中華 状元への道

zhuangyuan.exblog.jp
ブログトップ

<   2018年 02月 ( 2 )   > この月の画像一覧


2018年 02月 25日

伝説の料理 「盆菜」ってなんだ?

マレーシア料理店で旧正月新年会に参加し「盆菜」というお祝い料理をいただいた、というより、体験したというべきか。ゴージャス。事前の知識はまるでなかったのだが出てきた瞬間に、香りが立ちこめ、ビジュアルの迫力にそのスペシャル感を認識できた。味はいうに及ばず、この料理の準備にどれだけの手間と時間を費やしたのかを想像した。
d0018375_14191753.jpg

てなことで調べてみると起源は香港だそうだ。Poon Choiって読むみたい。世界に冠たる中国料理でも異彩を放っていると紹介してある。紹介文の前段も仰々しいので引用する。

中國菜有八大菜系之分,當中包括魯菜、川菜、粵菜、蘇菜、湘菜、閩菜、浙菜和徽菜。

中国料理には八大系統がある。山東料理、四川料理、広東、江蘇、湖南、福建、浙江、安徽料理が含まれる。

中國之烹調方法更是包羅萬有,單從火候和工藝而言,便有煮、蒸、炒、煎、炸、燜、煲、燉、煨、燻、熗等法,所弄出來的味道亦截然不同。

調理法もあまたあり、火加減から工芸品まで,すなわち、煮る蒸す炒める焼く揚げるとろ火で煮る深い鍋で煮る煮詰める長時間煮るいぶす茹でるなどなど、調理法でひきたつ味がまるで違う。

至於用作盛載食物的碟子,體積大小各有不同之餘,形狀更是千奇百怪,有些也許連聽也沒有聽過,例如三吋碟、五吋碟、大圓碟、橢圓碟、方碟、多角碟、盞、簋、鍋、鼎等等

盛りつける皿もさまざまで大きさの違いだけでなく、形も珍しいものや奇っ怪なものまで、聴いたことのないものあるだろう、たとえば三時皿、五時皿、丸皿、楕円皿、四角、多角形、盃、耳付き皿、鍋、鼎などなど、種類も豊富で、色とりどり。これは器は陶器か金属でできているが、これは中国古今に聞こえる芸術銘品だ。

そんな世界一の料理群の中でも盆菜は内外に名が通って、多くの旅人がそれを求めてやってきたという。

歴史書にもその由来が載ってるという。

13世紀、宋王朝はモンゴル系である元の勢いにおされて、浙江、安徽から福州まで逃げて隠れた。その後、香港の九龍の西、いまのカイタック空港あたりまで逃げた。さらに西に行こうとした時に、いまの香港新界を通りかかり、人々は宋朝の末裔を一目見たい、そして彼らをもてなしたいと感じた。ただそんな方々をもてなすだけの食器が足りない。そこで木製のお盆にぜんぶ詰めちゃったってわけ。これが始まりで香港名菜として知られるようになったと。

伝統的な料理法だと準備に3日かかるそうだ。

第一天要上山斬柴。

1日目には山に芝刈りに。
ライチの木が火力が強くていいみたい。
石油や電気じゃ風味が出ないって。

第二天則要購買充足的新鮮材料

2日目は新鮮な材料を買いにゆく。神さまにそなえる祭祀用でもあり海鮮類を集める。

第三天大清早便要開始炆豬肉

3日目は朝から豚肉をとろ火で煮はじめる。

十何時間煮るとどうなるか?

入口軟滑甘香、肉汁香濃豐富、不肥不膩、別具特色的圍頭豬肉,令人想一吃再吃

口当たりが柔らかく滑らかで甘みが香り、肉汁が豊潤で、油っこくなく、しつこくなく、独特な豚肉となり、一度食べたら止まらない。

どう食べたくなったでしょ。

全部紹介してたらおわらないので材料とセッティングだけ紹介しておきます。

上三層是米鴨、雞、鯪魚球、乾煎蝦碌等乾料,下三層則是蘿蔔、豬皮和圍頭豬肉等容易 吸收 ? 汁的材料,這樣便可做到?汁一層一層地往下滲。

上の三層にアヒル、鶏、つみれ、干しエビなど乾物、下の三層は大根、豚の皮、とろ火豚肉など汁を吸収する材料。こうすれば煮汁が一層一層下に向かってしみてくる。

うまそうでしょ?

また食べたくなっちゃったよ。

中国の食文化は奥が深い。

以上


[PR]

by zhuangyuan | 2018-02-25 14:12 | 文化、歴史 | Comments(0)
2018年 02月 07日

「絎」という字をおくられて

d0018375_22393673.jpg
祖母の納骨がおわった。
70数年ぶりに祖父の隣に並んだ。
つまり終戦の年以来のこと。

祖父は原爆で逝った。
母が生まれる前に。
開拓を志して学んだが、軍人になって祖母をつれて満洲に行き、戦局が悪化して帰ったところが広島だった。後から追いかけた祖母が広島について二週間しか経っていなかった。

祖父とは祖母は子供のころ近くに住んでいたと聞いた。祖母は、近所に住む祖父の母親つまり私の曽祖母と仲がよくいつも可愛がってもらっていたそうな。私にとって曽祖母はいつも和服姿で縁側にちょこんと座ってわらってる印象が残っている。そんな曽祖母が長男の嫁に近所の娘さんを選んだ。短い結婚生活だった。

