中華 状元への道

zhuangyuan.exblog.jp
ブログトップ
2016年 08月 11日

東インド会社のお嬢様が世界を切りとった


先日マーガレット・キャメロン展会に行ってきました。
青い日記帳さんのブロガー内覧会です。
d0018375_09584515.jpg
19世紀のイギリス女性写真家です。私は今回参加するまで知りませんでした。写真が世に出て間もないころにしかも女性が芸術に昇華させている。

このキャメロンさん、48歳から写真はじめて極めちゃった。そもそも写真が身近にあるっていうんだからいいご身分に決まってる。それもそのはずお父様は東インド会社勤務で、自身はカルカッタで生まれたって。日が沈まない帝国ですね。

どうらくではじめた写真に自信がついて美術館に売り込んだって。この自信のほどが半端なくてがすごい。さすがお嬢様って感じ。その手紙も展示されていました。

‘I write to ask you if you will… exhibit at the South Kensington Museum a set of Prints of my late series of Photographs that I intend should electrify you with delight and startle the world’
南ケンジントン美術館に私の最近撮った写真シリーズを飾ってくれないかしら。その作品はね貴方を喜びで痺れさせるわよ。そして世界を驚かす。


どうですこの自信?

時は明治の頃ですから写真なんてとても珍しく、はいポーズどころか、ずううっと止まっていなきゃならない時代。撮る方は箱を抱えて布かぶって。とられる方だって緊張しちゃいます。一生の記念に気合の一枚。

ポートレートも記録用として表情も硬いものがほとんどの中で
彼女の写真は、というか作品はポスターにあるように生気がみなぎってるんですよね。

彼女のスタイルは当時としては奇抜だったそうでどアップだったりボケをあえて入れたりとそれまでの杓子定規なタイプと違います。同時代の他の写真家作品表情も展示がありますので一目瞭然でした。女性を撮った作品が多いのですがどれもがなまめかしい表情をしているのです。でっかい機器で被写体がじっとしていなければならないはずなのに、このリアル感が出せるのは彼女の実力の証しといえるでしょう。ドキっとしちゃいますよ150年の時を超えて見つめられると。何かを私に訴えてくる。
宗教画だったり著名人のスナップだったり色々テーマがありましたが
私が最も気になったのはインドの写真。マドラスの民族を撮ったもの。
d0018375_10350248.jpg
宗主国の貴婦人にカメラを向けられていっさいおもねることなく人生を達観したような眼差し。植民地でのイギリス人は武力、財力で統治したわけですが、インド人のあの表情を見ると、すべての歴史上の欺瞞はお見通しといった感があります。威張っている英国紳士もさぞかし自分の浅はかさを内心で恥じたことでしょう。

他にも吟遊詩人だったりアフリカの皇太子だったり
世界を制覇していた頃のイギリスの力を感じさせるスナップも残してくれています。

インスタが世界中でもてはやされ、高校生や中学生までもが毎日写真を何枚も撮り世界で共有する。
今では当たり前のものが奇異の目で見られ、それが市民権を得ていく。スマホ時代の起源を今観ておくのも一興ですよ。


以上


[PR]

# by zhuangyuan | 2016-08-11 10:36 | 文化、歴史 | Comments(0)
2016年 08月 06日

ブラジルはやっぱりペレ

Pelè 伝説の誕生」鑑賞


想像を超えるスケールの大きな映画でした。ペレの生い立ちだけでなくブラジルサッカー、そしてサッカーそのものの歴史まで、ともすると大航海時代まで視野に入った壮大な物語と言えます。


正直観るつもりはなかったのですが、その日は2つの街で3つの映画に振られ、帰るのも悲しいのでPelèにしました。


私も小学校から大学までは結構真面目にサッカーやってましたし、今も小学生のコーチだったりしますのでペレの偉大さは知っています。でもね俳優がサッカーして、ペレですって言われてもしっくりくるわけないですし、アニメだって上手くできないのに特撮でも無理でしょって。アニメと言えばキャプテン翼がテレビ初放映した時のショボさはわすれられない。ましてやペレですよ。


しかも今ペレってことはリオ五輪便乗というかプロモの一環でしょうからこの点も期待を下げる要因でした。でもなんでオリンピックでペレなんだよブラジル?サッカーワールドカップ決勝のゲストに王貞治を呼んだNHK並みじゃない。


後日ラジオで知ったのですが、実はこの作品はブラジルワールドカップの前に出来るはずが間に合わなかったのだといいます。なんともブラジルっぽいエピソードです。この映画を観ていればブラジル代表のモチベーションが上がって、ドイツに世紀の大惨敗をすることもなかったかもね。この映画ではブラジル代表が背負ってる歴史的役割を再認識できるから。

その2014のドイツ戦ってのはブラジルサッカー史上に残る惨劇と言われてます。なにせ地元開催で17ですから。でもそれよりも大きな悲劇が1950年にあったんです。マラカナンの悲劇。Maracanaço。ワールドカップ決勝リーグがリオのマラカナンスタジアムで行われ、ウルグアイに負けて優勝を逃したのです。


