中華 状元への道

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2006年 12月 09日

もじもじ文字獄 言葉狩り 

清の時代、文字獄というのがありまして、まあ現代でいうところの言葉狩りです。

清朝は満州族王朝ですが漢民族に対してコンプレックスがあったらしく
自分たちは一生懸命、漢文化を勉強しつつ、一方で自分たちが外来民族であるという認識を
消し去ろうと言葉狩りを行ったのです。

余秋雨の一个王朝的背影という文章には次のようにあります。
他不许汉族知识分子把清廷看成是“夷人”,连一般文字中也不让出现“虏”、“胡”之类字样,不小心写出来了很可能被砍头。

彼(乾隆帝)は漢族が清朝廷を夷人とみなすことを許さず、
文章の中に“虏”、“胡”の類の字が出てくるのを許さず、うっかり書いてしまうと
首を飛ばされることもあった。


胡錦濤主席なんて書いたらもうだめです。
でもいくら取り締まったって異民族は異民族で意識は変わらないし
一方で思想の漢化を目指しつつも、辮髪を強要するわけですからわけがわかりません。

言葉狩りというと最近の日本でも「核」というのがそんな感じになっています。
「核」っていうのは議論もしちゃだめだ!ってのはなんなんでしょうか?

でも逆にそんなことを言うと違和感が出ますから
この違和感が時代が変わったってこのなんでしょう。
以前だったら言った瞬間に大臣更迭とかになってました。
そんなあたりの世間の微妙な変化の風を感じて発言を始めてるんでしょう。

学生時代に紅色政党にいた友人が言ってました。
自民党の政治家がなぜ先の戦争を擁護する発言をして
そのたびにマスコミにたたかれ大臣を辞任するのか。
それは世間の反応をその都度確認するためだと。
つまりリトマス試験紙なんだそうです。

今を発言し首になるのでなく、核を議論するなというほうが違和感が出るそんな時代になりました。

言葉狩りといえば私が常々違和感を感じているのは
差別に関する言葉。みょうな平等な世の中を言葉上から作ろうとする変なことば。

グリーン車っていうのも意味がわかりません。特等席とかならわかるけど。
普通席は二等席だとまずいんでしょう。

学校の成績表はなぜか通信簿と呼びます。
それも小学校では「たいへんよくできました」「よくできました」「ふつう」とかいう段階で評価する。
良い、普通、悪いではだめなんです。

ボケ老人は認知症といわなければならず。
精神分裂病は統合失調症。

ジェンダー関係もわけわからない。
ビジネスマンはだめでビジネスパーソンとか
看護婦は看護士でスチュワーデスはフライトアテンダント。

放送禁止用語も行き過ぎです。八百屋や床屋もだめなんです。
八百屋さんが八百屋さんって言われて嫌がるわけないでしょ。
逆に卑しい職業だったのかっておもっちゃいますよ。

忌み言葉ってのも意味があるのかどうか。
閉会は縁起がわるいから「お開き」と呼び、スルメはアタリメ。
夏に大阪の妻の実家に行った時、川沿いに葦原(あしはら)がありました。
でも植物を解説する説明板には「よし」とありました。「あし」は「悪し」につながるからだめなんです。

言葉の言い換えも多い。
企業で首切りはだめでもリストラはokなんて。
「父さんは解雇じゃないのよ、リストラよ」なんてサラリーマン川柳がありました。

下請け企業は協力会社と呼びなさいとか。
実態は変わらないのに言い方だけ変えても意味がないでしょ。

でもこれの極めつけは自衛隊ですよね。軍はもたないんだから自衛隊は軍隊じゃないって。

言葉がどうであれ、実態が大事なんですけど
日本語ってのはこういうのが多くて困ります。
こんな日本語使ってるとどんどんゆがんだ精神構造になっちゃいます。

私自身は面倒くさがりで余計な気を使うのがいやなので
直接表現をよく使うのですが、やはりこれがよく軋轢を招くのです。
日本語ってほんとにむずかしいですね。

ところで最近私はけっこうブルーなんです。
それは娘の国立小学校受験の最中ですでに二つだめだったんです。
先週はその発育総合調査があったんですが
その合格者発表に行ったんですがその発表掲示板にこう書いてありました。
「抽選有資格者発表」
二次試験合格者と言わずに最後の抽選にすすめる有資格者の発表ということなんです。
で結果は「抽選有資格者」になれませんでした。
べつに気を使って婉曲表現してくれなくてもいいんですけど。

来週も最後の一校があるんですよね。
これは関門がきびしく、総合発育調査つまり選抜テストにすすめるかどうかの抽選倍率が
すごくてそのテストにすすめるかもわからないのです。
まあ天の声を待つしかないですね。

以上
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by zhuangyuan | 2006-12-09 17:26 | 文化、歴史 | Comments(6)
2006年 11月 30日

たかが辮髪 されど辮髪

清朝といえば辮髪です。
なんか昔の中国人のイメージっていうとあの髪型が思い浮かびます。
「キン肉まん」に出てきたラーメンマンのあれです。
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余談ですが私が子どものころクラスにポニーテールの三つ編みをした女生徒がおり
私が彼女を「ラーメンマン」命名したことが保護者会で問題となり、えらく怒られた記憶があります。

それはさておき古来、中国人にとって髪型っていうのは、そう簡単な話ではなく
髪型を変えるのは自分の思想信条を曲げるようなことらしく
清朝の始まりの時も終わりのときもさまざまなドラマが生まれたそうです。

