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2017年 04月 29日

韓国はいつでも事大主義

韓国ソウル南大門前を歩いていると大きなデモに出くわした。日本でも大きく報じられているパク大統領退陣要求か?でもすでに最高裁の結論は出ているはず。じゃあ一体なんのデモ?警備に駆り出されているイケメン警官に聞いてみた。


「このデモは大統領サポーターのデモですよ」

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デモ隊は何か整然としていて統制がとれている。大きな声を上げるが怒りのトーンはない。たまにスピーカーから明るい音楽まで流れる。太極旗と並び大きな星条旗を掲げている。


市庁舎広場にはテントが張られ大きな布にスローガンが書かれている。大統領弾劾は北朝鮮の陰謀だとかなんとか。


日本では朴槿恵大統領弾劾要求デモしか報じられませんが、考えてみれば当たり前、選挙でえらばれたわけですから支持母体があるわけです。彼も次の大統領を争わなきゃいけない。


支持者は年配者が多く漢江の奇跡前の貧乏時代を知っているそうで親米政策が功を奏したと考えてると。


ふと気づくと通りのはるか向こうにもデモ隊がいる。光化門の方から世宗大路を南下してくる。反大統領デモです。こちらは若者中心。いわゆるキャンドルデモ。


若者たちは富の偏りと就職もできない自分たち世代を憂いている。


通りの北と南で対峙する。

怒りが溢れ出していてもたってもいられず街に繰り出したというより、動員され組織だったデモと感じた。運動会の騎馬戦で戦いの位置につくような感覚。緊迫感ないね。


不思議に思ったのは北と南の配置。ソウルは風水の影響を色濃く受けています。北の山を背に王宮があり、今は景福宮があり光化門から南に向かい世宗路が通る。王様は北から南に向かうのです。非常に良い気の流れがあると言います。ちなみにに日本時代はこの流れを断ち切るように朝鮮総督府ビルがドカンと建てられました。今は撤去されましたけどね。



このデモをみると王が睥睨するはずの北から来るのが反体制派キャンドルデモなんです。南から来るのが大統領側です。違和感あり。野党が勝つのが決まってるからかな。


まあその王宮だって北京の紫禁城にいる皇帝が上であるから現代でいうと北京に支持されている北朝鮮、さらにはそれに先導されているというところの左派が北からってのはありなのか?


妄想はともかく韓国の政治を見ると外国勢力の影響が非常に強いのがみていてつらい。大国に囲まれた半島にあるという不幸ゆえ歴史的に隣国に翻弄されてきた。中国、日本、ロシア、アメリカ。外国の干渉のたびに国内が党派に分かれて対立する。いわゆる事大主義におちいる。権力基盤が変わると以前愛国者であったはずのものが売国奴に変わり、抑圧されていたものが不屈の志士となる。西大門博物館は日本時代の刑務所ですがたくさんの独立の志士がたたえられていました。


最近韓国映画を立て続けに観ました。「お嬢さん」「アシュラ」「哭声 コクソン」どれもが戦う相手お互いがどこか別の大きな勢力に操られてる。当事者は騙したり騙されたりしつつもどちらが正義か判別がつかないうちに消耗してゆく。「コクソン」では山あいの村で奇病が流行り罹患したものが家族虐殺を行う。これは最近村に入った謎の日本人が呪いをかけてるにちがいない。朝鮮伝統の呪術師に退治してもらおう。いやカトリック神父に原因見つけてもらおう。いやもしかしてあの美女が元凶?当事者たちは外に解決を頼み、それを鵜呑みにしてさらに戦い続ける。どんだけ血みどろで死ぬんだよ。韓国の歴史というか運命を物語で暗喩的に示してるんでしょうね。


事大主義の最大の対象はなんといっても中国ですが、この影響から逃れるために漢字をなくしちゃった。これはスーパー不便。表音文字のハングルがありますが漢字語とのセットで韓国語が成り立っているわけで70%を占めるという漢字語もハングルであらわすってのは土台無理がある。漢字なし政策のせいで若者は自分の名前の意味もわからない人が増えているという。基本漢字ですからね。また表意文字である漢字があらわす微妙な意味の違いが音だけで表現されて豊かな感情表現ができなくなってると年配の韓国人の友人は言っています。そもそもハングルは歴史的にはそう重んじられていなかった。政府の文書は漢文だった。ハングル漢字混じり文を教育に取り入れたのは日本時代だそうです。ハングルは世宗大王が14世紀に作りました。その功績で歴史上の英雄といえば世宗なのです。その証拠に光化門前の通りには王宮を背に大きな銅像があります。その前にはもう一人の李舜臣将軍の銅像もあります。秀吉の日本軍を撃退した英雄です。ところが世宗の後の時代にも関わらず碑銘には「忠武公李舜臣将軍像」としっかり漢字で書かれているのです。