映画はここから始まる。

1950年のこの試合に負けたブラジルは国全体が沈み込みペレの尊敬する父親も落ち込んで泣いてしまう。じゃあ僕がブラジルを優勝させるって。当時10歳。そこから初めてのワールドカップ出場の17歳までを描きます。


ぼくらはペレ以降のサッカー、ペレ後のブラジルしか知らないのですが、ペレ前の世界、つまり王様なしの時代が当然あったわけです。ブラジルは当時まだワールドカップ優勝していないし、マラカナンで敗れたブラジルの個人技優先のスタイルは酷評されてたんですね。ヨーロッパの組織サッカーが優れていると。そして個人技は封じられる。


ジンガ。

ブラジルサッカー独特のステップ。これを抑えられてた。

このジンガの歴史と開放、爆発がこの映画の肝です。


ブラジルは移民国家で他民族混合ですが、多くはアフリカから奴隷として連れてこられた。なかには白人に抵抗し逃亡し山にこもって武装した人たちがいました。いわゆるマルーンです。Maroon。彼らは格闘技も習得し、そのアフリカ由来のカポエイラからジンガが生まれたと。そのステップがブラジルサッカーの魂なのです。


それを欧州サッカースタイルに勝つために封じられる。

でもね、17歳のペレは違うんですよ。ファベーラで育った黒人ですからね。

ジンガを爆発させて大活躍するんです。賢い組織されたサッカーを歴史が宿ったジンガサッカーが打ち破る。世界の歴史を反転させるような意義があったんです。ペレ以前はブラジルサッカーにおいても白人優位だったとは全く知りませんでした。


映画を観る前に、自分よりずうっと若いコーチにメッシとマラドーナはどっちが実力が上だと思うかと聞かれたことがあります。マラドーナの方がずっと好きだがチームのシステムの中で機能するという意味でメッシが上なんだろうねと答えました。この質問は常に繰り返され、ペレとマラドーナ、ペレとクライフなんてみんなが比べたことでしょう。正直言ってペレのプレーを今みるとピンとこないんです。というか理解できていなかった。速い、柔らかい、強い、高い。だけどサッカーのシステムとしてどうなの?って。でもねここが映画の肝だったんですよ。ブラジルはこうじゃなきゃいけない。ロナウジーニョなんかまさに血を引いてますよね。


いやあ面白かった。

で今リオ五輪がまさに始まるのですが

ブラジルはペレなんですよ。

なんといっても。


自慢しますが私ペレの足触ったことありますよ。リアルに。


以上





[PR]

# by zhuangyuan | 2016-08-06 09:31 | 文化、歴史 | Comments(0)
2016年 05月 15日

ボーダーの向こうの現実をブルースが歌ってる

d0018375_09032829.jpg

最近、メキシコボーダーに関する映画をいくつか観てる。

ドキュメンタリー、カルテルランドはここにも書きました。

「カルテル・ランド」正義の変質 その時ゲバラならどうする?

警察がカルテルを持て余してるので自警団を作った。国境の向こう側アリゾナでも白人が俺たちの生活を脅かす密入国者を退治するため自警団が組織されてる。


「皆殺しのバラッド」国境付近街シウダ・フアレスでは法の執行なんかは期待できず抗争でバンバン人が死ぬ。一方国境を隔てたエル・パソは平和な街。国境の両側で麻薬カルテルの実態を唄うバンドがヒーローになってる。


ボーダーラインでは麻薬カルテル撲滅を狙うアメリカ国防総省が国境越えてメキシコに潜入し、正義のボーダーも踏み越えて悪虐な行為で敵を仕留める。

FBI女性捜査官は国境での作戦に行けと言われ、行く先がエル・パソかと思いきや国境の向こう側シウダ・フアレスでびっくり。そこにはチンケな法なんかはあってなきがごとし。


とにかくどの映画でも描かれるのは無法地帯メキシコ。金の匂いのする麻薬に関わる組織には若者たちも組み込まれカルテルなしには生きられない。富を望まない慎ましい生活を送る一般市民も嫌が応にも巻き込まれ犠牲者が積み上がる。こんな土地誰でも逃げ出したくなる。近くにある国境の向こうには世界で一番の富が集まるプロミスランドアメリカがある。そこでは真面目に働いてドルを貯めれば、個人の力で成功をつかめるんだ。生まれついたところが国境のこっちだっただけ。若者は北を目指す。


「闇の列車 光の旅」はそんな若者を描いたものだった。ギャング団の下っ端でボスに気に入られるも恋愛する自由もない。組織の稼ぎは国境に向かう列車で強盗を働くこと。列車に乗ってるのは中南米から貨物列車に無賃乗車するアメリカへの国境を目指す不法移民たち。不法って言ったって既得権益者が自らの富を守るために作った方ですからボーダー越えちゃえばなんとかなると皆、北を目指すのです。


もう一人の主人公はアメリカを目指すホンジュラスの純朴な少女。少年は列車を襲った時に彼女を助けて仲間を殺す。そして北を目指す列車の乗客となる。乗客っていっても屋根の上ですけどね。もちろん彼は組織から追われることになります。


