中華 状元への道

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2018年 08月 12日

Adiosと言わないで

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映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ Adios」

多幸感に包まれて見終えた。

1997年CD発売と1999年の前作映画公開によりキューバで眠っていた彼ら往年の名プレーヤーは世界に再発見されスターになった。

CDは売れに売れ、世界に呼ばれて公演する。人気に戸惑いメンバー紅一点オマーラがつぶやく、

「なぜ今、この音楽がみんなを喜ばせるの?この曲の苦しみの背景は理解されているの?」

歌をあきらめ、というより幻滅して捨て、声をかけられた時には靴磨きをしていたというイブラヒム・フェレールも訝しむ “Ahora” なぜ今になって?

本作は「発見」以前の彼らの波乱の人生と、さらにはキューバという国の成り立ち、音楽の来し方を描いてくれる。音楽が彼らを作り、苦しみの中の彼らを支え、そして輝かせた。悲しい歌詞を含んだ静かな調べでもキューバのリズムに乗せると優しい曲になるのはなぜだろう?

私がブエナビスタに触れたのはリアルタイムではない。2015年アメリカとの国交回復が決まり、古き良きキューバが変わるかもしれないという機会に旅行した。その前にキューバと関わるものになるべく触れようと映画もずいぶん観た。ブエナビスタには胸を打たれてCDはほぼ毎日聴いた。キューバという国の成り立ちに関しても本を漁った。

キューバという国は、というか島はコロンブスによる「発見」後、スペインの植民地になる。ヨーロッパから持ち込まれた疫病と重労働で先住民は全滅し、今住んでいる大多数はアフリカ由来奴隷か、ヨーロッパ植民者の子孫か、その混血だ。つまり全部外来。ちなみにキューバ革命の英雄チェゲバラはアルゼンチン人だが、外から来たとしても全く問題はないとカストロも言っている。さらにいうと島の植物も外来種ばかりだという。植民時代のプランテーションの影響で原生植物は消えた。

つまりキューバという国は外から来たものがミックスしてできている。音楽もしかり。アフリカ由来のリズムとヨーロッパ音楽が溶け合った。つまり奴隷たちも音楽に支えられて生きてきた。映画によるとそのキューバ独特の音楽が最盛期を迎えるのは1950年代というから皮肉なものだ。スペインから独立を果たしたあとはアメリカ保護下に入る。禁酒法の時代にはアメリカマフィアはこぞって裏庭キューバを拠点とし酒を作った。戦後はバチスタがアメリカ保護のもと独裁者となりカジノとマフィアが栄える。そこで連日連夜音楽が演奏された。享楽の果実は民衆には届かず民は疲弊しキューバ革命に至る。その後はキューバ危機やら経済封鎖やら。

外来のもので成り立っているキューバは封鎖されたらたまらない。そもそも何もない島だから。冷戦時代はソ連のサポートを受けたが崩壊後は困窮に陥いる。華やかなステージは少なくなり、西側世界とは断絶し忘れられる。でも街には音楽が残ってた。ソ連共産党員もキューバに来て驚いたと本で読んだ。自分たちは極寒の地で悲壮な思いで革命した。カストロたちは歌って踊って政権取ったって。

アバナ(Habana)に行って驚いたのはやっぱり音楽。誇張ではなしに街じゅう音楽が溢れてる。食堂やらバールでもどこでも軽快なリズムと歌声が聴こえる。遠くで拍子木のように刻む音に吸い寄せられて打楽器を買っちゃったこともある。同じようにはできないけれど。
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そしてついにライ・クーダーがキューバに行って再発見するのです。それが巡り巡ってグラミー賞取ってついにはアメリカカーネギーホールでライブをする。

スタジオ入り初日のに靴墨つけてたというイブラヒム・フェレールがライブを重ねるごとに生気を取り戻して行く映像はが神がかっているとしか言いようがない。

アルバムジャケットに写るのはスタジオ入り2日目のイブラヒム・フェレールだという。2日目にすでに見違えるようにビシっと決めてきた。
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この映画でお気に入りのシーンは彼が真っ赤なスーツを仕立てるところ。赤いの作りたいというイブラヒムに、「はいどうぞ」仕立て屋のお兄さんが生地を出すところ。赤って普通に売ってるんだね。

そのイブラヒムフェレールもすでに他界したのですが、人々の中には音楽とともに生気がみなぎった歌声で存在しつづける。ブエナビスタのメンバーたちも残り少なくなって来ているがAdios(さよなら)なんて言う必要ないよ。Hasta la vista(またね)でいいだろう。

以上

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by zhuangyuan | 2018-08-12 07:44 | 文化、歴史 | Comments(0)
2018年 08月 05日

フランスサッカー 恥辱から栄光へ

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ロシアワールドカップでのフランス代表Les Bleus 優勝の興奮が冷めやらぬ今日この頃、いや日本ではもう甲子園やらオータニさーんに関心が移ってるかも知れない。でもワールドカップ優勝ってのはその国にとっては歴史的大事ゆえ今後何年もいろんな影響を及ぼす。フランスは20年ぶりにエトワール(étoile 星)をもう一個追加したのですが、少し前2010年南アフリカ大会ではどん底にいた。フランススポーツ史上最大の汚点と呼ばれる事件が起きたのだ。と言いつつ私が知ったのは今大会中にネット見ててのこと。

