中華 状元への道

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2016年 11月 07日

隣国の選挙を前に歴史を振り返る

今週は米国大統領選挙です。

カナダ、バンクーバーに着くとさっそくその話題に。

「今日クリントンメール問題でいいニュースがあったよ。」

「でも彼女人気ないでしょ?アメリカ人はクレバーな女性より、シリーな男が好きなんじゃない?」

「トランプはSillyじゃないCrazyだ!カナダでもみんな心配してる。ああいうレイシストは絶対にダメだ」とトランプをこきおろす。「でもクリントンが勝ってもトランプ派が暴動起こすかもしれないな」

「そういえばカナダは人種差別深刻じゃないの?」
「とっくに解決したよ」とバンクーバー生まれの白人の彼が言う。

そんなカナダでもパールハーバーが起きるとカナダでも日本人排斥運動が起きて、日本人街は接収され日系人は強制収容所に入れられたと言います。当時日本人街はチャイナタウンの隣にあって同じくらい大きかったといいます。

カナダでは戦後しばらく経って強制収容に対し日系人に賠償金が払われ公式に謝罪したそうです。

「でもね日本軍はバンクーバーにもアタックしたの知ってる?」

「いや知らない」

「サブマリンから魚雷撃ったり、バルーンでボム落としてフォレスト焼いたんだよ」

ぜんぜん知らない。お恥ずかしい。

「戦前に日系人はバンクーバーに野球チームも持ってたんだ。アサヒって言うんだよ。連勝記録は未だに破られてないはず。」

そういえばそんな映画がありました。
「バンクーバーの朝日」
帰ってから観ないとね。

「彼らはとても人気があった。でも彼らのボールパークも壊されちゃったよ。戦後に公園になって名前が変わったんだけど、どんな名前だと思う?オッペンハイマーパークって言うんだ。アトミックボム開発した人の名前さ」

実際にはかつての有名な市長の名前からとったことになっているといいますが、あのオッペンハイマーを連想しないはずがないと。最低な命名だね。

人種差別ってのは普段みえなくてもなにかあるとすぐに頭をあらわすんだろうな。

夜の日本人街跡にはオッペンハイマーパークが静かに佇み、ホームレスがテントを張っていました。
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以上
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by zhuangyuan | 2016-11-07 19:56 | 時事 | Comments(0)
2016年 08月 14日