日本なんかは髷を結っていた江戸から明治維新にかけて
欧米文化の流入で簡単にころっと変わっちゃたようですが中国は大変です。

清朝は満州族の王朝で北から流入してくると辮髪を漢族にも強要したのですが
留头不留发,留发不留头
頭を残せば髪が残らず、髪を残せば頭が残らず


つまり辮髪にしなければ首をちょん切られるといった状況だったそうです。

前に飛行機で見た鄭成功の映画でも満族の勢力が優勢になればなるほど
辮髪が増えていき、味方だと思っていた漢族の軍隊が実は清に下っており
兜をとったら全員辮髪だったというショッキングな場面がありました。

魯迅の头发的故事(髪の話)の台詞にはこうあります。
“我们讲革命的时候,大谈什么扬州三日,嘉定屠城,其实也不过一种手段
;老实说:那时中国人的反抗,何尝因为亡国,只是因为拖辫子。

我々が革命を語る際、揚州十日やら嘉定虐殺やらを論じるが、実際それは一種の手段に過ぎない。
率直に言えば、当時の中国人の反抗は、亡国が嫌なのでなく、辮髪をたらすのがいやだっただけさ。


辮髪たらすのを拒否して虐殺されたんじゃたまりまりません。

太平天国の乱が起こると
辮髪だと太平天国の軍にやっつけられ、長髪にすると清の役人にやっつけられるという
大変な状況だったとのこと。

清朝末期になると今度は辮髪が完全に定着しており
辮髪をきったら今度は危険分子とみなされてしまう。

革命勢力が優勢になると今度は皆がチョキチョキ。
人間の心理ってのは難しいですねえ。

こんなことを書いていましたら私の中学校時代の头发的故事を思い出しました。

私は中学時代サッカー部でしたが、先輩たちは皆、かっこいい髪型をしていました。
野球部とバレー部は全員坊主、でもサッカー部は髪型自由で先輩たちはけっこう女の子にもててました。
男でもドライヤーでかっこよく決めるってのが始まりだしたころだと思います。

先輩たちの最後の大会の時、顧問の先生が言いました。
「お前ら区大会で3位に入んなければ、みんな坊主だ!」
先輩たちは女の子にもてるために一番大事な髪型を壊されるのが怖いので
かなり頑張りました。
でも結局3位になれず、みんなホントに坊主になりました。
学校で皆で集まってひとりづつバリカンで刈られました。
練習をさぼりがちな部員はモヒカン刈りにされ校庭を走らされました。
もちろん私も坊主。一厘刈り。道で近所のガキからマルコメ!と呼びかけられました。

でなんだかそれが毎年の恒例になり
私の代になり、例のごとく3位に入れず、再度坊主になることになりました。
すると大変な事態になりました。
先輩たち以上に髪型を大事にしていた軟派な後輩君たちが坊主が嫌で集団で退部してしまったんです。

結局十何人いた後輩たちがどんどんやめて
私の弟とあと一人だけになってしまったんです。
で部員が11人を切り、試合を出来ない事態になってしまいました。

最初は強気だった顧問もさすがにやばいと感じたらしく
キャプテンだった私を職員室に呼び、全員を呼び戻すように依頼しました。
ただし顧問が言ったとは言うなと。

で私、皆戻らせました。当然のことながら坊主の習慣はなくなりました。
なんて軟弱な野郎どもだと私内心では思っておりました。
でも何の因果か翌年、かっこいい頭をした後輩諸君は区民大会で3位になったのです。
時代は代わって行くのです。

以上
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by zhuangyuan | 2006-11-30 22:33 | 文化、歴史 | Comments(4)
2006年 11月 19日

科挙

先日mixiの中で中国について勉強する本を推薦している書き込みがあり
その中で余秋雨というエッセイストの本を紹介していました。ただ日本で出版している彼の本はどれも高鋳物でした。そこでネットで検索して探して見ました。
便利な世の中です。簡単に見つかったのでいくつか読んでみました。

十万进士(十万進士)
進士とは科挙試験に合格した人のことです。先日書いたいい女、魚玄機がうらやましげに見つめていた合格者です。

私もzhuanyuan(状元)とか名乗っていながら、科挙については特に詳しいわけでもないので
いい機会でした。ちなみに状元は進士の中のナンバーワン。

 中国ではアヘン戦争から日中戦争終結までを屈辱の100年と呼ぶらしいのですが
20世紀の初頭の憂国の志士たちが、当時の清国の停滞のもっとも大きな原因としてあげて
いたのが人材の不足であり、この官吏登用システムとしての科挙試験の弊害だったそうです。

1300年も続いたこのシステムが時代の変化に対応できず機能しなくなっていた。
どうしてそうなっちゃったのか?