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もちろん世宗のほうは「세종대왕」とハングルで書かれてます。


これだって漢字語ですけどね。韓日辞書を検索して漢字語だとがっかりします。覚えようというモチベーションがわかない。これがいつになっても韓国語ができるようにならない理由の一つです。한자어가 진짜 많아요。


以上




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by zhuangyuan | 2017-04-29 08:27 | 文化、歴史 | Comments(0)
2017年 03月 12日

「大きい歴史、小さい歴史」海賊か皇帝かはたまた密輸人か?

中国語原書会に参加しました。


最近、中国語の勉強が少ない私はこの原書会に申込むことで締め切り効果を持ってして原書を読む仕組みとしているのです。

会に参加した多士済々に私が紹介したのは

「“小的”台灣史」
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夏休みに家族と行った台南歴史博物館で購入しました。

台湾の歴史というと複雑でオランダやら明やら清やら日本やら、はたまた化外の地であったりつながったものはない。そこで歴史とは何を指すのか?

副題にはこうあります。
「從早期社會市井人物的角度,重現十九世紀台灣的社會實況」

早くから移民した市井の人々から見た19世紀の台湾社会

大きな歴史が国家のものだとすれば小さな歴史は人々のもの。もちろん真実の歴史は人々の歴史の積み重ねであるわけですが、実際に歴史と呼ばれているものは時の為政者が過去を都合よく綴った物語であるわけです。この本は過去の文献から人々の暮らしを紡ぎ出していくのです。

「蕃薯也好賺 渡海走私賣蕃薯」
(サツマイモだって儲かるよ。海を渡って密貿易)

こう題する章に登場するのは密輸を企む仲間たち。

当時の台湾は肥沃な土地に恵まれ農産物が豊かでありました。つまり安い。一方工業は発展しておりませんので手工業品は高いのであります。安く買って高く売るのは商人の常。そこに商材があれば商売につなげるのです。ただし国家というややこしい存在ができますと、利権はすべて国家の下にあります。管理の枠を外れるとそれはすなわち密輸。中国語で言うと「走私」と書きます。

小舟から荷下ろしをしているところを捕まえられた4人組は、その背景には別の首謀者がいるといいます。つまり船の持ち主。裏で糸を引く人間は危険を犯しませんので自分で海峡を渡るなんて事はしないのです。もちろん下手人が見つかってしまったらさっさとどこかへ行方をくらまします。トカゲの尻尾切りはいつに世でも。さらにはこの小舟は実は大船と一緒に来たわけですがおおむねの仲間たちは危険を察知するとさっさと逃げてしまったんです。そして捕まったは彼らはどうなったか?黒竜江省に流されて奴隷にされちゃったそうです。サツマイモを売って奴隷にされちゃったんじゃ割が合わない。

ほんとに儲かるところは国家が牛耳っています。国家と言うのは元はと言えば武装した集団であって海賊みたいなものです。日本にいて万世一系とか言う島国にいますと想像できないかもしれませんが大陸の国家なんてものは取ったとられたの繰り返し、今の国家すなわち政府はただ一番強かったものの末なのであります。

「海海人生」には国家になりきれなかった海賊王の話が出てきます。略奪を繰り返すうちに強大な勢力になった彼は百隻の船を引き連れ、2万人を支配下集め自ら王と名乗ります。ただひとたび勢力が落ち目になると、手下から裏切り者が相次ぎみるみる力をうしなっていくのです。最後の海戦の時、砲弾が尽きかけ、彼が弾薬の代わりに使ったのは「番銀」。番=野蛮人。野蛮人のお金つまり外国貨幣です。国は強大だがいつ果てるとも限らない。国の貨幣より野蛮人と蔑む外国の貨幣を信頼し海賊が使うお金としたのです。最後の闘いではその権力の証しの貨幣すらなげ出してしまうのがなんとも象徴的。

海面上除了砲火,還有不少蔡船施放的「番銀」,
外國銀元滿天飛舞的情況

そして本当の王になれなかった彼らは国家から略奪者の名称を与えられるのです。本当の王になれて国家を作れれば彼ら国家の売買行為は貿易と名付けられるのです。中国の皇帝なんてものはみんな最初は略奪者。民から召し上げる金だって税金と言う名に変わるのです。「中国の大盗賊」オススメ。