 興味をそそられたのは98年大会の栄光から僅かの時を経てどうして崩壊したのか?そこから這い上がりトップに立つまでに何を修正したのか?特に知りたかったは民族の融合のこと。98年は国家の名の下に融合したBlack Blanc Buer(黒人 白人 アラブ人)が勝利を掴んだ。そしてチームは国の統合の象徴になった。でもすぐに幻想だったと言われる。その後どん底に落ちて、今回はチャンピオン。でもアフリカの優勝と言われた。この間に何があったのか?
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«Le livre noir des bleus, Chronique d’un désastre annoncé »
邦題は「レ・ブルー黒書 フランス代表はなぜ崩壊したのか」
直訳 「フランス代表黒書 予言された破綻の記録」

フランス代表はユニフォームが青いことからレ・ブルーと呼ばれる。知らない人には副題なしではなんのことやらわからない。

2010年南アフリカ大会グループリーグ。ウルグアイに引き分け、メキシコに負けたあと開催国南アフリカ戦を迎える前に事件は起きた。南アフリカ戦で4-0以上で勝たないと決勝トーナメントに行けないという崖っぷち場面だった。事件の原因はメキシコ戦にあった。ハーフタイムにロッカールームで選手が監督に暴言を吐いた。内輪揉め。ただこの閉鎖空間の話が外に漏れた。翌日のスポーツ紙の一面を飾ったのだ。協会は直ちに批判したアネルカ選手の追放帰国を決定した。選手たちは憤慨する。仲間を追放か?誰が漏らしたのだ?チームに不協和音が鳴り出した。

 そしてつぎの南ア戦を2日後に控えた公開練習日を迎える。その日は朝から生放送が入っていた。フランスにとってフットボールは一大事。ましてや優勝経験のあるナショナルチームのこととなれば国民の大きな関心事。そんななか代表チームの練習ボイコットは起こった。勝利が至上命題であったチームが移動バスから出てこない。全員練習ボイコット。国民の目の前で。理由はアネルカ追放に抗議すること。ちなみに彼が放った言葉はあきれるほどレベルが低い。

「オカマでも掘ってもらえ、うす汚ねえ売女の息子め!」
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それを載せる新聞もアホすぎる。

 本書はこの崩壊に至る歴史の因果や、チームをサポートするべき協会、OB、国家、政治家、サポーター、メディアのここへ至る混乱とほころび、さらには選手一人一人の因縁を解き明かしてゆく。筆者は代表取材歴20数年のスポーツ紙記者。ともかく熱い熱い筆致でひつこく細かく因縁の糸を解いてゆく。フランス人のフットボールへの熱量の大きさを思い知る。

 監督ドメネクは、長期政権で成績が上がらないにもかかわらず協会内の政治バランスの結果残留しチームでは求心力を失っていた。代表メンバーも強力なリーダー不在でキャプテン、エヴラもまとめられない。結束力はなくなり分解直前であったとう。象徴的なのはスーパースターアンリ。W杯4回出場、歴代得点王だがピークを過ぎていた。大会前に監督は引導を渡しに行ったが逆に説得されてアンリを再度選んでしまう。かつてのキャプテンは控えに回り、特別な地位は守りつつ、チームのことより自分優先。フランス語で代表監督はsélectionneur という。選ぶ人。その最高責任者が優柔不断な決め方をした。しかもその監督のポジションは大会後に交代することが決まっていた。求心力はもうない。

 そもそも長期になった理由は協会内のバランス。98年優勝メンバーが指導者年代になっていた。でも旧世代の嫉妬から98年組が中心になるのを妨害されていたそうだ。例えば82年大会で活躍したプラティニなんかが保守勢力。ロシア大会の監督デシャンは2008にも候補に挙がっていた。優勝したらしたでやっかみの対象になる。

 手綱を引けない監督のもとチームは独りよがりの集まりとなる。著者曰く、最高のプロ集団であるべき彼らのサッカーは校庭レクリエーションになってしまったという。

では民族間の対立はあったのか?
著者は断言する。

「人種間の融合がうまくいかなかっただの、宗教の違いだの、世代間問題だなどと言う他の読み筋は、それを利用したい者達の不健全な“エセ議論”に過ぎない」

「ムスリムがパンツ姿でシャワーを浴びようが、誰も困惑などしていないし、せいぜいハラル肉を食事に追加する程度で、それ以上の問題なら起きはしない。ジダンが、フランス代表に来るたびに特製パスタを作ってもらっていたのと、どれほどの違いがあるだろうか?」

「フランス代表の抱える問題は、ナショナルアイデンティティー問題などより、はるかにナショナルインテリジェンス問題だったのだ」

要はおバカだと言いたいのだ。

フランスは多民族社会であり特に旧植民地からの移民は数多くいる。アルジェリアなど北アフリカからはアラブ系、例えばジダン。サブサハラのアフリカからは黒人が来る。例えばティガナ。カリブからも黒人がやってくる。アンリやチュラム。彼らはもちろんフランス人。フランス語を流暢に話す。でも本書にもあるようにやっかみもある。

「黒人やマグレブ人が多すぎてフランスのような気がしない」

 でもフランスでは国として出身地域別に人口統計を取らないそうだ。出身地域がどこであろうとトリコロールのもと団結する。これが国の理念。

 著者も事件について語るとき、選手個人の容姿つまり肌の色について触れずに記述している。それは誰もが知る代表チームのことゆえフランスでは自明のことだからか、記述すると差別を助長することになるからか。私はそこに興味を持ちつつ本書を読み進めたが、キャプテン、エヴラが黒人であるのを知ったのはずいぶん終盤になってからだった。私が人種問題に興味を持ったのももしかしたら偏見付きの野次馬根性的なものに過ぎず、フランスフットボールにおいての融合はその世界の中にいる人間にとっては意識すらしないほどに進んでいるのではないかと夢想してみる。

