施設でもまた卓球ができるようになったと聞いた。でも歳には勝てなかった。亡くなった時に息子がつぶやいた。「100歳まで生きててほしかったな」

 葬儀はなぜかキリスト教会で執り行った。クリスチャンだった父方祖父が亡くなった際、葬儀に参列した祖母が、自分も賛美歌で送られたいと母に伝えたそうだ。

葬儀の最後は母があいさつに立った。

「ずっと2人だけで生きて来ました。でも孫が7人も出来て、こうして親戚に囲まれておくられて幸せだと思います」

たったこれだけ。
でも短い言葉が強烈なインパクトを放った。歴史の重みが凝縮された一瞬の言葉だった。

でも少しだけ言葉を足すためにこうして書いてる。当然書ききれないけどね。

お墓には祖父と一緒にはいれた。でも簡単じゃなかった。戦後に籍を抜いていたのだ。おそらくは新しい生活のために。でもずっと枕元に祖父がいた。そして母の従兄弟のご厚意でお骨を入れてもらった。祖父の隣に仲のよかった曽祖母も眠ってる。

戒名がついた。
「絎洋賀畫大姉」
絎(こう)は縫う、洋は洋裁、賀は和賀(祖母の名前)、そして絵を描く。素晴らしい命名だ。「絎」は初めて知る漢字だが表からわからぬように縫うことだという。祖母の生前を知らない住職の想像力に恐れ入る。戒名とはもっと浮き世離れしているものだと思ってた。

後日、遺品の整理に行った妹から、祖父の写真がスマホに送られてきた。例の枕元にある写真が。びっくりするほど自分に似ている。

以上








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by zhuangyuan | 2018-02-07 22:39 | 言葉 | Comments(0)
2018年 01月 21日

万年筆は世界をめぐる

 
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新年なのでフランス語のお勉強用に万年筆を買おうと思い、通りがかりのカランダッシュ専門店に入る。FBの広告にあった新作を試してみた。

レジで店のお兄さんに聴いてみた。

「カランダッシュ Caran D’Acheってどういう意味ですか?」

「ロシア語で鉛筆です」

「まさかあ、フランス語じゃないの?スイスの会社だし」

「ああフランス語でした」

この即訂正ぶりが今どきっぽいと思いつつ店を出る。めんどくさい時は相手に合わせてやり過ごす。

でも気になったのでフランス語辞書アプリで調べる。CaranもAcheも載ってない。
音的にフランス語っぽいのに。

ググってみるとまさかのロシア語。wikipediaですぐ答えが出た。

お兄さんの即訂正は置いといて、恥ずかしくなった。

スイスの鉛筆工場は会社の名前をヨーロッパで活躍していたロシア人諷刺画家のペンネーム、カランダッシュからとったという。カランダッシュはロシア語で鉛筆を意味するって。まさにロシア語で鉛筆。

でもその先があった。

最近よくやるのがwikiの言語変更をしてみること。各言語によって説明の深さや熱さが全然違っておもしろい。

フランス語版にはこうあった。

l'entreprise est rebaptisée du nom d'un célèbre caricaturiste français d'origine russe, 

会社は、その名前をロシア出身の有名なフランス人諷刺画家からとった

Emmanuel Poiré, qui portait le pseudonyme de Caran d'Ache, le mot russe carandach(карандаш) signifiant « crayon[2] ». 

エマニュエル・ポワレはカランダッシュというペンネームを持っていた。その言葉カランダッシュ(карандаш)は鉛筆を意味する

Le mot russe provient à son tour de la racine turque, kara tash, qui désigne la pierre noire (graphite).

そのロシア語は、トルコ語(kara tash)に由来し、それは黒い石、黒鉛を指す。


思いがけずに歴史の旅をさせてもらった。ナポレオンとロシア帝国とオスマントルコがガチンコ勝負してる姿が言葉の巡ってきた道を示してる。

お兄さんありがとう。

以上

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by zhuangyuan | 2018-01-21 06:47 | 文化、歴史 | Comments(0)
2018年 01月 05日

台湾北投 30分で400年の時空を超える

 台北で半日フリーな時間ができたので土曜日朝に足を伸ばして北投に行ってみた。

 北投は温泉地で昔は芸者もたくさんいたという。地下鉄淡水線で30分ほどで北投駅。そこで乗り換え一駅で新北投駅に到着。一人で温泉入る気にはなれないので、友人にすすめられた温泉博物館で歴史でものぞいてみようかと。

 川沿いの道を温泉街に向かい歩く。ふとみると趣のある木でできた建築物が見えた。吸いよせられるように近づくとなんと図書館。
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確かに地図には図書館が載っている。まさかこれが。中は広い空間に光がさしこみ、木枠の向こうには周囲の緑がみえる。バルコニーにもデスクがしつらえられ読書ができる。ずっといたい。でも街の入り口付近で長時間いるほど時間がない。
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近くにあるはずの温泉博物館が見当たらない。通りすぎたか?しょぼい建物なのか?来た道を戻る。まさかこのカバーで覆われた工事現場が?でも少しの可能性を期待して建物の近くまで行ってみた。やはり改修工事で閉館中。ここが目的地なのにね。あきらめきれずに中をのぞくとお姉様が何人か出てきた。入れないか尋ねてみると、中には入れないがボランティアガイドの説明を受けられるという。「あそこに見える川の上の休憩所で5分後からガイドがあります」ラッキー。