私も貿易の仕事に携わっていますが、出張で海外を訪れると確かに国家は利権集団だということがよくわかります。例えばマレーシア。近年のエネルギー価格の暴落で財政困難に陥った政府は利益の出ている企業を訪れ徴税に行きました。私の取引先に来た国税局の人間は武装した兵を連れてきたそうです。お前の金は俺の金。隠すやつは許さんぞ。インドは最近高額紙幣を使えなくしました。もちろん銀行に行けば高額紙幣の小さな体に変えてくれる。では何のためにそんなややこしいことをするのだろうか。それは利益を上げているブラックマーケットのお金をあなたにあぶり出すこと。銀行に両替に来たところで収入を記録する。つまり納税せざるを得ない資産を把握するのです。インドは人口がたくさんいますが納税しているのはわずか3%だと聞きました。85パーセントの人たちは納税できないほど貧乏だと言いますが15%の人たちが沢山資産を持っているのです。つまりそれを表に出す。お前の金は俺の金、国家がそう言っています。もちろん国家が厳しくすればするほど密輸の旨味は増すんですけどね。古くは禁酒法時代のアル・カポネだったりメキシコ密輸カルテルだったりね。

閑話休題。
生活のため家族のために海を渡ろうした市井の人々も国家の利権を少しでも冒すと犯罪者にされてしまいます。大きな歴史に振り回される小さな歴史上の人々。この後20世紀が近づくとこの大きな歴史に日本が登場していくわけです。日本時代の小さな歴史の物語もぜひ読んでみたいものです。

原書会に参加の皆さんの小さな歴史にも興味津々。巡り巡って地球の片隅で中国語原書を通して世界を覗いてる。なんかワクワクするでしょ?言葉ってほんと楽しい。

以上

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by zhuangyuan | 2017-03-12 23:31 | 中国関連DVD、本 | Comments(0)
2016年 11月 27日

カストロが歴史から去っていった

カストロが歴史に決着つけてアメリカと国交回復して逝ってしまった。とにかくここまで生き残ったことにあっぱれ。





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by zhuangyuan | 2016-11-27 22:06 | 時事 | Comments(0)
2016年 11月 16日

トランプ当選に立ち会って 改めてトランプ人気にびっくり



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by zhuangyuan | 2016-11-16 07:31 | 時事 | Comments(0)
2016年 11月 12日

旅とメキシコとトランプ大勝利


出張でメキシコに来きました。
初めて来たのは1990年大学2年の夏休みです。スペイン語が好きだったので使ってみたかったのです。ロスからバスに乗り国境の町ティファナに入ると雰囲気が一変しそこはソンブレロとブーツのメキシコ世界でした。そこには人間が後から引いた線があるだけなのに突然世界が変わるんです。でも当時はその線が生み出した越えられない住民たちの人生の格差なんかには考えは及びませんでした。今まさにに話題になってるトランプが作ろうっていう壁が何故に必要だ言われるのか?そんなことはつゆ知らず何の気なしに国境を越えたんです。ジャパニーズパスポートでイージーに。

その時びっくりしたのは国境を越えると英語がぜんぜん通じないこと。そこから40日間カタコトスペイン語ひとり旅をしたんです。3日目にチワワについた時には日本語が恋しくて恋しくて宿に日本人がいると聞いて会いに行っちゃいましたよ。チワワの治安の事なんてまったく気にせず旅してました。

バスを乗り継ぎ、メキシコシティを越えて数都市周り、最後はグアテマラまで行きました。メキシコってアメリカの下にあるので小さく見えますが国土は日本の5倍です。広い言葉が満足にできないひとり旅ってほんと孤独なんですよ。バスで縦断してグアテマラパナハッチェル湖に着いた時は、ほんと遠くまで来ちゃったと思いました。でもこの時は数日後に荷物を全て失うことはまだ知りません。この顛末はずいぶん前に書きました。

