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2018年 04月 03日

歴史に学ぶ朝鮮有事と台湾

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『朝鮮戦争 米中対決の原形』神谷不二著

古典読書会の課題として読んだ。

朝鮮戦争についての本なのに韓国でなく、台湾出張中に読みました。これが意外にも臨場感を醸し出しました。

朝鮮戦争についていつも不思議に思ってたのはなぜ中国が参戦した理由。中国は日本と15年戦争し、内戦をした末に、共産党がやっと政権とったのが1949年。国土は荒廃し、人民は疲弊してるはずなのに、翌年朝鮮戦争にあえて参戦した。しかも相手は世界最強のアメリカです。このモチベーションはどこから来たのか?そもそも第二次大戦後ソ連が北朝鮮を統治したのではなかったか?しかもまだ国連にも加盟できていない新生中国がなぜ?

『当時、中国政府の指導者たちが国内にまだ多くの敵ー「反革命」分子、「帝国主義者の手先」「国民党のスパイ」などーを抱えていたのはいうまでもない。彼らはまだ政権獲得の直後だったのである。朝鮮への介入は、人民解放軍の一部を国内「平定」の任務から引きはなすことを意味し、さらに経済的負担を増大させる点からも、決して容易な事業ではなかった。

中略

反面、もし北朝鮮を見殺しにするならば、マッカーサーや蒋介石が「大陸光復」へ勇気づけられ、国内の反政府分子にも反革命への新たな希望を持たせるおそれがあった。』p126

 共産党軍参戦の動機は台湾の国民党にあった。アメリカのいうドミノ理論への恐怖は、中国共産党の方が強くもっていたということでしょうか?開戦前、海南島、舟山列島に続き、台湾侵攻目前であったと本書にあります。アメリカは当時、台湾は防衛線に含めない意向でしたが、朝鮮戦争を境に、第七艦隊を台湾防衛に使うとした。このポイントで中国共産党の敵はアメリカとなった。これにより人民解放軍の台湾侵攻は難しくなったが、このまま国内の反革命分子を勢いづかせるわけにはいかない。そこで北朝鮮を援護することにした。援鲜抗美。中国の外交は全て内政の発露だと小室直樹氏が書いてました。まさに内政の発露。

 ソ連バックの金日成が南朝鮮に侵攻していなければ、台湾は今の形ではなかったのではなかろうか?なんてことを台湾新幹線で読書しながら思いをめぐらす。台湾島を共産党がとったか?もしくはアメリカがとったか?少なくとも当時の中国が朝鮮戦争に踏み切らなければ今日の大国はないでしょう。歴史のifを思うが楽しい。

 今の台湾を外国人として訪れると平和そのもので、大陸中国との緊張関係を感じることはほとんどありません。今の与党は台湾独立派であるが、先の抜粋にあるような「大陸光復」つまり大陸を取り戻すなんて気概は微塵もない。野党国民党だって国共合作が関の山。ただし少し前までは確かに大陸をうかがっていた。徴兵制があるので大抵の男子は軍隊経験があり、今回の出張でもお客さんに話を聞来ました。彼は大陸に一番近い中華民国領土である金門島で兵役についた。彼がいたのは80年代だが、金門島の最前線では双方から爆弾が飛び交い非常に危険だったという。ただ兵役が終わる頃には爆弾もおさまっていったという。

 もう一人はレーダー制作会社エンジニア。会社は軍の発注で潤っていたがレーダーに使う肝の技術は米国企業が握っていたという。彼はその技術を学ぶべく米国に派遣された。そして2年がたち、成果を持って帰国するはずが、緊張緩和のために政府防衛予算編成が変わり、受注が減った企業は倒産してしまい戻るところがなくなってしまったと。いずれも80年代の話だ。

そして現代、つい最近兵役についた米国帰りの若者はいう。一年の任務はとても楽だったと。太った上官は緊張感がなく、え米国文化に憧れていたため、彼は上官に英語を教える役目だったそうだ。両岸関係緩和の様子が伺える。

 今は緊迫感がない両岸だが、どこかで歯車の一つか狂えば、戦争になっていたかもしれない。本書「朝鮮戦争」もそんな小さなボタンのかけ違いが国際政治や戦局を大きく左右する様子が描かれている。北朝鮮とトランプそして中国がにわかに喧しい。大国中国にとって朝鮮有事は割に合わない。だがしかし何かの拍子でバランスが崩れれば.....。今こそ読むべき古典だろう。

以上

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by zhuangyuan | 2018-04-03 14:42 | 中国関連DVD、本 | Comments(0)
2018年 02月 07日

「絎」という字をおくられて

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祖母の納骨がおわった。
70数年ぶりに祖父の隣に並んだ。
つまり終戦の年以来のこと。

祖父は原爆で逝った。
母が生まれる前に。
開拓を志して学んだが、軍人になって祖母をつれて満洲に行き、戦局が悪化して帰ったところが広島だった。後から追いかけた祖母が広島について二週間しか経っていなかった。

祖父とは祖母は子供のころ近くに住んでいたと聞いた。祖母は、近所に住む祖父の母親つまり私の曽祖母と仲がよくいつも可愛がってもらっていたそうな。私にとって曽祖母はいつも和服姿で縁側にちょこんと座ってわらってる印象が残っている。そんな曽祖母が長男の嫁に近所の娘さんを選んだ。短い結婚生活だった。

