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2017年 01月 22日

見えない世界をどう見せる?「推拿」

中国映画「推拿 ブラインドマッサージ」鑑賞。

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地味なテーマ、目をそむけてきたテーマを描いてこれだけ目が離せない物語にするとは恐れ入ります。

推拿、手の感触から広がりゆく奥深い世界が感じられる。邦題でブラインドがつくとそこで世界が遮断されているような閉塞感をイメージしてしまう。

盲人按摩が繁盛していた時代の物語だと言う。
私もかなり前に何度か施術を受けたことがあります。ロウソクくらいのともしびだけの暗い部屋に通されてうつ伏せで身を委ねる。暗がりの中でじっと受け身で過ごす不安感は忘れません。あちらが万能、こちらがハンディを負いなすすべがない感覚。当時は中国語もできませんので無力です。

映画では経営者も含めてマッサージ師が全て盲人である施術院での人間模様を描く。

ナレーター曰く、盲人は健常者を一級上であり神に近い存在だと感じるのだという。そうなのかもしれない。でもそれはそう思わされているだけなのではないか。ろうの世界の歴史と現状を描いた「手話を生きる」を読むと盲人のこの考えは、洗脳された結果にすぎないのではと思えてくる。

健常者が作り上げた聞こえる者が中心にいる世界に、聾が努力して合わせるべきだと教えられ、
かつては手話の使用を否定された。本来芳醇な精神世界が手話によるコミュケーションで培うことができるにもかかわらず、習得困難な口話教育により幼児レベルの思想に押し込まれたという。盲の世界にも光ではない何かが照らす深淵があるのではないか。

按摩院で働く盲人たちは推拿という特殊技能を持ちながらも患者を含めた圧倒的多数派である健常者が作る世界の価値観の影響を免れない。常にポジティブな院長はごく幼いころに視力を失いずっと盲の世界で育ったため盲であることにコンプレックス感じたことがないという。そんな彼ですらも健常者の価値観の影響を受ける。目の見える患者たちが口々に褒め讃える美貌の持つ盲人按摩師に恋をする。見える世界の美に触れたことがないにもかかわらず。未知のものに対する憧憬。見えることはない、知ることがないと知りつつも。

かつて健常者であり徐々に視力を失いつつあるもう一人の女性按摩師は盲人である恋人にいう。自分は按摩院で2番目の美女であると。そしてそんな彼女を持つことが誇らしいかと盲人の彼に問う。美を目で捉えられない彼氏に。見えていた世界の論理にすがる彼女。その院には視力の度合いや盲になった時期の異なる按摩師が同居している。はじめから見えない盲人は自らの世界を楽しんでいるように思える。光のない世界がホームとして。見える世界と見えない世界の境界が人間模様も中で交差し、時に錯綜する。価値観がくずれる、あやふやになる。

原作が読みたい。映像は見える世界を見せる。文字では見えない様子をどう描くのか?表意文字である漢字の国で音だけの世界をどう表すのか?是非原書をのぞいてみたい。

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by zhuangyuan | 2017-01-22 21:47 | 映画 | Comments(0)
2016年 11月 12日

旅とメキシコとトランプ大勝利


出張でメキシコに来きました。
初めて来たのは1990年大学2年の夏休みです。スペイン語が好きだったので使ってみたかったのです。ロスからバスに乗り国境の町ティファナに入ると雰囲気が一変しそこはソンブレロとブーツのメキシコ世界でした。そこには人間が後から引いた線があるだけなのに突然世界が変わるんです。でも当時はその線が生み出した越えられない住民たちの人生の格差なんかには考えは及びませんでした。今まさにに話題になってるトランプが作ろうっていう壁が何故に必要だ言われるのか?そんなことはつゆ知らず何の気なしに国境を越えたんです。ジャパニーズパスポートでイージーに。

その時びっくりしたのは国境を越えると英語がぜんぜん通じないこと。そこから40日間カタコトスペイン語ひとり旅をしたんです。3日目にチワワについた時には日本語が恋しくて恋しくて宿に日本人がいると聞いて会いに行っちゃいましたよ。チワワの治安の事なんてまったく気にせず旅してました。

バスを乗り継ぎ、メキシコシティを越えて数都市周り、最後はグアテマラまで行きました。メキシコってアメリカの下にあるので小さく見えますが国土は日本の5倍です。広い言葉が満足にできないひとり旅ってほんと孤独なんですよ。バスで縦断してグアテマラパナハッチェル湖に着いた時は、ほんと遠くまで来ちゃったと思いました。でもこの時は数日後に荷物を全て失うことはまだ知りません。この顛末はずいぶん前に書きました。

この旅でもっとも印象に残った街はSan Cristbal de Las Casasです。カテドラルを中心としたコロニアル風の小ぶりな街に様々な民族衣装をきたインディオが闊歩しているのです。当時のわたしは旅をしてもあまり写真を撮りませんでした。カメラを頭から下げた姿がティピカルジャパニーズと揶揄されるのが嫌だったのです。ただの自意識過剰。今ではiPhoneで撮りまくりです。世界のスタンダードですから。そんなわたしもその街ではキレイな衣装に魅せられてカメラを向けたくなりました。郊外の村々をめぐると村ごとに衣装が異なり民族が違うことがわかります。記録に残したい。でも写真は撮るなとアドバイスされました。カメラを向けると魂を抜き取られるとう迷信があるといいます。彼らの私に向ける目が冷たいというか暗いというか受け入れない意思を感じました。日常を送る人々に観光にきた外国人が好奇心からカメラを向けるのはいい迷惑でしょうからカメラは諦めました。でもその迷信と言われるものの根拠がもっと深いところにあると知るのは帰国後数年たった時でした。