 説明をしてくれたのは両親よりも年上らしきお姉さま。日本語が達者だ。時々英語と中国語が混じる。英語の発音が綺麗だからアメリカで教育を受けたのかもしれない。何しろ台湾の歴史は複雑だからね。

 彼女の説明は100年前から始まった。
日清戦争直後に大阪の商人が黄金を掘りに台湾へやってきた。しかし許可が得られずに硫黄を取りに北投にきた。ここでは原住民が硫黄を採っていた。ちなみに台湾で原住民という言葉は差別的ニュアンスがない。彼らは400年前から硫黄を取引していたという記録があるそうだ。でもって彼女の話は、くだんの商人がここのお湯で傷を癒し、初の温泉宿「天狗庵」を開業したと続く。「ガイドさん、すみません。温泉の話に行く前に400年前の原住民の話してください」

 当時から原住民は硫黄を掘る技術を持っていたそうだ。台湾にはるばるやって来たスペイン人やオランダ人に硫黄を売っていた。買った方は海賊退治のための弾薬にしたという。「でも原住民はお金をもうけることはできませんでした」というかご多分にもれず経済的には収奪されたのかな?

 ともかく硫黄は採っていた。ただ温泉という概念はなかったようで毒水と呼び入ることはなかったという。毒水から立ち昇る湯気に覆われた世界は幻想的で、しかもこのあたりは原住民族の巫女が支配していた。北投(ホクトウ)という名も巫女を意味する現地語ペッタウに由来するそうだ。北投は國語Beitouではなく日本読みホクトウが元々ついた名前ということ。
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凱達格蘭族稱這煙霧彌漫、硫礦味四溢又充滿神秘感的地方為「PATAUW」,意為「女巫」。

ガイドさんが発音してくれるパッタウという音がなんとも美しい。

 北投温泉博物館も元はといえば温泉施設で1913年に完成した。明治大正と続く文明開化という西洋技術崇拝からイタリアで勉強した設計師がローマ様式を浴室に取り入れ、西面の大きな窓にはステンドグラスがしつらえられた。夕方になると湯気が立ちこめた浴室に七色の西陽が差し込む。今ここで見れないだけに想像が膨らむ。ロマンティック。非常浪漫的。そして風呂から上がると榻榻米tatamiの大広間でゆっくり寝転がる。いいねえ。
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その後、日本が戦争に負けて国民党軍が接収する。温泉文化はなかったのでオフィスとして活用した。その後、歓楽街に変わって男を癒すのだがこの部分のお話はガイドにはなし。

温泉博物館は2018年10月再オープン。

30分ばかりの説明で400年もの時空を行ったり来たり。

「ありがとうございます。とても楽しかったです。ところでお姉さん、身分証バッチのお写真がずいぶんと若くないですか?」

「おほほ。これ20年前なの。ガイドをはじめたころ。まだ60代のころよ」

「今も美しいですよ。記念に写真撮らせてくださいね」

お洒落なメガネを取り出してポーズ。カシャ。

すると横から3人組の学生さんに話しかけられた。

「お時間あればインタビューさせて下さ〜い。あ、ガイドさんもいっしょに日本語通訳してください」

「僕は中国語できるから大丈夫だよ」

「ええやったあ!台湾にどのくらいいるんですかあ?」

「4日」

「4日でそんなにしゃべれるのぉ、すご〜い」

どこでも学生さんは似たようなもんだね。
どうやら大学で観光客にインタビューする宿題が出てるようだ。

1人が質問者となりiPadで撮影開始。もう1人は私の横でiPhoneで音声をとる。なんか本格的。

まあ質問内容はごく一般的で刺激のあるものはなし。難しい質問されてもこちらの中文能力が追いつかないかもしれないのでよしとしよう。

なんかぶらり途中下車の旅のような半日だった。今度は泊まりで来ないとね。

以上


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by zhuangyuan | 2018-01-05 20:40 | 文化、歴史 | Comments(0)
2017年 12月 16日

牯嶺街少年殺人事件とA brighter summer day の間に。

牯嶺街少年殺人事件、236分。
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やっと観れた。何しろ長いですからそれなりの気持ちの準備が必要です。夜なら絶対寝ちゃうしね。昼間の名画座は入場整理が必要で、並んだ末に特別料金であることを知る。二本立てより高い。まあ合理的ではある。

冒頭のテロップでもう持ってかれてしまう。

「民國三十八前後,數百萬的中國人隨著國民政府遷居台灣,絕大多數的這些人,只是為了一份安定的工作,為了下一代的一個安定成長環境。然而,在這下一代成長的過程裡,卻發現父母正生活在對前途的未知與惶恐之中。這些少年,在這種不安的氣氛裡,往往以組織幫派,來壯大自己幼小薄弱的生存意志。」