  戦後、祖母は娘である私の母とふたりきりで生きた。白いマルチーズを飼っていた。働く母親と小さな娘と室内犬。母はその犬が亡くなったのがあまりに悲しくて二度とペットは飼わなかった。

 祖母はずいぶんと開明的考えを持っていたんだと思う。ドレスメーカー女学院の先生として生計を立て娘を中学校から私立に入れた。女性として洋裁という技術を身につけ、職を持ち、将来を見越して女性である娘に学業をさせる。その甲斐があったのかなかったのか、母は早稲田大学に入り教職免許をとるが、父と出会い中退した。父は演劇部の先輩だが時代のせいか授業に出ずぶらぶらしていたそうだ。初めて結婚を申し込んだ時、祖母にきっぱり断られたという。大学ぐらいしっかり出ろと。   

 父は一念発起し北海道で酪農を学ぶべく大学に入りなおした。ただし母を連れて行った。学生時代に。極寒ビンボー話はよく聞いた。お金はないけどどれも楽しそうな話ばかりだった。当時、祖母は何を思い東京で暮らしていたのだろうか?ちなみに私は父の学生時代に北海道で生まれた。

 私は祖母にとって初孫だが、彼女のおかげでずいぶんと勇気付けられた。不器用だった私は年子の弟にくらべ、何をやってもすぐにできなかった。うまくできなくてもトライすることをいつも褒めてもらった。愚直に続けているうちにできるようになった。あきらめずに反復する。こうした耐性ができたのは祖母のおかげだと思う。巨大なタコ型滑り台を下から登る。勾配がきつくて上まで届かない。何度も何度も繰り返す。祖母はずっと見ている。時々声をかけつつ。そのうちできるようになる。成功すると信じることができた。一緒に住んでた頃、1日10円のお小遣いをくれてた。コツコツ貯めれば。大きくなる。

 お絵描きだって折り紙だっていつも励ましてくれた。ある時、特別上手にかけたと思った絵を嬉々として祖母に見せにいった。アニメのキャラクターの下敷きを白い紙に透かして写したのだ。原画そっくりに。祖母は悲しいそうに言った。自分の力でやりなさい。上手なんだから。オリジナリティを大切にする人だった。80歳を超えても油絵を描いていた。ある年、区展に出して区長賞をとった。祖母の家実物を見せてもらいにゆくと彼女は言うのだ。自分の絵はつまらない。創造性がない。いつも嫌になる。八十を超えてもなお自分を抜け出したいのだ。作品の題名は「破れ蓮(やれはす)」という。上野不忍池に広がる冬の蓮を描いた。ハスはレンと読む。なくなった祖父もレンだった。廉と書く。

質素な一人暮らしの枕元に祖父の写真があるきりで、部屋に飾りものはないが、小さな黄色いパンジーの絵が立派な額縁に入れて掲げられている。絵を介して知り合ったある高名な画家から花の絵を贈られたことがあるそうだ。画家の名前は後になって知るのだが、息子が習い始めた絵の先生に紹介された本がその画家の書いたものだった。時代は確かに連なってる。ぐるぐると迂回しながらも。

 ひ孫ができるとたまに家にきてくれた。きまって早朝に訪れた。たいていは娘が好きだと言ったクッキーとポケットティッシュをたくさん持って。娘は小さなころ気管支が弱く鼻水がよく出ていた。街で配るティッシュをもったいない世代は必ずもらうのだ。秋に珍しい木ノ実をたくさん持ってきてくれたこともある。娘がどんぐり拾いが好きだったから。

 突然の訪問にあわてて着替えて玄関に出迎えるといつも2、3言交わしただけで、さっと帰ってしまう。用事があるのよって。速足でトントンあるいて去ってゆく。耳は遠くなっても、ずっと健脚だった。高齢者センターで卓球チャンピオンだと自慢してたな。一番高齢なのにね。

倒れたのも高齢者センターだった。その後、持ち直し、介護施設でもまた卓球ができるようになったと聞いた。でも歳には勝てなかった。亡くなった時に息子がつぶやいた。「100歳まで生きててほしかったな」

 葬儀はなぜかキリスト教会で執り行った。クリスチャンだった父方祖父が亡くなった際、葬儀に参列した祖母が、自分も賛美歌で送られたいと母に伝えたそうだ。

葬儀の最後は母があいさつに立った。

「ずっと2人だけで生きて来ました。でも孫が7人も出来て、こうして親戚に囲まれておくられて幸せだと思います」

たったこれだけ。
でも短い言葉が強烈なインパクトを放った。歴史の重みが凝縮された一瞬の言葉だった。

でも少しだけ言葉を足すためにこうして書いてる。当然書ききれないけどね。

お墓には祖父と一緒にはいれた。でも簡単じゃなかった。戦後に籍を抜いていたのだ。おそらくは新しい生活のために。でもずっと枕元に祖父がいた。そして母の従兄弟のご厚意でお骨を入れてもらった。祖父の隣に仲のよかった曽祖母も眠ってる。

戒名がついた。
「絎洋賀畫大姉」
絎(こう)は縫う、洋は洋裁、賀は和賀(祖母の名前)、そして絵を描く。素晴らしい命名だ。「絎」は初めて知る漢字だが表からわからぬように縫うことだという。祖母の生前を知らない住職の想像力に恐れ入る。戒名とはもっと浮き世離れしているものだと思ってた。

