人気ブログランキング |

中華 状元への道

zhuangyuan.exblog.jp
ブログトップ
2019年 08月 24日

映画「ムアラフ 改心」ヤスミンは世界を救う

「ムアラフ 改心」

ヤスミン・アフマド監督作品

d0018375_21020224.jpeg

彼女の作品はどれも素晴らしい。特に言葉と文化のごちゃ混ぜ感がツボにはまる。


ムアラフ Muallaf という言葉はイスラム教に改宗した人を指すという。昨今イスラムというと過激なイメージがあり、鑑賞を敬遠する向きもあるかも知れないがこの作品はそれとま反対の許しと寛容の物語だ。


ムスリムであるアニ(Rohani)とアナ(Rohana)の姉妹は家出をして知人の空き家で暮らしている。姉は暮らしを支えるためパブでバイトしてる。ムスリムなのに。妹はクリスチャンの学校に通う。ムスリムなのに。


妹は事あるごとにコーランの警句の番号を唱える。姉のバイトも常に心配の種だ。


その少女ながらに揺るがない真摯な態度に違和感を覚える教師もいる。いつしか度を越して体罰をするクリスチャンスクールなのに。


そこの青年教師は故郷の母親の勧めを常にぞんざいに断り教会に行かない。クリスチャンスクールの先生なのに。


パブの先輩ホステスは人気のあるアニを妬み意地悪する。アニはお酒を飲まないし、客にお酒を控えさせてるとボスにチクる。しかし肝心な時にはアニを守ってくれる。


マレーシアは多民族国家。マレー人中国人タミル人など。そこに金持ち国家シンガポールが絡んでくる。映画でも姉妹はマレー人、体罰教師はインド人、パブの先輩と青年教師はおそらく中国系だ。姉妹の亡くなった母親はシンガポールで大学教授だった。ムスリムでマレー人の夫にはインテリ女性は気に入らないようだ。

d0018375_21001295.jpg

マレーシアは宗教も多様である。ムスリムだけじゃない。クリスチャン、ヒンドゥー、仏教、道教。人はそれぞれ宗教の規範や民族の文化を身につけて暮らしてる。グループになると時には相容れずに争う事もある。ただ個人に戻るとそのグループの規範を外れる事もある。規範を守る側は時に正義に身を縛られてはみ出しものを締め付ける。縛られる側は心が折れることもある。それぞれが葛藤と鬱屈を抱えつつ多文化社会で生きている。規律だったり信仰心だったり男女の役割だったり、酒だったり。しかも資本主義競争社会の中ではそれがデフォルメされる。映画でもその軋轢がしばしば暴力として鮮烈に表出する。弱者が煽りを受ける。この姉妹もしかり。でもこの姉妹は常に許すのだ。さらには他の弱者への愛を与える。宗教的寛容と慈愛。それは宗教を超えている。


妹はある意味、アダルトチルドレン的といえるかもしれない。幼い頃から家族の争いを見てきたせいだろう、常にコーランの警句が思い浮かぶ。しかし番号を唱えるだけなのだ。言葉は受け入れる準備のない時には時にtoo muchとなる。アラビア語で唱えないのもある種の曖昧性を残したいから。つまり原理主義には陥らないため。


この真面目すぎる聖女のような妹とちょっといい加減でユーモラスな姉がセットになって物語の広がりが出ている。宗教的慈愛も杓子定規でなく曖昧性と寛容さがあってはじめて多文化がともに生きて行けるのだ。


ヤスミン監督の映画を世界じゅうで観れば平和な世の中になるのに。でも問題はそのご当地マレーシアですら相変わらず民族や党派がゴタゴタしてる。出張でマレーシアを訪れてヤスミンの話を振ってみても反応してくれる人は少ないのが実情だ。彼女の映画はある種ファンタジーなのかもしれない。でも観たものには必ず影響を与えることができるはずだ。

d0018375_21001113.jpg



# by zhuangyuan | 2019-08-24 21:03 | 文化、歴史 | Comments(0)
2019年 08月 03日

歌の世界にまどろんで_貴州トン族を訪ねて

 厦格村xiageは山の上にあった。ここでは夕食まで時間がたっぷりある。侗族最大の村である肇(zhaoxing)の入り口で観光バスからバンに乗り換え、曲がりくねった山道を30分ほど進むと村のゲートが現れた。すでに村人たちが歓迎のために待っている。前に進み出たのはエリート然として髪を整えた背の高い男性だった。おそらく漢族だろう。午前中に訪れた黄huanggang)村長とはずいぶんと佇まいが違う。27歳で村長に選ばれた彼は、侗族の衣装を着て朴訥な笑顔で村総出の結婚式準備を案内してくれた。別れ際には、我々のバスまで乗り込み、次は酒を一緒に飲もうなと送り出してくれた。侗族はお茶の代わりにお酒を飲む。米の蒸留酒だ。前日はランチに強めの酒が出され、夜まで頭に残った。さて、厦格村のかのエリートさんは滑らかな普通語で歓迎の意をあらわすと、民族衣装の女性たちを促して、歌を披露してくれた。我々を特別歓迎していることを強調するように何曲か追加で催促した。その後男性陣は竹製のサックスのような楽器で力が強い演奏をしてくれた。目一杯肺活量を使いゴルフスイングのように腰を決めて破裂音を出す。バホーン、バホーン。そのメンバーに村長も書記もいたのだった。村のトップが勢ぞろい。

d0018375_11133135.jpg
d0018375_11145427.jpeg

 荷物を置いて村の自慢の棚田を見に出かけた。私はその前にトイレ休憩。入り口付近のトイレは故障中だとかで村の党本部まで坂道を登る。付き添ってくれたのはかのエリートさんの部下の青年だ。土産物民族衣装のような黒に金の刺繍が入ったベストを着ている。下はジーンズ。「君も侗族なの?」「いや、僕は貴陽から派遣されて来たんだ」貴陽は貴州省の省会(県庁所在地)だ。貧困対策活動を行っているという。「具体的に何やっているの?教育?」明確な答えはなかった。党本部前には10項目の貧困対策が記された看板があった。カネで貧困を測り、状態を定義し、心理的に追い詰めることになりはしないか?

 棚田に向かう小道に入り一行を追った。中国語では梯田titianという。ハシゴまたは階段状の田んぼ。少し行くと視界が一気に開ける一同が一面に広がる棚田に一斉にスマホやカメラを向ける。遠くに宿泊している肇が見える。米の収穫は終わっているが野菜を植えている畑もあり色とりどりのカーペットを敷いたようで素晴らしい眺めだ。水を張った田んぼには魚を飼っているそうだ。高台から麓まで見える限り続く棚田は最初に居ついた一族から数えて700年にわたりひとつひとつ開墾してきたという。歌いながら朗らかに耕したのだろう。棚田を案内にしてくれたのはこれまたエリートさんの部下である若い女性だった。"Do you speak English?"貴陽で大学に入り独学で英語を会得したという。観光客にアピールしたい村には貴重な人材なのだろう。とてもきれいな発音だ。現在では侗族の村でも英語学習が初等教育まで行き届いている。黄村では小学校も覗いてみたがちょうど英語の授業の真最中だった吉林省から来たという女性教師の声に続き、真っ赤な制服を着た女生徒たちがいっせいに英単語を繰り返す。Uncle! Uncle! Ouch! Ouch! 感情がこもったアウチ!がいい感じ。棚田に戻る。彼女はせっかく会得した英語が使いたい様子。一方私はせっかく中国にいるのだから中国語で会話したい。彼女から英語が出てくると頭のモードがうまく変換できずに混乱してしまう。でもまあどっちでもいいや。彼女がいう"You can see sunset from here."それは是非見てみたい。5時半に日が沈むというので後で戻ってこよう。