  戦後、祖母は娘である私の母とふたりきりで生きた。白いマルチーズを飼っていた。働く母親と小さな娘と室内犬。母はその犬が亡くなったのがあまりに悲しくて二度とペットは飼わなかった。

 祖母はずいぶんと開明的考えを持っていたんだと思う。ドレスメーカー女学院の先生として生計を立て娘を中学校から私立に入れた。女性として洋裁という技術を身につけ、職を持ち、将来を見越して女性である娘に学業をさせる。その甲斐があったのかなかったのか、母は早稲田大学に入り教職免許をとるが、父と出会い中退した。父は演劇部の先輩だが時代のせいか授業に出ずぶらぶらしていたそうだ。初めて結婚を申し込んだ時、祖母にきっぱり断られたという。大学ぐらいしっかり出ろと。   

 父は一念発起し北海道で酪農を学ぶべく大学に入りなおした。ただし母を連れて行った。学生時代に。極寒ビンボー話はよく聞いた。お金はないけどどれも楽しそうな話ばかりだった。当時、祖母は何を思い東京で暮らしていたのだろうか?ちなみに私は父の学生時代に北海道で生まれた。

 私は祖母にとって初孫だが、彼女のおかげでずいぶんと勇気付けられた。不器用だった私は年子の弟にくらべ、何をやってもすぐにできなかった。うまくできなくてもトライすることをいつも褒めてもらった。愚直に続けているうちにできるようになった。あきらめずに反復する。こうした耐性ができたのは祖母のおかげだと思う。巨大なタコ型滑り台を下から登る。勾配がきつくて上まで届かない。何度も何度も繰り返す。祖母はずっと見ている。時々声をかけつつ。そのうちできるようになる。成功すると信じることができた。一緒に住んでた頃、1日10円のお小遣いをくれてた。コツコツ貯めれば。大きくなる。

 お絵描きだって折り紙だっていつも励ましてくれた。ある時、特別上手にかけたと思った絵を嬉々として祖母に見せにいった。アニメのキャラクターの下敷きを白い紙に透かして写したのだ。原画そっくりに。祖母は悲しいそうに言った。自分の力でやりなさい。上手なんだから。オリジナリティを大切にする人だった。80歳を超えても油絵を描いていた。ある年、区展に出して区長賞をとった。祖母の家実物を見せてもらいにゆくと彼女は言うのだ。自分の絵はつまらない。創造性がない。いつも嫌になる。八十を超えてもなお自分を抜け出したいのだ。作品の題名は「破れ蓮(やれはす)」という。上野不忍池に広がる冬の蓮を描いた。ハスはレンと読む。なくなった祖父もレンだった。廉と書く。

質素な一人暮らしの枕元に祖父の写真があるきりで、部屋に飾りものはないが、小さな黄色いパンジーの絵が立派な額縁に入れて掲げられている。絵を介して知り合ったある高名な画家から花の絵を贈られたことがあるそうだ。画家の名前は後になって知るのだが、息子が習い始めた絵の先生に紹介された本がその画家の書いたものだった。時代は確かに連なってる。ぐるぐると迂回しながらも。

 ひ孫ができるとたまに家にきてくれた。きまって早朝に訪れた。たいていは娘が好きだと言ったクッキーとポケットティッシュをたくさん持って。娘は小さなころ気管支が弱く鼻水がよく出ていた。街で配るティッシュをもったいない世代は必ずもらうのだ。秋に珍しい木ノ実をたくさん持ってきてくれたこともある。娘がどんぐり拾いが好きだったから。

 突然の訪問にあわてて着替えて玄関に出迎えるといつも2、3言交わしただけで、さっと帰ってしまう。用事があるのよって。速足でトントンあるいて去ってゆく。耳は遠くなっても、ずっと健脚だった。高齢者センターで卓球チャンピオンだと自慢してたな。一番高齢なのにね。

倒れたのも高齢者センターだった。その後、持ち直し、介護施設でもまた卓球ができるようになったと聞いた。でも歳には勝てなかった。亡くなった時に息子がつぶやいた。「100歳まで生きててほしかったな」

 葬儀はなぜかキリスト教会で執り行った。クリスチャンだった父方祖父が亡くなった際、葬儀に参列した祖母が、自分も賛美歌で送られたいと母に伝えたそうだ。

葬儀の最後は母があいさつに立った。

「ずっと2人だけで生きて来ました。でも孫が7人も出来て、こうして親戚に囲まれておくられて幸せだと思います」

たったこれだけ。
でも短い言葉が強烈なインパクトを放った。歴史の重みが凝縮された一瞬の言葉だった。

でも少しだけ言葉を足すためにこうして書いてる。当然書ききれないけどね。

お墓には祖父と一緒にはいれた。でも簡単じゃなかった。戦後に籍を抜いていたのだ。おそらくは新しい生活のために。でもずっと枕元に祖父がいた。そして母の従兄弟のご厚意でお骨を入れてもらった。祖父の隣に仲のよかった曽祖母も眠ってる。

戒名がついた。
「絎洋賀畫大姉」
絎(こう)は縫う、洋は洋裁、賀は和賀(祖母の名前)、そして絵を描く。素晴らしい命名だ。「絎」は初めて知る漢字だが表からわからぬように縫うことだという。祖母の生前を知らない住職の想像力に恐れ入る。戒名とはもっと浮き世離れしているものだと思ってた。

後日、遺品の整理に行った妹から、祖父の写真がスマホに送られてきた。例の枕元にある写真が。びっくりするほど自分に似ている。

以上








[PR]

by zhuangyuan | 2018-02-07 22:39 | 言葉 | Comments(0)