この国境を目指すまっすぐな列車が閉塞した人生を象徴しているようで辛いのです。線は国境までつながってる。しかもいつもそこを通ってアメリカ国境まで行ってる。でもまっすぐしか進めないし、そこしか走れないから阻止するのも簡単です。待ち伏せするのも容易。国境の向こうの光の国に進んでいるのに闇に囲まれてる。この邦題は素晴らしい。


列車が繋がってるだけでなく、今はみんなケータイ持ってますから通信なんて自由にできる。電波は簡単に国境を越える。でも人は超えられない。ただそこに生まれたと言うだけで壁に阻まれる。法に阻まれる。土地のしがらみにも。


この映画の車窓というか列車周りの風景が美しいのも辛いんですよね。自然は美しくどこまでも繋がってるのに人間だけが壁作って法作って差別して搾取のシステム作ってる。


映画のネタバレして恐縮ですがホンジュラスの少女は国境を越えることに成功します。

夢の国にたどり着いて先に移民した親戚に電話する。希望の国での第一歩を踏み出して映画は終わります。


この先少女にどのような人生が待ってるのかわかなないのですが、そこで思い出しちゃったのがブルース・スプリングスティーンの曲。アメリカに渡ったメキシコの兄弟を歌ったもの。Sinaloa Cowboys (The Ghost Of Tom Joad)1995年のアルバムです。国境の両側のシビアな現状をアルバム全体で詞にしています。


私当時友人に誘われこのアルバムのツアーを聴きに行きました。アコースティックギター一本で静かに歌い上げるでしたがブルースの英語がさっぱりわかりませんでした。ライブ後に歌詞カードを読んで意味の深さに後になって知るという失敗をしたのです。


歌の中でアメリカに渡ったミゲールとルイスは農場で仕事を見つける。

でも3年経っても生活は苦しいまま。

そこへもっと金になる話が聞こえてきた。


Word was out some men in from Sinaloa were looking for some hands
Well deep in Fresno county there was a deserted chicken ranch
There in a small tin shack on the edge of a ravine
Miguel and Louis stood cooking methamphetamine


シナロア男たちが人を探してるって

そこはフレズノの奥にある荒れ果てたニワトリ農場で

渓谷の淵に掘っ立て小屋があるミゲールとルイスはメタフェタミンを作った



麻薬工場ですよ。シナロアってのはメキシコにあるケシの産地。

国境を越えたはずなのにまたあのしがらみに絡まってる。

いわゆるグローバリズムってこういうことだよね。キレイな単純労働は世界にどこだって安くなる。国境のこっちでも。手っ取り早くて金がいいのは方の裏側だけ。


でこの後どうなると思います?アニキのルイスは小屋が爆発して死ぬんです。

ミゲルは燃える小屋を見てる。そしてアニキと貯めた金を持って旅に出る。これが希望というならむごすぎる。


ブルースの観察眼には恐れ入ります。一曲で人生歌い上げる。

この曲1995年のものです。そして20年経った今も構図変わらない。秩序がなくなってもっと悪くなっているのかも。

私、1990年にメキシコを一ヶ月旅行しましたが、当時こんなメキシコの事情を知らなかった。

25年ぶりにメキシコ行きます。来週。仕事ですけどね。


以上



[PR]

# by zhuangyuan | 2016-05-15 09:00 | 時事 | Comments(0)
2016年 05月 05日

「カルテル・ランド」正義の変質 その時ゲバラならどうする?

d0018375_21360438.jpg



「カルテル・ランド」試写会にて鑑賞。

メキシコ ミチョアカアンで麻薬カルテルが跋扈し警察も手がでない。さもなくば警察も彼らに抱き込まれてる。子供たちまで巻き込んだ殺戮の繰り返しに対し、街を守るのは自ら銃を持って立ち上がるしかないと自警団が立ち上がる。中心になったのはミレレス医師。長身痩躯にカーボーイハット。優しい面立ちにも鋭い眼光が光り、演説すれば民衆を惹きつける。街の支持を得た自警団は徐々に勢力を拡大しカルテルから街を取り戻してゆく。

勢力が拡大すると警察権力が抑えにかかる。ヘリでやってきて武装解除を迫る。民衆がおびえていると。しかし民の支持をバックに武装した警察隊から武器を取り戻す。街の安全のため。正義の武装がなし崩し的に認められる。

カルテルアジトを急襲する場面もカメラが回る。思わぬ方向から銃声がなり画面が揺れる。ドキュメンタリーならではのヒリヒリとした緊張感。カルテルの幹部を連行する。自警団メンバーは幹部を殴る。次から次へとやってきて押さえつけられた幹部を殴る。憎しみの過剰。

正義を掲げた小さな抵抗から、勝利を重ねるごとに勢力を増し、大きな力を得ると惰性がつき、正義があやふやになる。驕りも加わり過剰へと進む。そして中から変質してゆく。リーダーミラレスは嘆く自警団はカルテル化していると。警察組織からの再三の懐柔工作を受け、ついには迎合の時を迎える。

ミラレス医師は身の危険を察し、組織を離れて街を出て行く。

試写会にはスペシャルゲストとして「ゆきゆきて神軍」の原一男監督のトークがありました。

4回観たといいドキュメンタリーとして絶賛するも観れば観るほどわからなくなるという。権力に対するため民衆が武器を持ち立ち上がることを否定しないが自警団の変質や権力への同化の見せられると自信がなくなると。
「皆さんどう思います?」と原一男監督。