この旅でもっとも印象に残った街はSan Cristbal de Las Casasです。カテドラルを中心としたコロニアル風の小ぶりな街に様々な民族衣装をきたインディオが闊歩しているのです。当時のわたしは旅をしてもあまり写真を撮りませんでした。カメラを頭から下げた姿がティピカルジャパニーズと揶揄されるのが嫌だったのです。ただの自意識過剰。今ではiPhoneで撮りまくりです。世界のスタンダードですから。そんなわたしもその街ではキレイな衣装に魅せられてカメラを向けたくなりました。郊外の村々をめぐると村ごとに衣装が異なり民族が違うことがわかります。記録に残したい。でも写真は撮るなとアドバイスされました。カメラを向けると魂を抜き取られるとう迷信があるといいます。彼らの私に向ける目が冷たいというか暗いというか受け入れない意思を感じました。日常を送る人々に観光にきた外国人が好奇心からカメラを向けるのはいい迷惑でしょうからカメラは諦めました。でもその迷信と言われるものの根拠がもっと深いところにあると知るのは帰国後数年たった時でした。

1994年1月1日そのサン・クリストバル・デ・ラス・カサスで多くの観光客が犠牲となる先住民勢力の武装蜂起が起きたのです。サパティスタ民族解放軍。メキシコ革命の英雄サパタから名をとった農民たちのゲリラ組織です。
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その日がNAFTA北米自由貿易協定の発効日でした。カナダ、アメリカ、メキシコの関税を撤廃しグローバル経済に備えて北米の競争力を高める狙いがありました。人件費があがり競争力を失ったアメリカ製造業はメキシコに安い労働力を求めて移って行くのです。一方農業を生活の糧にしていた先住民族たちは生産性の高い米国農産物の輸入と競争を余儀なくさせられるもです。NAFTAは農民への「死刑宣告」だとして、農業を壊されアメリカの下請けになることに反対した武装蜂起でした。ただ当時学生だった私はそんな構図に気づいていませんでした。この街の名前の由来はラス・カサスという宣教師からとっている。彼はコンキスタドールたちの暴虐非道な征服を本国政府に報告した人です。
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https://note.mu/yuezhuangyuan/n/nc0fdcd3baa6a

初めての旅から26年。今年初めて仕事でメキシコ来れました。メキシコはNAFTAのおかげで経済成長しここ数年アメリカ市場への製造業供給基地として経済成長し続けました。私もその繁栄にあやかり物を売りに来たのです。

数多くのグローバル企業がメキシコ製造拠点を設けアメリカ市場に大量の製品を送り込んでいます。国境近くのマキナドーラ呼ばれる工業団地ではメキシコ人労働者が安い賃金で大量生産を続けています。国家経済は成長した。企業も利益をあげた。賃金も上昇した。でも自分たちは豊かになったのか?国境の向こうにはどんな生活があるんだ?俺たちが作った製品を大量に消費するアメリカ。近いけど遠い国。そうだ国境を越えよう。ここから先はブルース・スプリングスティーンの歌の世界です。
http://zhuangyuan.exblog.jp/23145084/

国境を越えた。仕事についた。メキシコより給料は高い。でも生活できない。物価が高い。いい仕事がある。麻薬だ。そして犯罪に巻き込まれる。一方米国工場で働いていた労働者は職を失い、街は活力を失い、周りには不法移民があふれてる。移民にさらに職を奪われる。ゆえにトランプがメキシコ国境に壁を作るとうそぶくと彼らは熱狂するのです。
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こうなったのは移民のせいではない。アメリカ政府が選択した道だから。企業優先、金優先。その戦略が矛盾を生み出した。トランプは既存政党にありながら過去を全否定してついには大統領になる。既存政党のバックアップを受けて実行する政策はどうなるのでしょうね?NAFTAも解消するのか?メキシコ後に訪問したロサンゼルスでは意外にトランプ支持が多かった。アメリカビジネスのためにいい政策を期待している。規制撤廃と減税。プラス保護貿易。しかしそれでプアホワイトと言われる労働者の不満は解消されるのか?同床異夢。

メキシコの経営者は言った。「トランプ大統領になったらどうなるか想像できない。ブリックレイヤー(レンガ積み職人)にでもなろうかな。国境の長い壁作るのに労働需要が続くからね」

メキシコの輸出の80%はアメリカ向けだという。
アメリカに翻弄される運命。
日本もね。

以上



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by zhuangyuan | 2016-11-12 06:50 | 時事 | Comments(0)
2016年 11月 08日

ヒラリーは王家の娘?