映画「湾生回家」 こころのふるさと台湾をおもふ

「灣生回家」という映画が台湾で大ヒットしたのは知っていました。台湾生まれの里帰り。

戦争前に台湾で生まれた日本人が台湾に帰る。そのころ子供だった人たちの故郷への想いと帰郷を綴ったドキュンタリーです。

そんな映画がヒットするのが台湾なんです。


敗戦まで台湾は日本でした。日清戦争で割譲されて以来、自国での人口圧力緩和のために台湾に続々と移民し開拓しました。

戦争で敗れると自らの意思とは別に日本に引き上げていった。その間50年ですから台湾で生まれて育った人たちがたくさんいたわけです。

引揚者の数は48万人。


数字で書くと膨大すぎて物語が浮かびませんが、そのころの子供にとってはふるさと台湾が人生のすべてだったのです。

大人たちの理不尽な戦争によって生まれた地から引き離される。家も友達も遊び場もすべて突然失うのです。

こころのどこかでずっと思い続けた台湾に人生の晩年で帰るひとりひとりを追ったのです。


台湾に出張に行った際、会食の席でこの映画の話になりました。私が観たいと言っていたら後日、本を送ってくれました。


その後、別の機会で再度台湾を訪れた時、ついに観る機会がやってきたのです。

映画を知った時にはすでに上映が終わってましたのでチャンスを待っていました。


その日は結婚式の披露宴に呼ばれており、昼間はフリー。Facebookで隣町の市民ホールで上映があるのを知りました。

市役所庁舎でチケットを配るというので早めに行って券を確保。なんと無料でした。

開演時刻にホールに入るとデカさにびっくり。3階席までありました。しかもすでに2階席までいっぱいです。


こういう映画にこれほどまでの人がつめかけるとは台湾の親日ぶりがうかがえます。

日本時代に教育を受けた方は今ではかなりのお年ですが流暢な日本語を話されますし、友人の伯父さんは今でもNHKしか見ないと言います。

そんな台湾だからこそのホール満員。まあ年配の方が多かったですが学生っぽいひとも結構いました。

親子で来てるケースも。私の席は空いてる席でゆったりと思ったのですが後から来たおばちゃん軍団に囲まれてしまいました。


困るんですよね、おばちゃんたち。だって号泣するんだもん。

鼻をズーズーさせてさ。オレも泣いちゃうじゃんかよお。

3回涙が出ましたよ。おばちゃんのせいで。


ふるさとを思う気持ちってのはここまで強く重いものなのか。

国家とか国籍とか子供にとってはどうでもよくってそこで過ごした幸せな時間とその土地の街並みもしくは山や川。

突然見知らぬ日本につれていかれ、さらにはその国では必ずしも歓迎されない。それどころか排除される。

ただでさえ食糧難のところに400万人が世界中から引き揚げてくる。


疫病の心配もいわれ島に隔離されたと言います。徳島の島には台湾村ができたと本にあります。

そこも一から開拓しなければなりません。でもそこは故郷台湾の花蓮にそっくりだったと。


花蓮出身の湾生松本洽盛さんのエピソードが印象的です。


回到日本後他一看到「牛」,就想到台灣,因為小時候常在牛背上睡覺,
雖然上面有許多蒼蠅飛舞,嗡嗡的聲音很吵,但卻是回到日本最懷念的景象……

日本に戻って牛を見るとすぐに台湾を思い出すんです。小さな頃牛の背でいっつもいねむりしてたからね。蝿が飛び回ってブンブンいってるのにね、それが一番の思い出のシーンなんだよ。


彼は牛に乗って遊んでいたそうですが、彼の牛は牛同士の争いになると無敵の強さで信頼しきっていたそうです。

ある日とうとう負ける日が来た。

彼はショックで家に帰っても涙が止まらなかったといいます。

ぎらぎら照りつける太陽のもと田舎のあぜ道を牛に乗ってゆったり進む少年。

これだけでじわっときちゃいます。この日々は帰らない。

でもね、彼は戻ってサトウキビを食べるんです。想いに耽りながら。


敗戦引き揚げは当然別れもうみます。親子の別れも。

片山清子さんは台湾人の養子として育った。芸妓だった母親は敗戦後も残留したかったが技術がないために引き揚げる。

できるだけ早く我が子を連れに戻ると言い残し、全財産を置いて日本に引き揚げた。

しかし戦後の混乱期、迎えに戻った時にはすでに預けた家はなく、子供と会えずに生涯を終えたのです。

残された清子はいつも嘆いていたとその娘がいう。


「我的母親一直怨嘆著她媽媽為什麼要拋棄她!」
母さんはいつも恨めしく嘆いていました。ママはどうして私を捨てたのって


悲しすぎます。

そして人生の最後を迎える間際に娘と孫が清子の母親の足跡を日本で辿る。

お孫さんは日本語勉強してるんです。一生懸命学習した日本語って感じが胸をうちます。


そしてもっともグッときたのが綺麗なおばさま湾生、家倉多恵子さんのお言葉。

彼女のお父さんは台湾総督府の役人だった。戦火が激しくなり花蓮に疎開した。彼女は焼かれる故郷を丘から見たといいます。

花蓮で敗戦を迎え、日本引き揚げる。台北には帰らずに。

そこは底冷えのする敦賀の寺。その後ずっと台湾を思い続けた。


「原來我是永遠的異邦人,我對台灣的思念是到死都放不下的。」
「私はずうっと自分が異邦人だと感じてたの、台湾への想いは死ぬまで放せませんよ。」


異邦人

感じるんですよ私も。

私は引揚者でもなんでもありませんが海外にいる時に感じる疎外感。

時には東京でもね。

誰でもある感覚なのかな。

子供の頃に自らの意思とは別に急に失った世界。

どこへ行っても異邦人。


11月に岩波ホールで上映決定だと言います。

必見。



以上


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by zhuangyuan | 2016-08-14 20:45 | 文化、歴史 | Comments(2)
2016年 08月 11日

東インド会社のお嬢様が世界を切りとった


先日マーガレット・キャメロン展会に行ってきました。
青い日記帳さんのブロガー内覧会です。
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19世紀のイギリス女性写真家です。私は今回参加するまで知りませんでした。写真が世に出て間もないころにしかも女性が芸術に昇華させている。

このキャメロンさん、48歳から写真はじめて極めちゃった。そもそも写真が身近にあるっていうんだからいいご身分に決まってる。それもそのはずお父様は東インド会社勤務で、自身はカルカッタで生まれたって。日が沈まない帝国ですね。

どうらくではじめた写真に自信がついて美術館に売り込んだって。この自信のほどが半端なくてがすごい。さすがお嬢様って感じ。その手紙も展示されていました。

‘I write to ask you if you will… exhibit at the South Kensington Museum a set of Prints of my late series of Photographs that I intend should electrify you with delight and startle the world’
南ケンジントン美術館に私の最近撮った写真シリーズを飾ってくれないかしら。その作品はね貴方を喜びで痺れさせるわよ。そして世界を驚かす。


どうですこの自信?

