中華 状元への道

zhuangyuan.exblog.jp
ブログトップ

タグ:出張 ( 18 ) タグの人気記事


2012年 03月 18日

労働者が湧いてくる

先日、インドネシアに行ってきました。

インドネシアは資源もあるし、人口も多いし、次の成長センターとして大いに期待されています。
資源が価格が高いので金回りがよく、中間層が育っていて個人消費も成長のエンジンになってるそうです。

人件費はあがっていますが、労働力はまだまだいくらでも湧いて出てくるなんて言ってます。

潜在失業者は6000万人なんてすごい数字もでてきました。
安い賃金でいくらでも雇える。拡張拡張また拡張。
だから工場だって省力化なんて考えない。

ちょっと驚いたのは人員配置。
従業員500人の会社にきくと、警備員が40人もいるという。
24時間体制で工場の周りを警備しているそうです。

なんのため?
工場の備品や原材料が盗まれちゃうから。
時には従業員もぐるになって備品を運び出すなんてことも。

警備員40人じゃあ多すぎですから
ドーベルマンなんかで代替できないのかと聞いてみた。
「番犬はだめ。毒入りのえさをまかれて終わり。」とリアルな回答。

鉄条網に高圧電流とガードマン。
貧富の格差があると治安の維持が大変です。

工場では鉄くずが出ますが
こちらはガッチリ利権に抑えられていて
インドネシア全土でマドゥラ島出身のマドゥラ人とかいうのが牛耳っているそうです。

ほかのルートで処理しようとした場合
圧力団体のように彼がうじゃうじゃやってきて示威行為で脅されるそうです。

港なんかにもその一味がいて
梱包用の鉄バンドなんかも千切ってもってってしまうとか。
安全なんて二の次です。

無法や不法やいろんな矛盾もひっくるめてネシア経済はどんどん勢いをましてる。

でもなんか魅力あるんですよね。
なんでもありの勢いが。

縮小均衡、現状維持、既得権益、前例主義
どこぞの国のさえない現状よりずっといい。

以上
[PR]

by zhuangyuan | 2012-03-18 20:23 | 時事 | Comments(0)
2010年 11月 28日

トイレは流せ 

シンガポールに出張にいっていました。

景気がよさそうでしたねえ。
いつ行ってもなんか皆楽しそうで
町並みも美しいし自然も多いしいいところばかり。

小さい国で資源もないのに世界有数の金持ち国家。
なにがすごいって政治がすごい。

ガバナンスがしっかり利いてる。
リー・クアンユーの開発独裁以来ビシッと統制して
国家の進むべき方向に向かって戦略的に進んでる。

リー・クアンユーは87歳の今でもバリバリの現役らしく
息子に首相をやらせつつも影響力を保っているとのこと。

その他東南アジア諸国と違って汚職もすくないらしい。
大臣の給料は世界最高レベルに高く、利権を貪るよりも国に奉仕する体制になってると。

言論統制や治安取締りも相当厳しいそうです。

シンガポールはいろんな民族や宗教の集まった国ですが
そのバックグラウンドが異なる集団をビシッと管理するには
そこそこ強権で締めないとまとまらないのでしょう。

以前、日本人駐在員の奥様ゴルフコンペで政府の悪口を言ったご夫人が
それをキャディーに聞かれてちくられたそうです。
結果は翌日強制帰国。

いまはそこまで厳しくはないそうですがまだまだ残ってると。
お世話になったシンガポール歴30年強の方も
自宅で政府の悪口をいうと、奥様に声を潜めるようにと注意されるそうです。

お客さんとの食事の際には
企業グループの会長さんがこんなジョークを話してくれました。



シンガポールのリー・クワンユーはマレーシアのマハティールを常に張り合って
なにかと競争意識を持っていたそうです。

ある日二人は釣りの勝負することになったそうです。
勝負はマハティールの圧勝。
マハティールはどんどんつり上げるのに
リー・クアンユーは全然釣れない。

そこでリー・クアンユーはコツを聞いたそうです。
「どうしてそんなに釣れるの?」

マハティールは答えて曰く
「そりゃそうだよ、そちらの魚は口を開けていないからね。
こちらの魚は口を開いているから釣れるのさ。」


いっしょに席を囲んでいた一同は大爆笑。
しかし私はおかしさがわからなくて笑えない。
会長さんは英語で話しましたが
簡単な話なので言葉が理解できないわけではありません。
ただ意味がわからない。

