中華 状元への道

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2017年 12月 03日

戦うのは何のため?

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フランス映画千本ノック
deux jours, une nuit (一泊二日)

 きつい映画でした。資本主義が行き詰まりが世界のあちこちにひずみを生む。弱いところにシワがよる。

二人の母 サンドラは休職明けに復帰すると解雇を伝えられる。休んでいる間にサンドラ抜きでも仕事が回ることがわかった。経営者は残りの従業員に多数決をせまり、サンドラの復職か、退職時に浮いたお金で残りの従業員への1000ユーロボーナスかを選択させた。サンドラが戻るとボーナスは支払えない。結果として退職が決まっていた。復帰そうそう打ちのめされて安定剤に頼るサンドラ。

多数決とは言いながら社長の意を受けた、もしくは忖度した主任が従業員に圧力をかけてボーナスに投票するようにしかけた。これを知ったサンドラは再選挙を要請する。結局中途半端でええカッコしいの社長は再選挙を認める。

ここからサンドラの一泊二日の戦いがはじまる。サンドラの週末の原題はdeux jours, une nuit 一泊二日。同僚ひとりひとりに自分の復職に投票してもらうべくお願いにまわるのだ。

そもそもこうした社長が判断すべき経営課題を従業員の投票にゆだねるという逃げの姿勢が許しがたい。投票という一見すると公平な方法をカモフラージュにして自分のさもしい心をかくす。しかも裏で主任に圧力をかけ解雇を企図する。

社長はサンドラと直接対話を避けつつも、偶然会ってしまうと自社の苦境を言い訳にする。太陽光パネル製造でアジアからの輸入品との熾烈な競争を人員削減の理由としてあげる。流行りの環境ビジネスにとびつくのを見ると、利にーにさといが大局観がない経営手腕が想像できる。

サンドラが訪ねる同僚たちはそれぞれの苦しい立場を説明する。妻の失業、子供の学費、リフォーム費用....。彼らは、サンドラの復帰前の第一回投票において自分のボーナスを選びサンドラの退社に投票している。それぞれ後ろめたさを打ち消すだけの大きな言い訳をしなくてはならない。

一度見えてきたボーナスが消えるかもしれない。当然彼らの家族も反対する。何も悪いことをしていない従業員たちが社長の企んだ投票のために良心をさいなまれる。友情とカネを天秤にかけなければならない。さらに主任は投票結果によりサンドラの復職が決まれば別の誰かが解雇されるとほのめかす。ボーナスだけでなく自分の職もかけなければならない同僚たち。

グローバル経済、雇用の流動化、人件費の変動費化、女性の雇用、移民問題、人種、宗教...

女性の社会進出、ダイバーシティ、民主主義、合理的経営、標語としては響きのいい言葉を杓子定規に表面をなぞるように実践すると個人の心を引き裂いてゆく。でもね、人間は強いんですよ。行動すればね。

95分の短い映画でここまで描くとはこの監督は天才だな。なんども観たらもっと発見がありそう。

あ、フランス語の学習だった。
サンドラと訪問をうけた同僚が繰り返す
<Au revoir >くらいしかわかりません。
Au revoir またね。
つらい「またね」が繰り返される。

ではまた。


以上

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by zhuangyuan | 2017-12-03 08:13 | 中国関連DVD、本 | Comments(0)
2017年 07月 02日

クールビューティの名演技は誰に対して?

「終電車」を名画座で鑑賞。
?Le dernier m?tro?
カトリーヌ・ドヌーヴ主演。
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昨年からフランス語を習い始めた私は46歳スタートなのでできるだけ効率的にやる必要があります。
かつモチベーションを保ってやらないと暗記力低下によるモラール低下に勝てませんので
noteに記載して観客効果を励みにしています。



これはフランス映画千本ノックの一環。
千本ってのは白髪三千丈くらいの意味ですよ。
ただともかくフランス語に触れるための機会をつくってるのです。

池袋文芸座でチャップリン「独裁者」との二本立てでしたが最後の演説の迫力で「終電車」の印象がぶっ飛んじゃいましたが、
これはこれで名画の誉れ通りに考えさせられる内容でした。

ナチス占領下のパリの劇場が舞台です。

ユダヤ人支配人兼演出家が迫害を恐れ南米に亡命し、女優である妻が劇場を経営している。
と見せかけて実は旦那を地下に匿っている。
旦那に代わる新しい演出家は時勢にさとく行動しナチス迎合批評家ともうまくやる。
新しく公演する舞台の主演俳優は裏ではレジスタンス運動をしている。

ただし皆がそれぞれに抑制的でしかも自分を何かに仮託して演じてるようです。
映画ですから我々観客に対して演じてるのは当たり前ですが、ここではそのドラマの中にさらに劇場がありそこでも二重に演じる。
それだけでなく、主役のマリオンは本心を見せず気丈に振る舞い、俳優は抵抗心を抑えつつ生きる。
その2人は互いの愛も表に出さない。演出家は批評家におもねる。本心か否かは別として生きるために。
批評家は時代の強者に合わせてナチス寄りを過度に演じる。
つまり映画という劇中世界で他者に対して自分を隠し演じる。つまり三重構造。