バンクーバー空港でローカル紙National Postを手に取ると明日行われる米国大統領選一色です。
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せっかく取材したんだから選挙前に書いとかないとどっちかの記事は御蔵入りになっちゃうからね。 地元カナダと候補者二人の先祖とのゆかりについても書かれていました。

トランプの方はというと

Liquor, women behind Trump family fortune
Grandfather gambled on Yukon gold rush

トランプ家の資産の影に酒と女
ユーコンリバーのゴールドラッシュでひと儲け

センセーショナルですがまあ読まなくても想像できるね。読んだけど、あっそう、って感じ。

ヒラリーのはかなり面白い。

Clinton's Quebec roots
date to New France

クリントンのケベックルーツは
ヌーヴェル フランス時代に遡る

今回出張のお供に「ケベックを知るための54章」ってのを持ってきてましたのでちょうど良かった。ケベック州はフランス語人口が70%で多くはフランス植民地時代の子孫です。今でもフランス語が第一言語。

ヒラリーの家系図をたどってゆくと「王様の娘たち」Filles du Roiまで行きつくという。

Filles du Roi
King's Daughter

というからには華やかな王侯貴族か?

実はその反対で17世紀に自分の意思に反して植民地に送られた娘たちを指すそうです。人口増加策として。

ルイ14世の時代に700人の女子が植民地に花嫁候補として送られた。多くは孤児や捨て子、中には売春婦など、地位の低い出身ばかりであったと。

その中でヒラリーの祖先は特定されている。Jenne Ducorps

彼女たちはしっかりと役割を果たし4,459人の子をなしたという。当時のヌーヴェル・フランスは人口が少なく、彼女たちはMother of nationと呼ばれているそうです。前掲書によると100年後の1760年においてもフランス植民地人口は7-8万人とあるので彼女たちの貢献の大きさがわかる。ちなみにイギリス植民地人口は同時期150万人であったという。

以上のことからフランス植民地に起源を持つケベック人の95%が王の娘たちの子孫だという。

カナダの首相もセリーヌ・ディオンもマドンナもアンジェリーナ・ジョリーもヒラリーの遠い親戚だって。

たった半ページの記事だけど歴史を旅することができました。

でもさ、先祖ってたくさんいるだろうけど、かたや売春宿の親父を選び、一方は建国の母をピックアップして並べて記事にするってのはずいぶん恣意的だね。外国だけどさ。

以上




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by zhuangyuan | 2016-11-08 16:40 | 文化、歴史 | Comments(2)
2016年 11月 07日

隣国の選挙を前に歴史を振り返る

今週は米国大統領選挙です。

カナダ、バンクーバーに着くとさっそくその話題に。

「今日クリントンメール問題でいいニュースがあったよ。」

「でも彼女人気ないでしょ?アメリカ人はクレバーな女性より、シリーな男が好きなんじゃない?」

「トランプはSillyじゃないCrazyだ!カナダでもみんな心配してる。ああいうレイシストは絶対にダメだ」とトランプをこきおろす。「でもクリントンが勝ってもトランプ派が暴動起こすかもしれないな」

「そういえばカナダは人種差別深刻じゃないの?」
「とっくに解決したよ」とバンクーバー生まれの白人の彼が言う。

そんなカナダでもパールハーバーが起きるとカナダでも日本人排斥運動が起きて、日本人街は接収され日系人は強制収容所に入れられたと言います。当時日本人街はチャイナタウンの隣にあって同じくらい大きかったといいます。

カナダでは戦後しばらく経って強制収容に対し日系人に賠償金が払われ公式に謝罪したそうです。

「でもね日本軍はバンクーバーにもアタックしたの知ってる?」

「いや知らない」

「サブマリンから魚雷撃ったり、バルーンでボム落としてフォレスト焼いたんだよ」

ぜんぜん知らない。お恥ずかしい。

「戦前に日系人はバンクーバーに野球チームも持ってたんだ。アサヒって言うんだよ。連勝記録は未だに破られてないはず。」

そういえばそんな映画がありました。
「バンクーバーの朝日」
帰ってから観ないとね。

「彼らはとても人気があった。でも彼らのボールパークも壊されちゃったよ。戦後に公園になって名前が変わったんだけど、どんな名前だと思う?オッペンハイマーパークって言うんだ。アトミックボム開発した人の名前さ」

実際にはかつての有名な市長の名前からとったことになっているといいますが、あのオッペンハイマーを連想しないはずがないと。最低な命名だね。

人種差別ってのは普段みえなくてもなにかあるとすぐに頭をあらわすんだろうな。

夜の日本人街跡にはオッペンハイマーパークが静かに佇み、ホームレスがテントを張っていました。
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以上
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by zhuangyuan | 2016-11-07 19:56 | 時事 | Comments(0)
2016年 08月 14日