ジョークの笑えるツボを尋ねるなどという野暮なことをしてしましました。

つまりシンガポールは言論統制を厳しくしているので国民がついてこない。
マレーシアは言論の自由があるので国民に人気があることを揶揄するジョークだったわけです。


なるほど面白い。

まあでも公共の場で大きな声でこんなジョークが言えるんですから
いまはそんなに厳しくないんでしょうね。


食事が終わってからお客さんがいいました。
「トイレにいったら、ちゃんと流しなさいよ。
罰金取られるよ!」

なかなか厳しい社会です。


帰国時、飛行場でトイレをながしましたが故障中。
どきどきしながらそそくさと立ち去りました。

ごめんなさい。


以上
[PR]

by zhuangyuan | 2010-11-28 21:22 | 文化、歴史 | Comments(4)
2010年 04月 18日

砂漠のテントで大会議?

初めてサウジアラビアに行ってきました。

ある晩、リヤドで日本食がうまい店があるとのことで予定してました。

ところが別にジョインしてきたパキスタン人が美味いカレー屋があるとゆずりません。
同行していたサウジビジネス歴19年の大先輩は日本食が食べたいようです。
最後は私がカレーを選択。
車で向かいました。

ところが目当てのところは営業しておらず、さらに別の支店に移動。
目的地あたりにつくと大先輩が言います。

「この辺にお世話になったお客さんの家がある。連絡してみよう!」
とケイタイを手にすると今度はその方のお家に招かれました。
これはラッキー。
サウジ人のお金持ちの邸宅なんてどんなものだろう?と興味津津。

分厚い塀に囲まれた門をくぐるとそこは緑をしきつめた中庭。
その奥には大きく正面を開放したテント風の建物。

なかは壁に沿ってぐるっと高級そうなソファーが並べてあり、
民族衣装を着た立ちが10数人ゆったりくつろいでいます。

われが入り口に近づくとおのおのが立ち上がり
広いスペースに出てきてウェルカムと迎えてくれました。

みんなデカイ。
私は雰囲気におされます。
どうやってふるまったものか?

ソファーをすすめられ腰をおろす
前にはそれぞれ茶器が並べられ
サーバント風の外国人は給仕してくれます。

デーツと薬草のような御茶をふるまわれます。
柔道場ぐらい広いスペースでゆったりしていると
気持ちがやすらいできます。

このお金持ち一族は仕事が終わると
こうして砂漠に暮らしていた昔の風俗そのままに
毎日この大きなテントに集まり情報交換するそうです。

なんか中国でいったら
元の時代にハーンのゲルに一族が集っているような感覚です。

みんなの民族衣装がかっこいいんですよね。
悠々としている。

私たちだけジャケット着てなんかせせこましい。
なんか信長の前にに連れてこられた西洋人みたい。


その後、別室に移動して食事となりました。

大先輩はサウジ歴が長いのにサウジ料理が苦手らしくてずいぶんと逡巡していましたが
私は興味本位からよろこんで参加しました。

羊の丸焼きと
ぱさぱさのお米と
たまねぎのようなものを刻んだサラダ。
それとサウジのパン。

羊は腸まで丸焼きにされてました。

私は食はなんでもOK。

でも最後に気づきました。

羊の頭も入ってる。
頭蓋骨に肉がこびりついてる。

これはグロテスク。

食べないで席を立とうとすると
横にいた一族の一人が言いました。

「ここがうまいんだから、是非食べなさい!」

彼は素手でで眼窩のわきについた肉をむしりとり
渡してくれました。

ありがとう。
うまいです。

貴重な民族体験をさせてもらいました。

ぜひともこの集まりの写真をとりたかったんですけど
なんか崇高な感じがして写真なんて撮っちゃいけないんだろうと躊躇し
言い出せませんでした。

残念。


以上
[PR]

by zhuangyuan | 2010-04-18 23:03 | 文化、歴史 | Comments(6)
2008年 07月 03日

ドバイでばったり

もうちょっとドバイの話を。

帰国の日、現地の日本人駐在員の方とホテルのロビーで打ち合わせをしてました。
そこへホテルの日本人女性スタッフの方が挨拶に来ました。

私はその時、インド人と携帯で話していたのですが
ふと見るとそのスタッフの顔に見覚えが。
電話しながらじっと見つめるのも失礼なので目をそらしましが
ちらちらみるとますます似てる。

そのうち電話の内容に集中できなくなりましたので席をはずし
電話を用件をすませました。

そしてそこに戻ると
「状元じゃないの?」 なんだなんだ呼び捨てか?

