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中華 状元への道

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カテゴリ:文化、歴史( 195 )


2019年 08月 03日

歌の世界にまどろんで_貴州トン族を訪ねて

 厦格村xiageは山の上にあった。ここでは夕食まで時間がたっぷりある。侗族最大の村である肇(zhaoxing)の入り口で観光バスからバンに乗り換え、曲がりくねった山道を30分ほど進むと村のゲートが現れた。すでに村人たちが歓迎のために待っている。前に進み出たのはエリート然として髪を整えた背の高い男性だった。おそらく漢族だろう。午前中に訪れた黄huanggang)村長とはずいぶんと佇まいが違う。27歳で村長に選ばれた彼は、侗族の衣装を着て朴訥な笑顔で村総出の結婚式準備を案内してくれた。別れ際には、我々のバスまで乗り込み、次は酒を一緒に飲もうなと送り出してくれた。侗族はお茶の代わりにお酒を飲む。米の蒸留酒だ。前日はランチに強めの酒が出され、夜まで頭に残った。さて、厦格村のかのエリートさんは滑らかな普通語で歓迎の意をあらわすと、民族衣装の女性たちを促して、歌を披露してくれた。我々を特別歓迎していることを強調するように何曲か追加で催促した。その後男性陣は竹製のサックスのような楽器で力が強い演奏をしてくれた。目一杯肺活量を使いゴルフスイングのように腰を決めて破裂音を出す。バホーン、バホーン。そのメンバーに村長も書記もいたのだった。村のトップが勢ぞろい。

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 荷物を置いて村の自慢の棚田を見に出かけた。私はその前にトイレ休憩。入り口付近のトイレは故障中だとかで村の党本部まで坂道を登る。付き添ってくれたのはかのエリートさんの部下の青年だ。土産物民族衣装のような黒に金の刺繍が入ったベストを着ている。下はジーンズ。「君も侗族なの?」「いや、僕は貴陽から派遣されて来たんだ」貴陽は貴州省の省会(県庁所在地)だ。貧困対策活動を行っているという。「具体的に何やっているの?教育?」明確な答えはなかった。党本部前には10項目の貧困対策が記された看板があった。カネで貧困を測り、状態を定義し、心理的に追い詰めることになりはしないか?

 棚田に向かう小道に入り一行を追った。中国語では梯田titianという。ハシゴまたは階段状の田んぼ。少し行くと視界が一気に開ける一同が一面に広がる棚田に一斉にスマホやカメラを向ける。遠くに宿泊している肇が見える。米の収穫は終わっているが野菜を植えている畑もあり色とりどりのカーペットを敷いたようで素晴らしい眺めだ。水を張った田んぼには魚を飼っているそうだ。高台から麓まで見える限り続く棚田は最初に居ついた一族から数えて700年にわたりひとつひとつ開墾してきたという。歌いながら朗らかに耕したのだろう。棚田を案内にしてくれたのはこれまたエリートさんの部下である若い女性だった。"Do you speak English?"貴陽で大学に入り独学で英語を会得したという。観光客にアピールしたい村には貴重な人材なのだろう。とてもきれいな発音だ。現在では侗族の村でも英語学習が初等教育まで行き届いている。黄村では小学校も覗いてみたがちょうど英語の授業の真最中だった吉林省から来たという女性教師の声に続き、真っ赤な制服を着た女生徒たちがいっせいに英単語を繰り返す。Uncle! Uncle! Ouch! Ouch! 感情がこもったアウチ!がいい感じ。棚田に戻る。彼女はせっかく会得した英語が使いたい様子。一方私はせっかく中国にいるのだから中国語で会話したい。彼女から英語が出てくると頭のモードがうまく変換できずに混乱してしまう。でもまあどっちでもいいや。彼女がいう"You can see sunset from here."それは是非見てみたい。5時半に日が沈むというので後で戻ってこよう。

 棚田見学を終えると党本部で休憩兼質疑応答の時間が取られた。本部と言っても木造二階建ての質素なものだ。会議室にはソビエトの旗と入党の誓いが貼ってある。保守党的秘密。永不叛党。などなど。党の秘密を守ります。永遠に党を裏切りません。まさかこれ、われわれも読まされるわけじゃないだろうね。部屋の外には党幹部の写真入り組織図が貼ってある。果たしてかのエリートさんは村の共産党第一書記であった。村が所属する黎平県の副県長であったとういうのだから確かにエリートである。けっこう若いぞ。その下に歓迎の演奏をしてくれた書記と村長がいる。村長(仮名)に嬴書記(仮名)である。村長は村民選挙によって選ばれる。この地区は黔南苗族侗族自治州に属す。村長が民族から選ばれることが自治の証しだという。書記は党員選挙で選ばれる。村の党員は38人だという。1921人の村で多いのか少ないのか?彼らはそれぞれ村を代表する一家から出ている。家と嬴家。侗族の部落では基本的にはひとつの姓の一族だけが住むという。結婚式の村は呉一族だった。その日は5組の式が行われ、新郎も新婦もみんな呉さん。祝儀記録帳を覗くと姓が書いてない。みんな呉だから書く必要がない。代わりに全ての名前の上に、侗語で父親を表す「甫」の文字が並ぶ。つまり太郎の父ちゃんがいくら出した、たかしの父ちゃんがいくら出したと記載してあるのだ。前日訪れた、立派な鼓楼で有名な増冲村には石さんばかり。「どこから来たんだい」と声をかけてくれたのは長く学校の先生をしていた石長老だった。この村の先生はもちろん石先生ばかりだ。愛称をつけて区別するようだ。その昔、侗族には姓がなかったという。姓がないとは皆を区別しないといこと。みんな家族だ。侗語には你好も谢谢もないという。家族間によそ行き言葉はいらない「不要客气!」と呉村長は笑った。

話を厦格に戻す。嬴書記は、村長の姓について「蓝」と書くと言った。音は同じlanである。組織表にはとあるので間違えであるのだが、文字を持たなかった侗族にとっては音が大事であって漢字は自体は重要でないのかもしれない。つまりここでは漢字は単に表音文字になり下がる。先ほどの甫の文字も私の辞書に意味は載っていない。つまり表音文字。翌日訪れることになるビアオバー村には「扒」という漢字が当てられているが扒を普通語読みするとbabaとなるビアオbiaoの音は普通語には存在しない。baba村ではまるでバーバリアンじゃないか。つまり語は漢字の限界を超えている。侗族の歌声も到底漢字では表せない。口頭伝承しかないのだ。漢字では歌の民族について書けるが歌声については書けないといえる。