1949年人民解放軍にまけて台湾にやってきた数百万人の大陸中国人は島に来てから新しくコミュニティを作った。子どもたちは、前途に不安をいだく親たちをみながら育つ。物語は1961年の少年たちの抗争を描く。混乱のなか思春期を迎えた子どもたち。実際に起きた殺人事件がベースだという。

主人公、小四(シアオスー)が受験に失敗して夜間高校に入るところから始まる。父親は納得がいかず学校に文句を言いに行くが聞き入れられず茫然としている。そこにラジオが流れている。大学合格者を読み上げる放送だ。エリートへの道に選ばれた若者が一人一人名前を呼ばれる。大学は権威の象徴。ラジオは一方通行で権威者が支配に使ってる。果たしてその権力者に連なる階層に権威はあるのか?言ってみればみんな大陸から逃げて来たわけで、大陸反攻を掲げつつも劣勢なのだ。しかしその下の下のミニ権威たる高校教師にすらもはじかれる父親。真面目が取り柄で時代の波に身をまかせ泳いでいくタイプではない。でも台湾には渡ってきた。父親は物語中盤で共産党との関係を疑われ尋問を受ける。自分はなぜ査問されてるかわからない。おそらく周囲では、大は政治闘争、小は出世競争が繰り広げられてる。父親はそういうものにもうとくも、納得いかないものにはまっすぐに自己主張をぶつけつつ日々を愚直に生きてる。大きな時代趨勢の変化にたゆたう器用さがない。

そんな父親を見ながら育ってきた小四。不良グループに入りつつも本気で戦うというより流れの中でなんとなくついて行く。盗んだ懐中電灯で暗闇を照らしながら。

映画シーンで私が好きな場面は少年達が縄張り争いをするライブハウス。プレスリーを筆頭にするアメリカンポップを少年達が英語で歌う。小四の友達小猫(シアオマオ)もボーイソプラノで美声を聴かせる。プレスリーは中華圏で猫王(Maowang)と呼ばれている。つまり小猫はリトルプレスリーの意。小猫の劇中の本名は王茂(Wang Mao)といいMaoWangをひっくり返しただけの名前ゆえにはじめからプレスリーと呼ばれることが決まってた。
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小猫は小四の家のレコードプレーヤーでアメリカンポップをかけて練習してる。歌詞はレコードを聴きながら文字起こししてる。それを手伝ってるのが小四のお姉さん。「英語もわからないで英語の歌をうたうのか?」と小猫をバカにする。アメリカンポップはその時代の象徴といえる。絶対的に強いアメリカ。憧れのプレスリー。まだベトナム戦争がおきていない時代のアメリカ。しかも中華民国=国民党はアメリカにバックアップされてる。対共産主義。そのカルチャーがラジオでなくレコード盤に詰まってる。流れてくるのでなく自ら何度も聴くのだ。何度も何度も。歌詞はわからずとも歌う。その頃、小四の家の旧式のラジオプレーヤーは何度も壊れる。権威が揺らいでるように。

小四が恋するのは小明(シアオミン)不思議な魅力で少年達を惹きつける。彼女がヒロイン。元のカレシは不良グループのリーダー、ハニー。男でHoneyってんですから英語の意味なんかどうでもいい。とにかくアメリカがカッコいい。ハニーは小明が原因で事件を起こしどこかに逃げている。とにかくみんな小明に夢中なのだ。その小明に小四も当然のように恋をする。そして皆と同じように自分のものになるような気がしてくる。振り向いているようで振り向かない。自分のものかと思ったら他とも親しくしてる。これってアメリカと台湾の関係かな?映画の舞台はニクソン訪中のずっと前ですが、台湾つまり中華民国はアメリカに裏切られるわけです。でも皮肉なことにその後台湾経済は高速成長をはじめる。まじめに政治題目唱えても意味がない。一途な愛は悲劇を生むだけか?

中国の歴史はぐるぐる回り、同じようなことがダイナミックに繰り返される。しかし歴史においては政治のトップに栄枯盛衰は描かれても、民衆個人が翻弄される姿には焦点が当たらない。現代映画は個人を映す。生まれたばかりの国家が不本意ながら拠点を変えて、新たに権威を作るべくうごめく。大人たちはかりそめの権威に媚を売る。もしくは権威からはじかれる。そんな社会の醜さを少年少女たちは見ながら自分たちの社会を走り続ける。でもね、奮闘しても、格闘しても、時代という河の流れは変わらない。そして悲劇などなんにもなかったように、素っ頓狂なA brighter summer dayがやってくる。
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以上

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by zhuangyuan | 2017-12-16 08:53 | 文化、歴史 | Comments(0)
2017年 12月 06日

「火山のめぐみ」とともに

「火山のめぐみ」
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12/2 土曜日、明治大学中野キャンパスまで自転車飛ばしてシンポジウムを聴いてきた。