 フランスは優勝した。チームとしてまとまった黒人の活躍が賞賛された。エムバッペやカンテはスーパーヒーローだ。ドイツは負けた。エジルは自らの出自への協会の差別があるといい代表をやめた。

著者も言う
「美しき一大叙事詩に向かっていくチームと壁に激突していくチームの違いは、フットボールの世界ではあまりに微妙だ」

 最高レベルの現場ではディテールの違いが大きな差を生んでしまう。最高のインテリジェンスがコレクティブに力を発揮すれば勝てる。しかし細かなすれ違いが失敗につながり敗北を招く、敗北が問題をさらに大きくするデフレスパイラル。

勝利では回転が逆になる。
フランスの今後のさらなる活躍を期待する。

以上





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by zhuangyuan | 2018-08-05 10:15 | 時事 | Comments(0)
2018年 06月 24日

スイス代表シャキリ 「双頭の鷲」ポーズってなんだ?

スイス代表がセルビア代表に勝利し、決勝ゴールをあげたシャキリがぴろぴろポーズ。これはちょうちょじゃありません。双頭の鷲、アルバニアのシンボルなんです。国旗にも描かれている。

 そもそもスイス代表なのになんでアルバニア?シャキリはコソボ出身。4歳で両親とスイスに渡ったという。コソボはセルビアから独立したアルバニア人国家です。(セルビアは独立認めてません) ちなみにシャキリはShaqiri とかきますがアルバニア国家の原語名はShqipëriaなんか関係ありそう。鷲の国ってこと。

その双頭の鷲ポーズをセルビアを撃破したゲームでやってしまった。旧ユーゴ内戦は複雑に絡みあった構造がありますがセルビア人によるアルバニア人排斥が大きな要素の一つ。そこからNATO空爆につながるのです。

アルバニアに旅行行く前にいろいろチェックしたので再掲します。

そんな両国はかつて国際マッチで観客交えた大乱闘もやってます。サッカーは戦争だというけれどFIFAが政治ネタに敏感になるのもわかります。





でもねアルバニア人はいいか悪いか小さな独立国家ですから愛国心が強いのです。あのポーズもみんながやってます。セルビア相手にやったらいけない。
かつて世界の火薬庫と呼ばれたバルカンは宗教民族歴史が入り組んでますのでそっとしとかないといけません。オシムさんもそれで旧ユーゴ監督辞めました。
以上


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by zhuangyuan | 2018-06-24 05:18 | 文化、歴史 | Comments(0)
2018年 02月 25日

伝説の料理 「盆菜」ってなんだ?

マレーシア料理店で旧正月新年会に参加し「盆菜」というお祝い料理をいただいた、というより、体験したというべきか。ゴージャス。事前の知識はまるでなかったのだが出てきた瞬間に、香りが立ちこめ、ビジュアルの迫力にそのスペシャル感を認識できた。味はいうに及ばず、この料理の準備にどれだけの手間と時間を費やしたのかを想像した。
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てなことで調べてみると起源は香港だそうだ。Poon Choiって読むみたい。世界に冠たる中国料理でも異彩を放っていると紹介してある。紹介文の前段も仰々しいので引用する。

中國菜有八大菜系之分,當中包括魯菜、川菜、粵菜、蘇菜、湘菜、閩菜、浙菜和徽菜。

中国料理には八大系統がある。山東料理、四川料理、広東、江蘇、湖南、福建、浙江、安徽料理が含まれる。

中國之烹調方法更是包羅萬有,單從火候和工藝而言,便有煮、蒸、炒、煎、炸、燜、煲、燉、煨、燻、熗等法,所弄出來的味道亦截然不同。

調理法もあまたあり、火加減から工芸品まで,すなわち、煮る蒸す炒める焼く揚げるとろ火で煮る深い鍋で煮る煮詰める長時間煮るいぶす茹でるなどなど、調理法でひきたつ味がまるで違う。

至於用作盛載食物的碟子,體積大小各有不同之餘,形狀更是千奇百怪,有些也許連聽也沒有聽過,例如三吋碟、五吋碟、大圓碟、橢圓碟、方碟、多角碟、盞、簋、鍋、鼎等等

盛りつける皿もさまざまで大きさの違いだけでなく、形も珍しいものや奇っ怪なものまで、聴いたことのないものあるだろう、たとえば三時皿、五時皿、丸皿、楕円皿、四角、多角形、盃、耳付き皿、鍋、鼎などなど、種類も豊富で、色とりどり。これは器は陶器か金属でできているが、これは中国古今に聞こえる芸術銘品だ。

そんな世界一の料理群の中でも盆菜は内外に名が通って、多くの旅人がそれを求めてやってきたという。

歴史書にもその由来が載ってるという。

13世紀、宋王朝はモンゴル系である元の勢いにおされて、浙江、安徽から福州まで逃げて隠れた。その後、香港の九龍の西、いまのカイタック空港あたりまで逃げた。さらに西に行こうとした時に、いまの香港新界を通りかかり、人々は宋朝の末裔を一目見たい、そして彼らをもてなしたいと感じた。ただそんな方々をもてなすだけの食器が足りない。そこで木製のお盆にぜんぶ詰めちゃったってわけ。これが始まりで香港名菜として知られるようになったと。

伝統的な料理法だと準備に3日かかるそうだ。

第一天要上山斬柴。

1日目には山に芝刈りに。
ライチの木が火力が強くていいみたい。
石油や電気じゃ風味が出ないって。

第二天則要購買充足的新鮮材料

2日目は新鮮な材料を買いにゆく。神さまにそなえる祭祀用でもあり海鮮類を集める。

第三天大清早便要開始炆豬肉

3日目は朝から豚肉をとろ火で煮はじめる。

十何時間煮るとどうなるか?