映画「湾生回家」 こころのふるさと台湾をおもふ

「灣生回家」という映画が台湾で大ヒットしたのは知っていました。台湾生まれの里帰り。

戦争前に台湾で生まれた日本人が台湾に帰る。そのころ子供だった人たちの故郷への想いと帰郷を綴ったドキュンタリーです。

そんな映画がヒットするのが台湾なんです。


敗戦まで台湾は日本でした。日清戦争で割譲されて以来、自国での人口圧力緩和のために台湾に続々と移民し開拓しました。

戦争で敗れると自らの意思とは別に日本に引き上げていった。その間50年ですから台湾で生まれて育った人たちがたくさんいたわけです。

引揚者の数は48万人。


数字で書くと膨大すぎて物語が浮かびませんが、そのころの子供にとってはふるさと台湾が人生のすべてだったのです。

大人たちの理不尽な戦争によって生まれた地から引き離される。家も友達も遊び場もすべて突然失うのです。

こころのどこかでずっと思い続けた台湾に人生の晩年で帰るひとりひとりを追ったのです。


台湾に出張に行った際、会食の席でこの映画の話になりました。私が観たいと言っていたら後日、本を送ってくれました。


その後、別の機会で再度台湾を訪れた時、ついに観る機会がやってきたのです。

映画を知った時にはすでに上映が終わってましたのでチャンスを待っていました。


その日は結婚式の披露宴に呼ばれており、昼間はフリー。Facebookで隣町の市民ホールで上映があるのを知りました。

市役所庁舎でチケットを配るというので早めに行って券を確保。なんと無料でした。

開演時刻にホールに入るとデカさにびっくり。3階席までありました。しかもすでに2階席までいっぱいです。


こういう映画にこれほどまでの人がつめかけるとは台湾の親日ぶりがうかがえます。

日本時代に教育を受けた方は今ではかなりのお年ですが流暢な日本語を話されますし、友人の伯父さんは今でもNHKしか見ないと言います。

そんな台湾だからこそのホール満員。まあ年配の方が多かったですが学生っぽいひとも結構いました。

親子で来てるケースも。私の席は空いてる席でゆったりと思ったのですが後から来たおばちゃん軍団に囲まれてしまいました。


困るんですよね、おばちゃんたち。だって号泣するんだもん。

鼻をズーズーさせてさ。オレも泣いちゃうじゃんかよお。

3回涙が出ましたよ。おばちゃんのせいで。


ふるさとを思う気持ちってのはここまで強く重いものなのか。

国家とか国籍とか子供にとってはどうでもよくってそこで過ごした幸せな時間とその土地の街並みもしくは山や川。

突然見知らぬ日本につれていかれ、さらにはその国では必ずしも歓迎されない。それどころか排除される。

ただでさえ食糧難のところに400万人が世界中から引き揚げてくる。


疫病の心配もいわれ島に隔離されたと言います。徳島の島には台湾村ができたと本にあります。

そこも一から開拓しなければなりません。でもそこは故郷台湾の花蓮にそっくりだったと。


花蓮出身の湾生松本洽盛さんのエピソードが印象的です。


回到日本後他一看到「牛」,就想到台灣,因為小時候常在牛背上睡覺,
雖然上面有許多蒼蠅飛舞,嗡嗡的聲音很吵,但卻是回到日本最懷念的景象……

日本に戻って牛を見るとすぐに台湾を思い出すんです。小さな頃牛の背でいっつもいねむりしてたからね。蝿が飛び回ってブンブンいってるのにね、それが一番の思い出のシーンなんだよ。


