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中華 状元への道

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2005年 12月 10日

それぞれの天安門

 昨夜は上海出身で最近に日本で会社を設立したお客さんと中華を食べました。
彼は91年の来日。当時上海で大学生だった彼は天安門事件の影響で政治思想教育ばかりの授業に飽き足らず留学することにしたそうです。


別の上海出身の友人も言ってましたが当時の大学生は中国の将来に不安を感じ,外国に活路を求めたと。

(高校生)
昨夜のお客さんは天安門事件の当時は高校三年生で受験を控えていたそうです。
事件の影響で大学入試そのものがなくなるのではないかとのうわさがあり不安な日々をすごしたそうです。

上海でもかなり民主化要求運動への支持は広がっていて騒然としていたそうです。
でも高校一年生,二年生はとても楽しい経験をしていたとのこと。
なんでも北京に民主化運動の学生を応援に行くといえば汽車の切符がただになったとのこと。
それを利用して旅行に出掛ける学生が多かったと。ただ3年生は受験待ちのため動きがとれなかったそうです。

汽車の話が本当なら国の機関にも学生を応援する勢力もかなりあったのだろう。要は政治闘争ですね。

(社会人)
 北京の一般庶民も学生を応援支持するムードはかなりあったようで北京の語学学校の先生は当時30才くらいで夫が大学に勤務していたためよく大学に行き,学生たちとも交流があった。

 天安門でのデモが始まると毎日応援に行き,夜食を差し入れするなどして学生たちを寝ずに支援したそうです。6月4日事件の日も現場にいた。彼女いわく,軍隊は発砲したがゴムの弾だったと言ってました。車に轢かれる人などは出たが海外で報道されているような悲惨な現場ではなかったとのこと。

(駐在員)
 当時北京にいた商社駐在員にその話をしてみると。確かに天安門の中ではほとんど死んでいないただ別の地域では沢山死んだと。

駐在員として現場に居合せたかめさんの迫力ある記事もすごいです。

(国有企業財務部長)
 中国通の方なら誰でもしっている有名国有企業を引退した大先輩は当時そこで財務部長をしていました。彼は責任ある立場として正式に学生支持のカンパ金を5万元計上したそうです。
国有企業でそれをできるわけですからかなり広い支持がされていたのでしょう。

 天安門事件は東西冷戦の終焉と共産主義崩壊の流れのなかに位置して鄧小平の決断がなければ今の中国はなかったかも知れないわけで歴史上非常重要な事件であり,こうしていろんなかたがたの話を聞いてみると,海外で思われている以上に共産党中国は崩壊の淵にあったのかもしれません。ひとつ言えるのは当時政府が瓦解していたら今の発展はなかったでしょう。ばらばらで。中国は圧倒的力で君臨する人か組織がないと空中分解しちゃう。

(私)
 私は当時大学一年生。中国には特に興味なし。ただ共産主義の崩壊という歴史に立ち会っているという高揚感はありました。大学に入りたてのころで背伸びしたくもあり,天安門事件を特集した英文雑誌『TIME』を買いました。でも英語が難しすぎてほとんど理解できなかった記憶があります。私はその雑誌で初めて鄧小平がDeng Xiaopingと読むことを知りました。

 89年は昭和の終わった年でもあるしある意味歴史の節目だったのでしょう。
ただ当時の私の頭のなかは、早く彼女ほしいなとか、サッカー止めてテニスにしようかなど世界の激動とは全く関係のないくだらないことだけが占めていました。でも夜飲みに行くと大学一年生のちょっと生意気な思い上がった気分で知識もないのに、共産体制がどうのと中途半端な議論をしたりして。

以上

by zhuangyuan | 2005-12-10 19:04 | 文化、歴史


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