1994年1月1日そのサン・クリストバル・デ・ラス・カサスで多くの観光客が犠牲となる先住民勢力の武装蜂起が起きたのです。サパティスタ民族解放軍。メキシコ革命の英雄サパタから名をとった農民たちのゲリラ組織です。
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その日がNAFTA北米自由貿易協定の発効日でした。カナダ、アメリカ、メキシコの関税を撤廃しグローバル経済に備えて北米の競争力を高める狙いがありました。人件費があがり競争力を失ったアメリカ製造業はメキシコに安い労働力を求めて移って行くのです。一方農業を生活の糧にしていた先住民族たちは生産性の高い米国農産物の輸入と競争を余儀なくさせられるもです。NAFTAは農民への「死刑宣告」だとして、農業を壊されアメリカの下請けになることに反対した武装蜂起でした。ただ当時学生だった私はそんな構図に気づいていませんでした。この街の名前の由来はラス・カサスという宣教師からとっている。彼はコンキスタドールたちの暴虐非道な征服を本国政府に報告した人です。
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https://note.mu/yuezhuangyuan/n/nc0fdcd3baa6a

初めての旅から26年。今年初めて仕事でメキシコ来れました。メキシコはNAFTAのおかげで経済成長しここ数年アメリカ市場への製造業供給基地として経済成長し続けました。私もその繁栄にあやかり物を売りに来たのです。

数多くのグローバル企業がメキシコ製造拠点を設けアメリカ市場に大量の製品を送り込んでいます。国境近くのマキナドーラ呼ばれる工業団地ではメキシコ人労働者が安い賃金で大量生産を続けています。国家経済は成長した。企業も利益をあげた。賃金も上昇した。でも自分たちは豊かになったのか?国境の向こうにはどんな生活があるんだ?俺たちが作った製品を大量に消費するアメリカ。近いけど遠い国。そうだ国境を越えよう。ここから先はブルース・スプリングスティーンの歌の世界です。
http://zhuangyuan.exblog.jp/23145084/

国境を越えた。仕事についた。メキシコより給料は高い。でも生活できない。物価が高い。いい仕事がある。麻薬だ。そして犯罪に巻き込まれる。一方米国工場で働いていた労働者は職を失い、街は活力を失い、周りには不法移民があふれてる。移民にさらに職を奪われる。ゆえにトランプがメキシコ国境に壁を作るとうそぶくと彼らは熱狂するのです。
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こうなったのは移民のせいではない。アメリカ政府が選択した道だから。企業優先、金優先。その戦略が矛盾を生み出した。トランプは既存政党にありながら過去を全否定してついには大統領になる。既存政党のバックアップを受けて実行する政策はどうなるのでしょうね?NAFTAも解消するのか?メキシコ後に訪問したロサンゼルスでは意外にトランプ支持が多かった。アメリカビジネスのためにいい政策を期待している。規制撤廃と減税。プラス保護貿易。しかしそれでプアホワイトと言われる労働者の不満は解消されるのか?同床異夢。

メキシコの経営者は言った。「トランプ大統領になったらどうなるか想像できない。ブリックレイヤー(レンガ積み職人)にでもなろうかな。国境の長い壁作るのに労働需要が続くからね」

メキシコの輸出の80%はアメリカ向けだという。
アメリカに翻弄される運命。
日本もね。

以上



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by zhuangyuan | 2016-11-12 06:50 | 時事 | Comments(0)
2016年 11月 08日

ヒラリーは王家の娘?

バンクーバー空港でローカル紙National Postを手に取ると明日行われる米国大統領選一色です。
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せっかく取材したんだから選挙前に書いとかないとどっちかの記事は御蔵入りになっちゃうからね。 地元カナダと候補者二人の先祖とのゆかりについても書かれていました。

トランプの方はというと

Liquor, women behind Trump family fortune
Grandfather gambled on Yukon gold rush

トランプ家の資産の影に酒と女
ユーコンリバーのゴールドラッシュでひと儲け

センセーショナルですがまあ読まなくても想像できるね。読んだけど、あっそう、って感じ。

ヒラリーのはかなり面白い。

Clinton's Quebec roots
date to New France

クリントンのケベックルーツは
ヌーヴェル フランス時代に遡る

今回出張のお供に「ケベックを知るための54章」ってのを持ってきてましたのでちょうど良かった。ケベック州はフランス語人口が70%で多くはフランス植民地時代の子孫です。今でもフランス語が第一言語。

ヒラリーの家系図をたどってゆくと「王様の娘たち」Filles du Roiまで行きつくという。

Filles du Roi
King's Daughter

というからには華やかな王侯貴族か?