時は明治の頃ですから写真なんてとても珍しく、はいポーズどころか、ずううっと止まっていなきゃならない時代。撮る方は箱を抱えて布かぶって。とられる方だって緊張しちゃいます。一生の記念に気合の一枚。

ポートレートも記録用として表情も硬いものがほとんどの中で
彼女の写真は、というか作品はポスターにあるように生気がみなぎってるんですよね。

彼女のスタイルは当時としては奇抜だったそうでどアップだったりボケをあえて入れたりとそれまでの杓子定規なタイプと違います。同時代の他の写真家作品表情も展示がありますので一目瞭然でした。女性を撮った作品が多いのですがどれもがなまめかしい表情をしているのです。でっかい機器で被写体がじっとしていなければならないはずなのに、このリアル感が出せるのは彼女の実力の証しといえるでしょう。ドキっとしちゃいますよ150年の時を超えて見つめられると。何かを私に訴えてくる。
宗教画だったり著名人のスナップだったり色々テーマがありましたが
私が最も気になったのはインドの写真。マドラスの民族を撮ったもの。
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宗主国の貴婦人にカメラを向けられていっさいおもねることなく人生を達観したような眼差し。植民地でのイギリス人は武力、財力で統治したわけですが、インド人のあの表情を見ると、すべての歴史上の欺瞞はお見通しといった感があります。威張っている英国紳士もさぞかし自分の浅はかさを内心で恥じたことでしょう。

他にも吟遊詩人だったりアフリカの皇太子だったり
世界を制覇していた頃のイギリスの力を感じさせるスナップも残してくれています。

インスタが世界中でもてはやされ、高校生や中学生までもが毎日写真を何枚も撮り世界で共有する。
今では当たり前のものが奇異の目で見られ、それが市民権を得ていく。スマホ時代の起源を今観ておくのも一興ですよ。


以上


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by zhuangyuan | 2016-08-11 10:36 | 文化、歴史 | Comments(0)
2016年 08月 06日

ブラジルはやっぱりペレ

Pelè 伝説の誕生」鑑賞


想像を超えるスケールの大きな映画でした。ペレの生い立ちだけでなくブラジルサッカー、そしてサッカーそのものの歴史まで、ともすると大航海時代まで視野に入った壮大な物語と言えます。


正直観るつもりはなかったのですが、その日は2つの街で3つの映画に振られ、帰るのも悲しいのでPelèにしました。


私も小学校から大学までは結構真面目にサッカーやってましたし、今も小学生のコーチだったりしますのでペレの偉大さは知っています。でもね俳優がサッカーして、ペレですって言われてもしっくりくるわけないですし、アニメだって上手くできないのに特撮でも無理でしょって。アニメと言えばキャプテン翼がテレビ初放映した時のショボさはわすれられない。ましてやペレですよ。


しかも今ペレってことはリオ五輪便乗というかプロモの一環でしょうからこの点も期待を下げる要因でした。でもなんでオリンピックでペレなんだよブラジル?サッカーワールドカップ決勝のゲストに王貞治を呼んだNHK並みじゃない。


後日ラジオで知ったのですが、実はこの作品はブラジルワールドカップの前に出来るはずが間に合わなかったのだといいます。なんともブラジルっぽいエピソードです。この映画を観ていればブラジル代表のモチベーションが上がって、ドイツに世紀の大惨敗をすることもなかったかもね。この映画ではブラジル代表が背負ってる歴史的役割を再認識できるから。

その2014のドイツ戦ってのはブラジルサッカー史上に残る惨劇と言われてます。なにせ地元開催で17ですから。でもそれよりも大きな悲劇が1950年にあったんです。マラカナンの悲劇。Maracanaço。ワールドカップ決勝リーグがリオのマラカナンスタジアムで行われ、ウルグアイに負けて優勝を逃したのです。


映画はここから始まる。

1950年のこの試合に負けたブラジルは国全体が沈み込みペレの尊敬する父親も落ち込んで泣いてしまう。じゃあ僕がブラジルを優勝させるって。当時10歳。そこから初めてのワールドカップ出場の17歳までを描きます。


ぼくらはペレ以降のサッカー、ペレ後のブラジルしか知らないのですが、ペレ前の世界、つまり王様なしの時代が当然あったわけです。ブラジルは当時まだワールドカップ優勝していないし、マラカナンで敗れたブラジルの個人技優先のスタイルは酷評されてたんですね。ヨーロッパの組織サッカーが優れていると。そして個人技は封じられる。