観てるこちらにどの階層での演技か分からせつつ、自然に演じる技術は並大抵じゃない。
で最後にはこちらも騙されるのです。ふふ。

ナチスが負けた後に全てはひっくり返る。

支配人は地下から這い出し、演出家はしょっぴかれ、批評家は逃亡する。
政権の趨勢により180°転換する価値観と人間模様。媚びや追蹤あるいは抵抗。
ただパリの市民はナチス占領下においても劇場に足を運び、さらに時代が変わったのちも通い続ける。たくましい。

それにしてもその入れ替わる主従関係のよって立つところが隣国同士であるドイツとフランスであることがヨーロッパを複雑にしている。
その両国が今ではEUのリーダーとして共通目的のもと手と手をを携える。
この辺は島国の私には理解しがたいですがヨーロッパにおいては何千年も繰り返ししてきた1ページに過ぎないのかな?
でも連続してる現代から振り返るとこの時代は狂ってる。
であるからこそナチスってのが突然変異で生まれて消えたってのがこの時代の言い訳には一番しっくりくるんでしょうね。

以上

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by zhuangyuan | 2017-07-02 10:21 | 中国関連DVD、本 | Comments(0)
2017年 06月 25日

映画「メッセージ」がとどけるメタ的言語ワールド



映画「メッセージ」鑑賞


ある日、地球上の11ヶ所に宇宙船が現れる。


目的は不明。


アメリカでは来訪者の真意を探るべく言語学者ルイーズが選ばれた。

彼女は多数の言語を操る天才。


宇宙船に軍とともに赴き異生物たちの発する音や記号を理解しようとコミュケーションを図る。7本足の生命体(ペプタポッド)はそれぞれ名付けらることで個性を持つ。宇宙船空間は重力の方向が地球と異なり異生物はどうやら吐き出した墨の形状がいわゆる文字の働きをしているようだ。その文様をルイーズが解析し意思疎通が進み出す。


ところが中国では相互理解の前に先制攻撃が決定される。果たして全面戦争は避けられるのか?題名が示すように映画の主題はメッセージ。世界11箇所にメッセージが送られひとつひとつでは解が得られない。世界は協力できるのか?異生物の目的は?


言葉好きにはたまらない興味の尽きない内容でした。表意文字アルファベットをボードに書いて通じるのか?中国の表意文字、漢字はいかに?異生物の墨文字は正面から見た平面で捉えて良いのか?立体であれば見るものの位置で意味が変わるはず。回想として挿入されるルイーズと娘の意思疎通はいかに変化してきたか。


つい先日読んだ本を思い出しました。


「文芸翻訳入門」



その中に移民収容センターの話がありました。


移民たちの半生を作家が聞き出して物語を紡ぐ。

その文章には何パターンの翻訳行為があるのかを問う入試問題が出されたといいます。


正解は

①移民の話を作家が書く翻訳

②移民と作家の間に入る通訳による翻訳

③作家自身も外国出身で英語を外国語として話す。これも一種の翻訳行為。

④この物語を日本語にする翻訳

計4つ


どの局面においても誤訳が入る可能性があるのです。


一方、この映画メッセージはどのくらいの翻訳行為があるのか?


①宇宙人の言葉をルイーズが英語に翻訳

②それを日本語字幕にする翻訳

③原作小説から映画を作るという翻訳

④小説の作家は中国移民の息子ゆえに英語で書くことはすでに翻訳行為


字幕作成という行為は翻訳のさらに翻訳と言える。この映画の宇宙生命体の言語にはどうやら時制がないらしいのですが、それを字幕を通して読むと、意味の取れない部分が元の言葉にあるのか、字幕の限界にあるのか一度観ただけで判別出来ませんでした。


上にあげた本にはこうある。


「普段はなじみのない事柄など直訳では伝わらない要素は役者がそうさくして補わねばならない。

だから、字幕は翻訳と言うよりは脚色なのだと思う」P233


「映画は原作に対する一つの読み方を提示するにすぎない」P244


ちなみに原作はStory of your life(あなたの人生の物語)

それが映画になるとArrival(到着)に翻訳され

さらには邦題になると「メッセージ」になる。

主題が変わっちゃうほどの翻訳です。


原作の1つの解釈である映画も観客それぞれが自分のそれまでの体験の積み重ねを基にしてそれぞれが翻訳して消化する。


そしてその元のもとの原作はアメリカに渡った中国人の子孫が書いている。

そして映画では中国語が重要なキーになる。これは映画としてのオリジナルだというから面白い。


ともかく言語がテーマであり言語が地球さらには宇宙に与えるものはなんなのだ?


これは観てのお楽しみ。


言語の違いが分裂を生むのか?それとも?


以上





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by zhuangyuan | 2017-06-25 11:02 | 映画 | Comments(0)
2017年 04月 20日

狂気の芽は自分自身にも

「葛城事件」鑑賞。
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ずっと観るチャンスをうかがっていましたが、重苦しい内容だとわかっていますので躊躇します。ブルーに耐えるのは体力が要りますのでこれまでタイミングが合いませんでした。名画座でたまたま時間があったので疲れは横に置いて夜の最終回を観てきました。

案の定はじめから終わりまで沈鬱なムードで貫かれ救いがない。しかも全員が暗い。三浦友和演じる最低な親父も怖いが、ちょっとネジが外れた系の妻役南果歩のカラ回りした明るさがもっと怖い。

凶悪殺人を犯した次男はどう育ったのか?家庭が崩壊したのはなぜか?父親はいつから傍若無人なふるまいをするようになったのか?