 棚田見学を終えると党本部で休憩兼質疑応答の時間が取られた。本部と言っても木造二階建ての質素なものだ。会議室にはソビエトの旗と入党の誓いが貼ってある。保守党的秘密。永不叛党。などなど。党の秘密を守ります。永遠に党を裏切りません。まさかこれ、われわれも読まされるわけじゃないだろうね。部屋の外には党幹部の写真入り組織図が貼ってある。果たしてかのエリートさんは村の共産党第一書記であった。村が所属する黎平県の副県長であったとういうのだから確かにエリートである。けっこう若いぞ。その下に歓迎の演奏をしてくれた書記と村長がいる。村長(仮名)に嬴書記(仮名)である。村長は村民選挙によって選ばれる。この地区は黔南苗族侗族自治州に属す。村長が民族から選ばれることが自治の証しだという。書記は党員選挙で選ばれる。村の党員は38人だという。1921人の村で多いのか少ないのか?彼らはそれぞれ村を代表する一家から出ている。家と嬴家。侗族の部落では基本的にはひとつの姓の一族だけが住むという。結婚式の村は呉一族だった。その日は5組の式が行われ、新郎も新婦もみんな呉さん。祝儀記録帳を覗くと姓が書いてない。みんな呉だから書く必要がない。代わりに全ての名前の上に、侗語で父親を表す「甫」の文字が並ぶ。つまり太郎の父ちゃんがいくら出した、たかしの父ちゃんがいくら出したと記載してあるのだ。前日訪れた、立派な鼓楼で有名な増冲村には石さんばかり。「どこから来たんだい」と声をかけてくれたのは長く学校の先生をしていた石長老だった。この村の先生はもちろん石先生ばかりだ。愛称をつけて区別するようだ。その昔、侗族には姓がなかったという。姓がないとは皆を区別しないといこと。みんな家族だ。侗語には你好も谢谢もないという。家族間によそ行き言葉はいらない「不要客气!」と呉村長は笑った。

話を厦格に戻す。嬴書記は、村長の姓について「蓝」と書くと言った。音は同じlanである。組織表にはとあるので間違えであるのだが、文字を持たなかった侗族にとっては音が大事であって漢字は自体は重要でないのかもしれない。つまりここでは漢字は単に表音文字になり下がる。先ほどの甫の文字も私の辞書に意味は載っていない。つまり表音文字。翌日訪れることになるビアオバー村には「扒」という漢字が当てられているが扒を普通語読みするとbabaとなるビアオbiaoの音は普通語には存在しない。baba村ではまるでバーバリアンじゃないか。つまり語は漢字の限界を超えている。侗族の歌声も到底漢字では表せない。口頭伝承しかないのだ。漢字では歌の民族について書けるが歌声については書けないといえる。

 さて質疑応答タイムの話。第一書記の仕切りで会は進み、侗族が歌う対象や歌うタイミング、季節ごとの行事などに話が及ぶ。嬴書記も奥さんと出会ったのは歌を通じてだったという。となり村とのイベントで彼女を見染めた書記は渾身の歌声で気持ちを伝えた。歌がうまいことは男の価値をあげるのだ。「自分の若い頃はいつでも歌っていたんだよ」伝統の歌は皆が共有しあらゆる場面で歌い継いできた。侗族の子供はしゃべりだすと同時に歌い出し、歩き出すとすぐに踊りだすと言われる。侗族は母系社会であり伝統を守るのは萨(sa)と呼ばれるお祖母さん。日本語で長老というと男性を想起するが女性はなんと呼んだらよいのか。侗族で1番盛大な季節行事はこのに尊敬の意を表すもの祭りだそうだ。最大家族の最長老がの座につき、村民の尊敬を一身にあつめる。のチカラの源泉について驚きの秘密を聞いたのはその翌日だった。侗族の村は人口男女比が歴史上、常に変わらないという。バースコントロールの鍵を握るのはが代々引き継いでいる民族秘伝の薬草だ。薬草を煎じつめて若い夫婦に処方する。すると産まれて来る子たちの性別はの意図通りとなる。産児制限政策に失敗して男子が多い異常なバランスを招いた中央も秘密を知りたがったが、は決して口を割らないという。ともかく超越した存在なのだ。

 「ところで第一書記さん、あなたも共産党からこの村に派遣された時、やはりに挨拶に行ったんですか?」

 「当然です。村の文化を尊重し村民を愛してこそ、我々も愛されるのです」

なにやらモードが変換されマニュアル通りの回答になった。

 「さあ皆さん、そろそろ疲れも癒えたでしょうから村をご案内致しましょう」

と第一書記はこの会を打ち切ってしまった。共産党に関する質問のタイミングが早かったかな。

 村を案内しながら嬴書記が村の歴史を話してくれた。一族の先祖がまずこの地に居を定めたそうだが、流れ行くきっかけは時の勢力からの迫害。江西省から逃げて来たという。なにもない斜面を一から開墾し700年かけて壮大な景観を有する一面の棚田を作り上げた。今はこの風景を観光資源としたいようだ。第一書記と違って嬴書記は普通語が流暢ではない。子供のころは侗語だけで育ち、普通語は大人になってから習ったんだと少し恥ずかしそうに話す。楽器を吹いている時の勇猛な姿とは別人のようだ。ちなみに中国語の普通語をうまく話す人を褒める時、你的中文很准”という。君の中国語は標準的だねって。なんか嫌な響き。彼は一族の由来も語ってくれた。「我々は秦の始皇帝と繋がっているんだ」彼の姓は嬴。異様なほど難しい字だ。読みはying、イン。音をあらわすだけでそんなに難しい漢字を選ぶ必要もなかろうに。しかしこの姓には深い意図がある。秦の始皇帝の姓名は嬴政という。それゆえにこの字を使っているのだ。この地に着いた当時は別の姓を使っていたそうだが元の由緒正しき姓に戻したという。中国中央が強大になり言葉を教育とメディアで再統一しようとしている。さらには交通も便利になりこの山奥まで外国人に開放されている今、少数民族が秦の始皇帝との連なりをほこる。本家取り。メキシコグアダルーペの黒い聖母像を思い出してしまう。民族の文化を誇りつつも、中華思想の権化にすがる矛盾が、先住民文化を尊重しながら征服民族の持ち込んだカソリックの聖母に権威を求める姿と重なる。秦の始皇帝は中国を初めて統一した。度量衡と車軌の統一がその手段だった。車軌の統一は習近平が掲げる「交通強国」のスローガンにも通じる。なにせこうして我々も短い休暇を利用にして、新幹線で広州からわずか3間半でとなりの県从江まで来られるのだ。以前にも列車はあったが17かかったという。ここに来る新幹線では偶然にも侗族のお母さんと隣り合わせた。彼女は娘5人を残して広州まで出稼ぎに行っている。年三回の帰郷の折だった。いわゆる農民戸籍の打工(賃労働者)だ。彼女自身は漢字を書けないし読めない。でもスマホで音声チャットを娘と楽しんでいた。SNS微信に故郷や自職場の動画を保存してあり、嬉しそうに見せてくれた。自らの生活に誇りを持っているのだろう。孫の写真も見せてくれた。これから駅で落ち合うという。5人の娘のうち、2人は医者、1人は先生、2人は賃労働者だという。賃労働者というのはつまり都会に出ているわけだ。村に来るのも便利になるが村から都会に出るのも容易になる。こうして村からは若者たちが流出するのだ。

 夕暮れ時に棚田に戻る。何百年も変わらない風景に夕日が沈む。遥か先まで棚田が見渡せる。少し離れた棚田では女性が1人野良仕事をしている。彼女の影のそばに一匹の犬がたわむれている。仕事を終えた彼女は天秤棒をさっと担いで、あぜ道をバランスよく歩き村に向かう。日が沈むと真っ暗になる。私じゃ灯りなしには帰れない。夕食に席に向かおう。「交通強国」が肥大する今、鉄道網が張り巡らされ、高速鉄道だけでも二万五千キロに達する。空前の国内旅行ブームに沸く中国でいつまでこの景観がいつまで保たれるのだろうか。先に開放された小黄村(xiaohuang)ではガイドさんに導かれたケバケバ原色セーターにサングラスのおばちゃんたちが、統一感のある質素な農藍色の民族衣装に銀の飾りをつけた村民たちを原色パワーで圧倒していた。この棚田には大勢の観光客が歩ける道はない。棚田の静かな緑が原色をまとった観光客で溢れるのはみたくない。