わからない。
特にわからないのはミレレス医師。カリスマ性を持つリーダーがあっけなく組織を去る。組織を立て直すことにカリスマ性を発揮すれば正義の道もあっただろうに。映像の迫力と多層な構造の絡み合いに頭が熱し答えが出ない。

映画の余韻冷めやらぬまま翌日にはGWの家族旅行に出ました。旅先で私なりの答えを見つけたんです。というか本に教えてもらった。ふと立ち寄った古書店でみつけたのはゲバラの本。
d0018375_21002001.jpg


現代思想 2004年 10月臨時増刊 「総特集 チェ・ゲバラ」そのなかの一編「路上の紳士」(越川芳明)にこうある。

ゲバラが10代の頃にに取り憑かれていたのは、革命でなく放浪だった。

ゲバラは自ら血の中に、ほうっておけば立派な独裁者になりかねないカリスマ性と残虐性があることに気づいていた。


そしてイギリスの作家の言葉を引く
「生物学の一般的な規則によれば、移動性の種は定住性の種ほど"攻撃的"でない。」


ゆえにゲバラはキューバを去った。
ミラレス医師もそこに自覚的であったのではなかろうか?定住する権力は攻撃的になる。そのなかでカリスマとなることの危険を達観していたのか?武器を持ち続けると抑圧側にまわるという必然を避けていたのか?ミレレスは放浪の旅へ出て、警察傘下となった自警団はいかなる未来があるのか?

なんてことをアレコレ考えてたらあっという間に目的地に着きました。さあ旅を続けよう。

アメリカ側ボーダーでのプアホワイト自警団の成り立ちも非常に興味ぶかいしシンプルにはわりきれないのですがこれは映画を観てのお楽しみ。



以上


[PR]

# by zhuangyuan | 2016-05-05 18:25 | 映画 | Comments(0)
2016年 04月 30日

山河ノスタルジア 中国大発展のひだにある故郷と広東語

中国映画 山河ノスタルジア 鑑賞@渋谷 ル・シネマ
d0018375_09520519.jpg
やっぱり中国映画が好きです。
時代の大きな変化の波涛にもまれる小さな人々の人生が描かれる。
そしてその時代に私自身も参加している感覚を持ってます。

物語は3部構成。
1999年 過去
2014年 現在
2025年 未来

私にとって1999年なんて昨日とさして変わらないし、20世紀の終わりとしてむしろ未来の象徴として認識して子供時代を過ごしてました。その未来としての1999はたいした変化もない連続した日々の延長でしかありませんでした。

でも中国では違う。
鄧小平の改革開放経済を経て、1997年に香港返還を過ぎ、1999年はマカオ返還、そして2008年のオリンピックに向けて音をたたてるように変動が大きくなってゆく時でした。

第1部舞台は山西省の炭鉱の街
来る新世紀を街全体で祝っています。

主人公は幼なじみの3人
町一番の美人 タオ
お金大好き ジンシェン
勤労青年 リャンズ

幼なじみで男女3人といったら起こることは決まってますね。
友人の二人は一人を愛し…。


ところで日本で観る中国映画の欠点は字幕で名前をカタカナで表記すること。
音が違うから漢字表記すると混乱を招くとの心づかいなんでしょうけど。
それでいて苗字や役職で読んだ時も同じ呼称を使ったりする。

漢字で書いたほうが趣きがあります。
饰 沈涛 Shi Shen tao
张 晋生 Zhang Jin sheng
梁 建军 Liang Jian jun

石炭はこの頃はまだただの石ころ
でもここから中国の経済発展を支える黒いダイヤモンドに変わるんです。

投機好きのジンシェンはリャンズの働く炭鉱を丸ごと買っちゃいます。
そして石炭価格が急騰していき富豪になる。
で、もちろん?タオはジンシェンを選び、リャンズは街を出てゆく。

タオはジンシェンと結婚し長男が生まれる。名づけた名前がダラー。
Dollarって意味です。米ドルのこと。漢字で書くと到乐。楽に至る。外来語の中国語表記ってのはいつもセンスありますね。

2部、3部と時代が変わると、ジンシェンはタオと離婚し、ダラーをつれてまず上海に行き、その後オーストラリアに移住します。大金稼いで街を捨てて富豪への道を駆け上っていく。人間関係のしがらみだけでなく、絆も断ちながら。こんな時代なんです激動中国。


ここでジンシェンの名前に意味が出てくる。
「晋生」
晋ってのは山西省のことです。古い国の名前。
山西生まれってこと。お父さんは国境を愛してたんだろうな。
それが炭鉱買って、山を破壊し、妻と友人と縁を切り、故郷をすてて、あげくは国を出る。
カネ、カネ、カネ

1999年に赤いアウディ買ったジンシェンとタオの会話で、いつかアメリカに行きたいなと夢を話します。遠い目標としてのアメリカ。香港でもいいなあ、でも広東語喋れないな。憧れとしての香港。当時すでに発展していた香港は文化の最先端として大陸では羨望の的でした。開放の象徴として。歌手も俳優も洗練されたスターの多くは香港出身でした。喋るのはもちろん広東語。