さして大きな転換点があるわけではない。どこかでボタンを掛け違えたままジワジワと深々と軋轢の起点に重しが積み重なっていく。

登場人物は皆、それぞれ描いていた未来と違う自分に気づき、それでいてそこに正面から向き合わず誰か他人や社会そのものに理由を求め、自らの不作為に対しても細かい言い訳を繰り返す。その言い訳は外部に対して行っていたはずであるが知らぬうちに自らもそれを信じ込み、というか信じざるを得ず、それに固執してしまう。正義と思い込もうとすればするほどに後に引けなくなる。

父親の人格を形成してきた成り行きを想像すると、学歴はないながらも親の店を継ぎ、時代の勢いか、それなりに成功し、家庭も持ちマイホームを立てる。ある一つの到達点。ここからは幼い子を育てあげる責務が加わる。

十数年後にはこれまた時代のせいか仕事はうまくいかず、マイホームはくすんだ色合いとなり、家には無職の次男が無気力にこもっている。妻が甘やかしすぎた。学歴は大事だと当てほど言い続けたのに。俺のせいではない。でもどう考えても父親の血を多く引くのは次男のほう。父親のように世を憂う言動を繰り返す次男。いつか一発逆転してやると唱えつつ悶々と過ごす。父親も何かをなすことなく子供に自分を仮託しつつも上手くいかないことは自分以外に安易な口実を見つけののしり、時に暴力に訴える。

長男の嫁の実家と中華テーブルを囲む場面がヒリヒリして痛ましい。20年家族で使っている店に招待したまでは良かった。麻婆豆腐が辛すぎる。店長呼んでこいと怒鳴りつける。ホストたる自らのメンツを立てることに必死で客はそっちのけ。それでいて自分の選択があっていたことを相手に執拗に合意させるべく、水餃子がうまいと言い続ける。1人よがり独り相撲。なんのコンプレックスがそれをさせるのか?自分のあるべき姿との違い、周りとの違い、時代のずれ、浮いている自分がわかっているのに認められない。

家族をとりまく人々も含めすべての人々が大小、濃淡はあれど不如意な自分への言い訳を続ける。これは時代性のせいなんだろう。大きく背伸びして膨らんだバブルとそれに続く長期停滞。一度上を知りながら下にいる理不尽感を大多数が持っている。オレのせいじゃないんだ。オレはやってきた。それなのに..

観ているあいだ終始ざわざわさせられっぱなしでした。その夜寝てる間もざわついていたような。

これほどの破綻はないというほどの家族崩壊が起こるんですが、それほど特別に追い込まれる環境がなくとも、もっと言えば自分自身でもいつの間にかこうした破綻に近づく可能性を想像させられるキツイシンドイ映画でありました。みんなと語りあいたいけどもオススメするにはむごすぎる。

以上

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by zhuangyuan | 2017-04-20 14:58 | 映画 | Comments(0)
2017年 02月 01日

映画「十年」香港の核心的価値とは?ヒント:カネじゃない

香港映画「十年」鑑賞@多摩映画祭(2016.11.27)。
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FBで前日に上映会を知り駆けつける。会場はぎっしり。こうした地味なテーマに惹きつけられる同志がこれだけいるとはうれしくなる。

中国大陸の影響が強まるなか香港の十年後の姿を描いた問題作。アクション映画でもなくスター俳優が出ているわけではない本作が公開されると話題が話題を呼び大ヒット。大手映画館にはかからなかったにもかかわらず学校の体育館で上映会をやるなどして広がっていったという。この映画を観ることが現体制批判の意思表示として1つのファッションとなったと。その結果、超話題作スターウォーズを凌駕するヒットになったそうです。

5本のオムニバス形式である本作は十年後の諸相が異なる角度と様々なスタイルで映像化されている。

テーマは下記
国家安全条例制定
歴史の破壊と保存
消えゆく広東語
独立運動と焼身自殺
言葉狩り

それぞれこんな題名がついています。《浮瓜》《冬蟬》《方言》《自焚者》《本地蛋》

国家安全条例立法化をめぐる権力者の陰謀をヒットマンの葛藤から描く。権力におもねる統治者が大陸にいると思しき上層部からの指示で条例を通すための事件をでっちあげる。狙撃役に選ばれた2人はためらいつつもわずかな金欲しさに自分が実行したいと争う。そしてその結果は?