 夕食は共産党事務所前の広場で振舞われた。夕暮れ空に五星紅旗が翻っている。本部横の石には赤い文字で習近平の言葉が彫ってある。立下愚公移山志,打坚战 近平”(愚公が山を動かしたような志を打ち立て、脱貧困作戦に打ち勝とう 習近平) 君らは貧乏なのだから金持ちにならなきゃいけないとまず信じさせる。これが資本主義の来た道。愚公の逸話は、こつこつやってついには山を移してしまった故事にちなんでいるが、長年かけて棚田を作った彼らにうまくリンクしている。第一書記の目標は村を豊かにすること。先に開放した肇では通りも整備され観光客の宿泊施設もある。ポップスの流れるバーもある。大歌祭りが開かれる小黄村は近年開放されたが歌を求めて観光客が増え裕福になっている。この村も続いてゆきたいとガイドさんに抱負を語ったという。広場の奥にある住居前では子供たちがスピーカーで音楽かけて踊っている。普通語のポップスだ。踊りはみんなで揃ってまるで日本で一時流行ったパラパラのような感じだ。アメリカはロックンロールで世界を制したが、若い子たちには民族の旋律よりポップスの方が耳に心地いいのかな。

 広場には長机を並べて豚鍋や小皿料理が並べられる。お客さんを歓迎するための食事が用意された。いつの間にかあたりは真っ暗で、明かりは本部の街灯だけだ。宴はやはり村の女性の歌から始まった。贅沢なのは、参加者一人一人を順々に囲みつつ歌ってくれること。最後には米酒の一気呑みのサービスも付いている。長机では私は第一書記の正面に座ることになった。この際いろいろ聞いてみよう。

「第一書記はこの村にいつ派遣されたんですか?」

「很久很以前来到的。ずっとずっと前に来たんだ」

「冗談はいいですから」

「実は3月に来たばかりなんだ」

「ずいぶん若く見えますがおいくつなんですか?」

18歳だよ」

「またまたあ」

結局歳はわからない。見たところ40前かな

「ご結婚は?」

18歳だからまだだよ」

ガイドの彭さんの言葉が思い出される。侗族では結婚して初めて一人前の男と認められるという。家族に対する責任が生じますからねと。例の27歳の村長にはすでに6歳の息子がいるそうだ。

「お若くてトップに立ったのですから未来の習近平ですね」

「習近平主席は国家の偉大な領導です。とてもとてもそこまでは」とは言いつつもまんざらでもない様子。

「まあともかく飲もう!」と第一書記は私の椀に米酒を並々注いだ。一気合戦の始まりだ。

ハイライ、ショーライ、ヘーイ、ソーブラ!

侗族の乾杯の掛け声だ。カタカナではとても表せないがとりあえず。

その後、ぞくぞくと飲み要員が一気飲みを仕掛けてくる。

「ほら、中国通、椀が空いてないぞ!」

私を中国通zhongguotongと呼ぶ第一書記。この言葉に素直に喜んではいけない。日中両国は複雑な関係の歴史を持つが近代では憎悪が目立つ場面が多かった。その中でも中国フリークは常にいた。中国側は親中分子を味方に引き入れるために、褒めそやす言葉の常套句として中国通と呼んだ。まあともかく私は中国に興味があるのは事実だが。

「中国通、今度は書記と乾杯だ!他是非常能干的人!(彼はとてもできる男だよ)」

上から目線炸裂である。中央からみて政治的に優秀な人間だという意味である。その後もいろんな人を紹介されその都度飲む。中国の宴はいつもこうなるのだ。入れ替わり立ち替わり多数が乾杯を仕掛けてきて結局はゲストがつぶされる。乾杯は杯を乾かす。つまり一気飲みだ。まだ意識のある私は気づいた。第一書記書記の掛け声は元気がよいのだが杯を空けてない。

「さあ第一書記、まだ酒だ残っているぞ。カンパイだ!」

 宴もたけなわのころ、党本部のスピーカーから大音声が流れた。

村の衆に向けて、日本から大学教授御一行が訪れているのでみんなでお客さんを歓迎しようという意の放送であるとガイドの彭さんが教えてくれた。その後の記憶は酒のせいで曖昧だが村の鼓楼には村人たちが集まっており焚き火を囲んで盛大に歌で歓迎してくれた。侗族の村では鼓楼がもっとも大事な場所なのだ。村落に必ずある。そこで村の重要事が決められる。民族の歌がひと段落すると日本の歌でも紹介してくださいと声がかかった。日本代表として立ったのは旅に帯同していた歌手Kawoleさん。収穫を祝う日本の歌を美しい声で披露した。大喝采に続いてでたアンコールに答えた歌は、南米ケチュア語の歌。発声方法が違いさらに貴州に居ながらにしてさらに別の異国に連れてゆかれたようであった。音楽のチカラ。漢族代表はガイドの彭さんだった。定番曲「大海啊,故」を歌った。

大海啊大海,就像妈妈

走遍天涯海角 在我的身

ふたたび民族の歌が続く、皆で手をつなぎ焚き火を何周も何周も回りながら次々と歌い手が変わりリフレインは止まらない。いい加減長すぎないか。歌の民族はとにかく歌が大好きで自分も歌わないと気が済まないらしい。彼女がマイクを握ったのなら私も是非と次から次と主張して終わらなくなってしまったのだ。マイク向けられて何を歌ったらよいかと逡巡して逃げてしまった私とは大違いだ。歌を忘れた民族は日本の歌をと請われて何を選べば良いのか?こちらは歌謡曲しか知らないしそれを日本の歌と呼んでいいのか?しかし考えるより先に歌えばよかったかと今頃後悔している。

 大喧騒を後にして宿に戻った。VIPホテルという英語名のついた宿はシンプルな木造三階建て。食堂横に小さなホールがあり、歌の現場から戻った姿のまま、日本からの訪問者が集まり、歌の旅についてのシンポジウムを開いた。録音機器がセットされ、車座になる。参加者を司会の管啓次郎さんが紹介する。各々が今回の旅の考察をシェアする。大学教授、デザイナー、詩人、歌手、装丁家、編集者、カメラマンなどに混じりサラリーマン代表として参加した私は自分の話を語り終えると、並々注がれた第一書記の米酒のおかげで、そのまままどろみ中に沈み込んでしまったのである。あまりにも刺激的なこの旅が夢の中の出来事でなかったことだけは確かなようだ。今度は歌う曲を用意して訪れたい。えいちゅう♪

以上



# by zhuangyuan | 2019-08-03 11:27 | 文化、歴史 | Comments(0)
2019年 03月 11日

土地に根付いた「盆唄」が世界をつなげる

映画「盆唄」鑑賞

題名から想像できるスケールを遙かに超える世界観が写しだされていた。
d0018375_10431119.jpg

帰宅困難地域に指定された福島双葉町につたわる盆唄を残したい。避難先でおっちゃんたちが語らう。いつか故郷に帰るときのために残しておきたい。その盆唄につながる盆踊りがハワイにあった。盆ダンスとして移民たちがつたえていたのだ。毎年ハワイの地元の人々をまじえてやぐらを囲んでいる。双葉町のチームも盆唄を伝えたいとハワイに赴く。彼らは思った。いつか町に戻れる日までハワイで保存してもいいのではないかと。ハワイ移民には福島県出身も多いという。

移民。基本貧しさから抜けるために移民の道を選んだのだろう。明治の日本は国民を養いきれなかった。ハワイでは労働力を必要としていた。移民たちはサトウキビ畑の労働者として渡った。カリブの黒人や中国人、インド人と同じ道だ。日本にはハワイが近かった。苦労した移民たちに伝わる歌が印象的だった。サトウキビ畑で働きながら歌ったという「行こかメリケン、帰ろかニホン」でも結局はその地で骨を埋めるしかない。盆ダンスで故郷をおもいつつ新しい地で仕事に精を込めた。

明治の日本は文明開化で潤った。しかし増えた人口は養えない。食料の生産は米に頼っていた。米は気候により収穫が変わる。人口調整が必要となる。そこで国の意志で官製移民。ハワイも、ブラジルも、のちの満州も構造はおなじだろう。