物語では広東語が中国経済発展過程を測る重要なキーになってます。

1999年タオが働くのは音響機器のお店。
お客さんが持ち込んだCDは香港女星サリー・イップ。
憧れの香港スター。言葉わからないけど雰囲気に浸る。
日本でいったら若者が洋楽聴くって感じでしょうね。



この曲がたびたび重要な場面で流れます。
私もカントン語わかりませんが好きになっちゃいました。
iTunesで落としてヘビロテしてます。

中国にとっての香港は2000年代の中国大発展を経てだんだん色あせて、香港スターも大陸市場をめあてに広東語でなく普通語を使うようになります。映画も歌も普通語バージョンががメジャーに。ジャッキー・チェンだって、アンディ・ラウだって普通語上手になりました。昨年家族で香港旅行しましたがブランドショップに並ぶのは大陸観光客ばかり。でっかい声で普通語しゃべってます。レストランで私が普通語喋るとウェイターの態度は悪いですね。経済的逆転とやっかみ。複雑な香港市民。サリー・イップだっていまではイップでなくイエと呼ぶらしいです。葉=叶の読み方が広東語から普通語へ。

映画の場面2025年での舞台はメルボルン。
ジンシェンは中国を脱出し、息子ダラーとくらす。
ダラーは中国語を忘れ、父とのコミュニケーションはGoogle翻訳。未来だしね。
世界経済で重要な存在となった中国と関わるには中国語が必須との考えからダラーには中国語を習わせます。

ここで皮肉なのはダラーの中国語先生が香港出身なこと。ダラーの母親年代ですが上品な美人です。
おそらく香港返還前に脱出したんでしょう。大陸支配を懸念して自由を求めてカナダトロントへ。トロントは世界有数のオールドチャイナタウン。いろいろあったんでしょう。豪州メルボルンに流れてきた。今は広東語を捨てて、需要の多い中国子息のための普通語教師です。

父ジンシェンのコミュニティはおそらく国には住めない華僑。カネを持って国外脱出。
ここで話されるのは普通語。かつてチャイナタウンといえば広東語か福建語と決まっていました。移民の国をオーストラリアではこの未来では中国人がメジャーなのかも。でも故郷を失い、世代が進むと言葉も消える。カネだけが残る。孤独な老人が無機質に暮らすだけ。

印象的なのはメルボルン観光地の12使徒。
ダラーと女教師がデートします。
d0018375_10020154.jpg
崖が侵食し、奇岩が林立しています。かつて9本立っていた奇岩は徐々に崩れ本数を減らしてる。2009年に8本になった。2025年は5本だったかな。崩れる原因は知りませんがカネ目的の人類が精神を蝕みながら聖徒を犠牲にするように地球を破壊してゆく。ジンシェンが国土を爆破して石炭鉱山を開発したように。

国を出た根無し草の二人がドライブし流れる曲がここでもサリー・イップ「珍重」
もう失いたくない。故郷も国も家族も友人も。

不肯不可不忍不捨 失去你
盼望世事總可有轉機
牽手握手分手揮手 講再見
縱在兩地一生也等你

以上


[PR]

# by zhuangyuan | 2016-04-30 10:12 | 中国関連DVD、本 | Comments(0)
2016年 03月 27日

小6で書道を極めた悟りの境地はどんなもの?

d0018375_21030463.jpg
年長さんから続けたお習字も小学校卒業を機に昨日でおしまい。

最後に好きな言葉を書いていいよって先生が。

そして選んだのがこの言葉だって


ネットで検索してみますと
荘子にある言葉のようですね。

至人无为,大圣不作

意味はこうあります。
至人无为 大圣不作

学养最高的人懂得人要顺应自然,不能自命不凡地恣意妄为、心血来潮地胡作非为

教養を極めた人は、人間は自然に合わせて生きるべきだと知っている。自らを過信し、己れの思うがままに無茶をしてはならないし、気まぐれに非道なふるまいをしてはならない。

智慧最高的人懂得天地万物的运动变化有它自己的规律和法则,各种事物的表象及相互间的关系十分复杂多变,人不可能完全认知和把握它们,故不会自以为是地妄自造作,时时保留一种谨慎的敬畏的态度。这样人与自然,人与社会才能和谐相处,共存共荣。

最高の知恵を持つものは理解している。万物の変化は自らの規律や法則で成り立つこと、各種事象は相互に複雑に関わっているので、人間が完全に認知し把握することはできないこと、思い上がって行動せずに、謙虚に慎み深い態度を取らねばならないことを。このようにして人と自然、人と社会はやっと調和してました共存共栄できるのである。


息子は小さな頃からじっとしていられない質なので、週に一度くらいは正座して集中する時間が必要と始めたお習字ですが7年もやるとこうした境地に至れるのかな?