人材登用システムとしては非常に平等で公正。だれにでもチャンスがある。
親戚や同郷などの縁故者がはばかる風潮を断ち切り
広く全国から優秀な人材を選抜した。

でも続けていくうちにどんどん難しくなり、それと共に権威もついてくる。
挙句は官吏として国を導くことよりも、科挙自体を突破することが人生の目標になってしまう。

中にはずっとチャレンジし続けて老人になっても合格できない。
50才なら若いみたい。五十少进士。
でも引くに引けないなんてのが沢山いたそうです。

地方の秀才がチャレンジぞろぞろチャレンジしに首都にやって来るのですが
田舎の代表として地方の期待を全身で背負って出てくるわけですが
そんなに簡単には合格できない。でも合格できないと故郷に顔向けできなくて帰れないそうです。

ましてやその浪人中の秀才の家族は故郷でも周囲に合わす顔がないくらい気まずいそうです。
文章に面白い例が載っていました。

 ある地方で将軍の娘が秀才に嫁いだのですが、この秀才は都に出て科挙にチャレンジするもののなかなか合格できない。
地方の有力者である将軍家ですらこのことが気まずかったとのこと。
 ある日、将軍家は一家総出で新年会に出席したのですが、その際、その嫁に行った娘も
宴会に参加しました。ただその娘の夫が科挙に合格できないことを恥ずかしく思い
娘の座る席の周りには幕が張られ彼女を隠していたそうです。かいわいそー。

宴会正在进行,突然一匹快马驰来,报告赵琮得中科举的消息,于是将赵琮妻子棚座前的帷障撤去,
把她搀出来与大家同席而坐,还为她妆扮,而席间的她,已经容光焕发。


宴会が行われていいると、突然一匹の早馬がやって来て、赵琮が科挙に合格したとの報告をした。
すると赵琮の妻の席にある幕が取り払われ、彼女が出てくるのを手助けし、皆と共に座らせ
彼女に化粧を施した。席に座る彼女も、すでに血色が良くなり顔が輝いていた。


めでたしめでたし。

私なら今までそんな目にあわせてくれた周囲のの奴に仕返ししたくなっちゃいますけど
この時代はこんな雰囲気は当たり前だったのかもしれません。

家族の境遇がこんな感じで一変しちゃうんですから
もし合格したら本人は有頂天になるのも当然でしょう。

結婚もせず苦学の末の合格者は浮かれてこんな要求を知事に送りつけた人もいたそうです。
我有两件事求您,一是希望您在今年之内为我找一个女人,二是希望您在明年之内为我找一个官职。

二つお願いがあります。今年中に嫁を一人見つけてください。二つ来年には官職を見つけてください。


ともかく長年の苦労の末、やっと合格するわけですが
その勉強といったって古代書物の暗記がほとんどですから
本当の政治にどれだけ役立つかわからない。
しかも長年の苦学の最中は世間との接触がほとんどないわけですから
そんな人が政治をしたってうまくいくわけがない。
こうして科挙はどんどん形骸化していったそうな。

この人材選抜ってのは人類永遠の課題ですね。
日本でも司法試験とかがむずかしすぎるとか言って門戸を広げてますが
今後どうなることやら。

受験戦争についても批判が多くゆとり教育なんて導入して
これも数年で学力低下してやり直し。

日本の受験もウルトラクイズだとか青色ダイオードのおっちゃんに批判されて
もっと創造的な自由な発想を育てるべきだとか言われてますが
そんな創造する力なんか持ってる人はごく少数ですから
あるていどの基礎学力の鍛錬は必要でしょう。
その上で本当に自由な発想が出来る人はその枠を打ち破ることができるでしょう。

東大の官僚が国をだめにしたとかよくいわれてますが
おぼっちゃまの三世議員の首相が国をよく出来るとも思えませんけど。
安倍さんなんかは科挙の時代だったら全然だめでしょうね。

でももしかしたら皇帝の一族で科挙なんかなくても
外戚として苦労もせずに国政に関与してたりして。

私の場合は外戚でもないし
科挙もちょっと無理そうだし
すると残る一つの道は、ナニを切るしかないのかな。いたそー。
やっぱり科挙にしよう。
ということで状元への道今後ともご愛顧願います。


以上
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by zhuangyuan | 2006-11-19 17:03 | 文化、歴史 | Comments(0)
2006年 11月 12日

魅惑の女 魚玄機

奇人と異才の中国史
井波 律子 / 岩波書店

を読んでましたら非常に気になる異才を見つけました。

魚玄機といいます。ここで知るまで聞いたこともありませんでした。
晩唐の女性詩人です。

次の詩が印象に残りました。
游崇真观南楼,睹新及第题名处

云峰满目放春晴,历历银钩指下生。
自恨罗衣掩诗句,举头空羡榜中名。


崇真观南楼で遊び、新及第の題名の処を観る

雲峰 満目 春晴を放つ
歴歴たる銀鈎 指下に生ず
自から羅衣の詩句を掩うを恨む
頭を挙げ空しく羨ましむ榜中の名


春の光のもと科挙試験の合格者のリストを眺めて
自分が女であるゆえに詩句の才能も世に出ることはなく
ましてや進士に及第することなど望むべくもないことを恨んでいるのです。

この美しい妓楼の娘で詩を嗜んでその才能を認められたそうですが
その実、心の中は男の雄心にあふれていたのです。
この空しさは耐え難いものでしょう。

でもこの男に憧れる美しい女性も最後には
旅のおとこに惚れてしまい、女の情念に溺れ、
自分の恋人の浮気を疑い、侍女を殺してしまうのです。享年26歳。

この本で紹介がありましたがこの魚玄機を森鴎外が小説にしています。
ネットで検索して見つけ、読んでみました。魚玄機

さすが文豪森鴎外。この魅惑の才女が生き生きと描かれ、私が惚れてしまいました。

突出した詩才を持つこの美しい女性は、
若き日には男が美しさにに惹かれやって来ても
見向きもしませんでした。

しかし年を重ねるごとに女になってゆく。
そして側室として嫁ぎますが正妻に疎まれ離縁し、
その後悲嘆にくれ女道士となります。

そのころの彼女がどのくらい美しかったか。森鴎外は描きます。
眉目端正な顔が、迫り視るべからざる程の気高い美しさを具えて、新に浴を出た時には、琥珀色の光を放っている。豊かな肌は瑕のない玉のようである。