 さて質疑応答タイムの話。第一書記の仕切りで会は進み、侗族が歌う対象や歌うタイミング、季節ごとの行事などに話が及ぶ。嬴書記も奥さんと出会ったのは歌を通じてだったという。となり村とのイベントで彼女を見染めた書記は渾身の歌声で気持ちを伝えた。歌がうまいことは男の価値をあげるのだ。「自分の若い頃はいつでも歌っていたんだよ」伝統の歌は皆が共有しあらゆる場面で歌い継いできた。侗族の子供はしゃべりだすと同時に歌い出し、歩き出すとすぐに踊りだすと言われる。侗族は母系社会であり伝統を守るのは萨(sa)と呼ばれるお祖母さん。日本語で長老というと男性を想起するが女性はなんと呼んだらよいのか。侗族で1番盛大な季節行事はこのに尊敬の意を表すもの祭りだそうだ。最大家族の最長老がの座につき、村民の尊敬を一身にあつめる。のチカラの源泉について驚きの秘密を聞いたのはその翌日だった。侗族の村は人口男女比が歴史上、常に変わらないという。バースコントロールの鍵を握るのはが代々引き継いでいる民族秘伝の薬草だ。薬草を煎じつめて若い夫婦に処方する。すると産まれて来る子たちの性別はの意図通りとなる。産児制限政策に失敗して男子が多い異常なバランスを招いた中央も秘密を知りたがったが、は決して口を割らないという。ともかく超越した存在なのだ。

 「ところで第一書記さん、あなたも共産党からこの村に派遣された時、やはりに挨拶に行ったんですか?」

 「当然です。村の文化を尊重し村民を愛してこそ、我々も愛されるのです」

なにやらモードが変換されマニュアル通りの回答になった。

 「さあ皆さん、そろそろ疲れも癒えたでしょうから村をご案内致しましょう」

と第一書記はこの会を打ち切ってしまった。共産党に関する質問のタイミングが早かったかな。

 村を案内しながら嬴書記が村の歴史を話してくれた。一族の先祖がまずこの地に居を定めたそうだが、流れ行くきっかけは時の勢力からの迫害。江西省から逃げて来たという。なにもない斜面を一から開墾し700年かけて壮大な景観を有する一面の棚田を作り上げた。今はこの風景を観光資源としたいようだ。第一書記と違って嬴書記は普通語が流暢ではない。子供のころは侗語だけで育ち、普通語は大人になってから習ったんだと少し恥ずかしそうに話す。楽器を吹いている時の勇猛な姿とは別人のようだ。ちなみに中国語の普通語をうまく話す人を褒める時、你的中文很准”という。君の中国語は標準的だねって。なんか嫌な響き。彼は一族の由来も語ってくれた。「我々は秦の始皇帝と繋がっているんだ」彼の姓は嬴。異様なほど難しい字だ。読みはying、イン。音をあらわすだけでそんなに難しい漢字を選ぶ必要もなかろうに。しかしこの姓には深い意図がある。秦の始皇帝の姓名は嬴政という。それゆえにこの字を使っているのだ。この地に着いた当時は別の姓を使っていたそうだが元の由緒正しき姓に戻したという。中国中央が強大になり言葉を教育とメディアで再統一しようとしている。さらには交通も便利になりこの山奥まで外国人に開放されている今、少数民族が秦の始皇帝との連なりをほこる。本家取り。メキシコグアダルーペの黒い聖母像を思い出してしまう。民族の文化を誇りつつも、中華思想の権化にすがる矛盾が、先住民文化を尊重しながら征服民族の持ち込んだカソリックの聖母に権威を求める姿と重なる。秦の始皇帝は中国を初めて統一した。度量衡と車軌の統一がその手段だった。車軌の統一は習近平が掲げる「交通強国」のスローガンにも通じる。なにせこうして我々も短い休暇を利用にして、新幹線で広州からわずか3間半でとなりの県从江まで来られるのだ。以前にも列車はあったが17かかったという。ここに来る新幹線では偶然にも侗族のお母さんと隣り合わせた。彼女は娘5人を残して広州まで出稼ぎに行っている。年三回の帰郷の折だった。いわゆる農民戸籍の打工(賃労働者)だ。彼女自身は漢字を書けないし読めない。でもスマホで音声チャットを娘と楽しんでいた。SNS微信に故郷や自職場の動画を保存してあり、嬉しそうに見せてくれた。自らの生活に誇りを持っているのだろう。孫の写真も見せてくれた。これから駅で落ち合うという。5人の娘のうち、2人は医者、1人は先生、2人は賃労働者だという。賃労働者というのはつまり都会に出ているわけだ。村に来るのも便利になるが村から都会に出るのも容易になる。こうして村からは若者たちが流出するのだ。

 夕暮れ時に棚田に戻る。何百年も変わらない風景に夕日が沈む。遥か先まで棚田が見渡せる。少し離れた棚田では女性が1人野良仕事をしている。彼女の影のそばに一匹の犬がたわむれている。仕事を終えた彼女は天秤棒をさっと担いで、あぜ道をバランスよく歩き村に向かう。日が沈むと真っ暗になる。私じゃ灯りなしには帰れない。夕食に席に向かおう。「交通強国」が肥大する今、鉄道網が張り巡らされ、高速鉄道だけでも二万五千キロに達する。空前の国内旅行ブームに沸く中国でいつまでこの景観がいつまで保たれるのだろうか。先に開放された小黄村(xiaohuang)ではガイドさんに導かれたケバケバ原色セーターにサングラスのおばちゃんたちが、統一感のある質素な農藍色の民族衣装に銀の飾りをつけた村民たちを原色パワーで圧倒していた。この棚田には大勢の観光客が歩ける道はない。棚田の静かな緑が原色をまとった観光客で溢れるのはみたくない。


 夕食は共産党事務所前の広場で振舞われた。夕暮れ空に五星紅旗が翻っている。本部横の石には赤い文字で習近平の言葉が彫ってある。立下愚公移山志,打坚战 近平”(愚公が山を動かしたような志を打ち立て、脱貧困作戦に打ち勝とう 習近平) 君らは貧乏なのだから金持ちにならなきゃいけないとまず信じさせる。これが資本主義の来た道。愚公の逸話は、こつこつやってついには山を移してしまった故事にちなんでいるが、長年かけて棚田を作った彼らにうまくリンクしている。第一書記の目標は村を豊かにすること。先に開放した肇では通りも整備され観光客の宿泊施設もある。ポップスの流れるバーもある。大歌祭りが開かれる小黄村は近年開放されたが歌を求めて観光客が増え裕福になっている。この村も続いてゆきたいとガイドさんに抱負を語ったという。広場の奥にある住居前では子供たちがスピーカーで音楽かけて踊っている。普通語のポップスだ。踊りはみんなで揃ってまるで日本で一時流行ったパラパラのような感じだ。アメリカはロックンロールで世界を制したが、若い子たちには民族の旋律よりポップスの方が耳に心地いいのかな。