私は不惑をとうに過ぎていますが、自然にゆだねるどころか毎日ジタバタしております。



でもって本日の息子との会話はこちら。

「〇太は卒業式で△子にコクって両想いになったんだよ。マジでリア充うざいわあ。」

「とか言ってお前も誰かと両想いになりたいんだろ。」

「チゲエし。オレはリア充撲滅委員会入ってんだよ」

まさか全てを自然にゆだねろと言っといてさ
二次元に理想像をもとめてるんじゃないだろうね、


でも最近は三次元もリアルに近づいてる。やっぱ人間は四次元じゃないとね。
時とともに積み重なる人間としての深み。
これがないとね。

悟りにはまだ早いな。小6じゃねね。


文字、そしてお習字って宇宙的。
荘子って言ったら2000年以上前なんですが
たった4文字の白地に墨が時を超えて現代人の脳を刺激してる。リアルってのはなんだろか?
以上

[PR]

# by zhuangyuan | 2016-03-27 21:15 | 文化、歴史 | Comments(2)
2016年 03月 20日

ねえ、あなた「ロースにする?ヒレにする?」

韓国ではトンカツが人気であるとは聞いていた。
でもここまでとはね。

数年前のことですが、グルメなお客さん御一行が来日した際のこと。
食事の好みを聞くと「日本食が食べたい、特にトンカツが、という話になりちょっと意外に思いました。
トンカツが和食の代表選手にはいるのか?その日のお客さんは大満足で帰ったのですが、それ以来、韓国のトンカツが気になっておりました。

先日も後輩が有名な牛カツ店に行ったときのことを思い出します。
いくら旨いとはいえ、3時間半並んだと聞きびっくりしたのですが、行列している人の大半は韓国人観光客だとのことでさらにぶったまげたのです。そんなに好きなのか、カツ?どうやら韓国では日本に行ったら必ず食べるものとして牛カツが挙げられてるとのこと。

でもってこのたび、韓国出張を機に、晴れてトンカツ定食を食べてみました。専門店でなく複合ビルの日本食店ですけど。

まずは名称。トンカツじゃない。トンカス。돈까스。でもメニュー上のなぜかロースカツのカツはカチュ(까츠)になってる。韓国語には日本語の「ツ」をあらわす文字がない。でもそもそもは日本語のカツだってカツレツからきていて、Cutletの「T」が「ツ」になっちゃってるんですから人のこといえません。このことだけでも食文化の伝播の経緯がわかります。
d0018375_20090515.jpg

でももって、「ス」か「チュ」か問題を一緒にいた韓国の方に聞いてみましたが、どちらが正しいというわけでなく混在してるんですって。ただ街のトンカツ店をながめてみるとトンカス店と称すものが多かったのでトンカスがメジャーなんでしょうね。

メニューの写真を見る限り、日本のものとさして変わらず違和感は感じませんでしたが、
運ばれてきたロースカチュ定食を見てビックリ。カツはともかく、付け合わせが想定を超えてる。日本だとキャベツに味噌汁、ついてて漬。これでおわりですよね。
韓国トンカス定食にはキムチはともかく、ほかにもいっぱいついてました。
d0018375_20090358.jpg
うどん⁉︎  
でかいです。

シチュー⁉︎ 
ちょびっとにしてはスプーンがでかい。

タクワンは日本をイメージしてる?
ナタデココの場所はここじゃないだろ。

でもこれらは定番だそうです。
で、なにこのご飯の少なさは?
そしてデカイフライドポテトが一つ。油たっぷりで重いです。
肝心のカツは薄め、油少なめでおいしいものでした。衣はサクサクの合格点。切り方はちょっと細すぎ。

文化体験としてはじゅうぶん面白いものでした。
食後に街を車で移動しましたがナムサンタワーの近くにはトンカス屋ばかりが並ぶストリートがありました。
日本にはないですよね、近くにトンカツ店が2軒あることって。こちらは2軒どころでなくトンカスだらけ。有名店の横に便乗出店したんでしょうね。

そしてなんとその通りは若者たちが集まるデートスポットだと言うのです。
デートでトンカツ。これがソウルっ子のトレンド。

ねえダーリン❤️
ロースにする?
それともヒレ?
うどんは大盛り?

こんな甘い言葉がかわされるのです。

でもねトンカツデートは色気がないね。
しかもトンカスだしな。

以上


[PR]

# by zhuangyuan | 2016-03-20 20:48 | | Comments(0)
2016年 03月 13日

世界の中心マダガスカルにはいろんな地球がつまってる

マダガスカル大使館に行ってきました。
国際芸術家センターが主催するティーパーティーに参加。

マダガスカルは私の行ってみたい国ランキングの最上位クラスにあります。でもずっとあきらめていたのです。ずいぶん前のことですが独身最後の旅はケニアでした。出発前にアフリカの事情を調べると、どこもかしこも内戦だらけ。観光どころでないのでアフリカのさらなる旅行はお預けにしました。

マダガスカルが好きな理由は、とにかくバオバブが好きなんです。何を知ってるかというと何も知らないのですが見ているだけで癒される。マイiPhoneの待受画面はバオバブの林で子供が2人遊んでる写真です。

私が好きなのを知ってる小6息子はお絵描き教室に入った年長の頃にバオバブの絵を書きました。まさにこんなところに行ってみたいのです。
d0018375_22140128.jpg