郷士合格以来、未来の進士としてあがめられ
「状元さま」としか呼ばれなかっていなかったので呼び捨てが新鮮でした。

それもそのはず高校の先輩でした。
しかも私が属していたサッカー部の一個上のマネージャーさんでした。

びっくり仰天、うそでしょ~!なんでこんなとこでぇってな感じ。

彼女も予約者リストにzhuangyuan(状元)の名前があることは認識しつつも
それが本人とはまったく思わずにロビーを回っていて
私が打ち合わせていた駐在員の方に挨拶に来た。

そこにいたのは20年ぶりにあう後輩である私だったというわけです。
私も駐在員の方から優秀な日本人女性スタッフの話を名前入りで聞いてはいたのですが
まったく結びつかずに。顔を見て記憶のシナプスがバンバンつながりました。

わたくし一瞬にして心はヤングボーイに戻ってしまいました。
あのころは毎日サッカーでした。
暑い夏の太陽の下、きつい練習に汗びっしょりでしごかれている時
ゴールネットの裏の階段にいつもマネージャーさんたちが静かに座っていました。

彼女はなんとドバイ歴7年だとのこと。
その前はヨルダンにいたとのこと。
すごい。
女性が異国の地でしかも中東で働くなんて並の度胸と才能ではできません。

私は異文化の中で働いていらっしゃる方を尊敬いたします。
辛い。楽しい。でもやっぱり寂しい。なんて日々懸命に生きてゆかなければなりません。

成功と幸福を心から祈ります。

以上
[PR]

by zhuangyuan | 2008-07-03 22:05 | 生活 | Comments(4)
2008年 06月 29日

沸騰都市 ドバイを駆け抜けて

今一番熱い都市はといえば、それはドバイ。
NHKは沸騰都市と呼びます。
うまいネーミングです。

オイルマネーを中心に世界中の金が集まり、その金に人が群がってくる。
ちなみにドバイでは石油が採れませんが金融、貿易、観光に力をいれ中東のハブになっています。

今回の出張で会った人も国籍は様々。
イギリス、南アフリカ、ロシア、フィリピン、インド、レバノン、エジプト。
なぜか当のアラブ首長国連邦の方には会ってません。
それもそのはず現地人の人口はたったの10%程度です。

金もすごい。
世界一の摩天楼
d0018375_936241.jpg
burj dubai(建設中=800m強)に度肝を抜かれますが
今度はライバルのデベロッパーnakheelがなんと高さ1400mビルの建設計画を発表しました。
絶対上りたくないですね。

ドバイの発展は他の都市にも拡がり首都アブダビもすごいことになっている。
ランチを食べたEmirates Palace Hotelなんて豪華すぎて気後れしちゃいます。

そこでの会話もあまりのゴージャスさにびっくり。

二日前にドバイの7つ星ホテルBurj Al Arabで結婚式を挙げた御曹司のモハメッド君は
友達のもう一人のモハメッド君の話をします。

彼の趣味は自動車収集でなんと36台も持っているとのこと。
それもどこにもないプレミアものばかりあつめて、一台100万ドル!!もするらしい。

また結婚式の出席者へのプレゼントは何かと質問には?
ロールスロイスを全色取り揃えるよなんて答え。

35年住宅ローンを背負う自分をふと省みる。
石川啄木の世界です。
働けど働けど吾暮らし楽にならず。じっと手を見る。

まそれはともかくオイルマネーはすごいんです。
私をずっと案内してくれたドイツ系南アフリカ人のヤングガイは元レーサー。

一年前にあった時はオレンジのフェアレディZ乗ってました。
今回会って聞きました。Zは順調かい?

もう売っちゃったよ!
新しいのを見てくれよMr.状元!

なんとブラックのポルシェです。

スリムなブラックのパンツにピンクのシャツをはだけた金髪のヤングガイが
ツーシーターポルシェに乗り込む。
絵になりすぎてる。

助手席は私、状元。ドバイの摩天楼の狭間を150km/hでぶっ飛ばします。
メーターは300kmまである。

300km出したことあるか?
いやさすがにないよ。270kmまでだね。アッハッハ。

二日後また彼に会いました。
車に乗りながら彼はなにやら携帯で話してます。
相手はなんか初めて話す人らしい。

「最高の車で状態もばっちりだよ!」

なんとそのポルシェをネットで売りに出してたんです。

いつ買ったんだよ?
6ヶ月前だよ。

買った価格より高く売れたぜ!
オレは走りが好きだから、いつも最高の車に乗りたいんだ!