理工系なのに芸術をやるという不思議な大学院が主催する。司会した管啓次郎さんがおっしゃるこのプログラムには別名がある。PAC=Place, Art, Consciousness 場所、芸術、意識。このシンポジウムは、その名の真骨頂を発揮してる。場所はポリネシアからレイキャビク、霧島連峰からアイヌの地まで。写真、映像、語り、舞踊。神話の世界が意識によって地底から吹き上がる。

 写真家赤阪友昭さんは古事記の話から。稗田阿礼が語った神話は史実かもしれないという。火の神が作った島々は火山噴火の熔岩がもたらした。国つくり後も火山の大爆発は繰り返され文化を埋め尽くし、民族の大移動ももたらした。アラスカ先住民の語り部を日本に呼んだ赤阪さんはいっしょに桜島を訪れ、いにしえの大爆発の話しをする。そこで語り部の記憶が呼び覚まされる。アラスカにカヌーでやってきた民たちはここから来たんだね。文字を持たないアラスカ先住民は民族の記憶を語り部がになう。このお話スケールは8000年。火山が地球を動かしたという万年単位の記憶を現代まで記憶している。爆発と再生の記憶。

 日本で古事記は文字に書かれて外部記憶となった。語り部がいないことで現実とのつながりがうすくなってしまったのではないだろうか。それが地球の裏側の語り部によってふたたびリアルを取り戻したのか?

文字だけでは伝わらないことがある。

 フランス文学者大辻都さんはフラと詩学のお話。フラは、ダンスの動きひとつひとつが詩をあらわしているという。優雅な動きも勇猛な動きもハワイを作った火山をめぐる神話的な詩を含んでいる。ハワイはかつて欧米クリスチャンの世界に組み込まれ、独自文化が衰退する時期があった。洋装フラの写真が印象的だった。しかし今では固有文化が復活しつつある。

 文字でなく踊りに組み込まれたことにより生き残る力がより大きかったのだろうか。

 松田法子さんのレイキャビクに関する話と写真に引きこまれた。火山の国アイスランドは氷の国かと思いきやグリーンが目立つ。熔岩の大地に緑が再生する。森ができて、薪が取れ、暖をとれるようになる。そこに街を作ったのは海の人バイキング。意外にも彼らは都市を作る。レイキャビク、レイキャは煙、ビークは入江。火山が沸かす入江にバイキングは居を構えた。そこはユーラシアプレートと北米プレートの境。アイスランドには大きな割れ目がある。ここで写真スライドは地球の裏側日本へ飛ぶ。奥尻、東北へ。そこの破壊と再生物語。東北大震災の数日後ユーラシアプレートの反対側アイスランドにさらに割れ目ができた。地球はつながっている。

 すぐそこにある再生を映画監督大川景子さんが撮った。熔岩でおおわれた火山島三宅島でイタリアントマトを育てる試みを追う。ドリアン助川さんがニューヨークのメキシコ料理店で食べたというトマトを植えた。育てている農園の方はドリアンさんの熱意に動かされたと語る。1人の意志から再生が始まる。真っ赤な肉厚の実がなった。荒涼とした黒な熔岩の山をバックにブルーのシャツを着たドリアンさんが真紅のトマトを握ってる。この一コマだけで力強い再生の物語が伝わる。トマトを試食した料理店の店長の言葉がささる。何度も火山が爆発してその都度蘇る三宅島に魅力を感じて住んでいる。彼は八丈から来た。そこにはそこの気候にあった文化がある。気候が人と文化を作る。
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 Place, Art, Consciousness 文字だけでは伝わらない世界を確かに受け取った。
私はそれを文字で書いてる。場の共有なしに伝わるかな。まあ自分の備忘録にしておこう。

以上




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by zhuangyuan | 2017-12-06 19:30 | 文化、歴史 | Comments(0)
2017年 12月 03日

戦うのは何のため?

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フランス映画千本ノック
deux jours, une nuit (一泊二日)

 きつい映画でした。資本主義が行き詰まりが世界のあちこちにひずみを生む。弱いところにシワがよる。

二人の母 サンドラは休職明けに復帰すると解雇を伝えられる。休んでいる間にサンドラ抜きでも仕事が回ることがわかった。経営者は残りの従業員に多数決をせまり、サンドラの復職か、退職時に浮いたお金で残りの従業員への1000ユーロボーナスかを選択させた。サンドラが戻るとボーナスは支払えない。結果として退職が決まっていた。復帰そうそう打ちのめされて安定剤に頼るサンドラ。

多数決とは言いながら社長の意を受けた、もしくは忖度した主任が従業員に圧力をかけてボーナスに投票するようにしかけた。これを知ったサンドラは再選挙を要請する。結局中途半端でええカッコしいの社長は再選挙を認める。

ここからサンドラの一泊二日の戦いがはじまる。サンドラの週末の原題はdeux jours, une nuit 一泊二日。同僚ひとりひとりに自分の復職に投票してもらうべくお願いにまわるのだ。