実はその反対で17世紀に自分の意思に反して植民地に送られた娘たちを指すそうです。人口増加策として。

ルイ14世の時代に700人の女子が植民地に花嫁候補として送られた。多くは孤児や捨て子、中には売春婦など、地位の低い出身ばかりであったと。

その中でヒラリーの祖先は特定されている。Jenne Ducorps

彼女たちはしっかりと役割を果たし4,459人の子をなしたという。当時のヌーヴェル・フランスは人口が少なく、彼女たちはMother of nationと呼ばれているそうです。前掲書によると100年後の1760年においてもフランス植民地人口は7-8万人とあるので彼女たちの貢献の大きさがわかる。ちなみにイギリス植民地人口は同時期150万人であったという。

以上のことからフランス植民地に起源を持つケベック人の95%が王の娘たちの子孫だという。

カナダの首相もセリーヌ・ディオンもマドンナもアンジェリーナ・ジョリーもヒラリーの遠い親戚だって。

たった半ページの記事だけど歴史を旅することができました。

でもさ、先祖ってたくさんいるだろうけど、かたや売春宿の親父を選び、一方は建国の母をピックアップして並べて記事にするってのはずいぶん恣意的だね。外国だけどさ。

以上




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by zhuangyuan | 2016-11-08 16:40 | 文化、歴史 | Comments(2)
2016年 08月 14日

映画「湾生回家」 こころのふるさと台湾をおもふ

「灣生回家」という映画が台湾で大ヒットしたのは知っていました。台湾生まれの里帰り。

戦争前に台湾で生まれた日本人が台湾に帰る。そのころ子供だった人たちの故郷への想いと帰郷を綴ったドキュンタリーです。

そんな映画がヒットするのが台湾なんです。


敗戦まで台湾は日本でした。日清戦争で割譲されて以来、自国での人口圧力緩和のために台湾に続々と移民し開拓しました。

戦争で敗れると自らの意思とは別に日本に引き上げていった。その間50年ですから台湾で生まれて育った人たちがたくさんいたわけです。

引揚者の数は48万人。


数字で書くと膨大すぎて物語が浮かびませんが、そのころの子供にとってはふるさと台湾が人生のすべてだったのです。

大人たちの理不尽な戦争によって生まれた地から引き離される。家も友達も遊び場もすべて突然失うのです。

こころのどこかでずっと思い続けた台湾に人生の晩年で帰るひとりひとりを追ったのです。


台湾に出張に行った際、会食の席でこの映画の話になりました。私が観たいと言っていたら後日、本を送ってくれました。


その後、別の機会で再度台湾を訪れた時、ついに観る機会がやってきたのです。

映画を知った時にはすでに上映が終わってましたのでチャンスを待っていました。


その日は結婚式の披露宴に呼ばれており、昼間はフリー。Facebookで隣町の市民ホールで上映があるのを知りました。

市役所庁舎でチケットを配るというので早めに行って券を確保。なんと無料でした。

開演時刻にホールに入るとデカさにびっくり。3階席までありました。しかもすでに2階席までいっぱいです。


こういう映画にこれほどまでの人がつめかけるとは台湾の親日ぶりがうかがえます。

日本時代に教育を受けた方は今ではかなりのお年ですが流暢な日本語を話されますし、友人の伯父さんは今でもNHKしか見ないと言います。

そんな台湾だからこそのホール満員。まあ年配の方が多かったですが学生っぽいひとも結構いました。

親子で来てるケースも。私の席は空いてる席でゆったりと思ったのですが後から来たおばちゃん軍団に囲まれてしまいました。


困るんですよね、おばちゃんたち。だって号泣するんだもん。

鼻をズーズーさせてさ。オレも泣いちゃうじゃんかよお。

3回涙が出ましたよ。おばちゃんのせいで。


ふるさとを思う気持ちってのはここまで強く重いものなのか。

国家とか国籍とか子供にとってはどうでもよくってそこで過ごした幸せな時間とその土地の街並みもしくは山や川。

突然見知らぬ日本につれていかれ、さらにはその国では必ずしも歓迎されない。それどころか排除される。

ただでさえ食糧難のところに400万人が世界中から引き揚げてくる。


疫病の心配もいわれ島に隔離されたと言います。徳島の島には台湾村ができたと本にあります。

そこも一から開拓しなければなりません。でもそこは故郷台湾の花蓮にそっくりだったと。


花蓮出身の湾生松本洽盛さんのエピソードが印象的です。


回到日本後他一看到「牛」,就想到台灣,因為小時候常在牛背上睡覺,
雖然上面有許多蒼蠅飛舞,嗡嗡的聲音很吵,但卻是回到日本最懷念的景象……

日本に戻って牛を見るとすぐに台湾を思い出すんです。小さな頃牛の背でいっつもいねむりしてたからね。蝿が飛び回ってブンブンいってるのにね、それが一番の思い出のシーンなんだよ。