入口軟滑甘香、肉汁香濃豐富、不肥不膩、別具特色的圍頭豬肉,令人想一吃再吃

口当たりが柔らかく滑らかで甘みが香り、肉汁が豊潤で、油っこくなく、しつこくなく、独特な豚肉となり、一度食べたら止まらない。

どう食べたくなったでしょ。

全部紹介してたらおわらないので材料とセッティングだけ紹介しておきます。

上三層是米鴨、雞、鯪魚球、乾煎蝦碌等乾料,下三層則是蘿蔔、豬皮和圍頭豬肉等容易 吸收 ? 汁的材料,這樣便可做到?汁一層一層地往下滲。

上の三層にアヒル、鶏、つみれ、干しエビなど乾物、下の三層は大根、豚の皮、とろ火豚肉など汁を吸収する材料。こうすれば煮汁が一層一層下に向かってしみてくる。

うまそうでしょ?

また食べたくなっちゃったよ。

中国の食文化は奥が深い。

以上


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by zhuangyuan | 2018-02-25 14:12 | 文化、歴史 | Comments(0)
2018年 01月 05日

台湾北投 30分で400年の時空を超える

 台北で半日フリーな時間ができたので土曜日朝に足を伸ばして北投に行ってみた。

 北投は温泉地で昔は芸者もたくさんいたという。地下鉄淡水線で30分ほどで北投駅。そこで乗り換え一駅で新北投駅に到着。一人で温泉入る気にはなれないので、友人にすすめられた温泉博物館で歴史でものぞいてみようかと。

 川沿いの道を温泉街に向かい歩く。ふとみると趣のある木でできた建築物が見えた。吸いよせられるように近づくとなんと図書館。
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確かに地図には図書館が載っている。まさかこれが。中は広い空間に光がさしこみ、木枠の向こうには周囲の緑がみえる。バルコニーにもデスクがしつらえられ読書ができる。ずっといたい。でも街の入り口付近で長時間いるほど時間がない。
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近くにあるはずの温泉博物館が見当たらない。通りすぎたか?しょぼい建物なのか?来た道を戻る。まさかこのカバーで覆われた工事現場が?でも少しの可能性を期待して建物の近くまで行ってみた。やはり改修工事で閉館中。ここが目的地なのにね。あきらめきれずに中をのぞくとお姉様が何人か出てきた。入れないか尋ねてみると、中には入れないがボランティアガイドの説明を受けられるという。「あそこに見える川の上の休憩所で5分後からガイドがあります」ラッキー。

 説明をしてくれたのは両親よりも年上らしきお姉さま。日本語が達者だ。時々英語と中国語が混じる。英語の発音が綺麗だからアメリカで教育を受けたのかもしれない。何しろ台湾の歴史は複雑だからね。

 彼女の説明は100年前から始まった。
日清戦争直後に大阪の商人が黄金を掘りに台湾へやってきた。しかし許可が得られずに硫黄を取りに北投にきた。ここでは原住民が硫黄を採っていた。ちなみに台湾で原住民という言葉は差別的ニュアンスがない。彼らは400年前から硫黄を取引していたという記録があるそうだ。でもって彼女の話は、くだんの商人がここのお湯で傷を癒し、初の温泉宿「天狗庵」を開業したと続く。「ガイドさん、すみません。温泉の話に行く前に400年前の原住民の話してください」

 当時から原住民は硫黄を掘る技術を持っていたそうだ。台湾にはるばるやって来たスペイン人やオランダ人に硫黄を売っていた。買った方は海賊退治のための弾薬にしたという。「でも原住民はお金をもうけることはできませんでした」というかご多分にもれず経済的には収奪されたのかな?

 ともかく硫黄は採っていた。ただ温泉という概念はなかったようで毒水と呼び入ることはなかったという。毒水から立ち昇る湯気に覆われた世界は幻想的で、しかもこのあたりは原住民族の巫女が支配していた。北投(ホクトウ)という名も巫女を意味する現地語ペッタウに由来するそうだ。北投は國語Beitouではなく日本読みホクトウが元々ついた名前ということ。
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凱達格蘭族稱這煙霧彌漫、硫礦味四溢又充滿神秘感的地方為「PATAUW」,意為「女巫」。

ガイドさんが発音してくれるパッタウという音がなんとも美しい。

 北投温泉博物館も元はといえば温泉施設で1913年に完成した。明治大正と続く文明開化という西洋技術崇拝からイタリアで勉強した設計師がローマ様式を浴室に取り入れ、西面の大きな窓にはステンドグラスがしつらえられた。夕方になると湯気が立ちこめた浴室に七色の西陽が差し込む。今ここで見れないだけに想像が膨らむ。ロマンティック。非常浪漫的。そして風呂から上がると榻榻米tatamiの大広間でゆっくり寝転がる。いいねえ。
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その後、日本が戦争に負けて国民党軍が接収する。温泉文化はなかったのでオフィスとして活用した。その後、歓楽街に変わって男を癒すのだがこの部分のお話はガイドにはなし。