世界で一番熱い都市で疾駆する彼らのスピードにはついていけません。

以上
[PR]

by zhuangyuan | 2008-06-29 09:04 | 時事 | Comments(9)
2007年 09月 07日

暗闇の惨事

本日韓国出張からも戻りました。
台風で一日帰りが延びました。

JALってのは対応が悪くてだめですね。
昨日の19:30発で21時半ごろ羽田に着く便でしたが、
前日からの天気予報で夜に関東直撃とのニュースが繰り返されてましたので
まずだめだろうと思ってました。
しかし予想に反して予定通り離陸しますとのこと。
そしてチェックインし出発を待ちます。

すると出発15分前に機長からアナウンスがありました。

「JAL〇〇便の機長をする予定でありました△△です。
東京地方に台風が接近しており安全に航行することが不可能と判断し欠航といたします。」

早く言えよって感じです。

しかもその後の職員からの説明で
「本日は欠航が相次いでおり、既に欠航が決まっている他社に
ホテルを押さえられており、皆様にホテルを用意できません。
親戚か友人のある方はそちらにおとまりください。
ご自身でホテルを手配した方は10万ウォン負担いたします。」

なんかホテルがとれない言い訳を作るために直前に発表したのかと
疑ってしまいます。

結局ホテルをお客さんに手配してもらい今日帰ってきました。

ついてない私でしたが二日前にはさらに倒霉なできごとがありました。

ある田舎街の街に一つしかない高級ホテルに泊まっていました。
お客さんと食事してお酒を飲んでホテルに帰りました。

夜中にトイレに行きたくなって目が覚めました。
明かりをつけようとしましたが
ライトのスイッチに明かりがなく真っ暗でスイッチが見当たりません。

まあトイレくらい暗くても行けるだろっとおもい
ベッドの端から降り立ち上がり一歩踏み出そうとすると
ガーン!?☆★
後ろにひっくり返りました。
何が起こったかわけがわかりませんが。
額がものすごく痛い。
そして、ポタッ ポタッ と音が聞こえます。

何とか立ち上がり洗面所のライトを探し明かりをつけます。
すると額から血を流しているではありませんか。

部屋の壁の角に激突したのです。

タオルで拭きますがなかなか血がとまらない。

とりあえずホテルフロントに電話し
救急箱を所望します。
しかし救急箱ってなんだっけ?
韓国語わかんないし、英語は?
emergency boxかな?
電子辞書を引くとfirst aid boxとのっていました。

しかしどっちも通じない。
相手が英語もだめなんです。
日本語はどうだと聞くと、「スコシダケ」との答え。

血がでてるというと。
シーツ代えましょうか?とかいう間抜けな返事。

なんとかやっとわかってもらって15分後にやっと救急箱をもってきてもらいました。
しかし持ってきただけですぐに去ってしまいました。

中を見るとすべてハングル。英語表記なし。
さらに怒って電話してI can not read korean!!と人を呼び手当てしてもらいました。

応急処置のあと少し寝て
朝を迎えましたが血がとまりません。

フロントで再度手当てをしてもらっていると
医者に行くべきだとのこと。
お客さんと約束があるからいけないといいましたが結局説得されていきました。

小さなビルの中にある小さな医者でここでも言葉が通じない。

傷口を見てもらうと、そっちの部屋に移ってベッドに寝ろとのこと。
うそっ?手術?
時間がないというと10分で終わるとのこと。
でいきなり寝かされて縫合されました。

短い手術でしたがいろんなことが頭をめぐりました?

衛生環境は大丈夫なのか?
金儲けのためにする必要のない手術するんじゃないの?
だいたい金は足りるのか?
手術の腕はどうなんだ?
傷残るんじゃないの?
でも整形美女の国だから大丈夫かな?
などなど。

でももう遅いのです。始まっているのですから。

ok finish.eight point.

ええ八針かよ!傷口結構開いてたんだと改めて認識。

会計時に、どんな手術をしたか英語でくれといいましたが
全く通じず金だけ払わされたので
receiptくれといっても通じず、最後に漢字の筆談しました。
「領収書」やっと通じました。

今回の経験で言葉の重要性を改めて感じました。
外国での病院経験はオーストラリアとグアムで二回ありましたが
英語なのでok。
そういえば中国でも腰痛で中医にかかりました。
こちらはこっちの説明はできましたが、あちらの説明は半分くらいわからなかった。
でもなんとかなりました。

韓国語もヨン様オバちゃまに混じってはじめなきゃだめかな?