今の福島はそれと異なる。食を支える米を作った。開拓して品種改良して明治以降は自分たちのためだけではない。国のため、東京のため。第二次大戦後は電気を作ることになった。原発。科学万能主義。自然も制御できると。土地の人々はそこで国のため、東京のため、土地を渡した。結局不遜な人間は自然にやられるわけだが、あげくに立ち入り禁止となった。国に尽くした報酬として得たささやかな繁栄もあったが、築いた町は封鎖され放置される。盆唄を伝える仲間たちの立派な家々も震災当日の状態で放置され、修理もできない。太鼓たたいて唄っていた日々も戻らない。動物と草木だけが動かない人工物を覆うように繁殖し生を取り戻す。自然の力。科学の力で人間が造ったものは堅牢にみえても、融通が利かず、朽ちて地に還らない。その分、かつて立派だったひと気のない無機質な廃屋が静かに違和感を放つ。それでもやむにやまれず外に出て行った人たちにとってはそこは人生の詰まった生活の場であり、歴史が刻まれた地である。せめてそこで紡いだ無形の唄を残こしたい。土地の人たちがつないできた唄を。

しかしその伝統といえる土地の唄も歴史を遡ると必ずしもその地だけに排他的に存在してきた訳ではない。大きな歴史の変動のなかで人の移動とともに混じり合い織り込まれ地に根付いたのだ。せいぜい数100年だ。かつて移動の原因は冷害であったり、河川の氾濫であったり、いくさであったりした。そしてまた今日、地震によって、というより原発事故で移動を開始した。しかし現代はボーダー社会。簡単にはほかの土地にコミュニティを移せない。ちりぢりになるしかない。でも唄だけは残そう。

以前観たアルメニア映画を思い出した。「消えた声が、その名を呼ぶ」アルメニア人は流浪の民で世界中に散らばってる。映画ではオスマントルコの迫害を逃れた家族が途中で離ればなれになる。そして父は娘を探す旅に出る。彼らは歌の民族。しかし父は喉をかききられ声がでなくなる。しかし世界中のコミュニティで歌声をだどり探しだし、ついには...。つまり歌声が民族をつないでる。

先週読んでしの世界観に卒倒した「声、千年先に届くほどに」(姜信子著)には朝鮮半島からカザフスタンに追いやられた朝鮮族の歌声物語のほか、歌かつないだすさまじい歴史が描かれていた。


昨年私が旅したのは中国貴州省。歌の民族トン族が歌のフェスティバルを開くからだ。宋の時代に漢族の迫害を逃れ、谷間に集落を築き、山を切り開き、壮大な棚田を造った。彼らを支えたのも歌だ。彼らは文字を持たない。歌で歴史を記憶する。村の決めごとも歌の中になるのだ。

私にとって映画を観る醍醐味というのは、知らない世界に触れつつも、自分の中の触れてきた世界が刺激を受けスパークしつつ世界理解が深化したような気になれることである。その意味でこの作品には大いに痺れた。

ちなみに私の曾祖父は大正期にブラジルで移民のための学校を作ろうと努力した。祖父母は戦争中満州にいた。私は福島の牧場で育った。この映画の場面場面にいろいろと縁がある。

幼いころ福島白河で育った。父が牧場に獣医師として勤務していた。理想の牧場を作る実験農場のような場所である。よそ者として地元の方々と一緒に働いた。東京から来た若い技術者はおそらく受け入れられたんだと思う。いまでも父は当時をなつかしむ。ところが知事の汚職事件に関連して経営母体が不安定になり。父は牧場をやめ、東京に帰った。地元の仲間はどう思ったのだろうか?

引退した父をつれて当時の仲間の墓参りにいったことがある。私の育った牧場はない。ちかくで別の牧場を営む仲間がBBQを開いてくれた。心身ともに体調の悪かった父は、その日はとても楽しそうだった。でも彼らが明るく話す内容は深刻なものだった。村には除染トラックが走る。風評被害で牛乳は売れない。牛が食べる牧草は野外に放置できず、ビニールで包まれた牧草はすべてアメリカからの輸入だ。近所の原っぱには黄色の花が一面に咲いていた。外来種。彼らが家庭菜園で造る野菜はすべて放射線を測定してから食べている。「キノコは食べちゃだめだよ」山でとれたキノコ鍋は私の幼い頃の最高の思い出だった。

そんなことがどんどん想起された。

それでもこの映画、反政府、反文明といった思想性が強いわけではありません。さらっとそのままを撮している。東電もけして悪者に描かれていない。政権を批判したりもしない。出演者に過度に感情移入するわけでもない。そこには被写体があるだけ。そしてここでおきていることは世界で歴史上繰り返し起きてきたことなのだと思い当たる。今日も明日も、どこかで、近くでも。

正直言って、福島に育った私が福島の歴史的位置付けを意識したのは震災後だ。そして世界も違って見えてきた。

以上




# by zhuangyuan | 2019-03-11 10:42 | 映画 | Comments(0)
2019年 03月 03日

映画「ウェディング・バンケット」にみる「家」

映画「ウェディング・バンケット」

台湾映画でベルリン映画祭金熊賞ってことでずっとみたいとおもってました。米国にわたった中国系カップルの結婚式の話です。先日中国語原書会に参加し課題図書が巴金「家」だったので現代の家事情が当時といかに変わったか、もしくは変わっていないのかが気になったのです。
d0018375_17032244.jpg


巴金「家」の大家族は清朝末期を舞台として、時代変化の影響は受けつつも旧態依然とした家が打破すべきも、大きな存在感をもっていた。若い三兄弟の長男は家に縛られ、恋人を捨て、家のために結婚した妻も見殺しにした。次男は進歩的な従妹と恋仲だが、自らは行動しない。三男は少女である婢女に恋をするが、家の力で彼女が妾にやられるのを止められない。最後に彼は家をでて都市に向かう。とにかく崩壊する清朝においても家はまだまだ大きい。

 この1993年に公開された映画で家はどうなったのか?予備知識なしで観たのでいきなり驚いた。ニューヨークに住む台湾青年ウェイトンはゲイなのだ。白人男性と同棲している。台湾に住む母親はいつまでも独身の彼に結婚相談所に登録をすすめたり、お見合い相手を送り込んできたりする。旦那の心臓が悪く、早く孫を見せたいという一心に。そこで思いついたのが偽装結婚。店子である芸術家の中国系女性ウェイウェイが結婚相手となる。彼女は大陸からやってきて彼に思いを寄せていたがゲイのためかなわぬ恋である。しかしグリーンカードのために偽装結婚に同意する。結婚のニュースを聞き彼の両親はすぐさま台湾から飛んできた。略式結婚で済ますはずがメンツがたたずに大きな披露宴を開くことになってしまった。

息子は彼氏との愛を信じ、家の存続など気にもとめない。たかや彼女のほうは家をおいて大陸からアメリカに渡り、新たな地アメリカで永住権という家の代替物のために婚姻を利用する。台湾の両親はそんなことはつゆ知らず家の存続を喜ぶ。面白いのは、披露宴を開くきっかけになったのが、かつて両親の家で使用人をしていた男がニューヨークで大きなレストランを開いていたことがきっかけだったことだ。この元運転士は家の旦那をいまでも敬い、メンツを重んじ、かつての主人と同じテーブルを囲おうとはしない。アメリカに渡りつつも家のしきたりを守っている。結婚式前に父親が息子に打ち明ける。若い頃自分も家の進める婚姻からに逃げて軍隊に入ったのだと。

家とはいったいなんなのだ。結局は金だと思う。経済維持システム。ウェイトンは裕福な台湾の家からのバックアップもあっただろうがアメリカで仕事を持ち成功している。ジムで体を鍛えるすがたに個の確立がみえる。ウェイウェイはまだ貧しいころの中国大陸から脱出しアメリカに渡り、自らの芸術的才能で食べてゆこうとするが生活が苦しく生きる寄る辺を求める。ウェイウェイの彼氏サイモンは裕福な生活をして愛に生きる。父親は大陸で軍隊に入り、日本と共産軍と戦い、その後は故郷を去り台湾に渡り、使用人を使うまでになり家を作った。巴金「家」に君臨する爺爺は辛亥革命期の激動の中でもしきたりを維持して大家族をまもる。なくなった息子の代わりとして孫の三兄弟長男に期待する。それも経済のためだ。多くの使用人がかしずくのも経済のため。長男が愛を犠牲にして家に従うのも、伝統の呪縛より、経済の維持のためだろう。西洋の思想に共鳴した若い三男が家を飛び出るのも経済的バックグラウンドがあってのことであり、塗炭の苦しみは経験していないゆえデモクラシーや個人があるのは経済的基盤による人権が確立されて初めて成り立つことを知らない。