そもそもこうした社長が判断すべき経営課題を従業員の投票にゆだねるという逃げの姿勢が許しがたい。投票という一見すると公平な方法をカモフラージュにして自分のさもしい心をかくす。しかも裏で主任に圧力をかけ解雇を企図する。

社長はサンドラと直接対話を避けつつも、偶然会ってしまうと自社の苦境を言い訳にする。太陽光パネル製造でアジアからの輸入品との熾烈な競争を人員削減の理由としてあげる。流行りの環境ビジネスにとびつくのを見ると、利にーにさといが大局観がない経営手腕が想像できる。

サンドラが訪ねる同僚たちはそれぞれの苦しい立場を説明する。妻の失業、子供の学費、リフォーム費用....。彼らは、サンドラの復帰前の第一回投票において自分のボーナスを選びサンドラの退社に投票している。それぞれ後ろめたさを打ち消すだけの大きな言い訳をしなくてはならない。

一度見えてきたボーナスが消えるかもしれない。当然彼らの家族も反対する。何も悪いことをしていない従業員たちが社長の企んだ投票のために良心をさいなまれる。友情とカネを天秤にかけなければならない。さらに主任は投票結果によりサンドラの復職が決まれば別の誰かが解雇されるとほのめかす。ボーナスだけでなく自分の職もかけなければならない同僚たち。

グローバル経済、雇用の流動化、人件費の変動費化、女性の雇用、移民問題、人種、宗教...

女性の社会進出、ダイバーシティ、民主主義、合理的経営、標語としては響きのいい言葉を杓子定規に表面をなぞるように実践すると個人の心を引き裂いてゆく。でもね、人間は強いんですよ。行動すればね。

95分の短い映画でここまで描くとはこの監督は天才だな。なんども観たらもっと発見がありそう。

あ、フランス語の学習だった。
サンドラと訪問をうけた同僚が繰り返す
<Au revoir >くらいしかわかりません。
Au revoir またね。
つらい「またね」が繰り返される。

ではまた。


以上

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by zhuangyuan | 2017-12-03 08:13 | 中国関連DVD、本 | Comments(0)
2017年 10月 08日

はじめてのおつかい 英語スピーチの巻

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先日英語でスピーチする機会を得た。
頼まれたら即イエスがモットーなので自らの実力は省みずに受けることにした。しかしオファーしてくれた人も無謀だよな、私の英語聴いたことないくせに。

将来TEDでしゃべるときのために今回のプレゼンを振り返っておこうと思う。

会場と聴衆を知れ

TEDスピーチの本(Talk like TED)によると会場と聴衆を知ることが大事。会場はタイ、バンコクのホテルなので下見はできない。では聴衆を知ろう。主催者に問い合わせる。

聴衆は300人以上、出身国27カ国、60%が同業の鉄鋼メーカー、30%がトレーダー、残りはアナリスト、ジャーナリスト。

国数は多いのだが7割近くがインド亜大陸出身。つまりインド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ。主催会社がインドの業界メディアであることが影響している。とは言え外国で開催するカンファレンスにこれだけの人を呼び込むのはかなりの集客力を持っていると言える。インドの鉄鋼業については私自身あまり詳しくないが業界においては人口増加に伴う将来の爆発的需要増加に期待が大きい。これから人口ボーナス期を迎えるので約束された未来なのだ。

専門的な事はともかくプレゼンの事から言うとまずは聴衆に私の英語が理解されるされるかどうかが問題だ。なぜなら聴衆もネイティヴスピーカーではない。インドでは英語は公用語ではあるとは言えインド人の話す英語はかなり癖がありヒンドリッシュと揶揄される。

ゆっくり、はっきり

ともかくゆっくり、はっきり話そう。学生のころシドニーにワーキングホリデーにいった際、速く話すことがうまいことだと思っていた私語学学校の先生が言った。

"Speak slowly and clearly"

この言葉は当時カッコつけたい呪縛を解いてくれた。ゆっくりでいいんだと。

今年参加したNHKプレゼン講座でも強調されていた。とにかくゆっくりはっきりと。「はっきり」これけっこう難しい。まず声をしっかり出す。声を出すには呼気が大事。腹から息を強く出しながら話す。そして口をしっかり開けて。発音は口のカタチが大事。当たり前だけど忘れられがち。
わかりやすいプレゼンはしゃべりの抑揚にかかっているとも。強調したいポイントではタメをつくり高めの音で話す。

ロジカルがキー

上記講座で指導されたのは話し方だけではない。スライドの論理構成が、理解しやすいプレゼンの肝であると。以前作った日本語のプレゼン資料はインパクトをねらうばかりに論理が飛躍することや、故意に順番を変えていた。プレゼンは主張を伝えることが目的であり、テレビCMではないのだから過度なインパクトいらない。論理の順番にそってスライドをくみたてよと。これはストンと腑に落ちた。この教えは言語を超えて適用できる。わかりやすい外国語は論理構成がしっかりしている。全部聴き取れなくとも類推で理解できる。今回の英語プレゼンで最大に気を使ったのはこの点だろう。日本で同僚を集めてリハーサルした時には普段英語を使わない後輩にわかりやすい英語であったと評価された。論理展開順にしたことが功を奏したと考えている。