 広場には長机を並べて豚鍋や小皿料理が並べられる。お客さんを歓迎するための食事が用意された。いつの間にかあたりは真っ暗で、明かりは本部の街灯だけだ。宴はやはり村の女性の歌から始まった。贅沢なのは、参加者一人一人を順々に囲みつつ歌ってくれること。最後には米酒の一気呑みのサービスも付いている。長机では私は第一書記の正面に座ることになった。この際いろいろ聞いてみよう。

「第一書記はこの村にいつ派遣されたんですか?」

「很久很以前来到的。ずっとずっと前に来たんだ」

「冗談はいいですから」

「実は3月に来たばかりなんだ」

「ずいぶん若く見えますがおいくつなんですか?」

18歳だよ」

「またまたあ」

結局歳はわからない。見たところ40前かな

「ご結婚は?」

18歳だからまだだよ」

ガイドの彭さんの言葉が思い出される。侗族では結婚して初めて一人前の男と認められるという。家族に対する責任が生じますからねと。例の27歳の村長にはすでに6歳の息子がいるそうだ。

「お若くてトップに立ったのですから未来の習近平ですね」

「習近平主席は国家の偉大な領導です。とてもとてもそこまでは」とは言いつつもまんざらでもない様子。

「まあともかく飲もう!」と第一書記は私の椀に米酒を並々注いだ。一気合戦の始まりだ。

ハイライ、ショーライ、ヘーイ、ソーブラ!

侗族の乾杯の掛け声だ。カタカナではとても表せないがとりあえず。

その後、ぞくぞくと飲み要員が一気飲みを仕掛けてくる。

「ほら、中国通、椀が空いてないぞ!」

私を中国通zhongguotongと呼ぶ第一書記。この言葉に素直に喜んではいけない。日中両国は複雑な関係の歴史を持つが近代では憎悪が目立つ場面が多かった。その中でも中国フリークは常にいた。中国側は親中分子を味方に引き入れるために、褒めそやす言葉の常套句として中国通と呼んだ。まあともかく私は中国に興味があるのは事実だが。

「中国通、今度は書記と乾杯だ!他是非常能干的人!(彼はとてもできる男だよ)」

上から目線炸裂である。中央からみて政治的に優秀な人間だという意味である。その後もいろんな人を紹介されその都度飲む。中国の宴はいつもこうなるのだ。入れ替わり立ち替わり多数が乾杯を仕掛けてきて結局はゲストがつぶされる。乾杯は杯を乾かす。つまり一気飲みだ。まだ意識のある私は気づいた。第一書記書記の掛け声は元気がよいのだが杯を空けてない。

「さあ第一書記、まだ酒だ残っているぞ。カンパイだ!」

 宴もたけなわのころ、党本部のスピーカーから大音声が流れた。

村の衆に向けて、日本から大学教授御一行が訪れているのでみんなでお客さんを歓迎しようという意の放送であるとガイドの彭さんが教えてくれた。その後の記憶は酒のせいで曖昧だが村の鼓楼には村人たちが集まっており焚き火を囲んで盛大に歌で歓迎してくれた。侗族の村では鼓楼がもっとも大事な場所なのだ。村落に必ずある。そこで村の重要事が決められる。民族の歌がひと段落すると日本の歌でも紹介してくださいと声がかかった。日本代表として立ったのは旅に帯同していた歌手Kawoleさん。収穫を祝う日本の歌を美しい声で披露した。大喝采に続いてでたアンコールに答えた歌は、南米ケチュア語の歌。発声方法が違いさらに貴州に居ながらにしてさらに別の異国に連れてゆかれたようであった。音楽のチカラ。漢族代表はガイドの彭さんだった。定番曲「大海啊,故」を歌った。

大海啊大海,就像妈妈

走遍天涯海角 在我的身

ふたたび民族の歌が続く、皆で手をつなぎ焚き火を何周も何周も回りながら次々と歌い手が変わりリフレインは止まらない。いい加減長すぎないか。歌の民族はとにかく歌が大好きで自分も歌わないと気が済まないらしい。彼女がマイクを握ったのなら私も是非と次から次と主張して終わらなくなってしまったのだ。マイク向けられて何を歌ったらよいかと逡巡して逃げてしまった私とは大違いだ。歌を忘れた民族は日本の歌をと請われて何を選べば良いのか?こちらは歌謡曲しか知らないしそれを日本の歌と呼んでいいのか?しかし考えるより先に歌えばよかったかと今頃後悔している。

 大喧騒を後にして宿に戻った。VIPホテルという英語名のついた宿はシンプルな木造三階建て。食堂横に小さなホールがあり、歌の現場から戻った姿のまま、日本からの訪問者が集まり、歌の旅についてのシンポジウムを開いた。録音機器がセットされ、車座になる。参加者を司会の管啓次郎さんが紹介する。各々が今回の旅の考察をシェアする。大学教授、デザイナー、詩人、歌手、装丁家、編集者、カメラマンなどに混じりサラリーマン代表として参加した私は自分の話を語り終えると、並々注がれた第一書記の米酒のおかげで、そのまままどろみ中に沈み込んでしまったのである。あまりにも刺激的なこの旅が夢の中の出来事でなかったことだけは確かなようだ。今度は歌う曲を用意して訪れたい。えいちゅう♪

以上



by zhuangyuan | 2019-08-03 11:27 | 文化、歴史 | Comments(0)
2018年 08月 12日

Adiosと言わないで

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映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ Adios」

多幸感に包まれて見終えた。

1997年CD発売と1999年の前作映画公開によりキューバで眠っていた彼ら往年の名プレーヤーは世界に再発見されスターになった。

CDは売れに売れ、世界に呼ばれて公演する。人気に戸惑いメンバー紅一点オマーラがつぶやく、

「なぜ今、この音楽がみんなを喜ばせるの?この曲の苦しみの背景は理解されているの?」

歌をあきらめ、というより幻滅して捨て、声をかけられた時には靴磨きをしていたというイブラヒム・フェレールも訝しむ “Ahora” なぜ今になって?

本作は「発見」以前の彼らの波乱の人生と、さらにはキューバという国の成り立ち、音楽の来し方を描いてくれる。音楽が彼らを作り、苦しみの中の彼らを支え、そして輝かせた。悲しい歌詞を含んだ静かな調べでもキューバのリズムに乗せると優しい曲になるのはなぜだろう?