以上
[PR]

by zhuangyuan | 2007-09-07 22:09 | 言葉 | Comments(6)
2007年 07月 28日

独立戦士

先日バングラデシュに出張した際、首都ダッカでダッカクラブなるところに行きました。
ダッカクラブは最貧国バングラデシュにおける極少数の上流階層のためのサロンみたいな
ものです。イスラムの禁酒の国にでもここではお酒はなんでもOK。上流階層はどこでも優雅なものです。

そこで食事をした相手は初めて会う方でしたが
名刺の名前の横に'bir pratik'と書いてありました。
紹介してくれた方も「彼はbir pratikなんだ!」となんども繰り返します。

それは何かと申しますとなんでも独立戦争に貢献した人物に
政府から贈られた称号なんだそうです。

その称号がついているだけで皆から尊敬されるそうです。
確かにクラブに来ている客の多くが彼を見つけるとやってきて挨拶します。
見るからに高貴な感じで思慮深そうな控えめな方です。
とても戦争を勝ち抜いた戦士には見えないインテリ風です。

それもそのはず彼は戦争当時、軍人ではなく学生だったそうです。
19歳だった彼は学生を率いて戦ったい、その功績を認められ称号を贈られたそうです。
この称号をもらえたのはほとんどが軍人で民間人でこれを持っているのは非常に珍しいそうです。

で、聞いてみました。
そもそもなんで独立したかったんですか?

バングラデシュは1971年にパキスタンから独立したのですが
独立前は東パキスタンといいました。今のパキスタンは西パキスタン。
間にインドを挟んでまして飛び地国家でした。
イギリスから独立したインドは宗教により分裂しました。

独立戦争を戦った理由を彼はこう語りました。

「我々はベンガル人です。パキスタンはパンジャブ人です。言葉も全く違う。
当時パンジャブ人はベンガル人を奴隷のように扱いました。
イギリスから独立したにも関わらず我々には自由は全くなかった。」

うーん知らなかった。
だいたい飛び地で民族も違って同じ国ってのがそもそもわからない。
旧宗主国の分割統治の影響でしょう。

ちょっと調べてみるとバングラの当時の状況をわかりやすく説明したサイトが
ありましたのでご紹介します。貧困の悪循環-開発問題の本質
ちょっと引用します。
パキスタンというくびき

 英領インドから分離独立した東パキスタンは喜びもつかのま、今度は西パキスタンの植民地的存在となった。図は東パキスタン時代の物流である。ジュート輸出による外貨収入は西パキスタンの機械・原材料輸入に充当された。政府は国内産業育成のために外国製品に高い関税をかけた。そのため東パキスタンで消費する物資はすべて西パキスタンから買わねばならなかった。自分たちが作った製品の代金は「西」で使われ、その上「西」の消費財を買わされるという植民地そのままの経済構造であった。

 さらに東パキスタンの主要工業であるジュートおよび綿工業の大部分は西パキスタンの財閥の資本か、政府開発公社と組んで投資したものである。その利益は「西」に送金され、「東」に再投資されることはなかった。このため、独立当時はほぼ同水準であった一人当たりのGDPは1970年には1対1.6に拡大した。


イギリス植民地の構図とおんなじです。宗主国が代わっただけ。

彼らは言いました。
「そして我々はこうしてバングラデシュのパスポートを持ち
自らの国の代表としてこうしてビジネスができるんです。」

でも独立から早36年が経ちますが
恒常的な政治不安定や腐敗から経済が安定せず未だに最貧国に甘んじているところが
世の中の難しさを物語っていますな。

でもゴールドマンサックス社によると
BRICSにつづくNEXT11にバングラデシュがはいっていますので
これから期待できるかも。

でも昨年も政治混乱で選挙ができないで軍がバックの臨時政権が運営してます。

以上
[PR]

by zhuangyuan | 2007-07-28 22:09 | 文化、歴史 | Comments(1)
2007年 07月 16日

MONSTER MONSOON

出張でインド、バングラデシュ、シンガポールを10日間で回り、金曜に帰宅しました。
未だに腹が癒えず。

インドは大学の卒業旅行で行って以来14年ぶりの訪問です。
インドは昨今急速な経済発展を続けていますのでどれだけ変化したのか?