大陸と香港、香港政府と庶民、金持ちと貧乏人、権力と裏組織、いくつものメタ構造がこの狙撃をめぐる人間関係の行く末で預言されてるようで恐ろしい。この条例は胡錦濤が就任直後で国内で政争ネタになるのを恐れて断念した経緯があるそうだ。今中国は当時からすると存在感がぐっと増しており、さらに10年後なら言わずもがな。危機をあおる狙撃茶番など要らなくなるほど香港市民の洗脳が進んでいるかも。であるからこそ香港人民が今こそ政治に関心を持たなくてはならない。これこそが本作の狙いでしょう。もちろんわれわれも日本人も政治を意識しないとね。

人権に関心のない大陸政府に対抗するため独立を願う10年後の若者たちがすがったのがイギリス政府。国際世論の関心を引くためイギリスに訴える方法は強烈すぎる。英国領事館前の焼身自殺。

このストーリーの中で意識されてるのは香港の多様性。自由と民主を求める若者たちの中の重要な役でインド系の女子学生が出てくる。香港といえば中国人と英国人の国。なぜインド人が?香港のイメージは中華系の金融センターでありカネによってシンボライズされている。自由なカネを回すには安定したルールが必要。自由なシステムの元では人種は区別されない。そこではアイデンティティは血ではなく、民主的に決められた法治主義のもとの自由。英国統治時代に香港に来たインド系も多く移民してきており、彼らも代かわりして香港の自由のために戦っている。単に中国からの政治的独立だけでなく普遍の価値を求めた戦いであることをインド系を登場させることで象徴させているのではないか?

正直、映画を観るまでは、報道で若者たちの抗議デモを見ていてもピンと来なかった。民主とか自由とか言っても結局は香港人ってカネ第一じゃないの?土地への帰属心もうすく中国返還が決まったらどんどん海外に脱出したよね。バンクーバーなんて香港人増えすぎてホンクーバーなっちゃった。そもそも彼らに香港人としてのアイデンティティはあるのかと疑問を抱いていた。そこで上映後トークに登場したジャーナリストの福島香織さんに質問してみた。

「香港人のアイデンティティって何ですか?」

Rule of law 法による統治が香港の核心的価値であると香港の識者は主張していると。統治者が都合よく法をふりかざすRule by lawと異なる厳かな法による統治。為政者も法に支配される。「香港を知るための60章」でもイギリスが残した民主主義について触れている。返還を前にイギリスは優位に交渉するためとはいえ香港に高度な自治と社会福祉を充実させたと言う。返還にあたっては「五十年不変」を鄧小平に認めさせた。その高度な自治が骨抜きにされつつある今日、雨傘運動につながってくるのだと言います。

5つの物語で私が好きなのは「方言」。コミカルタッチな作品です。普通語がメジャーになっている十年後の世界では広東語は方言扱いされ、タクシー運転士も普通語をマスターすることが義務付けられてる。普通語試験に合格しないと「非普」のステッカーを貼られ空港などでは営業ができない。空港を利用する人の中にも当然広東語しか話せないひともいるのに広東語では営業できない。早く合格した香港人ドライバーからも蔑まれる。息子は学校で普通語マスターしてるのに親父はできない。香港の地名は広東語か英語だったのに普通語で発音しなきゃならない。サッカー選手のベッカムDavid Beckhamなんてのも香港では英語で呼ぶわけですが普通語では大卫·贝克汉姆と呼ぶ。Dawei Beikehanmu、ダーウェイ ベイコーハンムー。かなり笑えるのですがだんだん悲しくなってくる。言葉統制は統治の基本。日本も韓国や台湾でやりました。

香港では言葉がちょっと複雑。英語が入ってる。グローバルでは英語が主流ですがそれも排除すると言うのが十年後。もちろん想像の世界でのことですが。しかも香港は復帰直後までは中国世界の経済的繁栄の象徴であり、大陸中国の目標であり憧れだった。そのシンボルは広東語だった。スターがしゃべる広東語がかっこよかった。その排除にはかつての劣等感の裏返しがあるんでしょうね。

そのコンプレックス感は「本地蛋」の物語にも出てくる。「地元の卵」って題名です。十年後には中国大陸産卵を食べることが義務付けられ最後の地元養鶏場が廃業する。「本地」ってのは地元くらいの意味ですが香港ではすこしセンシティブです。遅れた大陸中国ではない文明化された我らが香港との響きがある。この「本地」という言葉も十年後には排除の対象となっている。そんな情勢下で衛生と滋養を満たした地元の卵を作ってきた最後の養鶏場経営者が追い込まれて行く。地元卵を売る店も取り締まられる。街を偵察して密告して糾弾するのは少年たち。文革の紅衛兵を模した少年軍。洗脳、密告、排除。醜悪です。でもありえるよね。すこし前にあったんだから。物語の最後には養鶏場経営者の息子が父を支持して立ち上がり希望を残して終わるのですが、いかにもありそうでこわいお話しでした。

私、二年前に久しぶりに香港旅行に家族で行きました。普通語はずいぶん通じるようになってました。ただレストランなどで普通語をしゃべると店員の態度がめちゃめちゃわるくなるのが困りものでした。その理由を友人に聞きました。香港には大陸の旅行者が大挙して押しかけ金に任せてやりたいホーダイ。大陸観光客に経済的にはたよりつつも異質な者として嫌っているのだそうです。香港人は彼らを揶揄してイナゴの大群と呼ぶ。700万人口に対して大陸からの訪問者4700万人(2014年)であると前掲書にある。香港は急拡大する中国と国際社会の摩擦の先端となっている。それを見るだけでも香港に行く価値がある。映画を観た後に訪問するとさらに奥行きが見えるようになる気がする。香港では若者が戦っている。

以上


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by zhuangyuan | 2017-02-01 19:53 | 言葉 | Comments(0)
2017年 01月 22日