彼は牛に乗って遊んでいたそうですが、彼の牛は牛同士の争いになると無敵の強さで信頼しきっていたそうです。

ある日とうとう負ける日が来た。

彼はショックで家に帰っても涙が止まらなかったといいます。

ぎらぎら照りつける太陽のもと田舎のあぜ道を牛に乗ってゆったり進む少年。

これだけでじわっときちゃいます。この日々は帰らない。

でもね、彼は戻ってサトウキビを食べるんです。想いに耽りながら。


敗戦引き揚げは当然別れもうみます。親子の別れも。

片山清子さんは台湾人の養子として育った。芸妓だった母親は敗戦後も残留したかったが技術がないために引き揚げる。

できるだけ早く我が子を連れに戻ると言い残し、全財産を置いて日本に引き揚げた。

しかし戦後の混乱期、迎えに戻った時にはすでに預けた家はなく、子供と会えずに生涯を終えたのです。

残された清子はいつも嘆いていたとその娘がいう。


「我的母親一直怨嘆著她媽媽為什麼要拋棄她!」
母さんはいつも恨めしく嘆いていました。ママはどうして私を捨てたのって


悲しすぎます。

そして人生の最後を迎える間際に娘と孫が清子の母親の足跡を日本で辿る。

お孫さんは日本語勉強してるんです。一生懸命学習した日本語って感じが胸をうちます。


そしてもっともグッときたのが綺麗なおばさま湾生、家倉多恵子さんのお言葉。

彼女のお父さんは台湾総督府の役人だった。戦火が激しくなり花蓮に疎開した。彼女は焼かれる故郷を丘から見たといいます。

花蓮で敗戦を迎え、日本引き揚げる。台北には帰らずに。

そこは底冷えのする敦賀の寺。その後ずっと台湾を思い続けた。


「原來我是永遠的異邦人,我對台灣的思念是到死都放不下的。」
「私はずうっと自分が異邦人だと感じてたの、台湾への想いは死ぬまで放せませんよ。」


異邦人

感じるんですよ私も。

私は引揚者でもなんでもありませんが海外にいる時に感じる疎外感。

時には東京でもね。

誰でもある感覚なのかな。

子供の頃に自らの意思とは別に急に失った世界。

どこへ行っても異邦人。


11月に岩波ホールで上映決定だと言います。

必見。



以上


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by zhuangyuan | 2016-08-14 20:45 | 文化、歴史 | Comments(2)
2016年 08月 11日

東インド会社のお嬢様が世界を切りとった


先日マーガレット・キャメロン展会に行ってきました。
青い日記帳さんのブロガー内覧会です。
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19世紀のイギリス女性写真家です。私は今回参加するまで知りませんでした。写真が世に出て間もないころにしかも女性が芸術に昇華させている。

このキャメロンさん、48歳から写真はじめて極めちゃった。そもそも写真が身近にあるっていうんだからいいご身分に決まってる。それもそのはずお父様は東インド会社勤務で、自身はカルカッタで生まれたって。日が沈まない帝国ですね。

どうらくではじめた写真に自信がついて美術館に売り込んだって。この自信のほどが半端なくてがすごい。さすがお嬢様って感じ。その手紙も展示されていました。

‘I write to ask you if you will… exhibit at the South Kensington Museum a set of Prints of my late series of Photographs that I intend should electrify you with delight and startle the world’
南ケンジントン美術館に私の最近撮った写真シリーズを飾ってくれないかしら。その作品はね貴方を喜びで痺れさせるわよ。そして世界を驚かす。


どうですこの自信?

時は明治の頃ですから写真なんてとても珍しく、はいポーズどころか、ずううっと止まっていなきゃならない時代。撮る方は箱を抱えて布かぶって。とられる方だって緊張しちゃいます。一生の記念に気合の一枚。

ポートレートも記録用として表情も硬いものがほとんどの中で
彼女の写真は、というか作品はポスターにあるように生気がみなぎってるんですよね。

彼女のスタイルは当時としては奇抜だったそうでどアップだったりボケをあえて入れたりとそれまでの杓子定規なタイプと違います。同時代の他の写真家作品表情も展示がありますので一目瞭然でした。女性を撮った作品が多いのですがどれもがなまめかしい表情をしているのです。でっかい機器で被写体がじっとしていなければならないはずなのに、このリアル感が出せるのは彼女の実力の証しといえるでしょう。ドキっとしちゃいますよ150年の時を超えて見つめられると。何かを私に訴えてくる。
宗教画だったり著名人のスナップだったり色々テーマがありましたが
私が最も気になったのはインドの写真。マドラスの民族を撮ったもの。
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宗主国の貴婦人にカメラを向けられていっさいおもねることなく人生を達観したような眼差し。植民地でのイギリス人は武力、財力で統治したわけですが、インド人のあの表情を見ると、すべての歴史上の欺瞞はお見通しといった感があります。威張っている英国紳士もさぞかし自分の浅はかさを内心で恥じたことでしょう。

他にも吟遊詩人だったりアフリカの皇太子だったり
世界を制覇していた頃のイギリスの力を感じさせるスナップも残してくれています。

インスタが世界中でもてはやされ、高校生や中学生までもが毎日写真を何枚も撮り世界で共有する。
今では当たり前のものが奇異の目で見られ、それが市民権を得ていく。スマホ時代の起源を今観ておくのも一興ですよ。


以上


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by zhuangyuan | 2016-08-11 10:36 | 文化、歴史 | Comments(0)
2016年 08月 06日