彼は牛に乗って遊んでいたそうですが、彼の牛は牛同士の争いになると無敵の強さで信頼しきっていたそうです。

ある日とうとう負ける日が来た。

彼はショックで家に帰っても涙が止まらなかったといいます。

ぎらぎら照りつける太陽のもと田舎のあぜ道を牛に乗ってゆったり進む少年。

これだけでじわっときちゃいます。この日々は帰らない。

でもね、彼は戻ってサトウキビを食べるんです。想いに耽りながら。


敗戦引き揚げは当然別れもうみます。親子の別れも。

片山清子さんは台湾人の養子として育った。芸妓だった母親は敗戦後も残留したかったが技術がないために引き揚げる。

できるだけ早く我が子を連れに戻ると言い残し、全財産を置いて日本に引き揚げた。

しかし戦後の混乱期、迎えに戻った時にはすでに預けた家はなく、子供と会えずに生涯を終えたのです。

残された清子はいつも嘆いていたとその娘がいう。


「我的母親一直怨嘆著她媽媽為什麼要拋棄她!」
母さんはいつも恨めしく嘆いていました。ママはどうして私を捨てたのって


悲しすぎます。

そして人生の最後を迎える間際に娘と孫が清子の母親の足跡を日本で辿る。

お孫さんは日本語勉強してるんです。一生懸命学習した日本語って感じが胸をうちます。


そしてもっともグッときたのが綺麗なおばさま湾生、家倉多恵子さんのお言葉。

彼女のお父さんは台湾総督府の役人だった。戦火が激しくなり花蓮に疎開した。彼女は焼かれる故郷を丘から見たといいます。

花蓮で敗戦を迎え、日本引き揚げる。台北には帰らずに。

そこは底冷えのする敦賀の寺。その後ずっと台湾を思い続けた。


「原來我是永遠的異邦人,我對台灣的思念是到死都放不下的。」
「私はずうっと自分が異邦人だと感じてたの、台湾への想いは死ぬまで放せませんよ。」


異邦人

感じるんですよ私も。

私は引揚者でもなんでもありませんが海外にいる時に感じる疎外感。

時には東京でもね。

誰でもある感覚なのかな。

子供の頃に自らの意思とは別に急に失った世界。

どこへ行っても異邦人。


11月に岩波ホールで上映決定だと言います。

必見。



以上


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by zhuangyuan | 2016-08-14 20:45 | 文化、歴史 | Comments(2)
2016年 08月 11日

華語がゆれてるグローバルな世界の片隅で中国語原書を読む私たち

Ayumi Chinese book Cafeさんの主催する中国語原書会に参加しました。

Ayumiさんの積極的な投稿を見て久しぶりに中国語熱が戻ってきましてつい参加表明しちゃいました。仕事では経済方面の中国語ニュースなんかは継続的に読んでますが文化系の読み物はご無沙汰していました。最近はフランス語はじめちゃったので余計に時間が取れません。


ということで私が選んだのは『文化苦旅』余秋雨著。中国の各地を旅するエッセイです。


余秋雨の文化苦旅―古代から現代の中国を思考する

余 秋雨/阿部出版

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ずっと積ん読してました。すみません。

でも全部読むのは大変なので一編を。

华语情结』国語コンプレックスとでも訳せばよいのかな。

中国語原書会ですから華語に関わる話はもってこいでしょう。


そもそも中国人にとって国語って何よ?

ここが問題。

地方地方で音が違う。漢字が言語の基本。

でもその漢字も簡体字が出来て分裂しちゃってる。

日本の漢字もちょっと違うしね。


今回せっかく読んだのだから備忘録として内容まとめておこう。


著者は栄華をきわめた唐朝をふりかえる。

世界の中心であった中国にはシルクロードからペルシャ人がやってきたり

日本人がやってきたり、様々な地域から多様性のある人たちが集まっていた。

その中心には華語があった。外国人たちも華語を話していた。


玄奘三蔵法師がインドから経典を持ち帰っても仏典は華語にしちゃった。


ところが明清の時代になると次第に西洋が優勢になると華語は落ちぶれてゆくのです。

科学の発展時代に成長の足かせのひとつが漢字だっていうのはずっと信じられてきた。

華語を捨てなきゃきけないんじゃないか?


近代から現代にいたると西洋化傾向はさらに強まり、現代の中国では若いエリートは外国語を知らない人の方が少なくなったと。外国語への憧れと傾倒が進みます。


確かに私が中国に仕事で行きだした90年代は国営企業のエリートでも英語はまるっきしダメでした。でも今は全く違います。若い人達ペラペラです。


親も必死になって子供に外国語を勉強させる。留学させる。はたまた移民させちゃう。親も自分が行きたいしね。

名前すらも漢字でつけなくなってしまう。

顔は中国人なのにジャクソンだとかマクスウェルだとかどうなっちゃってるのって。

捷克 、麦克斯韦尔 こうした外国語の漢字表記はしっくりこない。


中国人が作った移民国家シンガポールの例も出てきます。

シンガポールには福建や広東からの移民が多かった。

ある劇団はこんな話劇を演じてます。

時代の変化によって1代目は福建語を話し、2代目は規範華語(普通語)を話し、3代目には英語が中心になってしまった。すると世代間のコミュニケーションが難しくなり、家庭内の隔たりが大きくなり、笑い飛ばせない状況になっていると。


シンガポールは飲み水のない場所だった。そこで移民してきた華人が井戸を掘り当て、牛を引いて水を四方に運び発展していったという。その場所は牛車水と呼ばれ今はチャイナタウンとなっている。「水!」と華語で呼びかけながら地域をめぐり土地と民を潤していった。しかし今は古き良き時代はとうに忘れられ、華語によるふれあいのない殺伐とした誰もが他人である現代都市に変わってしまったと。


そんなシンガポールで出会った老人はある政治家の話をしてくれたそうだ。自分たちは英語を最も重視してきた。これがシンガポール発展のキーだった。おかげで世界有数の先進国となった。でもそれを変えなきゃいけないという。ですが今になって気づいたんです。英語がいくらうまくなっても英国人やアメリカ人にはかなわない。一方で自分たちがこれまで培い受け継いできた華語という母語文化が失われ、もうもはや取り戻せない段階になるのではないかと心配しているのです。100年後にシンガポールはまだあるのかと。そこでリーダーは華語の復活を唱えたのです。


リー・クアンユーのことですね。華語復活のためには「李光耀」と書かなくちゃいけない。昨年亡くなった彼の葬儀にはシンガポール中から弔問の列が出来て、十数時間並んでしたのです。ふだん政治に興味のなさそうな私の知人も参列したそうです。


ちなみに私も追悼本買いましたよ。

「光耀一生」

ちらりと見てみると確かに載ってますね。華語力低下への懸念が。

亡くなる直前には最大の関心事だったようです。

発展は成し遂げたけれど歴史との連続性を分断してしまう恐れを抱いていたんでしょう。

逝死前数月仍挂心双语教育
亡くなる数ヶ月前までも両言語教育が気がかりであった

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でもシンガポールのグローバル化は世界とともにどんどん進んでしまい政策の変化が趨勢を止められるのだろうか?