このティーパーティーを前にお気に入りのシリーズ本で予習しました。「マダガスカルを知るための62章」

伝説のゴンドワナ超大陸の中心地であったといいます。それだけでグーンと心惹かれます。世界の大陸はここから分岐して行ったのです。アフリカもインドも南米大陸も。つまり世界はここが中心だった。

そして今この島にはマダガスカル人が住んでいますが、その民族の成り立ちは、アジアだったり、アフリカだったり、ヨーロッパに中東、様々な地域のミックスだそうです。はじめにやってきたのはボルネオの漁民だといいます。いまでもマダガスカル語にはマレー語由来のものが多いといいます。そしてヨーロッパが世界をひとつにするころには植民地獲得競争や奴隷貿易の拠点にもなってゆくのです。

地殻変動で大陸が割れて離れ離れになった地域から人々が海流にのって悠久の時を経てまた集まってくる。ロマンがありますね。集まってくる理由は資源だったり、スパイスだったり、宗教だったりするのです。

ティーパーティーの前には特産であるバニラビーンズの紹介がありました。バニラは固有種ではなく旧宗主国フランスが持ち込んだのですが、もともとは中南米を起源とするもので、スペイン人コンキスタドール、コルテスがヨーロッパに持ち帰った。外来種ですがバニラにはマダガスカルの気候がぴったりだそうで、最高品質ができあがったのです。そのフレイバーが世界中で評価され、シェアは70%だとPRしていました。ひともスパイスも世界をめぐる。

会が始まると女性大使自ら美しいフランス語でマダガスカルのPRしてくれました。
マダガスカルではマダガスカル語に加えフランスも公用語。今年の秋にはフランス語圏の国々がマダガスカルに集まりフランコフォニーサミットを開くと言う。なんと80カ国以上のエントリー!!この数はビックリです。これからフランス語を勉強しようとおもっている私の大きなモチベーション向上させてくれました。
写真はフランコフォニーサミットのPR絵葉書です。
d0018375_22235433.jpg

ティーパーティーの最後のセッションはマダガスカルのおやつや料理をつまみつつバニラティーをいただく。料理は大使の旦那さまが自ら腕をふるう。
d0018375_22101269.jpg
d0018375_22095367.jpg


人参のサラダをいただくと、ピリっとしたスパイスの香り。
アジアのテイストです。小皿にのったサラダのちょっとした香りに島の歴史がつまっているのです。

シェフの学校でフレンチを学んだという旦那さまと話すこともできました。スパイスのことを聞くと、マダガスカルには日本ともインドとも違ったカレーがあるといいます。

まだまだ知りたいマダガスカル。さらに好きになりました。いろんな地球がつまってる。
フランス語やって近い将来行ってこよう。
d0018375_22274190.jpg

以上


[PR]

# by zhuangyuan | 2016-03-13 22:30 | 文化、歴史 | Comments(0)
2016年 03月 04日

観察映画ってなんだ?「牡蠣工場」に中国がやってくる

観察映画「牡蠣工場(かきこうば)」鑑賞
d0018375_21220482.jpg

瀬戸内海岡山県牛窓にある牡蠣工場にカメラが入りひたすらに牡蠣の殻をむく作業が続く。



「中国来る」

スケジュールボードに書き込みあり。

作業員の高齢化にともなう人出不足から中国から研修生を呼び寄せる。となり町にはずいぶん多くの中国人が働いているらしいが、この町にはまだわずか。舞台である工場に来るのは初めてのこと。

近所の工場では数日でやめちゃった。
中国人はマナーわるいらしいよ。
事件もあったしね。
町の噂が聞こえてくる。

期待と不安、あきらめ、緊張が交互に訪れるも
時間は着実に日を重ね、Xデーが近づく。

準備も大変です。
住むところも用意しないとね。
言葉は通じるのかな?

こんなやりとりをする様子を解説なしで写し撮ってゆく。観察映画。
観察を通して、その人の歩いてきた人となりが浮かび上がってくる。

年老いたオーナー、継がない息子、東北から来た後継者、街の若者たち、牡蠣をむくおばちゃんたち。彼らを撮しているだけで彼らの人生が詩のように浮かび上がってくるんです。

町への愛着、誇り、狭いコミュニティの圧迫感、都会への憧れ、政府の無策へのあきらめ。

目の前に広がる美しい瀬戸内海は世界につながっている。毎日、静かに船が往来している。牛窓もかつて朝鮮通信使も宿にしたといいます。さらに昔は都にのぼる渡来人も通ったことでしょう。つまり歴史的にずうっとグローバルであったはず。でも外へつながる海が逆に町を陸に閉じ込めたようにも思えるのです。車時代に往来から外れている町。いつの間にか外から入ってるのがむずかしいコミュニティになってしまう。そこに過疎があり産業がよわり、そうして皮肉にもまた中国から人がやってくる。

実はそこんとこは中国も一緒です。明や清の時代に海禁政策をとった。
国家が貿易独占を企んだり、倭寇をおそれるあまり締め付けたりして、人々が海へ出ることを取り締まったのです。
その結果、漁民や商人が海を自由自在に行き来して繁栄した国家が内向きになりついには衰弱へむかう。するとまた外からひとが入ってくる。

