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中華 状元への道

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2007年 02月 10日

テレサ・テンはスパイ!?

先日食事をしながらタイの奥地に潜む国民党の残党の話になり
そこから話題がテレサ・テンに移りました。

「テレサ・テンが何故タイ北部で亡くなったか知ってます?」と問われました。
「いや全く知りません」

曰く、
テレサ・テンは国民党の非常に優秀なスパイであった。
世界を自由に飛びまわれる立場を利用して台湾に他国の軍事情報を提供していたそうな。
ただ彼女はそんな立場から逃れたかった。

そこで最後の任務と言われ、タイ奥地のゴールデントライアングルに潜む国民党残党の
状況を探るように指示された。
ただこうした情報員の人生に終わりはない。あるとすれば情報秘匿のための死しかない。
で暗殺されたとのこと。

台湾から帰化された方のお話でしたのでなにか真実味がありました。

スパイ説ってのは聞いたことがありましたが
彼女がなくなった当時はさして興味もありませんでしたので気にしませんでしたが
今は状元を目指しておりますのでちょっとしらべないといけません。

こんな記事がありました。
国民党諜報部門の高官、谷正文氏が自ら告白しています。
冷戰悲劇: 鄧麗君為國府安全局三處人員(冷戦の悲劇:テレサ・テンは国民党安全局三処のために働く人員だった。

1968年夏天,鄧麗君收到了來自新加坡的演出邀請書,她被邀請參加于1969年在新加坡國立大劇院舉行的“慈善音樂會”的演出。爲此,年僅15歲的鄧麗君向臺灣國民黨政府的有關部門提出了出境申請。

1968年夏、テレサはシンガポールから1969年の国立大劇場での慈善音楽界公演への招待を受けた。そのため弱冠15歳のテレサは台湾国民政府関係部門に出境申請を提出した。

當時,中國大陸正處于“文革”的動亂之中,而臺灣仍處于蔣介石頒布的軍事管制戒嚴令期間。整個臺灣社會在國民黨憲兵的嚴格軍事管制之下,各種民間社會活動和人身自由均被“明松暗緊”地監視著,不言而喻,當時臺灣的出入境管理制度就更嚴格了 。

当時大陸は文革の動乱期であり台湾も蒋介石が軍事管制の戒厳令をしいていた。
全台湾が国民党の憲兵の厳格な軍政のもと、各種民間社会活動や人々の自由は
表にはわからないように監視され、言うまでもなく出入境管理制度も厳格になった。

(ということで交換条件として情報工作をさせられたらしい)

像鄧麗君這樣被吸收進來的特務工作情報人員,原則上與其他專業間諜有著根本的區別,他(她)們不承擔那些需要特別間諜技能的諜報工作,而只是利用他(她)們現存的條件,在適當的情况下爲臺灣國民黨政府效勞而已。

テレサのようにこうして特務工作情報員にさせられた人員は原則的に専門スパイと
根本的に違いがある。彼らは特別技能を要するような諜報工作を担当するのではなく
ただ彼らの現存の条件下において、適当な状況下で国民党政府に奉仕しただけだ。


ちなみにこの発言はテレサの家族が全否定し
オウムで有名な有田芳生氏も私の家は山の向こう―テレサ・テン十年目の真実
有田 芳生 / / 文藝春秋
で否定してます。
この本は私の本棚に未読で埋もれてましたが思い出して読んでみました。

才能があるばかりに国際政治の波に翻弄されてゆく姿が淡々と描かれています。
スパイであったかどうかはともかく政治に利用されていたのは間違いありません。
今では想像もつかないほどに大陸も中国も閉された世界で
お互いの緊張が政治の世界を支配していました。

中華世界で大スターとなったテレサはよく軍の慰問に行ったそうです。
大陸に最も近い金門島にも行き、テレサのテープを流し自由と民主を宣伝したそうです。

永远缅怀鄧麗君 追想テレサ・テン
「親愛的大陸同胞們,你們好,我是鄧麗君。我現在來到金門廣播站向大陸沿海的同胞們廣播,我今天要跟大家說的是,我很高興地能夠站在自由祖國的第一前線 ——金門,我感覺到非常地快樂、非常的幸福。我希望大陸的同胞也可以跟我們享受到一樣的民主跟自由,唯有在自由、民主、富庶的生活環境下,才能擁有實現個人理想的機會…」

「親愛なる大陸の同胞よ、こんにちは、私はテレサ・テンです。私は今金門の放送局に来て
大陸の沿海地域の同胞に向かい放送しています。
私が今日ここで言いたいのは、自由な祖国の第一前線金門に立てることができとても嬉しく幸せだということです。
私は大陸の同胞にも私たちのように自由と民主を享受してもらいたいのです。
自由と民主と豊かさのある生活で初めて個人の理想を実現できる機会が得られるのです。」

テレサ・テンはスパイ!?_d0018375_16202957.jpg

今考えるとアホらしいことですが情報を閉された社会に影響を与えるには
こうした方法しかなかったんでしょう。

でもこのテレサ効果は凄かったらしく中国中にテープが回っていったそうです。
白天听老邓,晚上听小邓
昼は鄧小平の言うことを聞き、夜はテレサ・テン(鄧麗君)を聴く


時の中国政府は放送禁止だけでなく聴くことも禁じて徹底的に取り締まったそうです。
その理由は精神汚染。
因为邓丽君的歌曲是黄色歌曲,靡靡之音,是来自台湾那个反动的资本主义花花世界的声音

なぜならテレサの曲はエロチックで退廃的である台湾の反動資本主義の破廉恥な世界の歌声である。邓丽君的歌曾被官方称为“靡靡之音,黄色歌曲”


あふれんばかりの才能に皆が群がり
個人としてのテレサはなすすべなく流されてしまう。
悲しい人生ですね。
スパイであったかどうかなんていうことは
優秀であればあるほどわからないわけですから永遠の謎でしょう。
でも国民党に利用されていた事実以上に
彼女が中国民衆を愛して民衆のために歌い、民衆の自由と幸福を願っていたことが重要だと思います。

以上

by zhuangyuan | 2007-02-10 21:48 | 中国関連DVD、本


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