温泉博物館は2018年10月再オープン。

30分ばかりの説明で400年もの時空を行ったり来たり。

「ありがとうございます。とても楽しかったです。ところでお姉さん、身分証バッチのお写真がずいぶんと若くないですか?」

「おほほ。これ20年前なの。ガイドをはじめたころ。まだ60代のころよ」

「今も美しいですよ。記念に写真撮らせてくださいね」

お洒落なメガネを取り出してポーズ。カシャ。

すると横から3人組の学生さんに話しかけられた。

「お時間あればインタビューさせて下さ〜い。あ、ガイドさんもいっしょに日本語通訳してください」

「僕は中国語できるから大丈夫だよ」

「ええやったあ!台湾にどのくらいいるんですかあ?」

「4日」

「4日でそんなにしゃべれるのぉ、すご〜い」

どこでも学生さんは似たようなもんだね。
どうやら大学で観光客にインタビューする宿題が出てるようだ。

1人が質問者となりiPadで撮影開始。もう1人は私の横でiPhoneで音声をとる。なんか本格的。

まあ質問内容はごく一般的で刺激のあるものはなし。難しい質問されてもこちらの中文能力が追いつかないかもしれないのでよしとしよう。

なんかぶらり途中下車の旅のような半日だった。今度は泊まりで来ないとね。

以上


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by zhuangyuan | 2018-01-05 20:40 | 文化、歴史 | Comments(0)
2017年 12月 06日

「火山のめぐみ」とともに

「火山のめぐみ」
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12/2 土曜日、明治大学中野キャンパスまで自転車飛ばしてシンポジウムを聴いてきた。

理工系なのに芸術をやるという不思議な大学院が主催する。司会した管啓次郎さんがおっしゃるこのプログラムには別名がある。PAC=Place, Art, Consciousness 場所、芸術、意識。このシンポジウムは、その名の真骨頂を発揮してる。場所はポリネシアからレイキャビク、霧島連峰からアイヌの地まで。写真、映像、語り、舞踊。神話の世界が意識によって地底から吹き上がる。

 写真家赤阪友昭さんは古事記の話から。稗田阿礼が語った神話は史実かもしれないという。火の神が作った島々は火山噴火の熔岩がもたらした。国つくり後も火山の大爆発は繰り返され文化を埋め尽くし、民族の大移動ももたらした。アラスカ先住民の語り部を日本に呼んだ赤阪さんはいっしょに桜島を訪れ、いにしえの大爆発の話しをする。そこで語り部の記憶が呼び覚まされる。アラスカにカヌーでやってきた民たちはここから来たんだね。文字を持たないアラスカ先住民は民族の記憶を語り部がになう。このお話スケールは8000年。火山が地球を動かしたという万年単位の記憶を現代まで記憶している。爆発と再生の記憶。

 日本で古事記は文字に書かれて外部記憶となった。語り部がいないことで現実とのつながりがうすくなってしまったのではないだろうか。それが地球の裏側の語り部によってふたたびリアルを取り戻したのか?

文字だけでは伝わらないことがある。

 フランス文学者大辻都さんはフラと詩学のお話。フラは、ダンスの動きひとつひとつが詩をあらわしているという。優雅な動きも勇猛な動きもハワイを作った火山をめぐる神話的な詩を含んでいる。ハワイはかつて欧米クリスチャンの世界に組み込まれ、独自文化が衰退する時期があった。洋装フラの写真が印象的だった。しかし今では固有文化が復活しつつある。

 文字でなく踊りに組み込まれたことにより生き残る力がより大きかったのだろうか。

 松田法子さんのレイキャビクに関する話と写真に引きこまれた。火山の国アイスランドは氷の国かと思いきやグリーンが目立つ。熔岩の大地に緑が再生する。森ができて、薪が取れ、暖をとれるようになる。そこに街を作ったのは海の人バイキング。意外にも彼らは都市を作る。レイキャビク、レイキャは煙、ビークは入江。火山が沸かす入江にバイキングは居を構えた。そこはユーラシアプレートと北米プレートの境。アイスランドには大きな割れ目がある。ここで写真スライドは地球の裏側日本へ飛ぶ。奥尻、東北へ。そこの破壊と再生物語。東北大震災の数日後ユーラシアプレートの反対側アイスランドにさらに割れ目ができた。地球はつながっている。

 すぐそこにある再生を映画監督大川景子さんが撮った。熔岩でおおわれた火山島三宅島でイタリアントマトを育てる試みを追う。ドリアン助川さんがニューヨークのメキシコ料理店で食べたというトマトを植えた。育てている農園の方はドリアンさんの熱意に動かされたと語る。1人の意志から再生が始まる。真っ赤な肉厚の実がなった。荒涼とした黒な熔岩の山をバックにブルーのシャツを着たドリアンさんが真紅のトマトを握ってる。この一コマだけで力強い再生の物語が伝わる。トマトを試食した料理店の店長の言葉がささる。何度も火山が爆発してその都度蘇る三宅島に魅力を感じて住んでいる。彼は八丈から来た。そこにはそこの気候にあった文化がある。気候が人と文化を作る。
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 Place, Art, Consciousness 文字だけでは伝わらない世界を確かに受け取った。
私はそれを文字で書いてる。場の共有なしに伝わるかな。まあ自分の備忘録にしておこう。

以上




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by zhuangyuan | 2017-12-06 19:30 | 文化、歴史 | Comments(0)
2017年 08月 13日

真ん中ってどこにあるの?

