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中華 状元への道

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2014年 06月 25日

男気国家アルバニア

こんどアルバニアに行きます。

そこでいろいろ調べてみよっかなと。

もっと知りたい アルバニア

普段は上記note上のマガジンに書いていこうと思います。

でも今日は中国関連なのでこちらに。

アルバニアは以前、中国の数少ない友好国の一つだったと聞きました。
百度でアルバニアを検索してみました。

中华人民共和国和阿尔巴尼亚共和国于1949年11月23日建交。两国于1954年互派大使。1971年,阿尔巴尼亚为恢复中华人民共和国在联合国的合法席位做出重要贡献。
(中国とアルバニアは1949年11月23日国交樹立。1954年大使交換。1971年アルバニアは中華人民共和国が国連正式加盟する際に重要な貢献をした。)

中国建国まもなく国交を結び、国連の中国代表を国民党政府から共産中国へ変更する決議を提出したのがアルバニア。いわば中国の命の恩人。

でもニクソン訪中でアメリカと急に仲良くなると、中国を見限る。中国には多大な援助もらってたのに。

毛在世时,霍查对中国已有微词,特别尼克松访华后。1974年清洗亲华的国防部长巴卢库,翌年将其枪决。阿方在地拉那为中国使馆和新华社修建新办公楼和公寓,中方搬进去后发现有窃听器。国内派专家来检除,这些器材竟是“中国造”
(毛沢東の時代にホッジャはすでに中国を批判していたが、ニクソン訪中後さらに強まった。1974年親中国防部長バルクを粛清し翌年銃殺刑に。アルバニアはティラナに中国大使館と新華社の新社屋を修理した。中国側は入居後に盗聴器があることを発見した。中国から専門家を派遣して取り除いたが、その機器は中国製であった。)
もういきなり敵モードです。大国相手にも物怖じしません。

このアルバニアは鎖国で有名ですが、その前にもソ連とも喧嘩してます。

1968 ソ連がプラハ侵攻したらワルシャワ条約脱退してソ連を切る

1979 スターリン礼賛演説

次が面白い。

1982年12月7日,阿尔巴尼亚又在勃列日涅夫的继承人尤里·安德罗波夫上台后发表的第一篇评论中表示:“地拉那不曾同赫鲁晓夫、勃列日涅夫发生过关系,也绝不会与安德罗波夫以及任何背信弃义的苏联领导人发生关系。
(1982年12月7日、アルバニアは、ブレジネフの後継人アンドロポフが就任してから初めて出す評論において表明した。「ティラナは、フルシチョフともブレジネフとも関わってこなかったし、裏切りものソ連のアンドロポフやその他いかなる指導者とも関係をもたない。」
常に強気です。
ともかくこのアルバニア様の男気はすごい。食えなくても我が道を貫く。
ソ連だって中国だって、そしてアメリカすらも屁とも思わない強気な態度。
ますます知りたくなってきた。
何者なんだ
エンヴェル・ホッジャ?
以上




by zhuangyuan | 2014-06-25 22:59 | 文化、歴史


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