「家」は経済的基盤であり、内と外の区別が必須であり、包摂と排除が前提となる。その中でのみ富を分け与え、そして守る。社会全体が豊かになり家システム必要とされなくなれれば、ほころびてゆく。社会福祉システムがそれを代替するからだ。しかしそのシステムの上にさらに君臨できる「家」であればそれは維持されるだろう。映画「クレイジーリッチ」で描かれたシンガポールのスーパー金持ち一家のように。ここでも家への束縛が同じだが、あまりにリッチであっけらかんとしており、悩みもスーパーリッチで深刻さがない。世界でアジア人がリッチになった証拠だ。どこかにしわ寄せを作りつつも。

ウエディング・バンケットの大団円はネタバレになるのでいいませんがさすが金熊賞というだけあって想像の及ばない結末であり、いろんな余韻を残してくれる。家、親子、台湾、中国、移民、アメリカ....。最後は父親が台湾に帰って行く。イミグレの検査を経て。

以上


# by zhuangyuan | 2019-03-03 17:02 | 中国関連DVD、本 | Comments(0)
2019年 01月 14日

そして嵐は過ぎ去ったのか?

中国映画「迫り来る嵐」(原題:暴雪将至)

私の好みの映画、時代のうねりに翻弄される系です。そこに女性連続殺人のサスペンス要素が加わる。ポスター見るとサスペンス推しかもしれないですが私にとっては、この時期の中国を知ってるだけに、この不連続な変化のスピード、暗く大きいギャップもしくは見えそうで見えない機微が気になります。同じ時代背景の「薄氷の殺人」もよかったな。
https://zhuangyuan.exblog.jp/21558727/

物語は1997年から2008年を描く。香港返還から北京五輪まで。中国の経済社会環境が大きくふれた時代です。舞台は地上の製鉄所。この時期に鉄鋼に関わりつつ頻繁に中国を訪問していましたので90年代末のこのどんよりした空気感を覚えています。というか工場の記憶しかない。世界経済に巻き込まれて成長しつつあるもののそれまでの社会主義システムの軋みが大きくなっているころの違和感。江沢民政権、大企業が大リストラに進んだ下岗の時代の暗さ。企業が大きくなり出して経営者や政府高官が豊かに見えるようになる一方で工員たちは食堂に群がり白飯をかき込んでいた。

主人公余国伟は製鉄所の警備員。普段所内の風紀を守るべく、窃盗犯などを見つけ出す。その正義感と実績で有能だとされている。仲間うちでも慕われ、組織からも模範的と評価される。公営大企業が社会主義の中で作ったシステムで計画に則って目標を達成する。模範職員は表彰され栄誉を与えられる。その中で一歩一歩進んでいる。でも彼が身を置く大システムは非効率となり、機能しなくなっている。そんな変化を彼も人々も認めたくないが感じざるを得ない。社会不安から犯罪が頻発する。かつて成長を支えた製鉄所ですらしかり。そんな折りに女性連続殺人が発生する。余は工場外部で発生した事件にもかかわらず自ら捜査に乗り出す。優秀な彼は仲間からもてはやされ彼の実力なら公安にでも入れると賞賛されるが、あくまで彼は今まで通り組織内で日々の仕事を全うすると嘯く。ただその実、鄧小平改革開放以来の、先に金持ちになって行った世間も彼には見えている。しかもその年、世界一の金持ち地区香港が体制に組み込まれた。そんな時代を背景に、彼も捜査に貢献して、あわよくば公安に抜擢され自らも飛躍したいのだろう、次第に度を超して事件にのめり込んで行く。

 街の繁華街は小香港という。香港とは似ても似つかないしょぼい街並み。色街で出会った女友達はリアル香港に出て美容室を開くという夢がある。豊かな世界がおぼろげながら見えてきた。手を伸ばせば届きそうな感覚を与える。製鉄所には四方にレールが敷かれ原料が運び込まれる。世界とつながっている。でも自分たちは土地と体制に縛られている。と思い込んでいる。外に出たい。空間的にも組織的にも。でも思い切れない。過去の延長に少しの逸脱を加えて変わろうとする。殺人事件の犯人を挙げれば、なにかを変えられる。そのうちに犯人らしき影が女友達のそばにちらつく。

中国が大国になった今振り返れば、成長へのテイクオフの一過程であったと思えるが、そこにいる大衆からすると明日も見えない不安の極致だ。意思を持てば持つほど不安が募る。この映画、ずっと雨が降っている。冷たいしのつく雨。いつ止むかわからない。どこが前線かもわからない。どのくらい大きな雲なのか?「迫り来る嵐」暴雪将至(暴雪がまもなく至る)。最後の場面は2008年。世界ではオリンピックが賞賛された年。10年間の経済発展とはなんだったのか?暗示的。

以上


# by zhuangyuan | 2019-01-14 19:44 | 中国関連DVD、本 | Comments(0)
2018年 11月 11日

映画「十年」のリアル日本

d0018375_21094315.jpg
香港で大ヒットした映画「十年」徐々に大陸中国に取り込まれてゆく香港の十年後を描いた作品だった。この映画の日本版が公開された。是枝裕和監督がプロデュースして5人の若手監督がそれぞれのテーマで短編を作った。

香港ではイギリスから中国への返還があり強大な中国共産党が統治する体制と現政治制度の基本的相違が存在する。その状況下での十年となると悲観的な未来像が容易に想像できる。ところが日本は体制は変わりそうにないし、人口構成は変わるが、十年というとすぐそこのような気がして、日本版が作品としてリアリティを保てるのかと疑問を持った。

ちなみに香港版のテーマはこんな感じ。

国家安全条例制定
歴史の破壊と保存
消えゆく広東語
独立運動と焼身自殺
言葉狩り

以前ブログに書きました。

言語好きとしては言語統制による支配政策が特に興味深かった。広東語と結びついた歴史と文化を中央に画一化することで効率よく政策実行できる。

日本版のテーマはこれだ。
高齢化と安楽死
データ遺産
教育と監視
核汚染と地下生活 
徴兵制

鑑賞前の心配は当たらず、どれもキレ味があり、現実味が迫って身につまされる。

初め作品PLAN75の世界では75歳で安楽死を選べる法律ができている。

こんなエピソードを思い出した。

父と同年齢である私の友人は数年前に突然死した。ベッドで本を読んだ姿のまま起きて来なかった。2日後に私と食事の約束があったのに。彼は生前言っていた。「母ちゃんボケちゃって、旦那のオレが見舞いに行ってもな、オレは毎日初めて会う人なんだよ。施設のカネも払えなくなるからあと5年で一緒に死のうってあいつに言ってんだ。向こうには通じてないけどね」そんな彼が先に逝った。

「いたずら同盟」で描かれるのは、将来の成功に向けて効率よく勉学に励むべく小学生たち。ソフトウェアに管理され、AIに監視されている。約束された将来のために無駄なことはさせない。外れた行動をすればヘッドセットから戒めの声。挙句はオートパニッシュメント。

この作品も受験生を子に持つ親として他人ごとでない。今の東京では都立高校入試は内申重視。主要5科目以外の4科目に倍の配点があり、各科目は細かく評価ポンイントが分かれ、関心、意欲、態度に重点が置かれる。筆記テストの点以外がより重要。成績をつける側の主観で配点される。要は従順な組織人候補が加点される。古い。映画の主題と重なるが、大きな背景のもと教育目標が決められ、それに応じた評価システムが組まれる。そのシステムも数値化できない部分は主観に委ねれれる。大組織の効率化で勝てた成長時代はとっくに終わっている。この作品でも目標に向けた無駄のない効率化した行動を促される。どこかの誰かが正しいと決めた目標に向かってね。