見えない世界をどう見せる?「推拿」

中国映画「推拿 ブラインドマッサージ」鑑賞。

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地味なテーマ、目をそむけてきたテーマを描いてこれだけ目が離せない物語にするとは恐れ入ります。

推拿、手の感触から広がりゆく奥深い世界が感じられる。邦題でブラインドがつくとそこで世界が遮断されているような閉塞感をイメージしてしまう。

盲人按摩が繁盛していた時代の物語だと言う。
私もかなり前に何度か施術を受けたことがあります。ロウソクくらいのともしびだけの暗い部屋に通されてうつ伏せで身を委ねる。暗がりの中でじっと受け身で過ごす不安感は忘れません。あちらが万能、こちらがハンディを負いなすすべがない感覚。当時は中国語もできませんので無力です。

映画では経営者も含めてマッサージ師が全て盲人である施術院での人間模様を描く。

ナレーター曰く、盲人は健常者を一級上であり神に近い存在だと感じるのだという。そうなのかもしれない。でもそれはそう思わされているだけなのではないか。ろうの世界の歴史と現状を描いた「手話を生きる」を読むと盲人のこの考えは、洗脳された結果にすぎないのではと思えてくる。

健常者が作り上げた聞こえる者が中心にいる世界に、聾が努力して合わせるべきだと教えられ、
かつては手話の使用を否定された。本来芳醇な精神世界が手話によるコミュケーションで培うことができるにもかかわらず、習得困難な口話教育により幼児レベルの思想に押し込まれたという。盲の世界にも光ではない何かが照らす深淵があるのではないか。

按摩院で働く盲人たちは推拿という特殊技能を持ちながらも患者を含めた圧倒的多数派である健常者が作る世界の価値観の影響を免れない。常にポジティブな院長はごく幼いころに視力を失いずっと盲の世界で育ったため盲であることにコンプレックス感じたことがないという。そんな彼ですらも健常者の価値観の影響を受ける。目の見える患者たちが口々に褒め讃える美貌の持つ盲人按摩師に恋をする。見える世界の美に触れたことがないにもかかわらず。未知のものに対する憧憬。見えることはない、知ることがないと知りつつも。

かつて健常者であり徐々に視力を失いつつあるもう一人の女性按摩師は盲人である恋人にいう。自分は按摩院で2番目の美女であると。そしてそんな彼女を持つことが誇らしいかと盲人の彼に問う。美を目で捉えられない彼氏に。見えていた世界の論理にすがる彼女。その院には視力の度合いや盲になった時期の異なる按摩師が同居している。はじめから見えない盲人は自らの世界を楽しんでいるように思える。光のない世界がホームとして。見える世界と見えない世界の境界が人間模様も中で交差し、時に錯綜する。価値観がくずれる、あやふやになる。

原作が読みたい。映像は見える世界を見せる。文字では見えない様子をどう描くのか?表意文字である漢字の国で音だけの世界をどう表すのか?是非原書をのぞいてみたい。

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by zhuangyuan | 2017-01-22 21:47 | 映画 | Comments(0)
2016年 11月 07日

隣国の選挙を前に歴史を振り返る

今週は米国大統領選挙です。

カナダ、バンクーバーに着くとさっそくその話題に。

「今日クリントンメール問題でいいニュースがあったよ。」

「でも彼女人気ないでしょ?アメリカ人はクレバーな女性より、シリーな男が好きなんじゃない?」

「トランプはSillyじゃないCrazyだ!カナダでもみんな心配してる。ああいうレイシストは絶対にダメだ」とトランプをこきおろす。「でもクリントンが勝ってもトランプ派が暴動起こすかもしれないな」

「そういえばカナダは人種差別深刻じゃないの?」
「とっくに解決したよ」とバンクーバー生まれの白人の彼が言う。

そんなカナダでもパールハーバーが起きるとカナダでも日本人排斥運動が起きて、日本人街は接収され日系人は強制収容所に入れられたと言います。当時日本人街はチャイナタウンの隣にあって同じくらい大きかったといいます。

カナダでは戦後しばらく経って強制収容に対し日系人に賠償金が払われ公式に謝罪したそうです。

「でもね日本軍はバンクーバーにもアタックしたの知ってる?」

「いや知らない」

「サブマリンから魚雷撃ったり、バルーンでボム落としてフォレスト焼いたんだよ」

ぜんぜん知らない。お恥ずかしい。

「戦前に日系人はバンクーバーに野球チームも持ってたんだ。アサヒって言うんだよ。連勝記録は未だに破られてないはず。」

そういえばそんな映画がありました。
「バンクーバーの朝日」
帰ってから観ないとね。

「彼らはとても人気があった。でも彼らのボールパークも壊されちゃったよ。戦後に公園になって名前が変わったんだけど、どんな名前だと思う?オッペンハイマーパークって言うんだ。アトミックボム開発した人の名前さ」

実際にはかつての有名な市長の名前からとったことになっているといいますが、あのオッペンハイマーを連想しないはずがないと。最低な命名だね。

人種差別ってのは普段みえなくてもなにかあるとすぐに頭をあらわすんだろうな。

夜の日本人街跡にはオッペンハイマーパークが静かに佇み、ホームレスがテントを張っていました。
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以上
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by zhuangyuan | 2016-11-07 19:56 | 時事 | Comments(0)
2016年 08月 14日