後日、遺品の整理に行った妹から、祖父の写真がスマホに送られてきた。例の枕元にある写真が。びっくりするほど自分に似ている。

以上








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by zhuangyuan | 2018-02-07 22:39 | 言葉 | Comments(0)
2018年 01月 21日

万年筆は世界をめぐる

 
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新年なのでフランス語のお勉強用に万年筆を買おうと思い、通りがかりのカランダッシュ専門店に入る。FBの広告にあった新作を試してみた。

レジで店のお兄さんに聴いてみた。

「カランダッシュ Caran D’Acheってどういう意味ですか?」

「ロシア語で鉛筆です」

「まさかあ、フランス語じゃないの?スイスの会社だし」

「ああフランス語でした」

この即訂正ぶりが今どきっぽいと思いつつ店を出る。めんどくさい時は相手に合わせてやり過ごす。

でも気になったのでフランス語辞書アプリで調べる。CaranもAcheも載ってない。
音的にフランス語っぽいのに。

ググってみるとまさかのロシア語。wikipediaですぐ答えが出た。

お兄さんの即訂正は置いといて、恥ずかしくなった。

スイスの鉛筆工場は会社の名前をヨーロッパで活躍していたロシア人諷刺画家のペンネーム、カランダッシュからとったという。カランダッシュはロシア語で鉛筆を意味するって。まさにロシア語で鉛筆。

でもその先があった。

最近よくやるのがwikiの言語変更をしてみること。各言語によって説明の深さや熱さが全然違っておもしろい。

フランス語版にはこうあった。

l'entreprise est rebaptisée du nom d'un célèbre caricaturiste français d'origine russe, 

会社は、その名前をロシア出身の有名なフランス人諷刺画家からとった

Emmanuel Poiré, qui portait le pseudonyme de Caran d'Ache, le mot russe carandach(карандаш) signifiant « crayon[2] ». 

エマニュエル・ポワレはカランダッシュというペンネームを持っていた。その言葉カランダッシュ(карандаш)は鉛筆を意味する

Le mot russe provient à son tour de la racine turque, kara tash, qui désigne la pierre noire (graphite).

そのロシア語は、トルコ語(kara tash)に由来し、それは黒い石、黒鉛を指す。


思いがけずに歴史の旅をさせてもらった。ナポレオンとロシア帝国とオスマントルコがガチンコ勝負してる姿が言葉の巡ってきた道を示してる。

お兄さんありがとう。

以上

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by zhuangyuan | 2018-01-21 06:47 | 文化、歴史 | Comments(0)
2018年 01月 05日

台湾北投 30分で400年の時空を超える

 台北で半日フリーな時間ができたので土曜日朝に足を伸ばして北投に行ってみた。

 北投は温泉地で昔は芸者もたくさんいたという。地下鉄淡水線で30分ほどで北投駅。そこで乗り換え一駅で新北投駅に到着。一人で温泉入る気にはなれないので、友人にすすめられた温泉博物館で歴史でものぞいてみようかと。

 川沿いの道を温泉街に向かい歩く。ふとみると趣のある木でできた建築物が見えた。吸いよせられるように近づくとなんと図書館。
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確かに地図には図書館が載っている。まさかこれが。中は広い空間に光がさしこみ、木枠の向こうには周囲の緑がみえる。バルコニーにもデスクがしつらえられ読書ができる。ずっといたい。でも街の入り口付近で長時間いるほど時間がない。
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近くにあるはずの温泉博物館が見当たらない。通りすぎたか?しょぼい建物なのか?来た道を戻る。まさかこのカバーで覆われた工事現場が?でも少しの可能性を期待して建物の近くまで行ってみた。やはり改修工事で閉館中。ここが目的地なのにね。あきらめきれずに中をのぞくとお姉様が何人か出てきた。入れないか尋ねてみると、中には入れないがボランティアガイドの説明を受けられるという。「あそこに見える川の上の休憩所で5分後からガイドがあります」ラッキー。

 説明をしてくれたのは両親よりも年上らしきお姉さま。日本語が達者だ。時々英語と中国語が混じる。英語の発音が綺麗だからアメリカで教育を受けたのかもしれない。何しろ台湾の歴史は複雑だからね。

 彼女の説明は100年前から始まった。
日清戦争直後に大阪の商人が黄金を掘りに台湾へやってきた。しかし許可が得られずに硫黄を取りに北投にきた。ここでは原住民が硫黄を採っていた。ちなみに台湾で原住民という言葉は差別的ニュアンスがない。彼らは400年前から硫黄を取引していたという記録があるそうだ。でもって彼女の話は、くだんの商人がここのお湯で傷を癒し、初の温泉宿「天狗庵」を開業したと続く。「ガイドさん、すみません。温泉の話に行く前に400年前の原住民の話してください」

 当時から原住民は硫黄を掘る技術を持っていたそうだ。台湾にはるばるやって来たスペイン人やオランダ人に硫黄を売っていた。買った方は海賊退治のための弾薬にしたという。「でも原住民はお金をもうけることはできませんでした」というかご多分にもれず経済的には収奪されたのかな?