言葉って重要ですよね。歴史が凝縮されている。グローバル言語がブロークンイングリッシュのグロービッシュだとしてもビジネス上の会話だけなら浅薄です。そこには文化的香りがしない。そこいくと母語のある国は母語を大事にした方がよい。さらに日本語の場合は漢語文化を引き継いでいる。中国語四千年の歴史は漢字でアーカイブされています。ネットの共通語は英語かもしれないが、漢字のストックにアクセスできるのは漢語文化圏の我々だけなんです。その意味だけでも中国語を学習する価値があるよね。


そして今、現代日本の神保町の喫茶店で原書好きが集まって中国語原書を語り合ってる。まだまだ大丈夫だよ華語文化。なんかロマンチックに思えてきた。神保町って場所もいいね。漢字アナログデータが日本で一番ストックされてる場所じゃないかな?もしかして世界一?


当日参加の皆様の濃厚なオススメ本は主催者Ayumiさんがまとめてくれたのでリンク貼っておきます。

第10回中国語原書会・開催報告


ぺりおさんの強烈なご本はこちらです。

中国語で本を読むよ


おそらく語学の大天才であろう稲村文吾さんのブログはこちら。

浩澄亭日乗

ご著書ありがとう。

ぼくは漫画大王

ぼくは漫画大王

胡 傑/文藝春秋

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まずは息子に読ませて夏休み感想文宿題の題材に。


以上










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by zhuangyuan | 2016-08-11 20:18 | 学習 | Comments(0)
2016年 08月 11日

東インド会社のお嬢様が世界を切りとった


先日マーガレット・キャメロン展会に行ってきました。
青い日記帳さんのブロガー内覧会です。
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19世紀のイギリス女性写真家です。私は今回参加するまで知りませんでした。写真が世に出て間もないころにしかも女性が芸術に昇華させている。

このキャメロンさん、48歳から写真はじめて極めちゃった。そもそも写真が身近にあるっていうんだからいいご身分に決まってる。それもそのはずお父様は東インド会社勤務で、自身はカルカッタで生まれたって。日が沈まない帝国ですね。

どうらくではじめた写真に自信がついて美術館に売り込んだって。この自信のほどが半端なくてがすごい。さすがお嬢様って感じ。その手紙も展示されていました。

‘I write to ask you if you will… exhibit at the South Kensington Museum a set of Prints of my late series of Photographs that I intend should electrify you with delight and startle the world’
南ケンジントン美術館に私の最近撮った写真シリーズを飾ってくれないかしら。その作品はね貴方を喜びで痺れさせるわよ。そして世界を驚かす。


どうですこの自信?

時は明治の頃ですから写真なんてとても珍しく、はいポーズどころか、ずううっと止まっていなきゃならない時代。撮る方は箱を抱えて布かぶって。とられる方だって緊張しちゃいます。一生の記念に気合の一枚。

ポートレートも記録用として表情も硬いものがほとんどの中で
彼女の写真は、というか作品はポスターにあるように生気がみなぎってるんですよね。

彼女のスタイルは当時としては奇抜だったそうでどアップだったりボケをあえて入れたりとそれまでの杓子定規なタイプと違います。同時代の他の写真家作品表情も展示がありますので一目瞭然でした。女性を撮った作品が多いのですがどれもがなまめかしい表情をしているのです。でっかい機器で被写体がじっとしていなければならないはずなのに、このリアル感が出せるのは彼女の実力の証しといえるでしょう。ドキっとしちゃいますよ150年の時を超えて見つめられると。何かを私に訴えてくる。
宗教画だったり著名人のスナップだったり色々テーマがありましたが
私が最も気になったのはインドの写真。マドラスの民族を撮ったもの。
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宗主国の貴婦人にカメラを向けられていっさいおもねることなく人生を達観したような眼差し。植民地でのイギリス人は武力、財力で統治したわけですが、インド人のあの表情を見ると、すべての歴史上の欺瞞はお見通しといった感があります。威張っている英国紳士もさぞかし自分の浅はかさを内心で恥じたことでしょう。

他にも吟遊詩人だったりアフリカの皇太子だったり
世界を制覇していた頃のイギリスの力を感じさせるスナップも残してくれています。

インスタが世界中でもてはやされ、高校生や中学生までもが毎日写真を何枚も撮り世界で共有する。
今では当たり前のものが奇異の目で見られ、それが市民権を得ていく。スマホ時代の起源を今観ておくのも一興ですよ。


以上


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by zhuangyuan | 2016-08-11 10:36 | 文化、歴史 | Comments(0)
2016年 08月 06日

ブラジルはやっぱりペレ

Pelè 伝説の誕生」鑑賞


想像を超えるスケールの大きな映画でした。ペレの生い立ちだけでなくブラジルサッカー、そしてサッカーそのものの歴史まで、ともすると大航海時代まで視野に入った壮大な物語と言えます。