徴兵制の世界を描いた「美しい国」では若い広告代理店営業マンとベテラン女性ポスターデザイナーの関わりが物語の主軸だ。木野花演じるはちゃめちゃなデザイナーの部屋には父親の軍服姿の写真がある。

昨年亡くなった祖母の枕元には戦死した祖父の写真があった。軍人として満州にいて帰国した赴任先が広島。そこで世界の実験台にされた。弱冠23歳。私よりずっと若い祖父は私にそっくりなのだ。祖母は戦争の話は自分からはしない。ただいつも前向きで僕らを励ましてくれた彼女がアメリカのことはひどく憎んでいてアメリカの食べ物は一切食べなかったと死後に聞いた。リアルに戦争を体験した最後の世代が消えてゆく。「美しい国」記憶と乖離した絵空事のような響きが怖い。

どの作品も自分の過去と未来を想起させる現実感の伴ったものだった。いい作品を観ると脳が刺激され沢山の記憶がつながりイマジネーションが湧いてくる。

物語の肝には触れてませんので皆様作品をお楽しみください。

以上


# by zhuangyuan | 2018-11-11 21:09 | 映画 | Comments(0)
2018年 08月 12日

Adiosと言わないで

d0018375_07443787.jpg

映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ Adios」

多幸感に包まれて見終えた。

1997年CD発売と1999年の前作映画公開によりキューバで眠っていた彼ら往年の名プレーヤーは世界に再発見されスターになった。

CDは売れに売れ、世界に呼ばれて公演する。人気に戸惑いメンバー紅一点オマーラがつぶやく、

「なぜ今、この音楽がみんなを喜ばせるの?この曲の苦しみの背景は理解されているの?」

歌をあきらめ、というより幻滅して捨て、声をかけられた時には靴磨きをしていたというイブラヒム・フェレールも訝しむ “Ahora” なぜ今になって?

本作は「発見」以前の彼らの波乱の人生と、さらにはキューバという国の成り立ち、音楽の来し方を描いてくれる。音楽が彼らを作り、苦しみの中の彼らを支え、そして輝かせた。悲しい歌詞を含んだ静かな調べでもキューバのリズムに乗せると優しい曲になるのはなぜだろう?

私がブエナビスタに触れたのはリアルタイムではない。2015年アメリカとの国交回復が決まり、古き良きキューバが変わるかもしれないという機会に旅行した。その前にキューバと関わるものになるべく触れようと映画もずいぶん観た。ブエナビスタには胸を打たれてCDはほぼ毎日聴いた。キューバという国の成り立ちに関しても本を漁った。

キューバという国は、というか島はコロンブスによる「発見」後、スペインの植民地になる。ヨーロッパから持ち込まれた疫病と重労働で先住民は全滅し、今住んでいる大多数はアフリカ由来奴隷か、ヨーロッパ植民者の子孫か、その混血だ。つまり全部外来。ちなみにキューバ革命の英雄チェゲバラはアルゼンチン人だが、外から来たとしても全く問題はないとカストロも言っている。さらにいうと島の植物も外来種ばかりだという。植民時代のプランテーションの影響で原生植物は消えた。

つまりキューバという国は外から来たものがミックスしてできている。音楽もしかり。アフリカ由来のリズムとヨーロッパ音楽が溶け合った。つまり奴隷たちも音楽に支えられて生きてきた。映画によるとそのキューバ独特の音楽が最盛期を迎えるのは1950年代というから皮肉なものだ。スペインから独立を果たしたあとはアメリカ保護下に入る。禁酒法の時代にはアメリカマフィアはこぞって裏庭キューバを拠点とし酒を作った。戦後はバチスタがアメリカ保護のもと独裁者となりカジノとマフィアが栄える。そこで連日連夜音楽が演奏された。享楽の果実は民衆には届かず民は疲弊しキューバ革命に至る。その後はキューバ危機やら経済封鎖やら。

外来のもので成り立っているキューバは封鎖されたらたまらない。そもそも何もない島だから。冷戦時代はソ連のサポートを受けたが崩壊後は困窮に陥いる。華やかなステージは少なくなり、西側世界とは断絶し忘れられる。でも街には音楽が残ってた。ソ連共産党員もキューバに来て驚いたと本で読んだ。自分たちは極寒の地で悲壮な思いで革命した。カストロたちは歌って踊って政権取ったって。

アバナ(Habana)に行って驚いたのはやっぱり音楽。誇張ではなしに街じゅう音楽が溢れてる。食堂やらバールでもどこでも軽快なリズムと歌声が聴こえる。遠くで拍子木のように刻む音に吸い寄せられて打楽器を買っちゃったこともある。同じようにはできないけれど。
d0018375_07461239.jpg
d0018375_07474600.jpg

そしてついにライ・クーダーがキューバに行って再発見するのです。それが巡り巡ってグラミー賞取ってついにはアメリカカーネギーホールでライブをする。

スタジオ入り初日のに靴墨つけてたというイブラヒム・フェレールがライブを重ねるごとに生気を取り戻して行く映像はが神がかっているとしか言いようがない。

アルバムジャケットに写るのはスタジオ入り2日目のイブラヒム・フェレールだという。2日目にすでに見違えるようにビシっと決めてきた。
d0018375_07445088.jpg

この映画でお気に入りのシーンは彼が真っ赤なスーツを仕立てるところ。赤いの作りたいというイブラヒムに、「はいどうぞ」仕立て屋のお兄さんが生地を出すところ。赤って普通に売ってるんだね。

そのイブラヒムフェレールもすでに他界したのですが、人々の中には音楽とともに生気がみなぎった歌声で存在しつづける。ブエナビスタのメンバーたちも残り少なくなって来ているがAdios(さよなら)なんて言う必要ないよ。Hasta la vista(またね)でいいだろう。

以上


# by zhuangyuan | 2018-08-12 07:44 | 文化、歴史 | Comments(0)
2018年 08月 05日

フランスサッカー 恥辱から栄光へ

d0018375_10152756.jpg
ロシアワールドカップでのフランス代表Les Bleus 優勝の興奮が冷めやらぬ今日この頃、いや日本ではもう甲子園やらオータニさーんに関心が移ってるかも知れない。でもワールドカップ優勝ってのはその国にとっては歴史的大事ゆえ今後何年もいろんな影響を及ぼす。フランスは20年ぶりにエトワール(étoile 星)をもう一個追加したのですが、少し前2010年南アフリカ大会ではどん底にいた。フランススポーツ史上最大の汚点と呼ばれる事件が起きたのだ。と言いつつ私が知ったのは今大会中にネット見ててのこと。

 興味をそそられたのは98年大会の栄光から僅かの時を経てどうして崩壊したのか?そこから這い上がりトップに立つまでに何を修正したのか?特に知りたかったは民族の融合のこと。98年は国家の名の下に融合したBlack Blanc Buer(黒人 白人 アラブ人)が勝利を掴んだ。そしてチームは国の統合の象徴になった。でもすぐに幻想だったと言われる。その後どん底に落ちて、今回はチャンピオン。でもアフリカの優勝と言われた。この間に何があったのか?
d0018375_10180637.jpg

«Le livre noir des bleus, Chronique d’un désastre annoncé »
邦題は「レ・ブルー黒書 フランス代表はなぜ崩壊したのか」
直訳 「フランス代表黒書 予言された破綻の記録」

フランス代表はユニフォームが青いことからレ・ブルーと呼ばれる。知らない人には副題なしではなんのことやらわからない。

2010年南アフリカ大会グループリーグ。ウルグアイに引き分け、メキシコに負けたあと開催国南アフリカ戦を迎える前に事件は起きた。南アフリカ戦で4-0以上で勝たないと決勝トーナメントに行けないという崖っぷち場面だった。事件の原因はメキシコ戦にあった。ハーフタイムにロッカールームで選手が監督に暴言を吐いた。内輪揉め。ただこの閉鎖空間の話が外に漏れた。翌日のスポーツ紙の一面を飾ったのだ。協会は直ちに批判したアネルカ選手の追放帰国を決定した。選手たちは憤慨する。仲間を追放か?誰が漏らしたのだ?チームに不協和音が鳴り出した。