 ともかく硫黄は採っていた。ただ温泉という概念はなかったようで毒水と呼び入ることはなかったという。毒水から立ち昇る湯気に覆われた世界は幻想的で、しかもこのあたりは原住民族の巫女が支配していた。北投(ホクトウ)という名も巫女を意味する現地語ペッタウに由来するそうだ。北投は國語Beitouではなく日本読みホクトウが元々ついた名前ということ。
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凱達格蘭族稱這煙霧彌漫、硫礦味四溢又充滿神秘感的地方為「PATAUW」,意為「女巫」。

ガイドさんが発音してくれるパッタウという音がなんとも美しい。

 北投温泉博物館も元はといえば温泉施設で1913年に完成した。明治大正と続く文明開化という西洋技術崇拝からイタリアで勉強した設計師がローマ様式を浴室に取り入れ、西面の大きな窓にはステンドグラスがしつらえられた。夕方になると湯気が立ちこめた浴室に七色の西陽が差し込む。今ここで見れないだけに想像が膨らむ。ロマンティック。非常浪漫的。そして風呂から上がると榻榻米tatamiの大広間でゆっくり寝転がる。いいねえ。
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その後、日本が戦争に負けて国民党軍が接収する。温泉文化はなかったのでオフィスとして活用した。その後、歓楽街に変わって男を癒すのだがこの部分のお話はガイドにはなし。

温泉博物館は2018年10月再オープン。

30分ばかりの説明で400年もの時空を行ったり来たり。

「ありがとうございます。とても楽しかったです。ところでお姉さん、身分証バッチのお写真がずいぶんと若くないですか?」

「おほほ。これ20年前なの。ガイドをはじめたころ。まだ60代のころよ」

「今も美しいですよ。記念に写真撮らせてくださいね」

お洒落なメガネを取り出してポーズ。カシャ。

すると横から3人組の学生さんに話しかけられた。

「お時間あればインタビューさせて下さ〜い。あ、ガイドさんもいっしょに日本語通訳してください」

「僕は中国語できるから大丈夫だよ」

「ええやったあ!台湾にどのくらいいるんですかあ?」

「4日」

「4日でそんなにしゃべれるのぉ、すご〜い」

どこでも学生さんは似たようなもんだね。
どうやら大学で観光客にインタビューする宿題が出てるようだ。

1人が質問者となりiPadで撮影開始。もう1人は私の横でiPhoneで音声をとる。なんか本格的。

まあ質問内容はごく一般的で刺激のあるものはなし。難しい質問されてもこちらの中文能力が追いつかないかもしれないのでよしとしよう。

なんかぶらり途中下車の旅のような半日だった。今度は泊まりで来ないとね。

以上


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by zhuangyuan | 2018-01-05 20:40 | 文化、歴史 | Comments(0)
2017年 12月 16日

牯嶺街少年殺人事件とA brighter summer day の間に。

牯嶺街少年殺人事件、236分。
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やっと観れた。何しろ長いですからそれなりの気持ちの準備が必要です。夜なら絶対寝ちゃうしね。昼間の名画座は入場整理が必要で、並んだ末に特別料金であることを知る。二本立てより高い。まあ合理的ではある。

冒頭のテロップでもう持ってかれてしまう。

「民國三十八前後,數百萬的中國人隨著國民政府遷居台灣,絕大多數的這些人,只是為了一份安定的工作,為了下一代的一個安定成長環境。然而,在這下一代成長的過程裡,卻發現父母正生活在對前途的未知與惶恐之中。這些少年,在這種不安的氣氛裡,往往以組織幫派,來壯大自己幼小薄弱的生存意志。」

1949年人民解放軍にまけて台湾にやってきた数百万人の大陸中国人は島に来てから新しくコミュニティを作った。子どもたちは、前途に不安をいだく親たちをみながら育つ。物語は1961年の少年たちの抗争を描く。混乱のなか思春期を迎えた子どもたち。実際に起きた殺人事件がベースだという。

主人公、小四(シアオスー)が受験に失敗して夜間高校に入るところから始まる。父親は納得がいかず学校に文句を言いに行くが聞き入れられず茫然としている。そこにラジオが流れている。大学合格者を読み上げる放送だ。エリートへの道に選ばれた若者が一人一人名前を呼ばれる。大学は権威の象徴。ラジオは一方通行で権威者が支配に使ってる。果たしてその権力者に連なる階層に権威はあるのか?言ってみればみんな大陸から逃げて来たわけで、大陸反攻を掲げつつも劣勢なのだ。しかしその下の下のミニ権威たる高校教師にすらもはじかれる父親。真面目が取り柄で時代の波に身をまかせ泳いでいくタイプではない。でも台湾には渡ってきた。父親は物語中盤で共産党との関係を疑われ尋問を受ける。自分はなぜ査問されてるかわからない。おそらく周囲では、大は政治闘争、小は出世競争が繰り広げられてる。父親はそういうものにもうとくも、納得いかないものにはまっすぐに自己主張をぶつけつつ日々を愚直に生きてる。大きな時代趨勢の変化にたゆたう器用さがない。

そんな父親を見ながら育ってきた小四。不良グループに入りつつも本気で戦うというより流れの中でなんとなくついて行く。盗んだ懐中電灯で暗闇を照らしながら。

映画シーンで私が好きな場面は少年達が縄張り争いをするライブハウス。プレスリーを筆頭にするアメリカンポップを少年達が英語で歌う。小四の友達小猫(シアオマオ)もボーイソプラノで美声を聴かせる。プレスリーは中華圏で猫王(Maowang)と呼ばれている。つまり小猫はリトルプレスリーの意。小猫の劇中の本名は王茂(Wang Mao)といいMaoWangをひっくり返しただけの名前ゆえにはじめからプレスリーと呼ばれることが決まってた。
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小猫は小四の家のレコードプレーヤーでアメリカンポップをかけて練習してる。歌詞はレコードを聴きながら文字起こししてる。それを手伝ってるのが小四のお姉さん。「英語もわからないで英語の歌をうたうのか?」と小猫をバカにする。アメリカンポップはその時代の象徴といえる。絶対的に強いアメリカ。憧れのプレスリー。まだベトナム戦争がおきていない時代のアメリカ。しかも中華民国=国民党はアメリカにバックアップされてる。対共産主義。そのカルチャーがラジオでなくレコード盤に詰まってる。流れてくるのでなく自ら何度も聴くのだ。何度も何度も。歌詞はわからずとも歌う。その頃、小四の家の旧式のラジオプレーヤーは何度も壊れる。権威が揺らいでるように。