ジンガ。

ブラジルサッカー独特のステップ。これを抑えられてた。

このジンガの歴史と開放、爆発がこの映画の肝です。


ブラジルは移民国家で他民族混合ですが、多くはアフリカから奴隷として連れてこられた。なかには白人に抵抗し逃亡し山にこもって武装した人たちがいました。いわゆるマルーンです。Maroon。彼らは格闘技も習得し、そのアフリカ由来のカポエイラからジンガが生まれたと。そのステップがブラジルサッカーの魂なのです。


それを欧州サッカースタイルに勝つために封じられる。

でもね、17歳のペレは違うんですよ。ファベーラで育った黒人ですからね。

ジンガを爆発させて大活躍するんです。賢い組織されたサッカーを歴史が宿ったジンガサッカーが打ち破る。世界の歴史を反転させるような意義があったんです。ペレ以前はブラジルサッカーにおいても白人優位だったとは全く知りませんでした。


映画を観る前に、自分よりずうっと若いコーチにメッシとマラドーナはどっちが実力が上だと思うかと聞かれたことがあります。マラドーナの方がずっと好きだがチームのシステムの中で機能するという意味でメッシが上なんだろうねと答えました。この質問は常に繰り返され、ペレとマラドーナ、ペレとクライフなんてみんなが比べたことでしょう。正直言ってペレのプレーを今みるとピンとこないんです。というか理解できていなかった。速い、柔らかい、強い、高い。だけどサッカーのシステムとしてどうなの?って。でもねここが映画の肝だったんですよ。ブラジルはこうじゃなきゃいけない。ロナウジーニョなんかまさに血を引いてますよね。


いやあ面白かった。

で今リオ五輪がまさに始まるのですが

ブラジルはペレなんですよ。

なんといっても。


自慢しますが私ペレの足触ったことありますよ。リアルに。


以上





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by zhuangyuan | 2016-08-06 09:31 | 文化、歴史 | Comments(0)
2016年 01月 23日

「非情城市」が描く台湾 それは声を失った男

侯孝賢監督「非情城市(1989公開)」鑑賞。
早稲田松竹。

日本時代が終わってから1949年に国民党が逃げてくるまでの台湾本省人家族の物語とくに四人の兄弟を中心に描きます。

ずうっと観たかった。というより観なきゃいけないと思ってました。

日本に住む台湾人の方から228事件当時の国民党による弾圧様子を聞いて以来、関心を持っていました。でもねレンタルに出てないんですよね。

228事件とは大陸から来た国民党の悪性に台湾人が反乱を起こし弾圧された事件です。中華民国が台北に来て以来1897年まで戒厳令がしかれ、228事件はタブーです。それを侯孝賢がこの映画で破りました。228については以前も書きました。台湾と日本語 二二八って知ってる?

その描き方がリアルなんですよね。センセーショナルじゃない。台北で起きてる大事件が舞台である九份にも聞こえて来るのですが、大事件としての緊迫感がありながらも遠くから断片だけが顔を出し、家族から事件に関わるものが出ますが、事件は直接描かれない。人の噂であったり、ラジオの放送であったり。ラジオでは政府の反乱グループに対する懐柔であったり、脅しであったり。政府の放送は慌てた様子から姑息な擦り寄りへと移り、最後には残忍な牙を剥く。この変化がうまく表現されています。歴史上のどんな大きな事件でも当事者として関わることは滅多になく、時代の大きなうねりの端っこに触れるってのが市井の人々の歴史への関わりだと思う。でもわずかに触れた揺らぎが人生に思いもよらぬほどの影響を及ぼしたりするんです。

四人兄弟の長男は日本時代に街の顔役であった父の後を継ぎ、旧来の風俗を守りつつも、権力者が変わった世を戸惑いつつも気丈に生き抜こうとする。

次男は上海で日本語通訳をして帰国するが精神に異常をきたす。持ち直すも漢奸容疑で監禁され、再発する。時代の激動に合わせて、次男坊らしくうまく立ち回るも、荒波に飲み込まれ、道を外れると、これまた次男坊のひ弱さが露呈する。

三男は日本軍として南方に行き戻らない。

四男は幼い頃から耳が聞こえない。よってしゃべれない。
この役を演じるのは香港の大スター、トニーレオン。香港人でたいわんごしゃべれないから、四男をしゃべれない役としたとwikiにありました。その真偽はともかく、しゃべれないことが歴史の大河における台湾人を象徴していると感じます。