私がブエナビスタに触れたのはリアルタイムではない。2015年アメリカとの国交回復が決まり、古き良きキューバが変わるかもしれないという機会に旅行した。その前にキューバと関わるものになるべく触れようと映画もずいぶん観た。ブエナビスタには胸を打たれてCDはほぼ毎日聴いた。キューバという国の成り立ちに関しても本を漁った。

キューバという国は、というか島はコロンブスによる「発見」後、スペインの植民地になる。ヨーロッパから持ち込まれた疫病と重労働で先住民は全滅し、今住んでいる大多数はアフリカ由来奴隷か、ヨーロッパ植民者の子孫か、その混血だ。つまり全部外来。ちなみにキューバ革命の英雄チェゲバラはアルゼンチン人だが、外から来たとしても全く問題はないとカストロも言っている。さらにいうと島の植物も外来種ばかりだという。植民時代のプランテーションの影響で原生植物は消えた。

つまりキューバという国は外から来たものがミックスしてできている。音楽もしかり。アフリカ由来のリズムとヨーロッパ音楽が溶け合った。つまり奴隷たちも音楽に支えられて生きてきた。映画によるとそのキューバ独特の音楽が最盛期を迎えるのは1950年代というから皮肉なものだ。スペインから独立を果たしたあとはアメリカ保護下に入る。禁酒法の時代にはアメリカマフィアはこぞって裏庭キューバを拠点とし酒を作った。戦後はバチスタがアメリカ保護のもと独裁者となりカジノとマフィアが栄える。そこで連日連夜音楽が演奏された。享楽の果実は民衆には届かず民は疲弊しキューバ革命に至る。その後はキューバ危機やら経済封鎖やら。

外来のもので成り立っているキューバは封鎖されたらたまらない。そもそも何もない島だから。冷戦時代はソ連のサポートを受けたが崩壊後は困窮に陥いる。華やかなステージは少なくなり、西側世界とは断絶し忘れられる。でも街には音楽が残ってた。ソ連共産党員もキューバに来て驚いたと本で読んだ。自分たちは極寒の地で悲壮な思いで革命した。カストロたちは歌って踊って政権取ったって。

アバナ(Habana)に行って驚いたのはやっぱり音楽。誇張ではなしに街じゅう音楽が溢れてる。食堂やらバールでもどこでも軽快なリズムと歌声が聴こえる。遠くで拍子木のように刻む音に吸い寄せられて打楽器を買っちゃったこともある。同じようにはできないけれど。
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そしてついにライ・クーダーがキューバに行って再発見するのです。それが巡り巡ってグラミー賞取ってついにはアメリカカーネギーホールでライブをする。

スタジオ入り初日のに靴墨つけてたというイブラヒム・フェレールがライブを重ねるごとに生気を取り戻して行く映像はが神がかっているとしか言いようがない。

アルバムジャケットに写るのはスタジオ入り2日目のイブラヒム・フェレールだという。2日目にすでに見違えるようにビシっと決めてきた。
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この映画でお気に入りのシーンは彼が真っ赤なスーツを仕立てるところ。赤いの作りたいというイブラヒムに、「はいどうぞ」仕立て屋のお兄さんが生地を出すところ。赤って普通に売ってるんだね。

そのイブラヒムフェレールもすでに他界したのですが、人々の中には音楽とともに生気がみなぎった歌声で存在しつづける。ブエナビスタのメンバーたちも残り少なくなって来ているがAdios(さよなら)なんて言う必要ないよ。Hasta la vista(またね)でいいだろう。

以上


by zhuangyuan | 2018-08-12 07:44 | 文化、歴史 | Comments(0)
2018年 06月 24日

スイス代表シャキリ 「双頭の鷲」ポーズってなんだ?

スイス代表がセルビア代表に勝利し、決勝ゴールをあげたシャキリがぴろぴろポーズ。これはちょうちょじゃありません。双頭の鷲、アルバニアのシンボルなんです。国旗にも描かれている。

 そもそもスイス代表なのになんでアルバニア?シャキリはコソボ出身。4歳で両親とスイスに渡ったという。コソボはセルビアから独立したアルバニア人国家です。(セルビアは独立認めてません) ちなみにシャキリはShaqiri とかきますがアルバニア国家の原語名はShqipëriaなんか関係ありそう。鷲の国ってこと。

その双頭の鷲ポーズをセルビアを撃破したゲームでやってしまった。旧ユーゴ内戦は複雑に絡みあった構造がありますがセルビア人によるアルバニア人排斥が大きな要素の一つ。そこからNATO空爆につながるのです。

アルバニアに旅行行く前にいろいろチェックしたので再掲します。

そんな両国はかつて国際マッチで観客交えた大乱闘もやってます。サッカーは戦争だというけれどFIFAが政治ネタに敏感になるのもわかります。





でもねアルバニア人はいいか悪いか小さな独立国家ですから愛国心が強いのです。あのポーズもみんながやってます。セルビア相手にやったらいけない。
かつて世界の火薬庫と呼ばれたバルカンは宗教民族歴史が入り組んでますのでそっとしとかないといけません。オシムさんもそれで旧ユーゴ監督辞めました。
以上



by zhuangyuan | 2018-06-24 05:18 | 文化、歴史 | Comments(0)
2018年 02月 25日

伝説の料理 「盆菜」ってなんだ?

マレーシア料理店で旧正月新年会に参加し「盆菜」というお祝い料理をいただいた、というより、体験したというべきか。ゴージャス。事前の知識はまるでなかったのだが出てきた瞬間に、香りが立ちこめ、ビジュアルの迫力にそのスペシャル感を認識できた。味はいうに及ばず、この料理の準備にどれだけの手間と時間を費やしたのかを想像した。
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てなことで調べてみると起源は香港だそうだ。Poon Choiって読むみたい。世界に冠たる中国料理でも異彩を放っていると紹介してある。紹介文の前段も仰々しいので引用する。

中國菜有八大菜系之分,當中包括魯菜、川菜、粵菜、蘇菜、湘菜、閩菜、浙菜和徽菜。

中国料理には八大系統がある。山東料理、四川料理、広東、江蘇、湖南、福建、浙江、安徽料理が含まれる。

中國之烹調方法更是包羅萬有,單從火候和工藝而言,便有煮、蒸、炒、煎、炸、燜、煲、燉、煨、燻、熗等法,所弄出來的味道亦截然不同。

調理法もあまたあり、火加減から工芸品まで,すなわち、煮る蒸す炒める焼く揚げるとろ火で煮る深い鍋で煮る煮詰める長時間煮るいぶす茹でるなどなど、調理法でひきたつ味がまるで違う。

至於用作盛載食物的碟子,體積大小各有不同之餘,形狀更是千奇百怪,有些也許連聽也沒有聽過,例如三吋碟、五吋碟、大圓碟、橢圓碟、方碟、多角碟、盞、簋、鍋、鼎等等

盛りつける皿もさまざまで大きさの違いだけでなく、形も珍しいものや奇っ怪なものまで、聴いたことのないものあるだろう、たとえば三時皿、五時皿、丸皿、楕円皿、四角、多角形、盃、耳付き皿、鍋、鼎などなど、種類も豊富で、色とりどり。これは器は陶器か金属でできているが、これは中国古今に聞こえる芸術銘品だ。

そんな世界一の料理群の中でも盆菜は内外に名が通って、多くの旅人がそれを求めてやってきたという。

歴史書にもその由来が載ってるという。

13世紀、宋王朝はモンゴル系である元の勢いにおされて、浙江、安徽から福州まで逃げて隠れた。その後、香港の九龍の西、いまのカイタック空港あたりまで逃げた。さらに西に行こうとした時に、いまの香港新界を通りかかり、人々は宋朝の末裔を一目見たい、そして彼らをもてなしたいと感じた。ただそんな方々をもてなすだけの食器が足りない。そこで木製のお盆にぜんぶ詰めちゃったってわけ。これが始まりで香港名菜として知られるようになったと。

伝統的な料理法だと準備に3日かかるそうだ。

第一天要上山斬柴。

1日目には山に芝刈りに。
ライチの木が火力が強くていいみたい。
石油や電気じゃ風味が出ないって。

第二天則要購買充足的新鮮材料

2日目は新鮮な材料を買いにゆく。神さまにそなえる祭祀用でもあり海鮮類を集める。

第三天大清早便要開始炆豬肉

3日目は朝から豚肉をとろ火で煮はじめる。

十何時間煮るとどうなるか?