夜中の一時にカルカッタに到着。眠い。
例のごとく、荷物が出てこない。
一時間半待ってやっとこさ出てきました。

バンコク経由で入ってきたのですがこの便にはタイに物資の買い付けにいったインド商人が
多くのっているそうで荷物がメチャメチャ多いそうです。
荷物というより輸入貨物と言ったほうがよいのかもしれません。

荷物が多いだけなら一時間半も待たない。
この空港では荷物を下ろす作業員が疲れちゃうと休んじゃうそうです。
で一時間半。
この話は後で聞いた話ですので、もちろん出てくるまでは本当に到着してるのかさえ心配して
気が気じゃない一時間半でした。

なんか嫌なスタートです。

ゲートを出ると出迎えの方(日本の貿易商社の方とドライバー)が来てくれていました。

「状元さん、よくいらしていただきました。
しかし大変な時に来られましたね。街は水浸しですよ。
モンスーンが直撃していまして至るところで冠水してまして来る途中も水に浸かって
エンジン止まりましたよ。
ちょっとホテルまで辿りつけるかなんとも言えません。」

そんなバカな、ちょっと想像できない。
とりあえずホテルに向け出発。

しばらくすると水かさが増してきまして
夜中の真っ暗闇に点滅する信号がありまして、その前に数台の車が立ち往生しています。
その行く先は道路というより池です。しかも真っ暗。

しばし逡巡したのち、ドライバー氏は果敢に水の中に発信しました。
車の脇を波が動いてゆく。タイヤが埋まる程度の水かさです。
大丈夫かいな。

水の中を進むと二手に道が分かれています。
で暗くて狭いほうに進みます。
すると急に真っ暗になりました。
ヘッドライトまで水に沈んだのです。
当然マフラーも沈んでます。
だんだんタイヤも空回りが多くなり、エンジンは唸りを上げます。
そのうち水蒸気なのか何なのか煙がもくもく立ち始め、とうとう止まってしまいました。

車の中への浸水を恐れて足を抱えながら乗っていたのですが
ふと気が緩み、足を下ろす。ピチャ!
やっぱり浸水してました。で再度足を抱えます。靴は代えがありません。

ドライバー氏、再度アクセルを踏み込み、空回りしつつも何か動き出す気配。
かすかに進み始め、再度まわりの水を波立たせていきます。

すると前方に上り坂が見え道路が露出していました。
助かった!
「ここまでくれば大丈夫です。ホテルにいけますよ状元さん!」

こうしてやっとこさホテルに辿りつきました。現地時間3:30AM。日本時間7:00。

のっけからすごいスタートです。この旅は果たして終えられるのだろうか?

翌日というより当日は8:30から予定3時間のロングドライブ。
朝、部屋に届けられた朝刊を見るとこんな感じ。
d0018375_18204838.jpg

d0018375_18244882.jpg


モンスター・モンスーンですよ。見出しでびびっちゃいます。
48時間でどうなっちゃうんだろうか?
どこもかしこも水ばかり。ウォーターウォーターエブリウェア!

これはちょっと予定中止かななどと心配していたが決行。
雨季だから6時間かかるかもなどと脅されてスタート。
雨は上がっているものの道路は雨の影響でボコボコ。

いきなり渋滞で全く動かなくなる。
みんな車を降りて話している。
ドライバー氏が渋滞原因を調べに歩いていった。
戻ってくるとまもなく解消されるとのこと。

理由を聞くとそこはイスラム教徒の多く住む地域で政府に抗議するため
デモを行い道路を止めていたとのこと。
インドはいろいろありますなあ。

道は貨物トラックであふれています。
ところどころで路肩に落ちて立ち往生したトラックや
溝にはまって動けなくなったトラックが原因で渋滞を引き起こしています。

道路脇の家という家というか小屋はほとんど水に浸かり、
水かさが増してどう見ても湖か池にしか見えない田んぼを横目にひたすら車に揺られます。

ぐちゃぐちゃな道中でしたが何とか予定通り3時間ドライブで到着しました。
で仕事を終え、帰りも似たような3時間を過ごしホテル着。
もう初日からぐったりです。
もしこの予定が次の日であったらさらに土砂降りで行けなかったようです。

今回の出張は常に日程が順調に進むかばかりを気にして
ヤキモキしながら過ごした10日間でした。

でも今は日本にいますので何事もなく帰国したのです。

以上
[PR]

by zhuangyuan | 2007-07-16 18:21 | 生活 | Comments(4)