オランダ統治から清を経て、下関条約で日本へ割譲。日本配船で中華民国に戻る。その中華民国だって1911年建国ですから、日本に渡した後にできたわけです。そしてついには中華人民共和国誕生によって、大陸から国民党が逃げてくる。台湾というか台湾人に選択肢はなく、黙って翻弄されるだけ。

言葉も揺れます。マンダリンに台湾語そして日本語、国民党の蒋介石は浙江省ですからその辺り言葉と上海人もたくさん入って来ます。四男は常に筆談しますが、健常者もほんとに皆が意思疎通できるのは漢字だけでしょ。

言葉は違うけど顔はみんな同じ。広義ではおなじ民族でしょ。日本人だっておなじ。こんな言葉の状況をビビッドにあらわすエピソードが映画にも出てきます。228事件の頃、本省人(台湾出身台湾人)は外省人(国民党と大陸から渡ってきた人)への恨みから、徹底的に外省人を探しだしリンチを加えます。電車に乗った四男も外省人を探す本省人グループに尋問されます。「你哪裡人?お前はどこから来た?」と台湾語で聞かれます。四男は耳が聞こえませんから返事できません。次に本省人は日本語で聞くのです。「あんたどこの人か?」と。外省人は日本語できませんからね。答えられないと外省人と断定するのです。これはほんとにあった話。台北の228記念館にも同じエピソードが書いてありました。四男は答えられないので外省人だと思われ殴りかかられます。その時、四男はあがきながらも声を絞り出すのです。「私は台湾人だ!」これが四男の映画でしゃべる唯一の言葉なんです。

台湾人。かれのアイデンティティ。でも言葉はしゃべれない。
彼は日本を喋り日本風の名前を持つ女性と結婚し子供が生まれ家庭を持ちます。
そしてあらたな台湾人がそだつ。

以上



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by zhuangyuan | 2016-01-23 23:23 | 文化、歴史 | Comments(0)
2016年 01月 16日

生涯ベスト級の小説「狼图腾」が映画になった

映画「狼图腾」




日本で公開はいつなのよと待っていましたが
ひっそりと公開されてましたので危うく見逃すところでした。

邦題「神なるオオカミ」
小説の邦題と同じですね。

私は原文で読んだため、ゆっくり丹念に読みました。
読書人生のトップテンに間違いなく入る名作です。
完全に私のツボにはまりました。

中国語ブロガーさんたちとのウェブ読書会にも参加しました。
当時の私の投稿はこちら。
いい場面でしたので力をいれて書いてます。

文革時代に北京の知青がモンゴルに送られる。
草原では人間の活動も大自然の摂理の一部。
神が支配する草原で君臨するのは狼。
人々は生活の糧である牧羊を狼から守るのですが
敵でありながらも畏れを抱き崇拝の対象でもあるんです。
戦いつつも神の決めた絶妙なバランスを保つ。
これが草原で暮らす掟。

長老が率いる遊牧集団に若者2人が預けられる。
毛沢東の政策で知識分子が田舎に出向き農民や遊牧民として労働をさせるというもの。

つまりこのころ中央の意思が草原にまで届いている。
社会主義体制は神を否定し、エリートたちが計画をたて生産を行う。
神の摂理は気にしない。生産、生産、拡大生産。科学万能主義が草原まで達する。

青年たちは大自然の生活になじみ、草原とともに生きたいと思う。
しかし彼らの思想も都会育ちのもの。良かれと思いつつも草原の掟から少しずつずれてゆく。狼の子をこっそり飼っちゃうとかね。

小説ではとにかく自然の描写が圧倒的で、その中で生きる人間を含めた動物たちが翻弄されつつも、歴史の知恵で自然と折り合いをつけてゆく姿が描かれます。

これって映像化できるの?

映画化は嬉しいのですが、狼と馬の群れの戦いだとか、ブリザードの中の狼だとか、餌付けされて野生を失いつつもがく狼の子だとか、うまく表現できるにだろうか?CG使い過ぎて興ざめにならないだろうか?そもそも狼そんなたくさんいるの?

そんな心配は取り越し苦労でしたよ。
モンゴルの大自然も、獰猛な狼も、大迫力の戦闘場面も、
鎖に繋がれた小狼も。期待にたがわぬ映像でした。
小説の映画の権利を買ってから8年かけて動物を撮るのにふさわしい監督を探したというだけのことはある。

この動画に撮影秘話が出ています。映画みてからのほうがいいかもしれませんが。



俳優たちの演技も素晴らしい。
特に中央から派遣された生産隊主任の小役人演技が秀逸。
命令だからと言って自然の掟に背き、失敗したらスケープゴート探し。
上級のために生産あげます。短期間に。

これって60年代の話ですが、こうして自然は破壊されてきた。
計画達成のため、生産拡大のため。
それが改革開放以降は市場経済でさらに拍車がかかって、モンゴルの草原ばかりか地球まで破壊しかねない勢い。そろそろ経済成長至上主義をやめないといけない。
自然の掟に逆らうといつか報いを受ける。

モンゴルの風景にひたるだけでも観る価値あり。


以上

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by zhuangyuan | 2016-01-16 22:16 | 中国関連DVD、本 | Comments(0)
2015年 12月 27日

給料がエビ!?