入口軟滑甘香、肉汁香濃豐富、不肥不膩、別具特色的圍頭豬肉,令人想一吃再吃

口当たりが柔らかく滑らかで甘みが香り、肉汁が豊潤で、油っこくなく、しつこくなく、独特な豚肉となり、一度食べたら止まらない。

どう食べたくなったでしょ。

全部紹介してたらおわらないので材料とセッティングだけ紹介しておきます。

上三層是米鴨、雞、鯪魚球、乾煎蝦碌等乾料,下三層則是蘿蔔、豬皮和圍頭豬肉等容易 吸收 ? 汁的材料,這樣便可做到?汁一層一層地往下滲。

上の三層にアヒル、鶏、つみれ、干しエビなど乾物、下の三層は大根、豚の皮、とろ火豚肉など汁を吸収する材料。こうすれば煮汁が一層一層下に向かってしみてくる。

うまそうでしょ?

また食べたくなっちゃったよ。

中国の食文化は奥が深い。

以上



by zhuangyuan | 2018-02-25 14:12 | 文化、歴史 | Comments(0)
2018年 01月 21日

万年筆は世界をめぐる

 
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新年なのでフランス語のお勉強用に万年筆を買おうと思い、通りがかりのカランダッシュ専門店に入る。FBの広告にあった新作を試してみた。

レジで店のお兄さんに聴いてみた。

「カランダッシュ Caran D’Acheってどういう意味ですか?」

「ロシア語で鉛筆です」

「まさかあ、フランス語じゃないの?スイスの会社だし」

「ああフランス語でした」

この即訂正ぶりが今どきっぽいと思いつつ店を出る。めんどくさい時は相手に合わせてやり過ごす。

でも気になったのでフランス語辞書アプリで調べる。CaranもAcheも載ってない。
音的にフランス語っぽいのに。

ググってみるとまさかのロシア語。wikipediaですぐ答えが出た。

お兄さんの即訂正は置いといて、恥ずかしくなった。

スイスの鉛筆工場は会社の名前をヨーロッパで活躍していたロシア人諷刺画家のペンネーム、カランダッシュからとったという。カランダッシュはロシア語で鉛筆を意味するって。まさにロシア語で鉛筆。

でもその先があった。

最近よくやるのがwikiの言語変更をしてみること。各言語によって説明の深さや熱さが全然違っておもしろい。

フランス語版にはこうあった。

l'entreprise est rebaptisée du nom d'un célèbre caricaturiste français d'origine russe, 

会社は、その名前をロシア出身の有名なフランス人諷刺画家からとった

Emmanuel Poiré, qui portait le pseudonyme de Caran d'Ache, le mot russe carandach(карандаш) signifiant « crayon[2] ». 

エマニュエル・ポワレはカランダッシュというペンネームを持っていた。その言葉カランダッシュ(карандаш)は鉛筆を意味する

Le mot russe provient à son tour de la racine turque, kara tash, qui désigne la pierre noire (graphite).

そのロシア語は、トルコ語(kara tash)に由来し、それは黒い石、黒鉛を指す。


思いがけずに歴史の旅をさせてもらった。ナポレオンとロシア帝国とオスマントルコがガチンコ勝負してる姿が言葉の巡ってきた道を示してる。

お兄さんありがとう。

以上


by zhuangyuan | 2018-01-21 06:47 | 文化、歴史 | Comments(0)
2018年 01月 05日

台湾北投 30分で400年の時空を超える

 台北で半日フリーな時間ができたので土曜日朝に足を伸ばして北投に行ってみた。

 北投は温泉地で昔は芸者もたくさんいたという。地下鉄淡水線で30分ほどで北投駅。そこで乗り換え一駅で新北投駅に到着。一人で温泉入る気にはなれないので、友人にすすめられた温泉博物館で歴史でものぞいてみようかと。

 川沿いの道を温泉街に向かい歩く。ふとみると趣のある木でできた建築物が見えた。吸いよせられるように近づくとなんと図書館。
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確かに地図には図書館が載っている。まさかこれが。中は広い空間に光がさしこみ、木枠の向こうには周囲の緑がみえる。バルコニーにもデスクがしつらえられ読書ができる。ずっといたい。でも街の入り口付近で長時間いるほど時間がない。
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近くにあるはずの温泉博物館が見当たらない。通りすぎたか?しょぼい建物なのか?来た道を戻る。まさかこのカバーで覆われた工事現場が?でも少しの可能性を期待して建物の近くまで行ってみた。やはり改修工事で閉館中。ここが目的地なのにね。あきらめきれずに中をのぞくとお姉様が何人か出てきた。入れないか尋ねてみると、中には入れないがボランティアガイドの説明を受けられるという。「あそこに見える川の上の休憩所で5分後からガイドがあります」ラッキー。

 説明をしてくれたのは両親よりも年上らしきお姉さま。日本語が達者だ。時々英語と中国語が混じる。英語の発音が綺麗だからアメリカで教育を受けたのかもしれない。何しろ台湾の歴史は複雑だからね。

 彼女の説明は100年前から始まった。
日清戦争直後に大阪の商人が黄金を掘りに台湾へやってきた。しかし許可が得られずに硫黄を取りに北投にきた。ここでは原住民が硫黄を採っていた。ちなみに台湾で原住民という言葉は差別的ニュアンスがない。彼らは400年前から硫黄を取引していたという記録があるそうだ。でもって彼女の話は、くだんの商人がここのお湯で傷を癒し、初の温泉宿「天狗庵」を開業したと続く。「ガイドさん、すみません。温泉の話に行く前に400年前の原住民の話してください」

 当時から原住民は硫黄を掘る技術を持っていたそうだ。台湾にはるばるやって来たスペイン人やオランダ人に硫黄を売っていた。買った方は海賊退治のための弾薬にしたという。「でも原住民はお金をもうけることはできませんでした」というかご多分にもれず経済的には収奪されたのかな?