小四が恋するのは小明(シアオミン)不思議な魅力で少年達を惹きつける。彼女がヒロイン。元のカレシは不良グループのリーダー、ハニー。男でHoneyってんですから英語の意味なんかどうでもいい。とにかくアメリカがカッコいい。ハニーは小明が原因で事件を起こしどこかに逃げている。とにかくみんな小明に夢中なのだ。その小明に小四も当然のように恋をする。そして皆と同じように自分のものになるような気がしてくる。振り向いているようで振り向かない。自分のものかと思ったら他とも親しくしてる。これってアメリカと台湾の関係かな?映画の舞台はニクソン訪中のずっと前ですが、台湾つまり中華民国はアメリカに裏切られるわけです。でも皮肉なことにその後台湾経済は高速成長をはじめる。まじめに政治題目唱えても意味がない。一途な愛は悲劇を生むだけか?

中国の歴史はぐるぐる回り、同じようなことがダイナミックに繰り返される。しかし歴史においては政治のトップに栄枯盛衰は描かれても、民衆個人が翻弄される姿には焦点が当たらない。現代映画は個人を映す。生まれたばかりの国家が不本意ながら拠点を変えて、新たに権威を作るべくうごめく。大人たちはかりそめの権威に媚を売る。もしくは権威からはじかれる。そんな社会の醜さを少年少女たちは見ながら自分たちの社会を走り続ける。でもね、奮闘しても、格闘しても、時代という河の流れは変わらない。そして悲劇などなんにもなかったように、素っ頓狂なA brighter summer dayがやってくる。
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以上

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by zhuangyuan | 2017-12-16 08:53 | 文化、歴史 | Comments(0)
2017年 12月 06日

「火山のめぐみ」とともに

「火山のめぐみ」
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12/2 土曜日、明治大学中野キャンパスまで自転車飛ばしてシンポジウムを聴いてきた。

理工系なのに芸術をやるという不思議な大学院が主催する。司会した管啓次郎さんがおっしゃるこのプログラムには別名がある。PAC=Place, Art, Consciousness 場所、芸術、意識。このシンポジウムは、その名の真骨頂を発揮してる。場所はポリネシアからレイキャビク、霧島連峰からアイヌの地まで。写真、映像、語り、舞踊。神話の世界が意識によって地底から吹き上がる。

 写真家赤阪友昭さんは古事記の話から。稗田阿礼が語った神話は史実かもしれないという。火の神が作った島々は火山噴火の熔岩がもたらした。国つくり後も火山の大爆発は繰り返され文化を埋め尽くし、民族の大移動ももたらした。アラスカ先住民の語り部を日本に呼んだ赤阪さんはいっしょに桜島を訪れ、いにしえの大爆発の話しをする。そこで語り部の記憶が呼び覚まされる。アラスカにカヌーでやってきた民たちはここから来たんだね。文字を持たないアラスカ先住民は民族の記憶を語り部がになう。このお話スケールは8000年。火山が地球を動かしたという万年単位の記憶を現代まで記憶している。爆発と再生の記憶。

 日本で古事記は文字に書かれて外部記憶となった。語り部がいないことで現実とのつながりがうすくなってしまったのではないだろうか。それが地球の裏側の語り部によってふたたびリアルを取り戻したのか?

文字だけでは伝わらないことがある。

 フランス文学者大辻都さんはフラと詩学のお話。フラは、ダンスの動きひとつひとつが詩をあらわしているという。優雅な動きも勇猛な動きもハワイを作った火山をめぐる神話的な詩を含んでいる。ハワイはかつて欧米クリスチャンの世界に組み込まれ、独自文化が衰退する時期があった。洋装フラの写真が印象的だった。しかし今では固有文化が復活しつつある。

 文字でなく踊りに組み込まれたことにより生き残る力がより大きかったのだろうか。

 松田法子さんのレイキャビクに関する話と写真に引きこまれた。火山の国アイスランドは氷の国かと思いきやグリーンが目立つ。熔岩の大地に緑が再生する。森ができて、薪が取れ、暖をとれるようになる。そこに街を作ったのは海の人バイキング。意外にも彼らは都市を作る。レイキャビク、レイキャは煙、ビークは入江。火山が沸かす入江にバイキングは居を構えた。そこはユーラシアプレートと北米プレートの境。アイスランドには大きな割れ目がある。ここで写真スライドは地球の裏側日本へ飛ぶ。奥尻、東北へ。そこの破壊と再生物語。東北大震災の数日後ユーラシアプレートの反対側アイスランドにさらに割れ目ができた。地球はつながっている。