文字は少なめ

そしてスライドは文字を少なめにしてしゃべりを中心にせよと。文字情報が多すぎると聴衆は読むことに集中して話しが耳に入らなくなる。

練習せよ

常に言われることだが本番のように練習することが大事。ただこれはできなかった。リハーサルはしたがPCを前に着席し、抑揚は入れたものの聴衆は見ずに行ったのみ。本番は吹っ切れるがリハーサルは照れが入る。

さて本番である。
まず会場の大きさに驚いた。
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ステージにはスピーカー待機ように大きなソファーがいくつかあり、スライド写す大モニターが左右に1つづつ、中央上部にプレゼンターを映す丸いモニターがある。スピーチはPC及びマイク付きの演台で行う。演台に立つとモニターには顔しか映らない。会場へいたる通路には各社の宣伝用ブースが並び、その部屋にも大モニターが設置されている。

会期は二日間で私の出番は2日目の昼ごろ。初日は登壇者の観察。参考になるところはないかと。

皆さん文字が多すぎる。
確かに文字が気になって耳がおろそかになってしまう。

パッション

しゃべりを中心にプレゼンしたのは米国人だった。演台のマイクは使わずハンドマイクを握り、ステージの前まで踏み出し身振り手振りで熱弁をふるった。TED本にはPassionの重要性が繰り返されている。ポインターは使わず大スクリーンまで近づいていって指差した。うーんこれだ。躍動感がある。場を支配している。これをマネてみよう。

Q&A

プレゼンが終わると数人が壇上に座り、会場の聴衆とパネルディスカッションがある。これは緊張する。想定しない質問があるか?インドリッシュが聞き取れるか?案の定会場のから質問は聴き取れない。マイクの具合もあるのか?しかも質問が長い。聞きたいというよりしゃべりたいといった風。たださすがはネイティヴのプレゼンター。しっかり聴き取って回答していました。

さあマイターンだ。

ファシリテーターに呼ばれ壇上に上がる。ソファーに座り、前のスピーカーにプレゼンを聴く。気もそぞろ。ファシリテーターが私の紹介をしたのち立ち上がり演台へ。ハンドマイクも持った。PCの前には立たずに会場から全身が見える位置に立つ。ただPC画面もたまにみるのであまり離れずに。これが問題。会場右手から見ると演台のかげにかくれる位置となってしまった。
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右手はページ送り用のリモコン兼ポインター。左手にマイク。ただしポインターは大スクリーンには使えなかった。ページ送りもリモコンを見過ぎた。

あとはあっという間に終わってしまった。Passionが込められたかというとそこはイマイチ。内容はしっかり伝わったと思う。聴衆のうなずきが心強かった。終わりのサンキューが早口になってしまった。

さてパネルディスカッション。
プレゼンが終わったらノドがカラカラになり緊張がはじまった。いきなりファシリテーターから私に振られた。これは想定外。でも彼はアメリカ人なので聴き取れた。会場から私への質問は1つ。想定どおり長い。質問のポイントはどこなのだ?となりのインド人スピーカーに耳打ちして聞いてみた。彼、何が聞きたいの?シンプルに要約してくれたので乗り切れた。

壇上で記念品をもらい写真をとってステージを下りた。丸テーブルにもどると主催会社の社長が来てくれた。いいプレゼンだったよ。英語がとてもうまいね。どこで身につけたんだい?お世辞とはいえうれしいほめ言葉。後日Good command on English に対して聴衆が感心していたとフィードバックもらいました。

レビュー

後日動画を手に入れてレビュー。

妻に言われた。日本語よりしっかり声が出ているね。(家庭内比)ふだん低音でボソボソ話すので聴き取れないが、このプレゼンは高音でよいと。まあ見せたビデオは10秒くらいしかみてくれませんが。

高音低音という点からみるともっと低い声で喋った方が英語話者っぽかったかもしれない。以前読んだ英語発音の本には、別人格になるくらい低い声を出せと書いてあったのを妻に言われて思い出した。

中2息子にも指導された。彼はYoutube世代なのでTEDスピーチよくみてる。

「パパ、モニターを見過ぎだよ。覚えなきゃ」

「それにね、いきなり本題に入っちゃダメ。自分の昔のエピソードとかを最初に話すんだよ。それにねステージを歩きながらしゃべるといいよ」

将来TEDスピーチやるときまでに練習しとくよ。

ちょっとくやしいので息子に主催者の反応メールを見せた。

It gives me immense pleasure to share with you that not only your presentation was highly appreciated by the delegates but was also rated as one of the most informative presentation at the conference.

「レイティングトップだぞ」

「ぜんぜん意味わかんねえし」

以上





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by zhuangyuan | 2017-10-08 17:42 | 学習 | Comments(0)
2017年 08月 13日

真ん中ってどこにあるの?