そしてついにはその才能ある熟女魚玄機も若い少年に没頭してしまうのです。
そして情念深い女に堕ちてゆき、浮気を疑い侍女を殺害してしまうのです。

人生いろいろ、女もいろいろ。

私はこの才女を狂わす若き恋人、陳某に嫉妬心すら抱いてしまいました。

以上
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by zhuangyuan | 2006-11-12 21:03 | 文化、歴史 | Comments(0)
2006年 09月 14日

ブラジル移民の町

先日、群馬県の太田というところに行きました。
東武伊勢崎線を降りると、「Banco do Brasil」という看板が目に入りました?

タクシーの運転士さんに聞きました。
「なんでこんなところにブラジル銀行があるんですか?ブラジル人多いんですか?」

「太田よりも大泉町ってとこには沢山いますよ。人口の10%超えてるんだから。
あの辺りの三洋電機の下請けなんかはブラジル人ばっかりですよ。
でもいろいろ問題も多くてねえ、サンバカーニバルも中止になっちゃったし。」

なんかすごく気になって調べてみました。

群馬県太田市・大泉町についてというページで見てみると

人口4万強の町に4千人のブラジル人を含む6千人の外国人が住んでいるそうです。
80年代にバブル期に人手不足に悩み、外国人労働力に依存したが
ほとんどが違法滞在であり、その問題を解決するため
日系ブラジル移民を合法的に受け入れることにしたそうです。

日系とはいえ外国で育った方たちですので
地元民との軋轢も多いらしく
まるでブラジルの植民地だなどと嘆く人も出てきているようです。
そこで移民受け入れ推進派町長が落選し、町長が代わったとたんに
サンバカーニバルが中止になったそうです。
デカセギ=全国のモデルケース=大泉町の最新事情(3)=反発する地元商店主ら=「ここはブラジルの植民地」

ブラジルに限らないですがこの移民問題は個人レベルでの悲哀と苦しみではない。
一人の人生なんてものは大海に漂う木の葉一枚のごとく、歴史の潮流には逆らえない。
夢と希望を持って狭い日本を離れて憧れの大地ブラジルにわたったが
いつの間にやら祖国日本の方が豊かになってしまう。なんともやりきれない。
小泉さんの言うがごとく自己責任といえばそれまでだが
子孫はどう考えればいいのでしょうか。
先日はドミニカ移民については謝罪しておりましたけど。今頃言われてもって感じは否めない。

私はなぜだか小さなころからブラジルに憧れていました。
サッカーをやっていたせいもあるでしょうが、アマゾンのジャングルなんかにも
すごく興味がありました。仮面ライダーもアマゾンが一番好きですし。
移民ってのにも興味がありました。
でもある時、北杜夫の「輝ける碧き空の下で」という本を読んで現実の厳しさを認識しました。
移民とは戦いです。

私の曽祖父は教育者だったんですが生涯の夢はブラジルに日系人のための
学校を建てることだったそうです。
かれは昭和2年にカナダに教育状況を視察に出かけた帰りに
船を間違えたといって貨物船に乗りブラジルに行ってしまいそこで移民たちの奮闘に感銘を受けたそうです。
wikipediaによると最初の大量移民がブラジルに行ったのは1908年ということですから
まだ移民一世の時代だったわけです。
ただブラジルから帰った三年後には若くして亡くなってしまったので夢は果たせませんでした。

そんな時代から日本もブラジルもそれぞれ大きな浮き沈みを経て現在に至っています。
でも最近はブラジルも資源高騰などの影響を受け、BRICsなどと称され経済絶好調です。
またブラジルの時代が来るかもしれません。


以上
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by zhuangyuan | 2006-09-14 22:28 | 時事 | Comments(4)
2006年 09月 10日

モンゴルが世界を創る

世界史の誕生
岡田 英弘 / 筑摩書房
を読みました。この著者の本は何冊か読みましたがどれも斬新な角度から中国の成り立ちを
分析しており大変面白い。

今度の本は副題に「モンゴルの発展と伝統」とあります。
そして帯には「歴史はモンゴル帝国から始まった!」と太字で書いてあります。
いわく、モンゴル帝国以前は世界は同一の歴史はなく、
中国を中心とする世界と地中海を中心とする世界が別々に存在しており
その歴史の考え方もばらばらであった。
モンゴルの世界帝国で初めて世界がつながり現代へと続いていくそうです。

中国の歴史を普通に眺めるとモンゴル帝国たる元は勢力範囲は最大であるものの
中国歴代王朝のなかではごく短い間、君臨しただけと考えがちです。
しかし著者の見方からすると元というのはそもそもモンゴル帝国のごく一部であり
中国を植民地化し、いくつもある植民地のうち中国部分を元と呼んでいたに過ぎないと。

そして明に破れて中国を失ったあとも消滅せずに各地で残ってゆく。
また中国を取った明でさえも行政方法などは元時代のものをそのまま活用したとのこと。

明のあとの清はモンゴルの継承国家であり、元朝の持っていた玉璽を引き継いでいたらしい。
そして清にとっても中国は植民地の一つに過ぎないと。
ゆえに清朝や元朝時代に勢力範囲となっていたチベットを現在の中華人民共和国が
領有権を主張するのは理屈が合わないとのこと。なぜならチベットは中国人の中国に
支配されたことは一度もないから。
それを主張するならモンゴルこそが正統国家になってしまうと。