「真ん中の子どもたち」温又柔著

ミックス言語ワールドで生きる留学生の葛藤を描く。言語好きにはたまらない物語です。

主人公のミーミーこと天原琴子は留学先で「てぃえんゆぇん」と呼ばれる。天原を普通語読みしてTianyuan。
アルファベットで書いてもローマ字読みとは異なり、中国語のピンインではティエン ユエンと読む。
この琴子は日本育ちの台湾人とのハーフであるゆえに自分のルーツと言葉の浮遊感に揺れている。そして揺れ続ける。
ピンインをあえて平仮名で書くところにすでにもどかしさを込められているのかな。

私は伊藤なので中国ではイートンyitengと呼ばれます。はじめ違和感を感じました。
オレにはイトウという苗字がある。音もセットで自分がある。
でもねよく考えたら毛沢東はモウタクトウだし、鄧小平はトウショウヘイって呼んでる。
中国語は漢字が表意文字として中心に鎮座してるので音は後からついてくる。

琴子の友人、龍舜哉は帰化日本人ですが屈託がない。
祖父が帰化するときに劉を日本語で同音というだけで龍に変えた。いさぎよい選択。
舜哉は自分をはっきりと日本人だといいきる。

その彼が言う。
「中国って大きい。これだけ大きければ、おれみたいな中国人がいてもおかしくないんちゃうん?」

まさにここが中国との日本の違い。中国はでかいんです。
私の好きな中国のことわざでこう言います。

林子大了什么鸟都有。
森はでかいんだからどんな鳥だっているんだ。

中国は言葉に対する許容範囲が広い。
普通語が幅をきかせる今日でも、地方出身者が訛りの強い言葉で卑屈になることなく大きな声で堂々と喋っています。
私のヘタクソな中国語だって受け入れられます。

ところが日本だと正しい日本語ってのが出てくる。それが一段上にあるという感じが常につきまとう。
先日読んだ本によると沖縄の訛り矯正のため、
教室で方言をしゃべった生徒には方言札という札を胸に下げさせたそうです。

中国も毛沢東主導のもと効率化のため言語統一が図られます。
ピンインが導入され、教育は普通語でなされ、アナウンサーは普通語で話します。
ほとんどのテレビ放送に普通語の字幕がつきます。
そんな状況からでしょうか、中国語がうまいことを褒めるとき、「とても標準的ですね」と言います。
「你的中文很标准」私もよく言われます。学校で習ったものですから。
でもなんか褒められた気がしない。生きた言葉じゃないって感じ。

琴子の先生である陳老師も正しい発音を厳しく指導します。
適切な指導を行う努力を惜しまない。でもこれは任務なのです。
文化からではなく、政治に基づいた任務。ここは老師は譲れない。

でも中国社会は外のものを受け入れる許容を持っていると思います。言語もしかり。
古代から異民族と混じりあって時の為政者に表面上は合わせながら自らの寄って立つところを失わずに生きてきた。
だから自分の言語ワールドを捨てないし卑下もしない。
中国人という一言で片付けられないし、線引きできない。中国には多民族が集まってる。
漢族が中心と言われますが、漢族の定義なんてあいまいです。
混じりあった末にそこに居ついた人々くらいなものです。
威張ってる北京人、上海人も同じ。数代前にそこにきただけ。
でもそこに根ざした言葉を喋ってる。

そこでは普通語と方言のミックス感が自然なんですよね。
なんの途切れもなくいつのまのにか土地の言葉が混じってくる。
これは台湾も同じ。ビジネスでは國語と呼ばれる共通語が話されますが本省人がいるといつのまのにか台湾語になってる。これは主人公琴子の家庭の言語空間と一緒です。線が引けない。言語カオス。

中国でも台湾でも時の政権と社会は必ずしも同一ではないんです。
私も短い間北京にいましたが一見すると画一化されたように見えますが、その実、自由な混沌があるんです。

華僑の国シンガポールなんかはさらに複雑です。
普通語、広東語、福建語、潮州語、海南語....ついでに英語。みんなごちゃまぜで話して通じ合ってる。
どれが正しいなんてのはない。これが日常なんです。
こんな世界にいるとあっちとこっちの間に線を引くことに意味がないしそもそも引けない。
あっけらかんと自分の言葉を喋ってる。そこでは国家なんてのは仕組みでしかない。

この状況って中華圏だけじゃない。アメリカだって同じ。
ロスでもヒューストンでも空港で聞こえてくるのはスペイン語です。
でもこちらと話すときは英語。下手くそでも自然です。
グロービッシュ。
世界のみんながこれを話してる。
日本人以外は恥ずかしがらずに。

これが日本においては、国家と歴史と民族、言語が地理条件と一致して統合されているように思えてしまう。
幻想に過ぎないのに。グローバル化の進行でこの幻想も揺らいできた。
そしてこれからますますあいまいになってゆく。多様性が増してゆく。

あいまいになるとこれまでのステレオタイプの価値観が通じなくなり不安になる人々がいる。
世界が動いて多様化しているのに隣近所の異質な存在にしか目が行かなくなり、
機能しなくなった単一幻想をますます偏狭にしてすがってゆく。
そこでは無根拠な排除が行われる。排除していることすら罪悪感をいだかなくなるかもしれない。

刊行記念講演で著書の温又柔さんはこうおっしゃっていた。
そんな世界に生きる子供たちが、異質であるゆえに狭間に追いやられることがあるならば、
その狭間こそが真ん中であると胸がはれるような物語を書いてゆくと。
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これからますます重要になってゆくでしょうね。

以上



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by zhuangyuan | 2017-08-13 21:10 | 言葉 | Comments(0)
2017年 07月 18日

ネット時代 中国語は世界語になった

「パリの昼下がりマルチリンガルのギャルソンのおかげで、私は、少しヴェトナム風にアレンジされたとてもおいしい広東料理にありつくことができました。中国語を身に付けておけば、(たとえフランス語やドイツ語やタヒチ語ができなくても)世界中の至るところでこのような口福に恵まれるチャンスが待ち受けている」P62


「中国語はじめの一歩」にある一説です。


パリのチャイナタウン(Porte de choisy)で華僑が営む広東料理店で食事をすると、街の外から来たであろう著者に店員は普通語で話しかけたという。その華僑二世である店員は広東語は家庭で覚え、普通語はコミュニティスクールで習ったという。パリでも中国語が話せる時代です。