 すぐそこにある再生を映画監督大川景子さんが撮った。熔岩でおおわれた火山島三宅島でイタリアントマトを育てる試みを追う。ドリアン助川さんがニューヨークのメキシコ料理店で食べたというトマトを植えた。育てている農園の方はドリアンさんの熱意に動かされたと語る。1人の意志から再生が始まる。真っ赤な肉厚の実がなった。荒涼とした黒な熔岩の山をバックにブルーのシャツを着たドリアンさんが真紅のトマトを握ってる。この一コマだけで力強い再生の物語が伝わる。トマトを試食した料理店の店長の言葉がささる。何度も火山が爆発してその都度蘇る三宅島に魅力を感じて住んでいる。彼は八丈から来た。そこにはそこの気候にあった文化がある。気候が人と文化を作る。
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 Place, Art, Consciousness 文字だけでは伝わらない世界を確かに受け取った。
私はそれを文字で書いてる。場の共有なしに伝わるかな。まあ自分の備忘録にしておこう。

以上




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by zhuangyuan | 2017-12-06 19:30 | 文化、歴史 | Comments(0)
2017年 07月 15日

チャイナタウンの隠された秘密地下トンネル

米墨西海岸国境の町Tijuana から国境沿いに西へ向かった。荒涼とした岩場を、照りつける日差し下、二時間以上かけて通り抜け目的地Mexicaliにつく。 何もないところをワンウェイの山道が曲がりくねって続くのだが、かつてここは対抗車線もあったそうだ。あまりにも事故が多いためもう1本道路を通したと言う。圧倒的な不毛の地に人間の営みの小ささを思うとともにそこに道を通す意志の偉大さを感じる。
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太陽がきつすぎて人影もまばらな町を通りつつメキシコ人の彼が言う。

「ここMexicaliの名物料理はなんだと思う?」

メキシコ各地には地のものを活かした地元料理があると言うがメヒカリではそれが中華料理だと。

国境の町メヒカリには中国人移民がたくさんいて
その子孫たちが営むチャイナレストランが町に200軒以上あるそうだ。

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華僑が住む世界中の町で人口に対する比率で言うとサンフランシスコに次ぐ大きさだという。

今でこそアメリカとの貿易が多くマキナドーラ(保税加工区)が軒を連ねるこの町も、かつては何もない枯れた土地であったことが周囲の土地の諸相から推測される。そもそもなぜ中国人たちはここに住み着いたのか?こんなにも太陽が照りつける土地に。私が過ごした時は日中華氏107度。(42℃)暑い暑いと嘆いていたら3週間前は51℃だったとお客さんが教えてくれた。

19世紀カルフォルニアに鉄道を引いた時、大量の中国人が人苦として雇われたが、敷設後にはお払い箱となった。そこでその労働力を荒れ地開拓に利用しようとした会社があった。コロラドリバーカンパニーが中国人労働者に利益の5割を配分する条件で綿花を作らせた。その労働者が住み着いたのがメヒカリだという。1930年には労働者3万人に上ったという。

https://sandiegofreepress.org/2015/04/the-chinese-in-mexicali/

一緒に夕食した地元の方曰く、今ここに住む中国人のパスポートは19世紀に発行されたものそのものだという。そのものと言っても理解できないでしょう。1900年代初頭に来た初代が亡くなるとパスポートを息子に譲る。息子は写真を張り替えて使う。そして三代目もしかり。生年月日は例えば1870年と記載があったとしても漢字なので係官は気づかない。遠くから来た中国人のミステリアスなイメージがこんな都市伝説を生み出すのでしょう。バクチ好きの中国人はカジノが禁止されていた時も地下に賭場を作り楽しんでいたと言う。またアメリカとの間に長い壁ができた後は国境向こうまでトンネルを掘り自由に行き来していたと言う。ホントかウソか今も中国人の作ったトンネルツアーが観光プログラムに取り上げられているそうだ。

こんな記述を見つけました。
https://america.cgtn.com/2016/06/08/a-guide-to-the-largest-chinatown-in-mexico-la-chinesca

Less than a century ago, La Chinesca, Mexicali’s Chinatown was made up of a series of underground tunnels and basements under Chinese storefront shops. The Chinese built these underground tunnels to escape Mexicali’s oppressive heat and also to hide from Mexico’s immigration authorities. Historians say because of Mexicali’s proximity to the border, bootleggers also used the tunnels to smuggle alcohol to the U.S. during prohibition. Now, tours are given to commemorate this lost community.


100年足らず前にメヒカリのチャイナタウンは中華風の店の下にあるトンネルと地下室で作られていた。中国人達はメヒカリの強い日差しを避けるため、または移民管理局から逃れるためにトンネルを作った。歴史家が言うにはメヒカリはアメリカ国境に近いため、禁酒法時代に密造酒業者たちもまたトンネルを利用しアメリカにアルコールを密輸した。今ではこの失われたコミュニティーを懐かしむツアーがある。

その土地にその土地の秘密がある。

今もなお発見されていないトンネルがあるんでしょうね。誰が使っているかは問わないことにしよう。

以上



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by zhuangyuan | 2017-07-15 09:02 | 文化、歴史 | Comments(0)
2017年 07月 02日

クールビューティの名演技は誰に対して?