ベトナム出張を前にアメリカ人弁護士と会食する機会があった。彼はよくベトナムに行くそうで仕事の苦労話を聞かせてくれた。
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彼がベトナムで担当しているのはエビの不当廉売について。もう10年以上やってるらしい。米国は外国が不当な安値でアメリカ輸出を行い、国内産業に損害を与えたと認定するとアンチダンピング税をかける。不当廉売だってこと。

ベトナムは世界有数のエビ輸出国であり、アメリカは輸入大国であった。そしてアメリカの国内業者が輸出国を訴えた。

そもそも不当な安値だってことの定義はというと。まず生産コストより高く売ってるか?そして国内に売るよりアメリカ向けのほうが高く売っているか?さらには政府から不公正な援助をもらっていないか?もちろんこれはアメリカにとって不公正であるかということ。アメリカは自由貿易を掲げておいて不利な取引があるとすぐ保護貿易にはしります。

「だいたいエビの養殖のコストをどうやって分析するの?」弁護士に聞いてみた。

「これが難しいんだよね。だってね初めの頃なんて給料をエビで払ってたからね」

これはびっくり。
養殖場のおばちゃん達の家では毎日エビご飯だな。

国内向けとコストを比べるっていったって同じもの売ってるとは限らないので、コストも細かく分析しなけりゃならないって。

例えば、売るときは殻をむくコスト。足だけとるコスト、尻尾までとるコストなんて風にコストを確定してくんですって。

見渡す限りのだだっ広い養殖場で水揚げされたエビを無数のおばちゃん達がさばいてく。
そんな細かいコスト計算なんてしてないとおもいますけどね。弁護士としては形式をしっかりつくらないと裁判でたたかえない。

ちなみに一番よい品質のエビは日本向けだといいます。とにかく形や大きさそろってなければいけない。傷がついてもガクンと値段が落ちるって。不揃いキュウリみたいな扱いになっちゃうんでしょうね。日本むけだと。味は変わらないのにね。

「そもそもの疑問はアメリカでエビ養殖してる人なんてそんなたくさんいるの?」

「いい質問だ。国内業者もベトナム人なんだよ。」

ベトナム戦争当時、南ベトナムからたくさんアメリカに渡った。戦争が終わっても共産政権から逃げるひとがアメリカに定住した。そしてエビの漁をやったり、養殖したりと生計をたてていった。

そのベトナム移民が本国の輸出を訴えたというのだから歴史の皮肉はおもしろい。
夢の国で豊かにくらすはずが輸入で生活が脅かされちゃう。
でもね本国だって経済成長したいですから。

以上




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by zhuangyuan | 2015-12-27 21:19 | | Comments(0)
2015年 09月 13日

マレーシア映画にみる民族の見えない壁はどうしてできたの?

マレーシア映画「細い目」を映画館で鑑賞。

マレーシア作品はこれで二回目です。
マレーシア映画で思う 多民族国家のアイデンティティって何?

東南アジアは20年前から何度も行ってますがなぜかマレーシアは
去年が初めて。一気に好きになっちゃいました。

何がって、その混沌ぶり。
それまでの私にとってのマレーシアはマレー人を中心としたイスラム社会であったり
日本企業の生産基地として優秀な工員といったふうな「静」のイメージ。

訪れてみるとマレー、中国、インド、ごっちゃごちゃの多民族国家でした。
勝手なイメージとはぜんぜん違って活気のある喧騒がまっていました。
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映画は始まると私のツボをついてきて
すぐに引き込まれちゃいました。

主人公のジェイソンが北京語しゃべってて
お母さんがマレー語で返す。
読んでる本はインドのタゴール。

ヒロインオーキッドはイスラムのカッコして勉強してるけど
家に帰ってタンス開けたら金城武の写真が貼ってある。
台湾ジャパニーズ。

ジェイソンとオーキッドが話すのは英語。
友だちと喋るのは英語、広東語。
これが実に自然で淀みない。

この言語ワールドに浸るだけでワクワクしてくる。
このカオスはどんな成り立ちがあるんだろうか?
カオスの中にも明確に存在する民族文化のみえない壁ってのはどこから来たのか?