 ともかく硫黄は採っていた。ただ温泉という概念はなかったようで毒水と呼び入ることはなかったという。毒水から立ち昇る湯気に覆われた世界は幻想的で、しかもこのあたりは原住民族の巫女が支配していた。北投(ホクトウ)という名も巫女を意味する現地語ペッタウに由来するそうだ。北投は國語Beitouではなく日本読みホクトウが元々ついた名前ということ。
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凱達格蘭族稱這煙霧彌漫、硫礦味四溢又充滿神秘感的地方為「PATAUW」,意為「女巫」。

ガイドさんが発音してくれるパッタウという音がなんとも美しい。

 北投温泉博物館も元はといえば温泉施設で1913年に完成した。明治大正と続く文明開化という西洋技術崇拝からイタリアで勉強した設計師がローマ様式を浴室に取り入れ、西面の大きな窓にはステンドグラスがしつらえられた。夕方になると湯気が立ちこめた浴室に七色の西陽が差し込む。今ここで見れないだけに想像が膨らむ。ロマンティック。非常浪漫的。そして風呂から上がると榻榻米tatamiの大広間でゆっくり寝転がる。いいねえ。
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その後、日本が戦争に負けて国民党軍が接収する。温泉文化はなかったのでオフィスとして活用した。その後、歓楽街に変わって男を癒すのだがこの部分のお話はガイドにはなし。

温泉博物館は2018年10月再オープン。

30分ばかりの説明で400年もの時空を行ったり来たり。

「ありがとうございます。とても楽しかったです。ところでお姉さん、身分証バッチのお写真がずいぶんと若くないですか?」

「おほほ。これ20年前なの。ガイドをはじめたころ。まだ60代のころよ」

「今も美しいですよ。記念に写真撮らせてくださいね」

お洒落なメガネを取り出してポーズ。カシャ。

すると横から3人組の学生さんに話しかけられた。

「お時間あればインタビューさせて下さ〜い。あ、ガイドさんもいっしょに日本語通訳してください」

「僕は中国語できるから大丈夫だよ」

「ええやったあ!台湾にどのくらいいるんですかあ?」

「4日」

「4日でそんなにしゃべれるのぉ、すご〜い」

どこでも学生さんは似たようなもんだね。
どうやら大学で観光客にインタビューする宿題が出てるようだ。

1人が質問者となりiPadで撮影開始。もう1人は私の横でiPhoneで音声をとる。なんか本格的。

まあ質問内容はごく一般的で刺激のあるものはなし。難しい質問されてもこちらの中文能力が追いつかないかもしれないのでよしとしよう。

なんかぶらり途中下車の旅のような半日だった。今度は泊まりで来ないとね。

以上



by zhuangyuan | 2018-01-05 20:40 | 文化、歴史 | Comments(0)
2017年 12月 16日

牯嶺街少年殺人事件とA brighter summer day の間に。

牯嶺街少年殺人事件、236分。
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やっと観れた。何しろ長いですからそれなりの気持ちの準備が必要です。夜なら絶対寝ちゃうしね。昼間の名画座は入場整理が必要で、並んだ末に特別料金であることを知る。二本立てより高い。まあ合理的ではある。

冒頭のテロップでもう持ってかれてしまう。

「民國三十八前後,數百萬的中國人隨著國民政府遷居台灣,絕大多數的這些人,只是為了一份安定的工作,為了下一代的一個安定成長環境。然而,在這下一代成長的過程裡,卻發現父母正生活在對前途的未知與惶恐之中。這些少年,在這種不安的氣氛裡,往往以組織幫派,來壯大自己幼小薄弱的生存意志。」

1949年人民解放軍にまけて台湾にやってきた数百万人の大陸中国人は島に来てから新しくコミュニティを作った。子どもたちは、前途に不安をいだく親たちをみながら育つ。物語は1961年の少年たちの抗争を描く。混乱のなか思春期を迎えた子どもたち。実際に起きた殺人事件がベースだという。

主人公、小四(シアオスー)が受験に失敗して夜間高校に入るところから始まる。父親は納得がいかず学校に文句を言いに行くが聞き入れられず茫然としている。そこにラジオが流れている。大学合格者を読み上げる放送だ。エリートへの道に選ばれた若者が一人一人名前を呼ばれる。大学は権威の象徴。ラジオは一方通行で権威者が支配に使ってる。果たしてその権力者に連なる階層に権威はあるのか?言ってみればみんな大陸から逃げて来たわけで、大陸反攻を掲げつつも劣勢なのだ。しかしその下の下のミニ権威たる高校教師にすらもはじかれる父親。真面目が取り柄で時代の波に身をまかせ泳いでいくタイプではない。でも台湾には渡ってきた。父親は物語中盤で共産党との関係を疑われ尋問を受ける。自分はなぜ査問されてるかわからない。おそらく周囲では、大は政治闘争、小は出世競争が繰り広げられてる。父親はそういうものにもうとくも、納得いかないものにはまっすぐに自己主張をぶつけつつ日々を愚直に生きてる。大きな時代趨勢の変化にたゆたう器用さがない。

そんな父親を見ながら育ってきた小四。不良グループに入りつつも本気で戦うというより流れの中でなんとなくついて行く。盗んだ懐中電灯で暗闇を照らしながら。

映画シーンで私が好きな場面は少年達が縄張り争いをするライブハウス。プレスリーを筆頭にするアメリカンポップを少年達が英語で歌う。小四の友達小猫(シアオマオ)もボーイソプラノで美声を聴かせる。プレスリーは中華圏で猫王(Maowang)と呼ばれている。つまり小猫はリトルプレスリーの意。小猫の劇中の本名は王茂(Wang Mao)といいMaoWangをひっくり返しただけの名前ゆえにはじめからプレスリーと呼ばれることが決まってた。
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小猫は小四の家のレコードプレーヤーでアメリカンポップをかけて練習してる。歌詞はレコードを聴きながら文字起こししてる。それを手伝ってるのが小四のお姉さん。「英語もわからないで英語の歌をうたうのか?」と小猫をバカにする。アメリカンポップはその時代の象徴といえる。絶対的に強いアメリカ。憧れのプレスリー。まだベトナム戦争がおきていない時代のアメリカ。しかも中華民国=国民党はアメリカにバックアップされてる。対共産主義。そのカルチャーがラジオでなくレコード盤に詰まってる。流れてくるのでなく自ら何度も聴くのだ。何度も何度も。歌詞はわからずとも歌う。その頃、小四の家の旧式のラジオプレーヤーは何度も壊れる。権威が揺らいでるように。

小四が恋するのは小明(シアオミン)不思議な魅力で少年達を惹きつける。彼女がヒロイン。元のカレシは不良グループのリーダー、ハニー。男でHoneyってんですから英語の意味なんかどうでもいい。とにかくアメリカがカッコいい。ハニーは小明が原因で事件を起こしどこかに逃げている。とにかくみんな小明に夢中なのだ。その小明に小四も当然のように恋をする。そして皆と同じように自分のものになるような気がしてくる。振り向いているようで振り向かない。自分のものかと思ったら他とも親しくしてる。これってアメリカと台湾の関係かな?映画の舞台はニクソン訪中のずっと前ですが、台湾つまり中華民国はアメリカに裏切られるわけです。でも皮肉なことにその後台湾経済は高速成長をはじめる。まじめに政治題目唱えても意味がない。一途な愛は悲劇を生むだけか?