グローバル経済のなか日本も安い労働力をもとめて仕事が外へでてゆく、その結果田舎町は過疎へとすすみ、人手がたりない。今度はそとからひとを呼んでくる。

でもってそうして牡蠣工場にやって来た中国青年二人は笑顔いっぱいに、ヘタクソな日本語を一生懸命使うんです。出迎える側も頑張ります。子供たちもいっしょになってみんなで中国語勉強してる。ニーハオマ?ニーマンマってのもあるよー!子供たちうれしそう。你忙吗?ni mang maのことですよ。

お互いを受け入れようとする気持ちが画面から伝わってきます。牡蠣工場のおばちゃんたちもはにかみながらご挨拶。なぜかときどき英語が混じる。外人は英語通じると思ってる。かわいい。

彼我をへだてる壁なんて人間個人が勝手に作ったメンタルブロックなんでしょう。通じようという意思があれば理解し合える。言葉なんて自然とできるはず。

そんなブロックがないのはいつでもどこでも脇目も振らずマイペースに走り回る子供たちと、何度も登場する白い猫ちゃんだけ。

いろいろ想像してたら145分があっという間でした。とにかく美しいんですよね海が。

以上


[PR]

# by zhuangyuan | 2016-03-04 21:43 | 映画 | Comments(0)
2016年 02月 21日

「火の山のマリア」 火山灰と資本主義の果て

d0018375_22331543.jpg
グアテマラ映画「火の山のマリア」鑑賞@岩波ホール

ずいぶん前に予告を観て以来楽しみにしていました。というのも私は24年前にグアテマラに行ったことがあるからです。ロスからカミオン(バス)でメキシコを経由してはるばるグアテマラへ。先住民の衣装が色とりどりで印象に残っています。ただ当時、民族によっては写真は魂を抜き取ってしまうと信じられカメラを向けない方がよいとアドバイスされていました。私はバックパッカーでしたのでカメラを持ち歩くと、保管や防犯などが気になるため、あまり写真は撮らない主義でした。それでも民族ごとに違う衣装が興味深く、記念に残したいと何枚かの写真を撮りました。しかし民族の呪いか、その後バックパックを失いました。フィルムを取り戻したく1日かけた捜索でなんとか取り戻したのですが、帰国後に現像すると全て真っ黒でした。というわけで写真はなし。民族衣装は買って帰りましたけどね。
写真は岩波ホール陳列のもの。
d0018375_22332530.jpg

映画の舞台は荒涼な火山地帯。主人公は先住民の若い娘。両親は小作農で痩せた土地を耕します。収穫をあげないと土地を接収されてしまう。娘は年上の地主に嫁入りを控えているのです。しかし若い娘は別の若者が気になっている。

火山信仰を持つ家族は、わずかではあるものの大地の恵みに感謝を欠かさない。しかし一方では世界を覆う資本主義の影が足元に迫まり、自らの貧しさにも気づいている。山に祈りは捧げるが、日々の暮らしの理不尽にも思いが至る。母親は日々の生活をたくましく切り盛りしているが、父親は地主を介して経済に組み込まれている。そして打算なのか娘を嫁がせる段取りをしている。文明と信仰の間。山の神を信じたいが貧しい生活にこころがゆれる。

大量生産経済は火山灰に覆われた僻地にまで到達している。井戸の水を浄化させるため薬品を投入し、農地の蛇を駆除するために農薬をまく、それがことごとく効果が見えない。これは地主から買ってるんでしょうね。農協みたいに。へたすりゃ借金して。資本主義の末端。弱いものへのしわ寄せ。地主も人は良さげだが、大きなシステムに巻き込まれているからか、弱さゆえの、受動的邪悪さが垣間見られる。地主と小作人家族を分かつものそれは、政府の言語としてのスペイン語。家族は全く解さない。

マリアが気になっている若者はアメリカに行くことを決めている。今は土地でコーヒー摘みをしている。マリアもアメリカに憧れを抱いている。火山の向こうにある別世界。差別や辛い生活があるとは分かりつつも、その先にあるであろう物質的豊かさ。彼女がほしいのは彼なのかアメリカなのか?山岳民族からみれば遥か彼方であるものの、すぐそばまで来ているんですよね。村にもアメリカ経験者もいるし、車も、薬もおそらくアメリカ。遠くでいながら近い。でも遠い。

コーヒー摘みの若者たちは街から来ている買い付け業者に、収穫物を重量売りする。バーで前借りしていて報酬をえられない若物がいる。低賃金で酷使するだけでなく、お酒でもふんだくる。抵抗する若者はコーヒーに水を含ませて重くするがあえなく発覚。でもこのちょろまかしは行き詰まった資本主義を暗示しています。

圧倒的かつ荘厳な火山風景と神秘的な民族生活を描写しつつ、現実の生活の苦しさとそこに絡んでくるグローバル経済。ドキュメンタリー的なタッチだがあっとおどろく物語も組み込まれています。

もっとたくさん書きたいけどネタバレになるのでやめときます。
旅好き語学好きのみなさまにおすすめします。

以上

[PR]

# by zhuangyuan | 2016-02-21 23:02 | 映画 | Comments(0)