正直観るつもりはなかったのですが、その日は2つの街で3つの映画に振られ、帰るのも悲しいのでPelèにしました。


私も小学校から大学までは結構真面目にサッカーやってましたし、今も小学生のコーチだったりしますのでペレの偉大さは知っています。でもね俳優がサッカーして、ペレですって言われてもしっくりくるわけないですし、アニメだって上手くできないのに特撮でも無理でしょって。アニメと言えばキャプテン翼がテレビ初放映した時のショボさはわすれられない。ましてやペレですよ。


しかも今ペレってことはリオ五輪便乗というかプロモの一環でしょうからこの点も期待を下げる要因でした。でもなんでオリンピックでペレなんだよブラジル?サッカーワールドカップ決勝のゲストに王貞治を呼んだNHK並みじゃない。


後日ラジオで知ったのですが、実はこの作品はブラジルワールドカップの前に出来るはずが間に合わなかったのだといいます。なんともブラジルっぽいエピソードです。この映画を観ていればブラジル代表のモチベーションが上がって、ドイツに世紀の大惨敗をすることもなかったかもね。この映画ではブラジル代表が背負ってる歴史的役割を再認識できるから。

その2014のドイツ戦ってのはブラジルサッカー史上に残る惨劇と言われてます。なにせ地元開催で17ですから。でもそれよりも大きな悲劇が1950年にあったんです。マラカナンの悲劇。Maracanaço。ワールドカップ決勝リーグがリオのマラカナンスタジアムで行われ、ウルグアイに負けて優勝を逃したのです。


映画はここから始まる。

1950年のこの試合に負けたブラジルは国全体が沈み込みペレの尊敬する父親も落ち込んで泣いてしまう。じゃあ僕がブラジルを優勝させるって。当時10歳。そこから初めてのワールドカップ出場の17歳までを描きます。


ぼくらはペレ以降のサッカー、ペレ後のブラジルしか知らないのですが、ペレ前の世界、つまり王様なしの時代が当然あったわけです。ブラジルは当時まだワールドカップ優勝していないし、マラカナンで敗れたブラジルの個人技優先のスタイルは酷評されてたんですね。ヨーロッパの組織サッカーが優れていると。そして個人技は封じられる。


ジンガ。

ブラジルサッカー独特のステップ。これを抑えられてた。

このジンガの歴史と開放、爆発がこの映画の肝です。


ブラジルは移民国家で他民族混合ですが、多くはアフリカから奴隷として連れてこられた。なかには白人に抵抗し逃亡し山にこもって武装した人たちがいました。いわゆるマルーンです。Maroon。彼らは格闘技も習得し、そのアフリカ由来のカポエイラからジンガが生まれたと。そのステップがブラジルサッカーの魂なのです。


それを欧州サッカースタイルに勝つために封じられる。

でもね、17歳のペレは違うんですよ。ファベーラで育った黒人ですからね。

ジンガを爆発させて大活躍するんです。賢い組織されたサッカーを歴史が宿ったジンガサッカーが打ち破る。世界の歴史を反転させるような意義があったんです。ペレ以前はブラジルサッカーにおいても白人優位だったとは全く知りませんでした。


映画を観る前に、自分よりずうっと若いコーチにメッシとマラドーナはどっちが実力が上だと思うかと聞かれたことがあります。マラドーナの方がずっと好きだがチームのシステムの中で機能するという意味でメッシが上なんだろうねと答えました。この質問は常に繰り返され、ペレとマラドーナ、ペレとクライフなんてみんなが比べたことでしょう。正直言ってペレのプレーを今みるとピンとこないんです。というか理解できていなかった。速い、柔らかい、強い、高い。だけどサッカーのシステムとしてどうなの?って。でもねここが映画の肝だったんですよ。ブラジルはこうじゃなきゃいけない。ロナウジーニョなんかまさに血を引いてますよね。


いやあ面白かった。

で今リオ五輪がまさに始まるのですが

ブラジルはペレなんですよ。

なんといっても。


自慢しますが私ペレの足触ったことありますよ。リアルに。


以上





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by zhuangyuan | 2016-08-06 09:31 | 文化、歴史 | Comments(0)
2016年 04月 30日

山河ノスタルジア 中国大発展のひだにある故郷と広東語

中国映画 山河ノスタルジア 鑑賞@渋谷 ル・シネマ
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やっぱり中国映画が好きです。
時代の大きな変化の波涛にもまれる小さな人々の人生が描かれる。
そしてその時代に私自身も参加している感覚を持ってます。

物語は3部構成。
1999年 過去
2014年 現在
2025年 未来

私にとって1999年なんて昨日とさして変わらないし、20世紀の終わりとしてむしろ未来の象徴として認識して子供時代を過ごしてました。その未来としての1999はたいした変化もない連続した日々の延長でしかありませんでした。

でも中国では違う。
鄧小平の改革開放経済を経て、1997年に香港返還を過ぎ、1999年はマカオ返還、そして2008年のオリンピックに向けて音をたたてるように変動が大きくなってゆく時でした。

第1部舞台は山西省の炭鉱の街
来る新世紀を街全体で祝っています。

主人公は幼なじみの3人
町一番の美人 タオ
お金大好き ジンシェン
勤労青年 リャンズ

幼なじみで男女3人といったら起こることは決まってますね。
友人の二人は一人を愛し…。


ところで日本で観る中国映画の欠点は字幕で名前をカタカナで表記すること。
音が違うから漢字表記すると混乱を招くとの心づかいなんでしょうけど。
それでいて苗字や役職で読んだ時も同じ呼称を使ったりする。