中国の歴史はぐるぐる回り、同じようなことがダイナミックに繰り返される。しかし歴史においては政治のトップに栄枯盛衰は描かれても、民衆個人が翻弄される姿には焦点が当たらない。現代映画は個人を映す。生まれたばかりの国家が不本意ながら拠点を変えて、新たに権威を作るべくうごめく。大人たちはかりそめの権威に媚を売る。もしくは権威からはじかれる。そんな社会の醜さを少年少女たちは見ながら自分たちの社会を走り続ける。でもね、奮闘しても、格闘しても、時代という河の流れは変わらない。そして悲劇などなんにもなかったように、素っ頓狂なA brighter summer dayがやってくる。
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以上


by zhuangyuan | 2017-12-16 08:53 | 文化、歴史 | Comments(0)
2017年 12月 06日

「火山のめぐみ」とともに

「火山のめぐみ」
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12/2 土曜日、明治大学中野キャンパスまで自転車飛ばしてシンポジウムを聴いてきた。

理工系なのに芸術をやるという不思議な大学院が主催する。司会した管啓次郎さんがおっしゃるこのプログラムには別名がある。PAC=Place, Art, Consciousness 場所、芸術、意識。このシンポジウムは、その名の真骨頂を発揮してる。場所はポリネシアからレイキャビク、霧島連峰からアイヌの地まで。写真、映像、語り、舞踊。神話の世界が意識によって地底から吹き上がる。

 写真家赤阪友昭さんは古事記の話から。稗田阿礼が語った神話は史実かもしれないという。火の神が作った島々は火山噴火の熔岩がもたらした。国つくり後も火山の大爆発は繰り返され文化を埋め尽くし、民族の大移動ももたらした。アラスカ先住民の語り部を日本に呼んだ赤阪さんはいっしょに桜島を訪れ、いにしえの大爆発の話しをする。そこで語り部の記憶が呼び覚まされる。アラスカにカヌーでやってきた民たちはここから来たんだね。文字を持たないアラスカ先住民は民族の記憶を語り部がになう。このお話スケールは8000年。火山が地球を動かしたという万年単位の記憶を現代まで記憶している。爆発と再生の記憶。

 日本で古事記は文字に書かれて外部記憶となった。語り部がいないことで現実とのつながりがうすくなってしまったのではないだろうか。それが地球の裏側の語り部によってふたたびリアルを取り戻したのか?

文字だけでは伝わらないことがある。

 フランス文学者大辻都さんはフラと詩学のお話。フラは、ダンスの動きひとつひとつが詩をあらわしているという。優雅な動きも勇猛な動きもハワイを作った火山をめぐる神話的な詩を含んでいる。ハワイはかつて欧米クリスチャンの世界に組み込まれ、独自文化が衰退する時期があった。洋装フラの写真が印象的だった。しかし今では固有文化が復活しつつある。

 文字でなく踊りに組み込まれたことにより生き残る力がより大きかったのだろうか。

 松田法子さんのレイキャビクに関する話と写真に引きこまれた。火山の国アイスランドは氷の国かと思いきやグリーンが目立つ。熔岩の大地に緑が再生する。森ができて、薪が取れ、暖をとれるようになる。そこに街を作ったのは海の人バイキング。意外にも彼らは都市を作る。レイキャビク、レイキャは煙、ビークは入江。火山が沸かす入江にバイキングは居を構えた。そこはユーラシアプレートと北米プレートの境。アイスランドには大きな割れ目がある。ここで写真スライドは地球の裏側日本へ飛ぶ。奥尻、東北へ。そこの破壊と再生物語。東北大震災の数日後ユーラシアプレートの反対側アイスランドにさらに割れ目ができた。地球はつながっている。

 すぐそこにある再生を映画監督大川景子さんが撮った。熔岩でおおわれた火山島三宅島でイタリアントマトを育てる試みを追う。ドリアン助川さんがニューヨークのメキシコ料理店で食べたというトマトを植えた。育てている農園の方はドリアンさんの熱意に動かされたと語る。1人の意志から再生が始まる。真っ赤な肉厚の実がなった。荒涼とした黒な熔岩の山をバックにブルーのシャツを着たドリアンさんが真紅のトマトを握ってる。この一コマだけで力強い再生の物語が伝わる。トマトを試食した料理店の店長の言葉がささる。何度も火山が爆発してその都度蘇る三宅島に魅力を感じて住んでいる。彼は八丈から来た。そこにはそこの気候にあった文化がある。気候が人と文化を作る。
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 Place, Art, Consciousness 文字だけでは伝わらない世界を確かに受け取った。
私はそれを文字で書いてる。場の共有なしに伝わるかな。まあ自分の備忘録にしておこう。

以上





by zhuangyuan | 2017-12-06 19:30 | 文化、歴史 | Comments(0)
2017年 07月 15日

チャイナタウンの隠された秘密地下トンネル

米墨西海岸国境の町Tijuana から国境沿いに西へ向かった。荒涼とした岩場を、照りつける日差し下、二時間以上かけて通り抜け目的地Mexicaliにつく。 何もないところをワンウェイの山道が曲がりくねって続くのだが、かつてここは対抗車線もあったそうだ。あまりにも事故が多いためもう1本道路を通したと言う。圧倒的な不毛の地に人間の営みの小ささを思うとともにそこに道を通す意志の偉大さを感じる。
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太陽がきつすぎて人影もまばらな町を通りつつメキシコ人の彼が言う。

「ここMexicaliの名物料理はなんだと思う?」

メキシコ各地には地のものを活かした地元料理があると言うがメヒカリではそれが中華料理だと。

国境の町メヒカリには中国人移民がたくさんいて
その子孫たちが営むチャイナレストランが町に200軒以上あるそうだ。

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華僑が住む世界中の町で人口に対する比率で言うとサンフランシスコに次ぐ大きさだという。

今でこそアメリカとの貿易が多くマキナドーラ(保税加工区)が軒を連ねるこの町も、かつては何もない枯れた土地であったことが周囲の土地の諸相から推測される。そもそもなぜ中国人たちはここに住み着いたのか?こんなにも太陽が照りつける土地に。私が過ごした時は日中華氏107度。(42℃)暑い暑いと嘆いていたら3週間前は51℃だったとお客さんが教えてくれた。