私は32歳で中国語を始めましたが、学生時代の第2外国語はスペイン語でした。中国語は北京でしか通じないローカル言語だと思ってた。確かに今でも各地各地で方言が使われます。本書によると漢語方言は大きく10区にわけられるという。実際に以前友人に紹介してもらったテレビドラマDVDは主人公が四川訛りでさっぱり聞き取れませんでした。全部普通語字幕がついてます。


ところが昨今の普通語の普及ぶりは目を見張るものがあります。テレビと教育の浸透に加え今では世界第2の経済大国となった中国は史上初めて音声言語統一されたような。かつては、北京人にとって世にもおそろしいと言われた「広東人の話す普通語」も若い人たちなんかはすっかり洗練されました。香港人もしかり。今では香港映画も普通語バージョンが必ずあるしジャッキーチェンだって普通語喋ります。


海外に渡った華僑たちの大半は広東、福建あたりから出ていますが彼らも普通語習ってる。かつてはチャイナタウンごとにそれぞれの方言が話されてた。知人の親戚は台湾華僑でニューヨークに渡りましたが、チャイナタウンで福建ベースの台湾語が通じずに、チャイナタウンで広東語を覚えたという。


チャイナタウンのある外国にとっても中国の重要性が高まると同時に教育として中国語が導入される。この場合もちろん普通語です。すると華僑の子息も勉強します。


本書よるとアメリカでは1994年に普通語がフランス語、スペイン語とともに学校教育の第1外国語の選択肢に入ったという。P63


学生時代シドニーで小学生の日本語で話しかけられた。学校で習ってるって。でも今は中国語に押されてる。


華僑の子息が大陸で普通語を学ぶことも増えている。もう10年前ですが私が北京で語学コースに言った時、上級クラスの1/4が華僑の子息でした。アメリカ、オーストラリア、香港人も来てました。一番遠くはスイスの中華料理店の娘。インドネシアの華僑は暴動から逃げて来ていました。彼らは上達が速い。特に会話は。生活言葉だけは苦もなくできる。では方言とはいえ漢語世界ですからね。でも漢字ができないんだよね。時事問題なんかの漢語表現は全然ダメ。それらの漢字は和製漢語だから俺の方ができた。まあそれはともかく方言世界が中心だった世界中の漢語世界に、北京で学習した子息を通じて普通語が浸透してゆくのです。


アジア各国ではチャイナタウンに行くまでもなく経済は華僑が握っていますのでビジネスの世界ではたいてい普通語も通じます。普段はグループごとに広東語、福建語、潮州語なんかを話してますがみんな集まると普通語喋ります。つまり普通語が共通プロトコルになってる。もちろん漢字が古代からその役目を担って来たわけですが、そこに音声も加わり最強言語となった。


アヘン戦争に敗れて停滞した中国は、その原因として複雑すぎる漢字とそれによる識字率の低さをあげた。毛沢東は簡体字とピンインを導入した。しかしスマホでピンイン入力できる今、漢字の壁は越えた。しかもネットでつながるテキストの時代、表意文字である漢字のメッセージ力の強さと効率は驚異的。試しに140文字で比べてみてね。


ただし中国語の漢字には使われるその場の環境によって意味する範囲や時の感覚が異なって伝わることがある。その意味でテキストだけをネットに放つのは、受けとられ方を考えないとね。


まあ言いたいことはネットで世界の垣根が取れて中国語が世界語になったってこと。しかもですよ中国語ができれば4000年のアーカイブにアクセスできるんです。


以上



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by zhuangyuan | 2017-07-18 21:08 | 中国関連DVD、本 | Comments(1)
2017年 06月 03日

台湾で知るグローバル化に覆われた先住民問題


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「教会が先住民文化を消滅させた。カナダがローマ法王に謝罪要請」

EVA Airの機内で台湾の新聞を読んでいるとおどろおどろしい見出しにびっくり。


欧州人が新大陸で先住民の土地と文化を奪ったのは今更驚くことではないですが、

トップ会談でこんな話が出てくるということに衝撃を受けました。

カソリックの歴史において革命的といわれるフランシスコ法王だからこそできること。

初の南米出身の法皇は先に南米で行ったカソリックの侵略を謝罪しました。

このショッキングなニュースが日本でどう伝わっているかとググってみると「カナダ首相がローマ法皇と先住民の人権問題で意見交換」なんてぬるい表現でスルーしている。
カナダ首相、法王と会談 先住民の人権問題で意見交換
ちなみにこの記事にも引用されているThe Globe and Mailの記事も読みましたが同じ内容が載ってます。
Trudeau to seek papal apology for residential schools


カナダで何があったのか?この記事から抜粋してみる。




加國政府一八七年代起將近十五萬名原住民兒童強制送入寄宿學校同化,以及當年藉此遂行「文化滅絕」的政策目的


カナダ政府は1870年代から15万人近くの先住民児童を強制的に寄宿学校に送り同化させた。

これは当時文化絶滅の政策目的を遂行した。


他們遠離親生父母、傳統文化與母語,進入加國政府出資的寄宿學校;實際運作多由教會負責,其中又以天主教會為最大勢力,但多數學童遭遇精神、肢體虐待與性侵害,多達六千人命喪校園。

彼らは生みの親、伝統文化や母語から隔離され、カナダ政府出資の寄宿学校に入れられた。実際の運営は教会が行い、そのうちカソリックが最大勢力であり、多くの学童が精神的肉体的虐待、性的干渉を受け、6千人が校内で命を落とした。