中国以外にもモンゴル継承国家がいくつもあるそうです。
中国語教室でそんな話題をしていますと先生が言いました。
「ロシアとかインドとか、あとヨーロッパの匈牙利」

ロシアについては以前、エリツィンがチンギス・ハーンに似ていると触れたことがありますが
何百年もタタールのくびきに繋がれてたのですがから影響がないほうがおかしい。

でもインドはないだろ、顔も違うし、ヒンドゥー教の世界はまったくちがうでしょ。
と思いきやインドも継承国家なんです。
ムガール帝国って聞いたことがあると思いますがこれはモンゴルがなまってムガールなったんですって。
モンゴル継承のティムール帝国が南下して立てたのがムガール朝だとのこと。

で最後の匈牙利(xiongyali)とはどこなんでしょう。
ハンガリーでした。
そういえば以前聞いたことがあるハンガリーとはフン族の国だと。
フン族とは東方の遊牧民である。
一説によるとそれはモンゴル帝国を形成した遊牧民の起源の匈奴だとのこと。
表意文字中国語の面目躍如で匈の字をつけちゃいました。
でも外来語は表音文字で貫いてもらわないとさっぱりわかりませんでした。

フン族とは東方からやってきてゲルマン人の大移動を引き起こした。
ここでもモンゴル=遊牧民が世界史を作ったんです。

でもハンガリー=フン族説ってのは最近の学説では否定されていると
wikipedeliaに書いてありました。

日本は海に隔てられていますので元寇にもやられることなく
良かれ悪しかれ日本であり続けました。
でも日本の国技はモンゴルに乗っ取られましたね。
朝青龍は今日も強かった。

以上
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by zhuangyuan | 2006-09-10 22:37 | 中国関連DVD、本 | Comments(8)
2006年 08月 30日

究極のデザート

九龍城の記事の中に「三不管」という言葉が出てきましたが、
その記事へのかめ様のコメントの中に気になる言葉が残されました。

「三不粘」

なにやら食べ物らしいのですがこの謎の言葉をしらべるべく
中国版Googleで検索してみますと面白い文章が出てきましたので
中文和訳の勉強がてら前文をご紹介いたします。

才女唐琬与名吃“三不粘”(才女唐琬と名物料理“三不粘”)
唐琬是宋朝著名诗人陆游的表妹。她自幼聪慧,人称才女,后被陆游娶为妻,夫妻的感情很好。但陆游的母亲对这个才貌双全、贤惠能干的儿媳妇就是看不上眼,总是想方设法难为她。


唐琬は宋代の著名な詩人陸游のいとこである。彼女は幼いときから賢く、才女と呼ばれ、
後に陸游に妻として迎えられ、夫婦関係はとてもよかった。しかし陸游の母親はこの美貌と才能を兼ね備えた、賢くやり手の嫁に目をかけず、何かにつけて困らせた。


在陆游母亲六十寿辰这天,陆家宾客盈门,摆了九桌席,十分热闹。陆母想叫儿媳在客人面前出丑,吃饭间,忽然当着众人提出:“今天我想吃说蛋也有蛋,说面也有面,吃不出蛋,咬不着面;是火烧,用油炸;看着焦黄,进口松软;瞧着有盐。尝尝怪甜;不粘勺子不粘盘。不用咬就能咽的食物。”

陸游の母親の60歳の誕生日の日、陸家には賓客が集まり、
9卓ものテーブルが並べられとても賑やかだった。
母親は客の面前で嫁に恥をかかせようと思い、食事中、突然皆に言いました。
「今日私が食べたいものはこんなもの。卵といえば卵、麺といえば麺、でも卵とはわからないし
麺とも噛んでわからない。焼いたもので、油でいためてある。焦げた黄色に見えて 
口のなかでふわふわする。塩がついているようで、舐めると逆に甘い。
スプーンにも皿にもくっつかない。噛む必要がなくて、すぐ飲み込めてしまう。そんな食べ物よ。」


唐琬心理明白。婆婆是又在为难她。她二话没说,走进厨房。在面盆里打了几个鸡蛋,再将鸡蛋黄加入淀粉、白糖、清水,用筷子打勺,过细罗。炒锅添入熟猪油,置中火上烧热,倒入调好的蛋黄液,迅速搅动。

唐琬は気づきました。姑さんはまた困らせているのです。彼女は二の句を接がず、台所に入りました。
ボールのなかにいくつかの卵を割り、黄身の中を澱粉と砂糖、水の中に加え、箸でこね、ざるを通します。
鍋にラードをいれ、中火にかけ、混ぜ合わせた黄身の液をいれ、すばやくかき混ぜます。

待蛋黄液成糊状时,一边往锅中徐徐加入熟猪油,一边用勺不停地搅拌,蛋黄糕变的柔软有劲,色泽黄亮,不粘炒锅,一会儿功夫就做好了。唐琬将热腾腾、香喷喷的食物盛在一个盘子里,撒上点细盐恭恭敬敬地送上餐桌。客人们一看,合乎要求,一尝,更是口感酥软,甜咸适宜,都夸唐琬心灵手巧.