映画「湾生回家」 こころのふるさと台湾をおもふ

「灣生回家」という映画が台湾で大ヒットしたのは知っていました。台湾生まれの里帰り。

戦争前に台湾で生まれた日本人が台湾に帰る。そのころ子供だった人たちの故郷への想いと帰郷を綴ったドキュンタリーです。

そんな映画がヒットするのが台湾なんです。


敗戦まで台湾は日本でした。日清戦争で割譲されて以来、自国での人口圧力緩和のために台湾に続々と移民し開拓しました。

戦争で敗れると自らの意思とは別に日本に引き上げていった。その間50年ですから台湾で生まれて育った人たちがたくさんいたわけです。

引揚者の数は48万人。


数字で書くと膨大すぎて物語が浮かびませんが、そのころの子供にとってはふるさと台湾が人生のすべてだったのです。

大人たちの理不尽な戦争によって生まれた地から引き離される。家も友達も遊び場もすべて突然失うのです。

こころのどこかでずっと思い続けた台湾に人生の晩年で帰るひとりひとりを追ったのです。


台湾に出張に行った際、会食の席でこの映画の話になりました。私が観たいと言っていたら後日、本を送ってくれました。


その後、別の機会で再度台湾を訪れた時、ついに観る機会がやってきたのです。

映画を知った時にはすでに上映が終わってましたのでチャンスを待っていました。


その日は結婚式の披露宴に呼ばれており、昼間はフリー。Facebookで隣町の市民ホールで上映があるのを知りました。

市役所庁舎でチケットを配るというので早めに行って券を確保。なんと無料でした。

開演時刻にホールに入るとデカさにびっくり。3階席までありました。しかもすでに2階席までいっぱいです。


こういう映画にこれほどまでの人がつめかけるとは台湾の親日ぶりがうかがえます。

日本時代に教育を受けた方は今ではかなりのお年ですが流暢な日本語を話されますし、友人の伯父さんは今でもNHKしか見ないと言います。

そんな台湾だからこそのホール満員。まあ年配の方が多かったですが学生っぽいひとも結構いました。

親子で来てるケースも。私の席は空いてる席でゆったりと思ったのですが後から来たおばちゃん軍団に囲まれてしまいました。


困るんですよね、おばちゃんたち。だって号泣するんだもん。

鼻をズーズーさせてさ。オレも泣いちゃうじゃんかよお。

3回涙が出ましたよ。おばちゃんのせいで。


ふるさとを思う気持ちってのはここまで強く重いものなのか。

国家とか国籍とか子供にとってはどうでもよくってそこで過ごした幸せな時間とその土地の街並みもしくは山や川。

突然見知らぬ日本につれていかれ、さらにはその国では必ずしも歓迎されない。それどころか排除される。

ただでさえ食糧難のところに400万人が世界中から引き揚げてくる。


疫病の心配もいわれ島に隔離されたと言います。徳島の島には台湾村ができたと本にあります。

そこも一から開拓しなければなりません。でもそこは故郷台湾の花蓮にそっくりだったと。


花蓮出身の湾生松本洽盛さんのエピソードが印象的です。


回到日本後他一看到「牛」,就想到台灣,因為小時候常在牛背上睡覺,
雖然上面有許多蒼蠅飛舞,嗡嗡的聲音很吵,但卻是回到日本最懷念的景象……

日本に戻って牛を見るとすぐに台湾を思い出すんです。小さな頃牛の背でいっつもいねむりしてたからね。蝿が飛び回ってブンブンいってるのにね、それが一番の思い出のシーンなんだよ。