 そしてつぎの南ア戦を2日後に控えた公開練習日を迎える。その日は朝から生放送が入っていた。フランスにとってフットボールは一大事。ましてや優勝経験のあるナショナルチームのこととなれば国民の大きな関心事。そんななか代表チームの練習ボイコットは起こった。勝利が至上命題であったチームが移動バスから出てこない。全員練習ボイコット。国民の目の前で。理由はアネルカ追放に抗議すること。ちなみに彼が放った言葉はあきれるほどレベルが低い。

「オカマでも掘ってもらえ、うす汚ねえ売女の息子め!」
d0018375_10191180.jpg

それを載せる新聞もアホすぎる。

 本書はこの崩壊に至る歴史の因果や、チームをサポートするべき協会、OB、国家、政治家、サポーター、メディアのここへ至る混乱とほころび、さらには選手一人一人の因縁を解き明かしてゆく。筆者は代表取材歴20数年のスポーツ紙記者。ともかく熱い熱い筆致でひつこく細かく因縁の糸を解いてゆく。フランス人のフットボールへの熱量の大きさを思い知る。

 監督ドメネクは、長期政権で成績が上がらないにもかかわらず協会内の政治バランスの結果残留しチームでは求心力を失っていた。代表メンバーも強力なリーダー不在でキャプテン、エヴラもまとめられない。結束力はなくなり分解直前であったとう。象徴的なのはスーパースターアンリ。W杯4回出場、歴代得点王だがピークを過ぎていた。大会前に監督は引導を渡しに行ったが逆に説得されてアンリを再度選んでしまう。かつてのキャプテンは控えに回り、特別な地位は守りつつ、チームのことより自分優先。フランス語で代表監督はsélectionneur という。選ぶ人。その最高責任者が優柔不断な決め方をした。しかもその監督のポジションは大会後に交代することが決まっていた。求心力はもうない。

 そもそも長期になった理由は協会内のバランス。98年優勝メンバーが指導者年代になっていた。でも旧世代の嫉妬から98年組が中心になるのを妨害されていたそうだ。例えば82年大会で活躍したプラティニなんかが保守勢力。ロシア大会の監督デシャンは2008にも候補に挙がっていた。優勝したらしたでやっかみの対象になる。

 手綱を引けない監督のもとチームは独りよがりの集まりとなる。著者曰く、最高のプロ集団であるべき彼らのサッカーは校庭レクリエーションになってしまったという。

では民族間の対立はあったのか?
著者は断言する。

「人種間の融合がうまくいかなかっただの、宗教の違いだの、世代間問題だなどと言う他の読み筋は、それを利用したい者達の不健全な“エセ議論”に過ぎない」

「ムスリムがパンツ姿でシャワーを浴びようが、誰も困惑などしていないし、せいぜいハラル肉を食事に追加する程度で、それ以上の問題なら起きはしない。ジダンが、フランス代表に来るたびに特製パスタを作ってもらっていたのと、どれほどの違いがあるだろうか?」

「フランス代表の抱える問題は、ナショナルアイデンティティー問題などより、はるかにナショナルインテリジェンス問題だったのだ」

要はおバカだと言いたいのだ。

フランスは多民族社会であり特に旧植民地からの移民は数多くいる。アルジェリアなど北アフリカからはアラブ系、例えばジダン。サブサハラのアフリカからは黒人が来る。例えばティガナ。カリブからも黒人がやってくる。アンリやチュラム。彼らはもちろんフランス人。フランス語を流暢に話す。でも本書にもあるようにやっかみもある。

「黒人やマグレブ人が多すぎてフランスのような気がしない」

 でもフランスでは国として出身地域別に人口統計を取らないそうだ。出身地域がどこであろうとトリコロールのもと団結する。これが国の理念。

 著者も事件について語るとき、選手個人の容姿つまり肌の色について触れずに記述している。それは誰もが知る代表チームのことゆえフランスでは自明のことだからか、記述すると差別を助長することになるからか。私はそこに興味を持ちつつ本書を読み進めたが、キャプテン、エヴラが黒人であるのを知ったのはずいぶん終盤になってからだった。私が人種問題に興味を持ったのももしかしたら偏見付きの野次馬根性的なものに過ぎず、フランスフットボールにおいての融合はその世界の中にいる人間にとっては意識すらしないほどに進んでいるのではないかと夢想してみる。

 フランスは優勝した。チームとしてまとまった黒人の活躍が賞賛された。エムバッペやカンテはスーパーヒーローだ。ドイツは負けた。エジルは自らの出自への協会の差別があるといい代表をやめた。

著者も言う
「美しき一大叙事詩に向かっていくチームと壁に激突していくチームの違いは、フットボールの世界ではあまりに微妙だ」

 最高レベルの現場ではディテールの違いが大きな差を生んでしまう。最高のインテリジェンスがコレクティブに力を発揮すれば勝てる。しかし細かなすれ違いが失敗につながり敗北を招く、敗北が問題をさらに大きくするデフレスパイラル。

勝利では回転が逆になる。
フランスの今後のさらなる活躍を期待する。

以上






# by zhuangyuan | 2018-08-05 10:15 | 時事 | Comments(0)
2018年 06月 24日

スイス代表シャキリ 「双頭の鷲」ポーズってなんだ?

スイス代表がセルビア代表に勝利し、決勝ゴールをあげたシャキリがぴろぴろポーズ。これはちょうちょじゃありません。双頭の鷲、アルバニアのシンボルなんです。国旗にも描かれている。

 そもそもスイス代表なのになんでアルバニア?シャキリはコソボ出身。4歳で両親とスイスに渡ったという。コソボはセルビアから独立したアルバニア人国家です。(セルビアは独立認めてません) ちなみにシャキリはShaqiri とかきますがアルバニア国家の原語名はShqipëriaなんか関係ありそう。鷲の国ってこと。

その双頭の鷲ポーズをセルビアを撃破したゲームでやってしまった。旧ユーゴ内戦は複雑に絡みあった構造がありますがセルビア人によるアルバニア人排斥が大きな要素の一つ。そこからNATO空爆につながるのです。

アルバニアに旅行行く前にいろいろチェックしたので再掲します。

そんな両国はかつて国際マッチで観客交えた大乱闘もやってます。サッカーは戦争だというけれどFIFAが政治ネタに敏感になるのもわかります。





でもねアルバニア人はいいか悪いか小さな独立国家ですから愛国心が強いのです。あのポーズもみんながやってます。セルビア相手にやったらいけない。
かつて世界の火薬庫と呼ばれたバルカンは宗教民族歴史が入り組んでますのでそっとしとかないといけません。オシムさんもそれで旧ユーゴ監督辞めました。
以上



# by zhuangyuan | 2018-06-24 05:18 | 文化、歴史 | Comments(0)
2018年 06月 17日

モスクワ タクシー事情 闇の世界を垣間見る

d0018375_18402633.jpg

初めてのモスクワ。ホテルについたの午後6時を回っていた。日の入りは9時過ぎだというのでちょっと散歩に出かけることにした。レセプションでもらった地図を開くと赤の広場までそう遠くない。初めての街でタクシーはなるべく乗りたくない。周りをじっくり観察しながら歩きたいのだ。モスクワ中心部は歩くには不便な道だった。道路の幅がやたらと広い。共産国家の名残りかな。歩行者用信号がほとんどない。横断するのにひと苦労。立体交差だったり、地下道入ったりでやっとこさ1時間かけて到着した。

なんと広場は封鎖中。ワールドカップイベントの設営か資材が積み上がってました。広場周りの赤い建物は深く鈍く光る。ともかく何枚か写真を撮り、あわただしく帰途に着く。食事の予定があるからだ。歩いてでは間に合わないのでUberを呼ぶ。現地の会社Yandexに買収されたようだがUberアプリは使えた。しかし配車はしたものの結局は幅広の道路で落ち合うことができずに、やむをえずキャンセル。キャンセルフィーはしっかり取られた。

最後の選択はタクシー。並んでいるタクシーのひとつに声をかけた。「ホテルまでお願い」「メーターでいいね。料金はこちらに」と細かい字が並ぶボードを見せられた。VISA、Masterの文字だけやたらとでかい。