「真ん中の子どもたち」温又柔著

ミックス言語ワールドで生きる留学生の葛藤を描く。言語好きにはたまらない物語です。

主人公のミーミーこと天原琴子は留学先で「てぃえんゆぇん」と呼ばれる。天原を普通語読みしてTianyuan。
アルファベットで書いてもローマ字読みとは異なり、中国語のピンインではティエン ユエンと読む。
この琴子は日本育ちの台湾人とのハーフであるゆえに自分のルーツと言葉の浮遊感に揺れている。そして揺れ続ける。
ピンインをあえて平仮名で書くところにすでにもどかしさを込められているのかな。

私は伊藤なので中国ではイートンyitengと呼ばれます。はじめ違和感を感じました。
オレにはイトウという苗字がある。音もセットで自分がある。
でもねよく考えたら毛沢東はモウタクトウだし、鄧小平はトウショウヘイって呼んでる。
中国語は漢字が表意文字として中心に鎮座してるので音は後からついてくる。

琴子の友人、龍舜哉は帰化日本人ですが屈託がない。
祖父が帰化するときに劉を日本語で同音というだけで龍に変えた。いさぎよい選択。
舜哉は自分をはっきりと日本人だといいきる。

その彼が言う。
「中国って大きい。これだけ大きければ、おれみたいな中国人がいてもおかしくないんちゃうん?」

まさにここが中国との日本の違い。中国はでかいんです。
私の好きな中国のことわざでこう言います。

林子大了什么鸟都有。
森はでかいんだからどんな鳥だっているんだ。

中国は言葉に対する許容範囲が広い。
普通語が幅をきかせる今日でも、地方出身者が訛りの強い言葉で卑屈になることなく大きな声で堂々と喋っています。
私のヘタクソな中国語だって受け入れられます。

ところが日本だと正しい日本語ってのが出てくる。それが一段上にあるという感じが常につきまとう。
先日読んだ本によると沖縄の訛り矯正のため、
教室で方言をしゃべった生徒には方言札という札を胸に下げさせたそうです。

中国も毛沢東主導のもと効率化のため言語統一が図られます。
ピンインが導入され、教育は普通語でなされ、アナウンサーは普通語で話します。
ほとんどのテレビ放送に普通語の字幕がつきます。
そんな状況からでしょうか、中国語がうまいことを褒めるとき、「とても標準的ですね」と言います。
「你的中文很标准」私もよく言われます。学校で習ったものですから。
でもなんか褒められた気がしない。生きた言葉じゃないって感じ。

琴子の先生である陳老師も正しい発音を厳しく指導します。
適切な指導を行う努力を惜しまない。でもこれは任務なのです。
文化からではなく、政治に基づいた任務。ここは老師は譲れない。

でも中国社会は外のものを受け入れる許容を持っていると思います。言語もしかり。
古代から異民族と混じりあって時の為政者に表面上は合わせながら自らの寄って立つところを失わずに生きてきた。
だから自分の言語ワールドを捨てないし卑下もしない。
中国人という一言で片付けられないし、線引きできない。中国には多民族が集まってる。
漢族が中心と言われますが、漢族の定義なんてあいまいです。
混じりあった末にそこに居ついた人々くらいなものです。
威張ってる北京人、上海人も同じ。数代前にそこにきただけ。
でもそこに根ざした言葉を喋ってる。

そこでは普通語と方言のミックス感が自然なんですよね。
なんの途切れもなくいつのまのにか土地の言葉が混じってくる。
これは台湾も同じ。ビジネスでは國語と呼ばれる共通語が話されますが本省人がいるといつのまのにか台湾語になってる。これは主人公琴子の家庭の言語空間と一緒です。線が引けない。言語カオス。

中国でも台湾でも時の政権と社会は必ずしも同一ではないんです。
私も短い間北京にいましたが一見すると画一化されたように見えますが、その実、自由な混沌があるんです。

華僑の国シンガポールなんかはさらに複雑です。
普通語、広東語、福建語、潮州語、海南語....ついでに英語。みんなごちゃまぜで話して通じ合ってる。
どれが正しいなんてのはない。これが日常なんです。
こんな世界にいるとあっちとこっちの間に線を引くことに意味がないしそもそも引けない。
あっけらかんと自分の言葉を喋ってる。そこでは国家なんてのは仕組みでしかない。

この状況って中華圏だけじゃない。アメリカだって同じ。
ロスでもヒューストンでも空港で聞こえてくるのはスペイン語です。
でもこちらと話すときは英語。下手くそでも自然です。
グロービッシュ。
世界のみんながこれを話してる。
日本人以外は恥ずかしがらずに。

これが日本においては、国家と歴史と民族、言語が地理条件と一致して統合されているように思えてしまう。
幻想に過ぎないのに。グローバル化の進行でこの幻想も揺らいできた。
そしてこれからますますあいまいになってゆく。多様性が増してゆく。