彼は牛に乗って遊んでいたそうですが、彼の牛は牛同士の争いになると無敵の強さで信頼しきっていたそうです。

ある日とうとう負ける日が来た。

彼はショックで家に帰っても涙が止まらなかったといいます。

ぎらぎら照りつける太陽のもと田舎のあぜ道を牛に乗ってゆったり進む少年。

これだけでじわっときちゃいます。この日々は帰らない。

でもね、彼は戻ってサトウキビを食べるんです。想いに耽りながら。


敗戦引き揚げは当然別れもうみます。親子の別れも。

片山清子さんは台湾人の養子として育った。芸妓だった母親は敗戦後も残留したかったが技術がないために引き揚げる。

できるだけ早く我が子を連れに戻ると言い残し、全財産を置いて日本に引き揚げた。

しかし戦後の混乱期、迎えに戻った時にはすでに預けた家はなく、子供と会えずに生涯を終えたのです。

残された清子はいつも嘆いていたとその娘がいう。


「我的母親一直怨嘆著她媽媽為什麼要拋棄她!」
母さんはいつも恨めしく嘆いていました。ママはどうして私を捨てたのって


悲しすぎます。

そして人生の最後を迎える間際に娘と孫が清子の母親の足跡を日本で辿る。

お孫さんは日本語勉強してるんです。一生懸命学習した日本語って感じが胸をうちます。


そしてもっともグッときたのが綺麗なおばさま湾生、家倉多恵子さんのお言葉。

彼女のお父さんは台湾総督府の役人だった。戦火が激しくなり花蓮に疎開した。彼女は焼かれる故郷を丘から見たといいます。

花蓮で敗戦を迎え、日本引き揚げる。台北には帰らずに。

そこは底冷えのする敦賀の寺。その後ずっと台湾を思い続けた。


「原來我是永遠的異邦人,我對台灣的思念是到死都放不下的。」
「私はずうっと自分が異邦人だと感じてたの、台湾への想いは死ぬまで放せませんよ。」


異邦人

感じるんですよ私も。

私は引揚者でもなんでもありませんが海外にいる時に感じる疎外感。

時には東京でもね。

誰でもある感覚なのかな。

子供の頃に自らの意思とは別に急に失った世界。

どこへ行っても異邦人。


11月に岩波ホールで上映決定だと言います。

必見。



以上


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by zhuangyuan | 2016-08-14 20:45 | 文化、歴史 | Comments(2)
2016年 05月 15日

ボーダーの向こうの現実をブルースが歌ってる

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最近、メキシコボーダーに関する映画をいくつか観てる。

ドキュメンタリー、カルテルランドはここにも書きました。

「カルテル・ランド」正義の変質 その時ゲバラならどうする?

警察がカルテルを持て余してるので自警団を作った。国境の向こう側アリゾナでも白人が俺たちの生活を脅かす密入国者を退治するため自警団が組織されてる。


「皆殺しのバラッド」国境付近街シウダ・フアレスでは法の執行なんかは期待できず抗争でバンバン人が死ぬ。一方国境を隔てたエル・パソは平和な街。国境の両側で麻薬カルテルの実態を唄うバンドがヒーローになってる。


ボーダーラインでは麻薬カルテル撲滅を狙うアメリカ国防総省が国境越えてメキシコに潜入し、正義のボーダーも踏み越えて悪虐な行為で敵を仕留める。

FBI女性捜査官は国境での作戦に行けと言われ、行く先がエル・パソかと思いきや国境の向こう側シウダ・フアレスでびっくり。そこにはチンケな法なんかはあってなきがごとし。


とにかくどの映画でも描かれるのは無法地帯メキシコ。金の匂いのする麻薬に関わる組織には若者たちも組み込まれカルテルなしには生きられない。富を望まない慎ましい生活を送る一般市民も嫌が応にも巻き込まれ犠牲者が積み上がる。こんな土地誰でも逃げ出したくなる。近くにある国境の向こうには世界で一番の富が集まるプロミスランドアメリカがある。そこでは真面目に働いてドルを貯めれば、個人の力で成功をつかめるんだ。生まれついたところが国境のこっちだっただけ。若者は北を目指す。


「闇の列車 光の旅」はそんな若者を描いたものだった。ギャング団の下っ端でボスに気に入られるも恋愛する自由もない。組織の稼ぎは国境に向かう列車で強盗を働くこと。列車に乗ってるのは中南米から貨物列車に無賃乗車するアメリカへの国境を目指す不法移民たち。不法って言ったって既得権益者が自らの富を守るために作った方ですからボーダー越えちゃえばなんとかなると皆、北を目指すのです。


もう一人の主人公はアメリカを目指すホンジュラスの純朴な少女。少年は列車を襲った時に彼女を助けて仲間を殺す。そして北を目指す列車の乗客となる。乗客っていっても屋根の上ですけどね。もちろん彼は組織から追われることになります。


この国境を目指すまっすぐな列車が閉塞した人生を象徴しているようで辛いのです。線は国境までつながってる。しかもいつもそこを通ってアメリカ国境まで行ってる。でもまっすぐしか進めないし、そこしか走れないから阻止するのも簡単です。待ち伏せするのも容易。国境の向こうの光の国に進んでいるのに闇に囲まれてる。この邦題は素晴らしい。


列車が繋がってるだけでなく、今はみんなケータイ持ってますから通信なんて自由にできる。電波は簡単に国境を越える。でも人は超えられない。ただそこに生まれたと言うだけで壁に阻まれる。法に阻まれる。土地のしがらみにも。


この映画の車窓というか列車周りの風景が美しいのも辛いんですよね。自然は美しくどこまでも繋がってるのに人間だけが壁作って法作って差別して搾取のシステム作ってる。


映画のネタバレして恐縮ですがホンジュラスの少女は国境を越えることに成功します。

夢の国にたどり着いて先に移民した親戚に電話する。希望の国での第一歩を踏み出して映画は終わります。


この先少女にどのような人生が待ってるのかわかなないのですが、そこで思い出しちゃったのがブルース・スプリングスティーンの曲。アメリカに渡ったメキシコの兄弟を歌ったもの。Sinaloa Cowboys (The Ghost Of Tom Joad)1995年のアルバムです。国境の両側のシビアな現状をアルバム全体で詞にしています。


私当時友人に誘われこのアルバムのツアーを聴きに行きました。アコースティックギター一本で静かに歌い上げるでしたがブルースの英語がさっぱりわかりませんでした。ライブ後に歌詞カードを読んで意味の深さに後になって知るという失敗をしたのです。


歌の中でアメリカに渡ったミゲールとルイスは農場で仕事を見つける。

でも3年経っても生活は苦しいまま。

そこへもっと金になる話が聞こえてきた。


Word was out some men in from Sinaloa were looking for some hands
Well deep in Fresno county there was a deserted chicken ranch
There in a small tin shack on the edge of a ravine
Miguel and Louis stood cooking methamphetamine