黄身の液が糊状になったとき、鍋に徐々にラードを加え、一方でスプーンでとまることなくかき混ぜます。
黄身の液が柔らかくそして、粘りがでて、黄色い輝きがでて、鍋につかなくなり
少し経ったら出来上がり。
唐琬はあっつあつで香りが漂う食べ物をお皿に盛り付け、さっと塩を振り掛けると
恭しくテーブルに運んでいった。
お客さんたちは見るなり、これは要求にかなったものだと認め、
一口食べると、柔らかな感触で、甘さと塩辛さが程よくまじり、唐琬の賢さと手腕をほめました。

这个菜一不沾盘,二不粘勺,三不粘牙,清爽利口,因此大家给它起名叫"三不粘",后来成为传统名食,深受人们喜爱.


この料理は一に皿につかない。二にスプーンにつかない。三に歯につかない。
さわやかで口にやさしい。
こうして皆はこの料理を"三不粘"と名づけました。
そして後に伝統の名物料理となり、人々の好物となりました。


なんか涎がでてきますね。ぜひ食べてみたい。
ヨークシャープディングみたいなものですかね。
想像が膨らんで楽しいです。

Googleでイメージ検索をしてみると写真が出てきました。
d0018375_22563071.jpg

写真をみるとなんか興ざめですね。
あまりうまそうじゃない。

でも今度試してみよう。

ところで宋代の愛国の大詩人も嫁姑の関係に悩んでいたなんて笑っちゃいますね。
その後このせいで二人はすぐに離婚することになってしまったとのこと。

でも陸游さんは彼女が忘れられなくて晩年になっても彼女を詩に詠んでいます。
そんなにうまかったのでしょうか?「三不粘」が。

以上
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by zhuangyuan | 2006-08-30 23:01 | | Comments(12)
2006年 08月 26日

回想 九龍城砦 恐怖の体験

中華中毒―中国的空間の解剖学
村松 伸 / 筑摩書房
を読みました。

この本は題名がいい。私も中華中毒にかかっているくちなので以前から気にかかっていました。
表紙もいい清国皇帝の肖像です。黄色の衣装が目に映えます。
以前、清朝の皇帝衣装展を見に行ったことがありまして。この黄色のきらびやかな衣装を見ました。きらびやかさより小ささに驚きました。
子供のころのものかも知れませんがこんな小さな服をきた男が世界を睥睨していたのかと、
そのギャップに驚きました。

この本は中国的空間の解剖学というくらいですので
中国の歴史のなかの建築での風水や儒教、道教の絡み合い、
またその思想の周辺国への影響を述べた本です。
こう書くと堅苦しいですが、学者らしからぬ軽いタッチで筆者の中国大好きぶりマニアぶりがいたるところで発揮されてとても楽しく
そして知的好奇心を刺激される面白い本でした。

ご紹介したいネタが凝縮されていました。
導入部はいきなりプレイステーションの話。
わたしゲームはまったくしないので知らないのですが
「クーロンズ・ゲート」とかいうのがあるらしく
今はなき九龍城砦を舞台にして主人公の風水師に成り代わり陰と陽の乱れを修正していく
というとんでもないゲームらしいのです。
風水という中国古来の思想は私いまだにまったく理解できないので非常に興味があります。
それをロールプレイングゲームにしちゃう日本人ってすごい。

ところで本のネタは今後ゆっくりご紹介するとして
私は学生時代この九龍城砦に行ったことがあります。
そこで私は恐怖の体験をするのです。
1993年に取り壊されたのですが私が行ったのは91年です。

九龍城砦は警察の手の届かない無法地帯として犯罪者の巣窟となり
建て増し建て増しの違法建築に密入国者を含めた何万にもの人が住んでました。
複雑に絡み合った建物は一度入ったら出てこれないといわれていました。
wikipediaにある写真はこんな感じです。1989撮影と書いてあります。
d0018375_20351667.jpg


中国語版wikiによると九龍城砦は香港がイギリスの殖民地であったときも
清国の飛び地であった。そしてその後の戦争などの混乱で管轄権がぐちゃぐちゃになる。
wikiを引用します。
日軍佔領香港期間,為了擴建啟德機場的明渠,拆毀了全部城牆。日本投降後,露宿者開始在九龍寨城聚居,並於1948年成功抵抗英國政府進入整頓。由於皇家香港警察、殖民地政府無權進入,中國的政權又拒絕管理,九龍寨城頓成罪惡溫床、貧民區,更有以「三不管」(即中國不管,英國不管,香港不管)來形容當地的管轄權問題。

日本軍が香港を占領していたとき、啓徳空港拡張のため城壁をすべて取り壊した。
日本敗戦後は露天で暮らしていた人々が九龍城に集まり、1948に英国政府に
抵抗して進入することに成功した。
ロイヤル香港警察も植民地政府も進入する権利がなく、中国の政権も管理を拒絶し
九龍城砦は犯罪の温床、貧民地区となり、また「三不管」(中国もイギリスも香港も管理しない)
という表現で形容される管轄権の問題が発生した。


その後も中国の共産党から逃れる人々などが入ってきて
巨大化していきます。

それを香港返還前に取り壊そうということになっており
その前に探検してみようと行って見ました。

当時大学三年だった私は現地で知り合った友人と二人で行ってみました。
はっきりってかなりビビッてました。
着いてその雰囲気に早くも圧倒されました。
犯罪者の巣窟だというし、一度入ったら出れないといわれているのですから怖くて当然です。