映画の帰りに古本屋いって見つけましたよ、ちょうどいい本を。
「マラッカ物語」鶴見良行著 1981年刊行

マレー半島はそもそも人口が少ない。
内陸の採集民と漁撈民がいましたが
そこにヨーロッパ植民者が入ってくる。

一番の目的は資源。スズだったり、ゴムだったり。
労働力が足りませんからつれてくる。インドから。
主にタミルですね。
中国人は歴史的にマレーにも来ていて
英国人には現地の管理者として重宝された。
経済感覚が身についていたから。

「人種別、産業別の集団分化が、内陸部の経済開発に伴って進行する。現代マレーシアの多民族社会という性格は、こうして形成された。 イギリス植民地官僚や冒険商人やサルタンたちの激しく血なまぐさい利権闘争の裏面で、十九世紀マラヤ半島の植民地経済開発を実質的に支えたのは、華人とインド移民である。」
(マラッカ物語 p239)

この映画の舞台はイポ。
特に中国人が多い地域ですね。

ジェイソンの母親はプラナカン。
習俗まで現地化した中国人。
昔マラヤのサルタンに中国からお妃がお付きのものたちもやって来て
その子孫だなんて物語が作中で語られる。
物語は必要です。アイデンティティのために。

歴史のいろんな局面でいろんな文化がやって来て、混じり合ったり、そのまま残ったりで、いまのごった煮が出来上がった。

でもここで重要なのはマラッカ物語で言われる「人種別、産業別の集団分化」
いまに至るまで分化したままだってこと。

ヤスミン監督はこれを憂いて宥和を願って作品を作ったんでしょう。
ネットで批評をみると、本国では、映画のなかの宥和した理想を、現実に即してない批判する向きがあるそうです。

前にあったマレーシア華僑が言っていました。
「シンガポールと違って、民族でマレーシアは喧嘩ばかりしてる。」って。
宗教が重いんでしょうね。

シンガポールも多民族国家ですが強い指導者のもと経済発展を成し遂げ民族問題が表に見えません。みんでもうけりゃ文句はない。

そんなシンガポールのごった煮ぶりを表す言葉を教えてもらいました。
ロジャック Rojak
いろんな野菜が入ってる辛味噌サラダみないなものかな?
それが国家の様相を示すキーワードになってる。

仕事でマレーシアの方を連れてマレー料理に行きましたが
残念ながらロジャックはありませんでした。
ソースが手に入らないって。
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サラダボールに例えられるニューヨークなんかより
濃厚な混じり方ですね。


その客人はマレー系で政府系機関の方ですが
サポートするために一緒に来たのが
イギリス系企業に勤めるシンガポール華僑。

この構図は何百年も変わってないんだろうな。

百年前ならイギリスの植民者
マレーのサルタンを籠絡し、華僑をつかって民衆を経営システムに組み込んいく。
マレーも支配階層はイギリスの支配を望んだとか。

さすがにマレー人の彼はヤスミン監督を知ってました。
それだけでいい人に思えちゃう。
「細い目=Sepet」も観たって。
私も観た甲斐がありました。

ちなみにSepetってどんな意味かというと
細い目ってのは中国人のことなんですよ。

細い目の男に恋なんかするのかっていうのが
今のマレーの現実。

ほろ苦い恋の映画ですが私にとっては
文化のワンダーランドでエキサイティングでありました。

以上




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by zhuangyuan | 2015-09-13 14:12 | 文化、歴史 | Comments(4)
2015年 06月 27日

ダライ・ラマの言葉は英語を通じて世界に届く

ドキュメンタリー映画「ダライ・ラマ14世」鑑賞。

観音菩薩の化身
輪廻転生

ダライ・ラマ13世の死後、その生まれ変わりとして14世となる。
現人神。

人は彼を神と呼ぶ。

でもねダライ・ラマ猊下は言うんですよ。

It's non-sense.
そんなわけねえだろって。

中国共産党政権は彼を悪魔と呼びます。
もちろんこっちもナンセンスだよって。
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I'm just one human being.
僕は人間ですからね。

とは言うものの中国共産党政府はダライ・ラマを恐れているに違いない。
彼の類稀な包容力とリーダーシップが信者を束ねた時の脅威。

彼の講話を聞いたら皆心酔してしまう。
近くに寄ったらあったかくなりそう。

即物的な政治闘争だけで勝ち上がった中国指導者には得体の知れない恐怖感を与えるにでしょう。自身への後ろめたさも加わってね。

百度Baiduのダライ・ラマ14世の説明を抜粋しておきますね。ダライ・ラマ14世
中国政府の見解がよくわかります。
达赖喇嘛流亡海外,依靠西方反华势力,利用“宗教领袖”的外衣,四处奔走游说,散布种种谎言,欺骗国际舆论。
ダライラマは海外に亡命し、西側の反中勢力を頼り、宗教リーダーのカッコをして、四方遊説に駆け回り、嘘ばかり撒き散らし、国際世論を騙している。

ところでこの作品、もっと公開館数多くてもいいんじゃない?
メディアへの露出もすくないよね。
なんでだろ?