あいまいになるとこれまでのステレオタイプの価値観が通じなくなり不安になる人々がいる。
世界が動いて多様化しているのに隣近所の異質な存在にしか目が行かなくなり、
機能しなくなった単一幻想をますます偏狭にしてすがってゆく。
そこでは無根拠な排除が行われる。排除していることすら罪悪感をいだかなくなるかもしれない。

刊行記念講演で著書の温又柔さんはこうおっしゃっていた。
そんな世界に生きる子供たちが、異質であるゆえに狭間に追いやられることがあるならば、
その狭間こそが真ん中であると胸がはれるような物語を書いてゆくと。
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これからますます重要になってゆくでしょうね。

以上



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by zhuangyuan | 2017-08-13 21:10 | 言葉 | Comments(0)
2017年 07月 18日

ネット時代 中国語は世界語になった

「パリの昼下がりマルチリンガルのギャルソンのおかげで、私は、少しヴェトナム風にアレンジされたとてもおいしい広東料理にありつくことができました。中国語を身に付けておけば、(たとえフランス語やドイツ語やタヒチ語ができなくても)世界中の至るところでこのような口福に恵まれるチャンスが待ち受けている」P62


「中国語はじめの一歩」にある一説です。


パリのチャイナタウン(Porte de choisy)で華僑が営む広東料理店で食事をすると、街の外から来たであろう著者に店員は普通語で話しかけたという。その華僑二世である店員は広東語は家庭で覚え、普通語はコミュニティスクールで習ったという。パリでも中国語が話せる時代です。


私は32歳で中国語を始めましたが、学生時代の第2外国語はスペイン語でした。中国語は北京でしか通じないローカル言語だと思ってた。確かに今でも各地各地で方言が使われます。本書によると漢語方言は大きく10区にわけられるという。実際に以前友人に紹介してもらったテレビドラマDVDは主人公が四川訛りでさっぱり聞き取れませんでした。全部普通語字幕がついてます。


ところが昨今の普通語の普及ぶりは目を見張るものがあります。テレビと教育の浸透に加え今では世界第2の経済大国となった中国は史上初めて音声言語統一されたような。かつては、北京人にとって世にもおそろしいと言われた「広東人の話す普通語」も若い人たちなんかはすっかり洗練されました。香港人もしかり。今では香港映画も普通語バージョンが必ずあるしジャッキーチェンだって普通語喋ります。


海外に渡った華僑たちの大半は広東、福建あたりから出ていますが彼らも普通語習ってる。かつてはチャイナタウンごとにそれぞれの方言が話されてた。知人の親戚は台湾華僑でニューヨークに渡りましたが、チャイナタウンで福建ベースの台湾語が通じずに、チャイナタウンで広東語を覚えたという。


チャイナタウンのある外国にとっても中国の重要性が高まると同時に教育として中国語が導入される。この場合もちろん普通語です。すると華僑の子息も勉強します。


本書よるとアメリカでは1994年に普通語がフランス語、スペイン語とともに学校教育の第1外国語の選択肢に入ったという。P63


学生時代シドニーで小学生の日本語で話しかけられた。学校で習ってるって。でも今は中国語に押されてる。


華僑の子息が大陸で普通語を学ぶことも増えている。もう10年前ですが私が北京で語学コースに言った時、上級クラスの1/4が華僑の子息でした。アメリカ、オーストラリア、香港人も来てました。一番遠くはスイスの中華料理店の娘。インドネシアの華僑は暴動から逃げて来ていました。彼らは上達が速い。特に会話は。生活言葉だけは苦もなくできる。では方言とはいえ漢語世界ですからね。でも漢字ができないんだよね。時事問題なんかの漢語表現は全然ダメ。それらの漢字は和製漢語だから俺の方ができた。まあそれはともかく方言世界が中心だった世界中の漢語世界に、北京で学習した子息を通じて普通語が浸透してゆくのです。


アジア各国ではチャイナタウンに行くまでもなく経済は華僑が握っていますのでビジネスの世界ではたいてい普通語も通じます。普段はグループごとに広東語、福建語、潮州語なんかを話してますがみんな集まると普通語喋ります。つまり普通語が共通プロトコルになってる。もちろん漢字が古代からその役目を担って来たわけですが、そこに音声も加わり最強言語となった。


アヘン戦争に敗れて停滞した中国は、その原因として複雑すぎる漢字とそれによる識字率の低さをあげた。毛沢東は簡体字とピンインを導入した。しかしスマホでピンイン入力できる今、漢字の壁は越えた。しかもネットでつながるテキストの時代、表意文字である漢字のメッセージ力の強さと効率は驚異的。試しに140文字で比べてみてね。


ただし中国語の漢字には使われるその場の環境によって意味する範囲や時の感覚が異なって伝わることがある。その意味でテキストだけをネットに放つのは、受けとられ方を考えないとね。


まあ言いたいことはネットで世界の垣根が取れて中国語が世界語になったってこと。しかもですよ中国語ができれば4000年のアーカイブにアクセスできるんです。


以上



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by zhuangyuan | 2017-07-18 21:08 | 中国関連DVD、本 | Comments(1)