もちろん財布などは持たずジーパンにTシャツ、カメラも持ちません。
普段はサンダルでしたが逃げられるようにスニーカーを履いていきました。

上を見上げるとなんか崩れてきそうな違法建築でなぜだか歯医者がやたら多かった。
こわいこわいでも入ってみたい。ということで入ってみました。
暗い。ずんずんと奥に進みましたが50mくらいでバックオーライ。戻っちゃいました。
はっはっは。度胸がありません。

でもここで帰っちゃ男が廃る。
奥へ進むのがだめなら上にの上ってみよう。
なるべく明るいところを見つけて団地の階段みたいなのを上がっていきました。
崩れないかなとビビリつつ。
狭い階段で視界が狭く、しかも急で、曲がりもきつい。

そこで恐怖の体験をするのです。

三階くらいまで上がったときです。
私は思わず大声で叫びました。「あ~!!」
うんこ踏んじゃったんです。
犬のか、人のか知りません。

いっしょにいた友人は叫び声に驚き、
階段を踏み外しそうになるくらい焦って逃げました。
ごめんなさい。

風水により設計された九龍で運(うん)をつけて退散いたしました。
疫病にびびりつつ。
以上

以上
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by zhuangyuan | 2006-08-26 20:58 | 中国関連DVD、本 | Comments(13)
2006年 08月 20日

愛国英雄ってどんな人?文天祥

今週大阪に滞在した一週間の間に何を読もうかとさんざん迷った挙句、
三冊の本を持って行きましたがが結局読めたのは一冊でした。

「海嘯」(田中芳樹 中公文庫)
この作家の本は初めてでした。
中国系の本やSFっぽい題名の本をよく見かけて気になっていました。
とくに岳飛伝を翻訳しているので読んでみたいと思ってました。

この「海嘯」は宋が元に滅ぼされた最後の三年間を描いたものです。
なぜ購入したかといいますと文天祥が主人公の一人であったからです。

以前に中国出身のお客さんと食事をしていたときに岳飛の話になったことがありました。
その時彼が言いました。
「状元さん、中国の愛国の英雄といえば岳飛より文天祥のほうが人気がありますよ」

私はこの時まで文天祥を知りませんでした。
早速家に帰ってから「影响 中国历史进程的100位名人」(中国歴史に影響をあたえた100人)
という本で文天祥について読んでみました。

はっきり言って消化不良でした。
なんで英雄なんだ?

というのも解説によると
この方、元軍との戦いで英雄的な勝利を収めたわけでもなく
元軍にすぐ捕らえたれてしまいます。

ただ捉えられた後に元に屈することなく愛国心を発揮し
最後まで元軍に降伏することなく処刑されるのです。
フビライ・ハンはこの文天祥の才能を高く評価していたらしく
宰相に取り立てるといって誘いますが頑として首を立てに振らずに死んでゆくのです。

英雄というと最後まで戦い、戦いで命を落とすイメージがありますので
なんか違和感を感じました。

そこでこのフラストレーションを解消すべく今回「海嘯」を読んでみたのですが
更にたまってしまいました。

宋滅亡の前は状元でありながら、
強硬派のイメージがつよく、取り立てられず、
滅亡直前に丞相になりますが和平交渉で軟禁されてしまう。

そのご脱出して兵を挙げるも
宋逃亡政府とは合流することもかなわず、再度つかまってしまう。

そして最後に宋が滅びる戦いでは敵の船に軟禁されて
その戦いを見ている。
最後には元の首都、大都に連れられる。
そこで最後まで愛国心を失わず、元に仕えることなく死す。

なぜ彼がそんなにも愛国英雄として評価が高いのか?
以前読んだ「中国人の愛国心」(PHP新書)という本にも愛国英雄の典型として
紹介されてました。

なぜかというと彼は言葉を残したからです。
特に獄中で詠んだ「正気の歌」は歴史上の愛国者を描き
自らの無念を憂いた名作とされています。
どんなに英雄であっても文字に記され後世に伝わらなければ英雄足りえません。
逆に功績はともかく、文字に残されたもので自分の熱きたぎりを伝えることができ
それが後世の人々の心を揺さぶれば英雄として歴史に刻まれます。
さずが文字の国中国。

陳舜臣の「中国の歴史」第10巻によると
この「正気の歌」は日本にも多大な影響をあたえ
幕末の志士にもつながってゆくとのこと。
吉田松陰もそれに倣って「正気の歌」を詠んだそうです。

さらに戦前には日本の教科書にも
文天祥が載っていたそうです。
びっくりです。

以上
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by zhuangyuan | 2006-08-20 22:29 | 中国関連DVD、本 | Comments(5)
2006年 08月 19日

新幹線で学ぶ 「いわゆる A級戦犯」

一週間ほど大阪の妻の実家に行っておりました。
大阪は暑い。

京都駅で帰りの新幹線を待つ間、いわゆるA級戦犯―ゴー宣SPECIAL
小林 よしのり / 幻冬舎
を購入。自分が本の世界(マンガですけど)に入るため、子供たちにも買いました。
娘には「シナモンのなぞなぞチャレンジ150」
息子には「仮面ライダー 超戦士大百科」

駅弁を食べた後に、本を読み始めると隣の娘がいいます。

「ねえ パパ、くりは くりでも つめたくて あまい くり ってなんだ?」
「パパは本読むから一人でやってなさい」
「ねえ 答えどこに書いてあんの?」
「次のページでしょ」
「ねえ パパ、みんなが よろこぶ すてきな たべものって なあに?」
「ステーキでしょ」
「えっ? ステッキ? ステッキってなあに?」