シナロア男たちが人を探してるって

そこはフレズノの奥にある荒れ果てたニワトリ農場で

渓谷の淵に掘っ立て小屋があるミゲールとルイスはメタフェタミンを作った



麻薬工場ですよ。シナロアってのはメキシコにあるケシの産地。

国境を越えたはずなのにまたあのしがらみに絡まってる。

いわゆるグローバリズムってこういうことだよね。キレイな単純労働は世界にどこだって安くなる。国境のこっちでも。手っ取り早くて金がいいのは方の裏側だけ。


でこの後どうなると思います?アニキのルイスは小屋が爆発して死ぬんです。

ミゲルは燃える小屋を見てる。そしてアニキと貯めた金を持って旅に出る。これが希望というならむごすぎる。


ブルースの観察眼には恐れ入ります。一曲で人生歌い上げる。

この曲1995年のものです。そして20年経った今も構図変わらない。秩序がなくなってもっと悪くなっているのかも。

私、1990年にメキシコを一ヶ月旅行しましたが、当時こんなメキシコの事情を知らなかった。

25年ぶりにメキシコ行きます。来週。仕事ですけどね。


以上



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by zhuangyuan | 2016-05-15 09:00 | 時事 | Comments(0)
2016年 05月 05日

「カルテル・ランド」正義の変質 その時ゲバラならどうする?

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「カルテル・ランド」試写会にて鑑賞。

メキシコ ミチョアカアンで麻薬カルテルが跋扈し警察も手がでない。さもなくば警察も彼らに抱き込まれてる。子供たちまで巻き込んだ殺戮の繰り返しに対し、街を守るのは自ら銃を持って立ち上がるしかないと自警団が立ち上がる。中心になったのはミレレス医師。長身痩躯にカーボーイハット。優しい面立ちにも鋭い眼光が光り、演説すれば民衆を惹きつける。街の支持を得た自警団は徐々に勢力を拡大しカルテルから街を取り戻してゆく。

勢力が拡大すると警察権力が抑えにかかる。ヘリでやってきて武装解除を迫る。民衆がおびえていると。しかし民の支持をバックに武装した警察隊から武器を取り戻す。街の安全のため。正義の武装がなし崩し的に認められる。

カルテルアジトを急襲する場面もカメラが回る。思わぬ方向から銃声がなり画面が揺れる。ドキュメンタリーならではのヒリヒリとした緊張感。カルテルの幹部を連行する。自警団メンバーは幹部を殴る。次から次へとやってきて押さえつけられた幹部を殴る。憎しみの過剰。

正義を掲げた小さな抵抗から、勝利を重ねるごとに勢力を増し、大きな力を得ると惰性がつき、正義があやふやになる。驕りも加わり過剰へと進む。そして中から変質してゆく。リーダーミラレスは嘆く自警団はカルテル化していると。警察組織からの再三の懐柔工作を受け、ついには迎合の時を迎える。

ミラレス医師は身の危険を察し、組織を離れて街を出て行く。

試写会にはスペシャルゲストとして「ゆきゆきて神軍」の原一男監督のトークがありました。

4回観たといいドキュメンタリーとして絶賛するも観れば観るほどわからなくなるという。権力に対するため民衆が武器を持ち立ち上がることを否定しないが自警団の変質や権力への同化の見せられると自信がなくなると。
「皆さんどう思います?」と原一男監督。

わからない。
特にわからないのはミレレス医師。カリスマ性を持つリーダーがあっけなく組織を去る。組織を立て直すことにカリスマ性を発揮すれば正義の道もあっただろうに。映像の迫力と多層な構造の絡み合いに頭が熱し答えが出ない。

映画の余韻冷めやらぬまま翌日にはGWの家族旅行に出ました。旅先で私なりの答えを見つけたんです。というか本に教えてもらった。ふと立ち寄った古書店でみつけたのはゲバラの本。
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現代思想 2004年 10月臨時増刊 「総特集 チェ・ゲバラ」そのなかの一編「路上の紳士」(越川芳明)にこうある。

ゲバラが10代の頃にに取り憑かれていたのは、革命でなく放浪だった。

ゲバラは自ら血の中に、ほうっておけば立派な独裁者になりかねないカリスマ性と残虐性があることに気づいていた。


そしてイギリスの作家の言葉を引く
「生物学の一般的な規則によれば、移動性の種は定住性の種ほど"攻撃的"でない。」


ゆえにゲバラはキューバを去った。
ミラレス医師もそこに自覚的であったのではなかろうか?定住する権力は攻撃的になる。そのなかでカリスマとなることの危険を達観していたのか?武器を持ち続けると抑圧側にまわるという必然を避けていたのか?ミレレスは放浪の旅へ出て、警察傘下となった自警団はいかなる未来があるのか?

なんてことをアレコレ考えてたらあっという間に目的地に着きました。さあ旅を続けよう。

アメリカ側ボーダーでのプアホワイト自警団の成り立ちも非常に興味ぶかいしシンプルにはわりきれないのですがこれは映画を観てのお楽しみ。



以上


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by zhuangyuan | 2016-05-05 18:25 | 映画 | Comments(0)