漢字で書いたほうが趣きがあります。
饰 沈涛 Shi Shen tao
张 晋生 Zhang Jin sheng
梁 建军 Liang Jian jun

石炭はこの頃はまだただの石ころ
でもここから中国の経済発展を支える黒いダイヤモンドに変わるんです。

投機好きのジンシェンはリャンズの働く炭鉱を丸ごと買っちゃいます。
そして石炭価格が急騰していき富豪になる。
で、もちろん?タオはジンシェンを選び、リャンズは街を出てゆく。

タオはジンシェンと結婚し長男が生まれる。名づけた名前がダラー。
Dollarって意味です。米ドルのこと。漢字で書くと到乐。楽に至る。外来語の中国語表記ってのはいつもセンスありますね。

2部、3部と時代が変わると、ジンシェンはタオと離婚し、ダラーをつれてまず上海に行き、その後オーストラリアに移住します。大金稼いで街を捨てて富豪への道を駆け上っていく。人間関係のしがらみだけでなく、絆も断ちながら。こんな時代なんです激動中国。


ここでジンシェンの名前に意味が出てくる。
「晋生」
晋ってのは山西省のことです。古い国の名前。
山西生まれってこと。お父さんは国境を愛してたんだろうな。
それが炭鉱買って、山を破壊し、妻と友人と縁を切り、故郷をすてて、あげくは国を出る。
カネ、カネ、カネ

1999年に赤いアウディ買ったジンシェンとタオの会話で、いつかアメリカに行きたいなと夢を話します。遠い目標としてのアメリカ。香港でもいいなあ、でも広東語喋れないな。憧れとしての香港。当時すでに発展していた香港は文化の最先端として大陸では羨望の的でした。開放の象徴として。歌手も俳優も洗練されたスターの多くは香港出身でした。喋るのはもちろん広東語。

物語では広東語が中国経済発展過程を測る重要なキーになってます。

1999年タオが働くのは音響機器のお店。
お客さんが持ち込んだCDは香港女星サリー・イップ。
憧れの香港スター。言葉わからないけど雰囲気に浸る。
日本でいったら若者が洋楽聴くって感じでしょうね。



この曲がたびたび重要な場面で流れます。
私もカントン語わかりませんが好きになっちゃいました。
iTunesで落としてヘビロテしてます。

中国にとっての香港は2000年代の中国大発展を経てだんだん色あせて、香港スターも大陸市場をめあてに広東語でなく普通語を使うようになります。映画も歌も普通語バージョンががメジャーに。ジャッキー・チェンだって、アンディ・ラウだって普通語上手になりました。昨年家族で香港旅行しましたがブランドショップに並ぶのは大陸観光客ばかり。でっかい声で普通語しゃべってます。レストランで私が普通語喋るとウェイターの態度は悪いですね。経済的逆転とやっかみ。複雑な香港市民。サリー・イップだっていまではイップでなくイエと呼ぶらしいです。葉=叶の読み方が広東語から普通語へ。

映画の場面2025年での舞台はメルボルン。
ジンシェンは中国を脱出し、息子ダラーとくらす。
ダラーは中国語を忘れ、父とのコミュニケーションはGoogle翻訳。未来だしね。
世界経済で重要な存在となった中国と関わるには中国語が必須との考えからダラーには中国語を習わせます。

ここで皮肉なのはダラーの中国語先生が香港出身なこと。ダラーの母親年代ですが上品な美人です。
おそらく香港返還前に脱出したんでしょう。大陸支配を懸念して自由を求めてカナダトロントへ。トロントは世界有数のオールドチャイナタウン。いろいろあったんでしょう。豪州メルボルンに流れてきた。今は広東語を捨てて、需要の多い中国子息のための普通語教師です。

父ジンシェンのコミュニティはおそらく国には住めない華僑。カネを持って国外脱出。
ここで話されるのは普通語。かつてチャイナタウンといえば広東語か福建語と決まっていました。移民の国をオーストラリアではこの未来では中国人がメジャーなのかも。でも故郷を失い、世代が進むと言葉も消える。カネだけが残る。孤独な老人が無機質に暮らすだけ。

印象的なのはメルボルン観光地の12使徒。
ダラーと女教師がデートします。
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崖が侵食し、奇岩が林立しています。かつて9本立っていた奇岩は徐々に崩れ本数を減らしてる。2009年に8本になった。2025年は5本だったかな。崩れる原因は知りませんがカネ目的の人類が精神を蝕みながら聖徒を犠牲にするように地球を破壊してゆく。ジンシェンが国土を爆破して石炭鉱山を開発したように。

国を出た根無し草の二人がドライブし流れる曲がここでもサリー・イップ「珍重」
もう失いたくない。故郷も国も家族も友人も。

不肯不可不忍不捨 失去你
盼望世事總可有轉機
牽手握手分手揮手 講再見
縱在兩地一生也等你

以上


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by zhuangyuan | 2016-04-30 10:12 | 中国関連DVD、本 | Comments(0)
2016年 03月 27日

小6で書道を極めた悟りの境地はどんなもの?