「ちょっと静かにしなさい。パパは本読むんだから。」
「ねえ、パパ何読んでの? あっマンガだ! 大人なのになんでマンガ読んでんの?」
「これは大人のマンガなんだよ!」

ふと自分のいった言葉にが周囲の人に誤解を与えるのではないかと心配に。
大人のマンガというと何かエロ雑誌を想像してしまいました。

「戦争のマンガなんだよ」 とすかさずフォロー。これは周囲の人に向けた言葉です。
「戦争ってなに?」
ぜんぜん読めません。

そのうち娘も疲れたらしくおとなしくなりました。

で本に戻りますが
昨今、小泉首相の靖国参拝問題からA級戦犯合祀だとか、天皇発言だとかで
世間が騒がしいですが、中国語を学ぶ身としても何かと話題にあがるこの問題について
ちょっとは齧っておこうという気持ちから購入しました。

のっけからハッとすることが書いてあります。

日本のギャルが出てきて
A級戦犯とは誰のことかと問われて答えます。
「えっと トウジョウヒデキ?あとは知らな~い」

参拝賛成、反対とかいいつつもたいていの人は
誰がA級戦犯でそもそもA級の定義すら知らないと。

なにを隠そう私も合祀された14名を挙げろといわれても言えない。
死刑になった7人と聞かれても全員は言えない。
いまは言えますよ。読んだから。
処刑された7名のうち木村兵太郎なんて名前すら知らない。

天皇発言で出てきた白鳥敏夫(メモでは白取)なんて人物もここで初めてしりました。
こうした人物がどんな人であったかを知るだけでも価値があった。

ABC級の定義とは連合国の定義によると

A級 戦争を遂行した国家指導者など
B級 戦争で命令する立場にいた指揮官など
C級 実行した兵隊など

で戦勝国のアメリカを中心とした連合国が
戦敗国の日本だけを見せしめのためにつるし上げた偽装裁判であるというのが本書の主張です。

確かに当時の日本は今のイラクみたいにつるし上げられてたんでしょう。
大量破壊兵器製造なんていってありもしないことをでっち上げられて
めちゃめちゃにされる。

そしてフセインが裁かれる。
でも日本がイラクと違うのは独裁国家ではなかったこと。
東条英機でさえ戦時中の首相の一人でONE OF THEMでしかない。
スケープゴート的でさえある。

東京裁判によると
処刑された7名を含む国家指導者が共同謀議し
世界制覇をたくらんで着実に侵略をすすめてきたということらしい。
これは中国の偽文書田中上奏文に基づく思想から導き出されたシナリオだという。
でもこの時代の日本の分裂と混乱は少し研究すればすぐわかることで
共同謀議で世界侵略なんてカッコのいい状態ではなく
なんとなく空気がそうなったので勢いつけてやってしまって戦線拡大し
結局大破局を迎えるというおよそ戦力なしの行き当たりばったりの行動が多かったのではないでしょうか。

でそのいわゆるA級戦犯が合祀されている靖国神社に首相が参拝するのは
けしからんと中国が抗議し、日本でも大議論になってます。

この大阪での休みの間も15日に小泉首相が参拝し
その日のNHKでも「日本のこれから」とかいう問題で靖国参拝問題について
麻生大臣や各界識者、視聴者などが議論をしておりました。

大阪の家はクーラーのある部屋がひとつしかなく
その部屋で我が家4人はざこ寝をしたのですが
そこにテレビも置いてあり
子供たちが寝たあと部屋を暗くして
一人で小さな音で、前日の日中戦争特集とその日の靖国の番組を見ました。

はっきり言って見る価値のないものでした。
なぜなら皆さん好き放題のことを言って
ぜんぜん議論がかみ合わず、そもそも議論になっていない。
司会者もそれをまとめられない。
途中で寝ました。

ともかく靖国問題には論点が沢山ありすぎてわけわかりません。

*首相が参拝すべきか否か?
*終戦の日に行くべきか否か?
*A級戦犯合祀は問題か?
*そもそも東京裁判が裁いたA級戦犯は犯罪人か?
*戦争指導者は犯罪者か?
*処刑された戦犯は戦死者か?
*アジアとの歴史の清算は済んだのか?
*中国の圧力は内政干渉か?
*政教分離はできているか?
*天皇はなぜ参拝をやめたのか?
*参拝することは戦争礼賛なのか?

私はあまり知識はありませんが自分の感覚的には次のような意見です。

国の防衛に尽くして亡くなった方々の慰霊のため
首相が参拝するのは当然。
終戦の日はもっとも記憶にあたらしい戦争を振り返るためのよき日だと思う。
東京裁判は勝者が勝者の論理で反証なく裁いたものであるから無効。
よってA級だけ分祀するのはナンセンス。
アジアとの清算は国際法上は済んでいる。
中国政府の首相非難は日本への内政干渉というより
中国国内向けのパフォーマンスなので気にしない。
議論してもしょうがない。批判自体が目的ですから。
戦争礼賛でなく、過去の失敗を繰り返さない決意であることを淡々と説明すればよい。
天皇のことや政教分離のことはわかりません。

まあこうした議論が日本全国で行われるわけですから
あの戦争への検証をするいいチャンスを小泉さんが与えてくれたといえるでしょう。

以上
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by zhuangyuan | 2006-08-19 14:23 | 中国関連DVD、本 | Comments(4)