「カードで払える?」
「キャッシュオンリー」

iPadに表示されるメーターをゼロにセットしてスタート。画面にはたくさん数字が表示され、どれが料金かわからない。とりあえず出発。

ドライバーは太った不精ひげのお兄さん。ダッシュボードに招き猫がいる。なぜか中国で買ったそうな。イスラエルから来たという彼は英語はそこそこできる。これはちょっとした安心ポイント。ロシアは英語がまったく通じない。というかみんな話す気がない。英語に媚びてない。彼はジョージア(グルジア=ソ連邦)で生まれ育ち、両親とイスラエルに渡った。金を稼ぎにモスクワに。「ロシアはいいよ。他人の宗教に関心はないからね。テルアビブはそうじゃない」
「テルアビブね。首都だね」
「首都はエルサレムだよ」
だよね。 ちょっと聞きたかっただけ。

彼は本業はエコノミストでドライバーはセカンドジョブだという。

「お金持ってたこともあるけど全部カジノですっちゃったよ。2ミリオン負けて祖父のマンション3つ売ったんだ。Stupidだったよ」と嘆く。

なんかあやしい展開。金をせびられないかしら。まあともかく、世界に広がったジューイッシュの話なんかしながらフレンドリーな雰囲気でホテルに到着。

ホテル前に着くとゲートに入らずに、料金を伝えてきた。12,000ルーブル。ん?高すぎる。しかもホテルのゲートを入らないのが怪しい。とっさにスマホで計算。200USドル弱。来たあ〜!久しぶりにはまった!

渋滞があったが乗車時間は20分程度でしかない。直線距離で4キロ。

「高すぎる!払わない!」
「なに⁈オレはボード見せて説明したぞ、ユーはアグリーしただろ!」
”No, I don’t pay! It’s too expensive! Ridiculous!”
“I know it’s expensive but you agreed. It is VIP taxi. You see?“

と言いつつ再度乗車時のボードを見せるおっさん。確かにVIPの文字。小さな文字でちょこっとね。でも書いてあろうがなかろうがただの古い日産車じゃないの。ともかく払わないと再度宣言。

車から出ようとレバーに手をかけるとロックがかかって中から開かない。やばい。これはマジもんだ。閉じ込められた。さてどうする?

「ともかく高すぎる」
「じゃあいくらなら払うんだ?」とドライバー。
「10ドル」
相場ならこんなもんだ。
「ふざけるな!じゃあこれからポリスに連れてってやる!」おいおいまてよ。ぼったくりタクシーが開き直って警察かよ。おっとまじか。やつは再度車を出発させた。

車はぐんぐん進んでゆく。
だんだんびびってくる。
解決策が浮かばない。
どんどんホテルから遠ざかる。

「ヘイ、ノーティボーイ、車を止めろ。いくらなんでも高すぎる。オレは時間ないんだ。約束がある」

「ダメだ。こっちは時間はいくらでもある。この料金は会社の規定だからオレは会社に払わないといけない。オレにも生活がある。おまえがボスと直接話せ」

するとやつはスマホからどこかへかけ、ロシア語で何か話した。低い声のオヤジがスピーカーホンに出てきた。マフィアの口調だぞ。英語がやたらうまい。旅行者からたんまりふんだくってんなこいつら。これは脅しのパターンに違いない。

「おい、おまえ、10ドルしか払わないと言ってるらしいな。そんなのは許させないぞ。警察に突き出してやる」

やるならやれよ。でも警察もグルかもしれないな。もしかしたらニセ警官ってことだってある。ここは刺激しちゃいけない。電話のオヤジには無言作戦を取ろう。

「.........」


電話の向こうのボスはまくし立てて脅してくる


「...........」


「なんで話さないんだ?早くしゃべれ!」とドライバー
「ノー、オレは知らない奴と話さない..........」

無言を貫くと電話は切れた。

ドライバーが言う「いくらなら払うんだ?」
「10ドルだ。キャッシュ持ってないし」
「USドルでもいい。ユーロでも、円でもいいぞ」
「じゃあワンサウザンド円なら払う」
「そんなのラビッシュじゃねえか。ロシアじゃ交換したら5ドルだぞ!」と言いつつ財布から各国紙幣を取り出す。何枚も溜まってる。円のお札も入ってる。

「オーケー、10,000ルーブル(160ドル)に負けてやる。これがファイナルだ!おまえが料金にアグリーしたことは車載カメラに全部映ってる。警察行ったら負けるぞ」

「オレはアグリーしてない。そんな馬鹿げた金額払わない。ユーのIDカード見せなさい。スマホに撮ってフレンドに送るから」

「オーケーID見せてやる。撮るなら撮れ悪いのはおまえだ」と財布を探る。

結局IDは出さない。

するとやつは車を路肩に止め、もう一度電話をかけた。今度はスピーカーホンにせずにロシア語で何か報告している。そしてUターンさせてホテルへの道を戻り始めた。どうやら最後のヤマが来たようだ。

「5,000ルーブルにしてやる。これが最後だ。オレにも生活がある。モスクワはワールドカップで物価が上がって大変なんだ」

勝負はついたかもしれない。交渉ごとで連続2回譲歩しちゃいけない。妥結への焦りが見える。しかも生活の苦しさを訴えるとは、高額請求の根拠が弱いことの証拠だといえる。

「ダメだ。10ドルしか払わない」
ここは意地の張りどころ。
「.......」

しばらく走りホテル前で再度Uターンしてゲートの外で止まった。

「5,000ルーブル払え」
「ノー」
「じゃあいくらなら払うんだ?」
「2,000ルーブル」決めどきがきた。

「じゃあまず2,000払え」
お!ゴールが見えたか?

「まず2,000渡せ、そしたらドア開けてやる」
そうきたか。渡したら次の請求くるんだろ。

「ドアが先だ」
「ダメだ。金が先だ」
「ノー、信じられない」
「じゃあ助手席に2,000ルーブル置け」

とりあえず財布から1000ルーブル札を二枚取り出す。財布があるのを見せるのはリスクだが仕方ない。

「2,000出せ」

とりあえず1,000ルーブル札を助手席に投げた。

「もう一枚はドアを開けてからだ」

とうとうやつは運転席ドアを開けて外に出た。バックシートに周りドアに手をかける。開かない。どうやらさっき私が出ようとして何度も試行していた時、逆にロックしてしまったようだ。彼は助手席席から後部席に手を伸ばし、ついにロックは外された。私は外に出て残りの1,000ルーブルを手渡した。紙幣をもぎ取った彼は運転席へと進んだ。しかしすぐきびすを返してこちらに戻ってきた。私も身構える。まだなんかあんのか?

なんのことはない。私が後部ドアを閉めてなかったのだ。日本なら自動で扉は閉まるからね。彼は走り去っていった。スマホでナンバープレート撮るのはやめておいた。相場の2倍以上だが、こっちにも落ち度はあった。やむなし。

相当険しい表情をしてたのだろう。道にいたこれまたイカツイ金髪角刈りお兄さんに話しかけられた。

「たくさん払ったのか?」
「イエス。ずいぶん値切ったけどね」
「モスクワのタクシーは気をつけろ。マフィアだからな。赤の広場からきたんだろ?あそこのタクシーはみんなおんなじだ」

あとでこの顛末を現地に住むヨーロッパ人に話した。彼の知人も同じ目にあったという。その時は胸ポケから拳銃出してダッシュボードに置いたそうだ。被害者は大通りの真ん中でドアから飛び出して逃げた。ロックされてなかったらしい。

ホテルでタクシー事情について再度検索してみた。
やっぱり書いてある。出発前に一応は調べたんだ。
「モスクワのタクシーは今やみんなメーター式で明朗会計です」

明朗と言えなくもないけどね。正しくはぼったくりという。

あいつはいいやつだと思ったんだけどな、やらされてただけなのかな?どこからが嘘か教えてくれよ。借金のかたにされてさ。 ワールドカップ時期なんかは掻き入れどきだからノルマとかあるんあろうな。

以上



# by zhuangyuan | 2018-06-17 18:38 | 時事 | Comments(0)