こうしたことが行われていたのが1920-80年代がピークで1996年までこのような寄宿学校があったと。現代の出来事ですね。

これについてカナダ首相が謝罪を求めた。台湾の新聞で大きく取り上げられるのは台湾でも先住民問題を抱えるからでしょう。


昨年就任した台湾総統、蔡英文女史は就任早々に先住民に謝罪しました。


「台灣固無史也。荷人啟之,鄭氏作之,清代營之。」這就是典型的漢人史觀。原住民族,早在幾千年前,就在這塊土地上,有豐富的文化和智慧,代代相傳。不過,我們只會用強勢族群的角度來書寫歷史,為此,我代表政府向原住民族道歉。




『「台湾には歴史がなかった。オランダ人がひらいて、鄭成功がつくって、清がこれを経営した」これは典型的な漢族の史観です。先住民族は数千年の昔から、この土地にあり、豊富な文化と智慧を代々引き継いできました。しかし我々はただ優勢な民族の角度からのみ歴史を記してきました。これに対して私は政府を代表して先住民族に謝罪します。』


謝罪した上で政府は「先住民歴史正義と転換した正義委員会」を設置した。

この「轉型正義」=転換した正義=transition of justiceってのがキーワードのようですね。


昨年台南にある国立歴史博物館に家族と行きましたがそこでは台湾では先住民の文化がしっかりと伝えられています。多様性が重視されています。日本で報道されないのは先住民族問題は政府にとって片腹痛い問題なのかもしれません。

台湾の大作映画セデック・バレは日本統治時代に日本文化の押し付けに対して最強といわれるセデック族が蜂起した事件を描いたものです。この映画については以前も書きました。


先住民族問題はグローバル経済の裏側に張り付いている各国が避けて通れない問題です。メキシコとNAFTAに絡む先住民族蜂起はこちら。

冒頭の記事で法王の言葉としてトルドー首相が言っています。


教宗也「提醒我,他終其一生都致力於協助這世界上被邊緣化的人,以及為他們奮鬥


法王も私に気づかせてくれました。彼は一生ずっとこの世界で辺境に追いやられた人々を助け、彼らのために戦ってきたことを。


グローバル経済を語るならそこに息づく先住民族の多様性に目を向けないといけません。

日本への観光客が爆発的に増えていてニッポン大好きなんて言ってくれる知人も多いです。

先日もアメリカのユダヤ系女性がトランプに辟易してニッポンに移り住みたいわなんて言ってましたが

実のところニッポンは外国や異文化に対しての許容度が極端に少ないよとは場が白けるので言えませんでした。


以上






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by zhuangyuan | 2017-06-03 20:56 | 文化、歴史 | Comments(0)
2017年 01月 22日

見えない世界をどう見せる?「推拿」

中国映画「推拿 ブラインドマッサージ」鑑賞。

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地味なテーマ、目をそむけてきたテーマを描いてこれだけ目が離せない物語にするとは恐れ入ります。

推拿、手の感触から広がりゆく奥深い世界が感じられる。邦題でブラインドがつくとそこで世界が遮断されているような閉塞感をイメージしてしまう。

盲人按摩が繁盛していた時代の物語だと言う。
私もかなり前に何度か施術を受けたことがあります。ロウソクくらいのともしびだけの暗い部屋に通されてうつ伏せで身を委ねる。暗がりの中でじっと受け身で過ごす不安感は忘れません。あちらが万能、こちらがハンディを負いなすすべがない感覚。当時は中国語もできませんので無力です。

映画では経営者も含めてマッサージ師が全て盲人である施術院での人間模様を描く。

ナレーター曰く、盲人は健常者を一級上であり神に近い存在だと感じるのだという。そうなのかもしれない。でもそれはそう思わされているだけなのではないか。ろうの世界の歴史と現状を描いた「手話を生きる」を読むと盲人のこの考えは、洗脳された結果にすぎないのではと思えてくる。

健常者が作り上げた聞こえる者が中心にいる世界に、聾が努力して合わせるべきだと教えられ、
かつては手話の使用を否定された。本来芳醇な精神世界が手話によるコミュケーションで培うことができるにもかかわらず、習得困難な口話教育により幼児レベルの思想に押し込まれたという。盲の世界にも光ではない何かが照らす深淵があるのではないか。

按摩院で働く盲人たちは推拿という特殊技能を持ちながらも患者を含めた圧倒的多数派である健常者が作る世界の価値観の影響を免れない。常にポジティブな院長はごく幼いころに視力を失いずっと盲の世界で育ったため盲であることにコンプレックス感じたことがないという。そんな彼ですらも健常者の価値観の影響を受ける。目の見える患者たちが口々に褒め讃える美貌の持つ盲人按摩師に恋をする。見える世界の美に触れたことがないにもかかわらず。未知のものに対する憧憬。見えることはない、知ることがないと知りつつも。

かつて健常者であり徐々に視力を失いつつあるもう一人の女性按摩師は盲人である恋人にいう。自分は按摩院で2番目の美女であると。そしてそんな彼女を持つことが誇らしいかと盲人の彼に問う。美を目で捉えられない彼氏に。見えていた世界の論理にすがる彼女。その院には視力の度合いや盲になった時期の異なる按摩師が同居している。はじめから見えない盲人は自らの世界を楽しんでいるように思える。光のない世界がホームとして。見える世界と見えない世界の境界が人間模様も中で交差し、時に錯綜する。価値観がくずれる、あやふやになる。

原作が読みたい。映像は見える世界を見せる。文字では見えない様子をどう描くのか?表意文字である漢字の国で音だけの世界をどう表すのか?是非原書をのぞいてみたい。

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by zhuangyuan | 2017-01-22 21:47 | 映画 | Comments(0)