19世紀カルフォルニアに鉄道を引いた時、大量の中国人が人苦として雇われたが、敷設後にはお払い箱となった。そこでその労働力を荒れ地開拓に利用しようとした会社があった。コロラドリバーカンパニーが中国人労働者に利益の5割を配分する条件で綿花を作らせた。その労働者が住み着いたのがメヒカリだという。1930年には労働者3万人に上ったという。

https://sandiegofreepress.org/2015/04/the-chinese-in-mexicali/

一緒に夕食した地元の方曰く、今ここに住む中国人のパスポートは19世紀に発行されたものそのものだという。そのものと言っても理解できないでしょう。1900年代初頭に来た初代が亡くなるとパスポートを息子に譲る。息子は写真を張り替えて使う。そして三代目もしかり。生年月日は例えば1870年と記載があったとしても漢字なので係官は気づかない。遠くから来た中国人のミステリアスなイメージがこんな都市伝説を生み出すのでしょう。バクチ好きの中国人はカジノが禁止されていた時も地下に賭場を作り楽しんでいたと言う。またアメリカとの間に長い壁ができた後は国境向こうまでトンネルを掘り自由に行き来していたと言う。ホントかウソか今も中国人の作ったトンネルツアーが観光プログラムに取り上げられているそうだ。

こんな記述を見つけました。
https://america.cgtn.com/2016/06/08/a-guide-to-the-largest-chinatown-in-mexico-la-chinesca

Less than a century ago, La Chinesca, Mexicali’s Chinatown was made up of a series of underground tunnels and basements under Chinese storefront shops. The Chinese built these underground tunnels to escape Mexicali’s oppressive heat and also to hide from Mexico’s immigration authorities. Historians say because of Mexicali’s proximity to the border, bootleggers also used the tunnels to smuggle alcohol to the U.S. during prohibition. Now, tours are given to commemorate this lost community.


100年足らず前にメヒカリのチャイナタウンは中華風の店の下にあるトンネルと地下室で作られていた。中国人達はメヒカリの強い日差しを避けるため、または移民管理局から逃れるためにトンネルを作った。歴史家が言うにはメヒカリはアメリカ国境に近いため、禁酒法時代に密造酒業者たちもまたトンネルを利用しアメリカにアルコールを密輸した。今ではこの失われたコミュニティーを懐かしむツアーがある。

その土地にその土地の秘密がある。

今もなお発見されていないトンネルがあるんでしょうね。誰が使っているかは問わないことにしよう。

以上




by zhuangyuan | 2017-07-15 09:02 | 文化、歴史 | Comments(0)
2017年 07月 12日

ロスのオタクはアクティブガイ

Uberは2分でやって来た。

ブルーのTシャツ、赤い短パン、黒髪にレイバンのサングラス。日焼けした肌は笑顔がよく似合う。

プリウスに乗り込むなりドライバーがいう。

"Are you from Japan? Your name sounds like Japanese."

私がうなづくと今度は日本語で続けた。

「ワタシハ オタク デス」

聞き取りにくかったので確かめてみた。

"Do you know what you mean?"
"Yes, I do. I'm a nerd!
I like Japanese animation and games."
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日本大好きのオタクだという彼はつい先日、日本に旅行したらしく、池袋でフクロウカフェに行ったという。

Owl cafeってのはじめはなんのことやらわからりませんでしたが何度か聞き返してやっと理解。

それでもわからない人に一応説明しておきますと、カフェに行くとたくさんフクロウがいる。猫カフェのフクロウ版。

「それじゃあメイドカフェも行ったんだろ?」
Yes, once.
やっぱりオタクならこっちに来ないとね。

日本のアニメソングのコンサートなんかもロスで行くことあるらしい。私のためにカーステレオで日本の歌手をかけてくれた。

LiSA
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すいません。しりません。

彼はお気に入りの漫画もいくつか紹介してくれた。デスノート、鋼の錬金術師 etc.
全部読んだことがありません。

かつてはアメリカで日本人歌手って言ったらスキヤキソングくらいしかなかったのに今ではロスの若者がこっちの知らない日本の世界をディープに知ってる。

"I also have to study Japanese culture."

と言ったのはいいがこれはもはや「日本の」という形容詞をつけてよいのかわからない。ただ世界に漂う無数のコンテンツの中でニッポンというタグがついているだけなんじゃないのか?風土だとか歴史なんかに根ざした共有の背景から出て来たものでなく、私自身はまったくシンパシーを感じない世界です。クールジャパンだか、ようこそニッポンだか知りませんが単純に日本文化としてくくりきれない世界が広がってる。黒人ヒップホップをラストベルトのカントリーおじさんが理解しないのと同じかな?

フラットな世界では細分化が進んでる。

日本の好きなアニメをネットで見て、アニソンをiTunesでダウンロードする。ネットさえつながればいくらでもコンテンツにアクセスできる。そこにはマスで測られたヒットチャートもランキングもない。細かい領域の中での口コミ評価がものをいう。その中のスターは他の世界では知られない。ロスでライブやるアーティストを日本人の私はまったく知らないない。

でも彼は2次元にとどまらずリアルの世界へも出てゆくから面白い。お金貯めたら日本に行ってみる。泊まったのはAirBnBだって。日本の学生がシェアハウスして外国人観光客を泊めているらしい。

片言の英語と日本語で話をして一緒に飲みに行ってラーメン食べる。「ラーメンがハングオーバーに効くってのは知らなかったよ!」それ以来、ロスでも飲んだ後にはカップラーメン食べるって。

彼は言ってた。アメリカ人は内向きでダメだと。外に出ないからアメリカだけが世界だと思ってる。トランプの支持者のこちです。

彼、今度は日本で英語の教師をしたいって。そのために英語教育を学んでる。学業の合間にUberでアルバイト。好きな時に稼げるから学生にあってると。なんかいいよねこういうイマドキ生活。

彼は以前も英語の教師をしたことがあると言う。なんとその仕事場はラオスのビエンチャン。
プエルトリリカンとフィリピーナの間に生まれた彼はクリスチャンの宣教師としてラオスに行った。共産党政権下で大っぴらには布教できずに教会がないので家の中で布教したと言う。英語教師の仕事は時給15ドル。ラオスでは大金です。

今度はちゃんと英語教師の資格を取って日本に向かいたいそうです。

フラットな世界では意思があれば低コストでいろんなことが実現できる。日本でオタクネタ発信するんだろうな。

あっという間に空港に着いた。

出発フロアが混んでたので到着フロアに車を回してくれた。Uberは時間によっては到着フロアへは入れない。到着客待ちもダメ。既得権を守るべくタクシー業界が妨害してるそうです。フラット化を企み、職を奪うエネミーを。アメリカにもあるのねこういう古い体質。でも新しいものが凌駕してゆくんでしょう。新しい勢力はもっと気楽に楽しんで機能を提供してるだけ。

これから行先はメキシコ。
フラットなボーダレス時代にリアルな壁を作ると言ってるその向こう側へ。

以上



by zhuangyuan | 2017-07-12 13:58 | 文化、歴史 | Comments(0)