ブラジルはやっぱりペレ

Pelè 伝説の誕生」鑑賞


想像を超えるスケールの大きな映画でした。ペレの生い立ちだけでなくブラジルサッカー、そしてサッカーそのものの歴史まで、ともすると大航海時代まで視野に入った壮大な物語と言えます。


正直観るつもりはなかったのですが、その日は2つの街で3つの映画に振られ、帰るのも悲しいのでPelèにしました。


私も小学校から大学までは結構真面目にサッカーやってましたし、今も小学生のコーチだったりしますのでペレの偉大さは知っています。でもね俳優がサッカーして、ペレですって言われてもしっくりくるわけないですし、アニメだって上手くできないのに特撮でも無理でしょって。アニメと言えばキャプテン翼がテレビ初放映した時のショボさはわすれられない。ましてやペレですよ。


しかも今ペレってことはリオ五輪便乗というかプロモの一環でしょうからこの点も期待を下げる要因でした。でもなんでオリンピックでペレなんだよブラジル?サッカーワールドカップ決勝のゲストに王貞治を呼んだNHK並みじゃない。


後日ラジオで知ったのですが、実はこの作品はブラジルワールドカップの前に出来るはずが間に合わなかったのだといいます。なんともブラジルっぽいエピソードです。この映画を観ていればブラジル代表のモチベーションが上がって、ドイツに世紀の大惨敗をすることもなかったかもね。この映画ではブラジル代表が背負ってる歴史的役割を再認識できるから。

その2014のドイツ戦ってのはブラジルサッカー史上に残る惨劇と言われてます。なにせ地元開催で17ですから。でもそれよりも大きな悲劇が1950年にあったんです。マラカナンの悲劇。Maracanaço。ワールドカップ決勝リーグがリオのマラカナンスタジアムで行われ、ウルグアイに負けて優勝を逃したのです。


映画はここから始まる。

1950年のこの試合に負けたブラジルは国全体が沈み込みペレの尊敬する父親も落ち込んで泣いてしまう。じゃあ僕がブラジルを優勝させるって。当時10歳。そこから初めてのワールドカップ出場の17歳までを描きます。


ぼくらはペレ以降のサッカー、ペレ後のブラジルしか知らないのですが、ペレ前の世界、つまり王様なしの時代が当然あったわけです。ブラジルは当時まだワールドカップ優勝していないし、マラカナンで敗れたブラジルの個人技優先のスタイルは酷評されてたんですね。ヨーロッパの組織サッカーが優れていると。そして個人技は封じられる。


ジンガ。

ブラジルサッカー独特のステップ。これを抑えられてた。

このジンガの歴史と開放、爆発がこの映画の肝です。


ブラジルは移民国家で他民族混合ですが、多くはアフリカから奴隷として連れてこられた。なかには白人に抵抗し逃亡し山にこもって武装した人たちがいました。いわゆるマルーンです。Maroon。彼らは格闘技も習得し、そのアフリカ由来のカポエイラからジンガが生まれたと。そのステップがブラジルサッカーの魂なのです。


それを欧州サッカースタイルに勝つために封じられる。

でもね、17歳のペレは違うんですよ。ファベーラで育った黒人ですからね。

ジンガを爆発させて大活躍するんです。賢い組織されたサッカーを歴史が宿ったジンガサッカーが打ち破る。世界の歴史を反転させるような意義があったんです。ペレ以前はブラジルサッカーにおいても白人優位だったとは全く知りませんでした。


映画を観る前に、自分よりずうっと若いコーチにメッシとマラドーナはどっちが実力が上だと思うかと聞かれたことがあります。マラドーナの方がずっと好きだがチームのシステムの中で機能するという意味でメッシが上なんだろうねと答えました。この質問は常に繰り返され、ペレとマラドーナ、ペレとクライフなんてみんなが比べたことでしょう。正直言ってペレのプレーを今みるとピンとこないんです。というか理解できていなかった。速い、柔らかい、強い、高い。だけどサッカーのシステムとしてどうなの?って。でもねここが映画の肝だったんですよ。ブラジルはこうじゃなきゃいけない。ロナウジーニョなんかまさに血を引いてますよね。


いやあ面白かった。

で今リオ五輪がまさに始まるのですが

ブラジルはペレなんですよ。

なんといっても。


自慢しますが私ペレの足触ったことありますよ。リアルに。


以上





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by zhuangyuan | 2016-08-06 09:31 | 文化、歴史 | Comments(0)