「終電車」を名画座で鑑賞。
?Le dernier m?tro?
カトリーヌ・ドヌーヴ主演。
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昨年からフランス語を習い始めた私は46歳スタートなのでできるだけ効率的にやる必要があります。
かつモチベーションを保ってやらないと暗記力低下によるモラール低下に勝てませんので
noteに記載して観客効果を励みにしています。



これはフランス映画千本ノックの一環。
千本ってのは白髪三千丈くらいの意味ですよ。
ただともかくフランス語に触れるための機会をつくってるのです。

池袋文芸座でチャップリン「独裁者」との二本立てでしたが最後の演説の迫力で「終電車」の印象がぶっ飛んじゃいましたが、
これはこれで名画の誉れ通りに考えさせられる内容でした。

ナチス占領下のパリの劇場が舞台です。

ユダヤ人支配人兼演出家が迫害を恐れ南米に亡命し、女優である妻が劇場を経営している。
と見せかけて実は旦那を地下に匿っている。
旦那に代わる新しい演出家は時勢にさとく行動しナチス迎合批評家ともうまくやる。
新しく公演する舞台の主演俳優は裏ではレジスタンス運動をしている。

ただし皆がそれぞれに抑制的でしかも自分を何かに仮託して演じてるようです。
映画ですから我々観客に対して演じてるのは当たり前ですが、ここではそのドラマの中にさらに劇場がありそこでも二重に演じる。
それだけでなく、主役のマリオンは本心を見せず気丈に振る舞い、俳優は抵抗心を抑えつつ生きる。
その2人は互いの愛も表に出さない。演出家は批評家におもねる。本心か否かは別として生きるために。
批評家は時代の強者に合わせてナチス寄りを過度に演じる。
つまり映画という劇中世界で他者に対して自分を隠し演じる。つまり三重構造。

観てるこちらにどの階層での演技か分からせつつ、自然に演じる技術は並大抵じゃない。
で最後にはこちらも騙されるのです。ふふ。

ナチスが負けた後に全てはひっくり返る。

支配人は地下から這い出し、演出家はしょっぴかれ、批評家は逃亡する。
政権の趨勢により180°転換する価値観と人間模様。媚びや追蹤あるいは抵抗。
ただパリの市民はナチス占領下においても劇場に足を運び、さらに時代が変わったのちも通い続ける。たくましい。

それにしてもその入れ替わる主従関係のよって立つところが隣国同士であるドイツとフランスであることがヨーロッパを複雑にしている。
その両国が今ではEUのリーダーとして共通目的のもと手と手をを携える。
この辺は島国の私には理解しがたいですがヨーロッパにおいては何千年も繰り返ししてきた1ページに過ぎないのかな?
でも連続してる現代から振り返るとこの時代は狂ってる。
であるからこそナチスってのが突然変異で生まれて消えたってのがこの時代の言い訳には一番しっくりくるんでしょうね。

以上

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by zhuangyuan | 2017-07-02 10:21 | 中国関連DVD、本 | Comments(0)
2017年 06月 11日

まつろわぬ民の魂を胸に

「まつろわぬ民2017」風煉ダンス@高円寺・座



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出張予定が決まらずに前売券を買えなかったけど、当日券があると知り行ってみた。

こんな最高の舞台を危うく見逃すところでしたよ。私 、白崎映美さんの歌声を聴くとなぜだかこころが疼くのです。


ゴミ屋敷に暮らす老女スエ、開発を目論む女性政治家、解体業者、役所の職員、ワイドショー、

ゴミ山に登る老人と娘カップルが絡み合いナンセンス連発のドタバタが始まります。


人々に捨てられたモノモノモノ、人々にとってゴミでも屋敷の住人にとってはかけがえのないもの。

テレビ、冷蔵庫、電話、こたつ、アイロン、これらものたちがそれぞれ人格を持って、解体作業に対して立ち上がる。

実はこの屋敷は千年前の蝦夷軍団の根城だったのだ。ミカドの支配に従わないまつろわぬ民の末裔なのです。

というかまつろわぬ民そのもの。

千年の時を行ったり来たりする異空間が舞台にあらわれる。

画一化した経済至上主義という錦の御旗を掲げて、合理化という正義で異質なものを排除し、

古いものを捨て、裏側に溜まるものには目をつむる。

そんな体制に反旗をひるがえすまつろわぬ民たち。


ゴミの中には登山老女がかつてお気に入りだったお人形のレイコちゃんもいた。

このおばあちゃんは認知症の兆しあり。レイコちゃんには独眼竜の眼帯がはめられている。

おじさんがいたずらしてマジックで書き足したという。世界が半分見えない。というか見たくない半分を見ないのだ。

その見ていない半分はなんなのだ?

男性に従う古き良き女性像の中で耐えてきた女性自身か?

過去に捨ててきた偽りの自分か?

社会の歯車として押し殺してきた個性か?

安定のために封印した怒りか?

ともかく劇のあいだ中に刺激ある言葉や暗喩がこころにしまったはずの思いを刺激するのです。


蝦夷の一族にはミカドと戦うべく村を後にした若者がいた。彼の名はサンベ。

ゴミ屋敷を解体する若者がそのサンベだとスエがいいだした。息子サンベが帰ってきた。

そしてミカドと改めて戦うのだ。皆は帰ってきたサンベの信憑性を疑う。

でもスエがサンベだと言ったらサンベだと。まつろわぬ民たちもトップに盲従するというブラックユーモアが笑える。

サンベは神話の中だけで生きているファンタジーのはず。であるからこそ皆の魂のよりどころとして機能する。

実際のサンベの行く末は追求しないのが皆の暗黙の了解。

でもサンベが持っていたまつろわぬ魂は誰の胸にも消えずに残っているはず。


ゴミ山解体のクレーンが動き始める様子は見ていられないほど苦しいのです。

権力に自らを委ね力を背景に自ら鉄の塊を振り回す。勢いのままに。その勢いは止められない。

意志がなくなっても惰性は止められない。


私も社会の一員として組織に属しつつもも自らを捨てずに生きている自負はありますが、

白崎映美さんの歌声が響き出すとなぜだか涙が込み上げてくるのです。俺はまつろってるのか?