中国のほうが儲かるからね。
中国の爆買いばかり話題にしてる。


こんな環境でもダライ・ラマは人を惹きつけてやまない。
ダライ・ラマの強靭さは発信力にあると思う。
流暢な英語で平和を説く。

映画の中で言っている。
日本人よ、英語を勉強して世界を知れと。
そして世界を体験してこいと。

この言葉が一番ぐっと来た。

チベット亡命政権ダルムサーラではチベット語の習得はもちろんのこと
語学としての英語教育を徹底してるという。

チベット語では哲学的なことも全て表現できると言いつつ
英語を勉強させる。世界を知るために。発信するために。

平和な未来なんて空から落ちて来はしませんよ。
般若心経唱えててもダメなんだよ。
自分でとことん学んで掴み取れって。

チベットの僧院でも常に学習。
高僧が言っていた。

慈悲の心と怒りの葛藤。
毎日凌ぎあっている。
慈悲の心が勝る時、悟りが得られると。

私まだまだ学習が足りませぬ。
怒りが勝ってる。
執着しちゃう。

外国語を学んで旅に出よう。

以上

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by zhuangyuan | 2015-06-27 09:19 | 中国関連DVD、本 | Comments(0)
2015年 05月 09日

文革を描く大物監督には冷たい毒がある「妻への家路」鑑賞

映画「妻への家路」鑑賞。

題名からいったらスルーですが陳道明主演で张艺谋監督なら観るしかない。

原題は「归来](帰来)
例のごとく元のほうがよい。
「妻へ」がついちゃうとテーマがちっちゃくなっちゃう。

この予告編のほうがシンプルで深い。

右派として収容された夫の帰りを待ち続ける妻。
巩俐(コンリー)
老けた演技にドキッと。

夫は一度は脱走して妻に会いに来る。
妻と再会もすんでのところで阻まれる。
密告したのは娘。

純粋ないたいげな少女も、迷いつつも時代の価値観に従わざるを得ない。
親をも売るのがイデオロギー。

文革が終わり、20年ぶりに家路につく夫が出会ったのは
記憶障害になった妻。

愛し続け、待ち続けた夫が認識できない。
さらに待ち続ける。
夫を拒否し続ける。
娘とも疎遠になっている。

悲しすぎる。
淡々と時だけが刻まれてゆく。
強い心をもった不器用な人間は時代の変化に器用に対応できない。
信じるものは常に信じ続ける。

器用に立ち回っている人もたくさんいるんです。
それは善悪では語れませんが、文革中も指導的立場で
文革が終わって四人組が追放されて価値観が反転しても、
なおもうまく立ち回りその地位にとどまる。
監督はそれをデフォルメせずに淡々と描写する。

蒋介石が毛沢東になっても
文革がはじまっても
鄧小平になっても
うまく泳いでいくやつはいる。

でも素直で純粋でひたむきなほど時代に潰される。
振り落とされる。

ネットで映画評を見ていると
チャンイーモウの文革に対する批判が伝わってこない、
権力におもねってるなんてものがありました。

私には逆にあまりに冷酷で厳しい批判だと感じました。

だって記憶障害になっているんですよ。

待ち続けた理想の夫は帰ってきた。
でも何か違うんです。
妻への愛は変わらないし
誠実な姿勢も変わらない。
でも何かが。

社会に対する批判精神はどこいった?
思想教育されて奉仕労働させられて
時代が変わって解放、帰郷。
解放されれば良いのか?
怒りがどこへ消えた?
天の差支配への諦観でいいのか?

帰ってくる夫がきっと持っている信念。
それを信じる妻。

はたまた記憶障害の妻は現代中国人民のメタファーか?
経済的には豊かになったけど、社会にはびこる不公正。
不公正を打倒し、理想の革命社会を求めたはずなのに
打倒すべきかつての対象よりさらに醜い格差。
この現状に声を上げない人民は
あるいは記憶障害なのか?

张艺谋おそるべし。

以上









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by zhuangyuan | 2015-05-09 20:49 | 中国関連DVD、本 | Comments(0)