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年長さんから続けたお習字も小学校卒業を機に昨日でおしまい。

最後に好きな言葉を書いていいよって先生が。

そして選んだのがこの言葉だって


ネットで検索してみますと
荘子にある言葉のようですね。

至人无为,大圣不作

意味はこうあります。
至人无为 大圣不作

学养最高的人懂得人要顺应自然,不能自命不凡地恣意妄为、心血来潮地胡作非为

教養を極めた人は、人間は自然に合わせて生きるべきだと知っている。自らを過信し、己れの思うがままに無茶をしてはならないし、気まぐれに非道なふるまいをしてはならない。

智慧最高的人懂得天地万物的运动变化有它自己的规律和法则,各种事物的表象及相互间的关系十分复杂多变,人不可能完全认知和把握它们,故不会自以为是地妄自造作,时时保留一种谨慎的敬畏的态度。这样人与自然,人与社会才能和谐相处,共存共荣。

最高の知恵を持つものは理解している。万物の変化は自らの規律や法則で成り立つこと、各種事象は相互に複雑に関わっているので、人間が完全に認知し把握することはできないこと、思い上がって行動せずに、謙虚に慎み深い態度を取らねばならないことを。このようにして人と自然、人と社会はやっと調和してました共存共栄できるのである。


息子は小さな頃からじっとしていられない質なので、週に一度くらいは正座して集中する時間が必要と始めたお習字ですが7年もやるとこうした境地に至れるのかな?

私は不惑をとうに過ぎていますが、自然にゆだねるどころか毎日ジタバタしております。



でもって本日の息子との会話はこちら。

「〇太は卒業式で△子にコクって両想いになったんだよ。マジでリア充うざいわあ。」

「とか言ってお前も誰かと両想いになりたいんだろ。」

「チゲエし。オレはリア充撲滅委員会入ってんだよ」

まさか全てを自然にゆだねろと言っといてさ
二次元に理想像をもとめてるんじゃないだろうね、


でも最近は三次元もリアルに近づいてる。やっぱ人間は四次元じゃないとね。
時とともに積み重なる人間としての深み。
これがないとね。

悟りにはまだ早いな。小6じゃねね。


文字、そしてお習字って宇宙的。
荘子って言ったら2000年以上前なんですが
たった4文字の白地に墨が時を超えて現代人の脳を刺激してる。リアルってのはなんだろか?
以上

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by zhuangyuan | 2016-03-27 21:15 | 文化、歴史 | Comments(2)
2016年 03月 20日

ねえ、あなた「ロースにする?ヒレにする?」

韓国ではトンカツが人気であるとは聞いていた。
でもここまでとはね。

数年前のことですが、グルメなお客さん御一行が来日した際のこと。
食事の好みを聞くと「日本食が食べたい、特にトンカツが、という話になりちょっと意外に思いました。
トンカツが和食の代表選手にはいるのか?その日のお客さんは大満足で帰ったのですが、それ以来、韓国のトンカツが気になっておりました。

先日も後輩が有名な牛カツ店に行ったときのことを思い出します。
いくら旨いとはいえ、3時間半並んだと聞きびっくりしたのですが、行列している人の大半は韓国人観光客だとのことでさらにぶったまげたのです。そんなに好きなのか、カツ?どうやら韓国では日本に行ったら必ず食べるものとして牛カツが挙げられてるとのこと。

でもってこのたび、韓国出張を機に、晴れてトンカツ定食を食べてみました。専門店でなく複合ビルの日本食店ですけど。

まずは名称。トンカツじゃない。トンカス。돈까스。でもメニュー上のなぜかロースカツのカツはカチュ(까츠)になってる。韓国語には日本語の「ツ」をあらわす文字がない。でもそもそもは日本語のカツだってカツレツからきていて、Cutletの「T」が「ツ」になっちゃってるんですから人のこといえません。このことだけでも食文化の伝播の経緯がわかります。
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でももって、「ス」か「チュ」か問題を一緒にいた韓国の方に聞いてみましたが、どちらが正しいというわけでなく混在してるんですって。ただ街のトンカツ店をながめてみるとトンカス店と称すものが多かったのでトンカスがメジャーなんでしょうね。

メニューの写真を見る限り、日本のものとさして変わらず違和感は感じませんでしたが、
運ばれてきたロースカチュ定食を見てビックリ。カツはともかく、付け合わせが想定を超えてる。日本だとキャベツに味噌汁、ついてて漬。これでおわりですよね。
韓国トンカス定食にはキムチはともかく、ほかにもいっぱいついてました。
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うどん⁉︎  
でかいです。

シチュー⁉︎ 
ちょびっとにしてはスプーンがでかい。

タクワンは日本をイメージしてる?
ナタデココの場所はここじゃないだろ。

でもこれらは定番だそうです。
で、なにこのご飯の少なさは?
そしてデカイフライドポテトが一つ。油たっぷりで重いです。
肝心のカツは薄め、油少なめでおいしいものでした。衣はサクサクの合格点。切り方はちょっと細すぎ。

文化体験としてはじゅうぶん面白いものでした。
食後に街を車で移動しましたがナムサンタワーの近くにはトンカス屋ばかりが並ぶストリートがありました。
日本にはないですよね、近くにトンカツ店が2軒あることって。こちらは2軒どころでなくトンカスだらけ。有名店の横に便乗出店したんでしょうね。

そしてなんとその通りは若者たちが集まるデートスポットだと言うのです。
デートでトンカツ。これがソウルっ子のトレンド。

ねえダーリン❤️
ロースにする?
それともヒレ?
うどんは大盛り?

こんな甘い言葉がかわされるのです。

でもねトンカツデートは色気がないね。
しかもトンカスだしな。

以上


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by zhuangyuan | 2016-03-20 20:48 | | Comments(0)