何かを抑え込んで片目で世界を見てるのかもしれないな。

あるいは、安逸を求めて身をゆだねたい気持ちがどこか奥底にあるのか?


舞台が終わってもしばらくざわざわが止まりませんでした。


ところで白崎映美って名前はエミシとだぶるなあ。




以上



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by zhuangyuan | 2017-06-11 22:57 | 文化、歴史 | Comments(0)
2017年 06月 03日

台湾で知るグローバル化に覆われた先住民問題


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「教会が先住民文化を消滅させた。カナダがローマ法王に謝罪要請」

EVA Airの機内で台湾の新聞を読んでいるとおどろおどろしい見出しにびっくり。


欧州人が新大陸で先住民の土地と文化を奪ったのは今更驚くことではないですが、

トップ会談でこんな話が出てくるということに衝撃を受けました。

カソリックの歴史において革命的といわれるフランシスコ法王だからこそできること。

初の南米出身の法皇は先に南米で行ったカソリックの侵略を謝罪しました。

このショッキングなニュースが日本でどう伝わっているかとググってみると「カナダ首相がローマ法皇と先住民の人権問題で意見交換」なんてぬるい表現でスルーしている。
カナダ首相、法王と会談 先住民の人権問題で意見交換
ちなみにこの記事にも引用されているThe Globe and Mailの記事も読みましたが同じ内容が載ってます。
Trudeau to seek papal apology for residential schools


カナダで何があったのか?この記事から抜粋してみる。




加國政府一八七年代起將近十五萬名原住民兒童強制送入寄宿學校同化,以及當年藉此遂行「文化滅絕」的政策目的


カナダ政府は1870年代から15万人近くの先住民児童を強制的に寄宿学校に送り同化させた。

これは当時文化絶滅の政策目的を遂行した。


他們遠離親生父母、傳統文化與母語,進入加國政府出資的寄宿學校;實際運作多由教會負責,其中又以天主教會為最大勢力,但多數學童遭遇精神、肢體虐待與性侵害,多達六千人命喪校園。

彼らは生みの親、伝統文化や母語から隔離され、カナダ政府出資の寄宿学校に入れられた。実際の運営は教会が行い、そのうちカソリックが最大勢力であり、多くの学童が精神的肉体的虐待、性的干渉を受け、6千人が校内で命を落とした。




こうしたことが行われていたのが1920-80年代がピークで1996年までこのような寄宿学校があったと。現代の出来事ですね。

これについてカナダ首相が謝罪を求めた。台湾の新聞で大きく取り上げられるのは台湾でも先住民問題を抱えるからでしょう。


昨年就任した台湾総統、蔡英文女史は就任早々に先住民に謝罪しました。


「台灣固無史也。荷人啟之,鄭氏作之,清代營之。」這就是典型的漢人史觀。原住民族,早在幾千年前,就在這塊土地上,有豐富的文化和智慧,代代相傳。不過,我們只會用強勢族群的角度來書寫歷史,為此,我代表政府向原住民族道歉。




『「台湾には歴史がなかった。オランダ人がひらいて、鄭成功がつくって、清がこれを経営した」これは典型的な漢族の史観です。先住民族は数千年の昔から、この土地にあり、豊富な文化と智慧を代々引き継いできました。しかし我々はただ優勢な民族の角度からのみ歴史を記してきました。これに対して私は政府を代表して先住民族に謝罪します。』


謝罪した上で政府は「先住民歴史正義と転換した正義委員会」を設置した。

この「轉型正義」=転換した正義=transition of justiceってのがキーワードのようですね。


昨年台南にある国立歴史博物館に家族と行きましたがそこでは台湾では先住民の文化がしっかりと伝えられています。多様性が重視されています。日本で報道されないのは先住民族問題は政府にとって片腹痛い問題なのかもしれません。

台湾の大作映画セデック・バレは日本統治時代に日本文化の押し付けに対して最強といわれるセデック族が蜂起した事件を描いたものです。この映画については以前も書きました。


先住民族問題はグローバル経済の裏側に張り付いている各国が避けて通れない問題です。メキシコとNAFTAに絡む先住民族蜂起はこちら。

冒頭の記事で法王の言葉としてトルドー首相が言っています。


教宗也「提醒我,他終其一生都致力於協助這世界上被邊緣化的人,以及為他們奮鬥


法王も私に気づかせてくれました。彼は一生ずっとこの世界で辺境に追いやられた人々を助け、彼らのために戦ってきたことを。


グローバル経済を語るならそこに息づく先住民族の多様性に目を向けないといけません。

日本への観光客が爆発的に増えていてニッポン大好きなんて言ってくれる知人も多いです。

先日もアメリカのユダヤ系女性がトランプに辟易してニッポンに移り住みたいわなんて言ってましたが

実のところニッポンは外国や異文化に対しての許容度が極端に少ないよとは場が白けるので言えませんでした。


以上






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by zhuangyuan | 2017-06-03 20:56 | 文化、歴史 | Comments(0)