2016年 11月 07日

隣国の選挙を前に歴史を振り返る

今週は米国大統領選挙です。

カナダ、バンクーバーに着くとさっそくその話題に。

「今日クリントンメール問題でいいニュースがあったよ。」

「でも彼女人気ないでしょ?アメリカ人はクレバーな女性より、シリーな男が好きなんじゃない?」

「トランプはSillyじゃないCrazyだ!カナダでもみんな心配してる。ああいうレイシストは絶対にダメだ」とトランプをこきおろす。「でもクリントンが勝ってもトランプ派が暴動起こすかもしれないな」

「そういえばカナダは人種差別深刻じゃないの?」
「とっくに解決したよ」とバンクーバー生まれの白人の彼が言う。

そんなカナダでもパールハーバーが起きるとカナダでも日本人排斥運動が起きて、日本人街は接収され日系人は強制収容所に入れられたと言います。当時日本人街はチャイナタウンの隣にあって同じくらい大きかったといいます。

カナダでは戦後しばらく経って強制収容に対し日系人に賠償金が払われ公式に謝罪したそうです。

「でもね日本軍はバンクーバーにもアタックしたの知ってる?」

「いや知らない」

「サブマリンから魚雷撃ったり、バルーンでボム落としてフォレスト焼いたんだよ」

ぜんぜん知らない。お恥ずかしい。

「戦前に日系人はバンクーバーに野球チームも持ってたんだ。アサヒって言うんだよ。連勝記録は未だに破られてないはず。」

そういえばそんな映画がありました。
「バンクーバーの朝日」
帰ってから観ないとね。

「彼らはとても人気があった。でも彼らのボールパークも壊されちゃったよ。戦後に公園になって名前が変わったんだけど、どんな名前だと思う?オッペンハイマーパークって言うんだ。アトミックボム開発した人の名前さ」

実際にはかつての有名な市長の名前からとったことになっているといいますが、あのオッペンハイマーを連想しないはずがないと。最低な命名だね。

人種差別ってのは普段みえなくてもなにかあるとすぐに頭をあらわすんだろうな。

夜の日本人街跡にはオッペンハイマーパークが静かに佇み、ホームレスがテントを張っていました。
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以上
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# by zhuangyuan | 2016-11-07 19:56 | 時事 | Comments(0)
2016年 08月 14日

映画「湾生回家」 こころのふるさと台湾をおもふ

「灣生回家」という映画が台湾で大ヒットしたのは知っていました。台湾生まれの里帰り。

戦争前に台湾で生まれた日本人が台湾に帰る。そのころ子供だった人たちの故郷への想いと帰郷を綴ったドキュンタリーです。

そんな映画がヒットするのが台湾なんです。


敗戦まで台湾は日本でした。日清戦争で割譲されて以来、自国での人口圧力緩和のために台湾に続々と移民し開拓しました。

戦争で敗れると自らの意思とは別に日本に引き上げていった。その間50年ですから台湾で生まれて育った人たちがたくさんいたわけです。

引揚者の数は48万人。


数字で書くと膨大すぎて物語が浮かびませんが、そのころの子供にとってはふるさと台湾が人生のすべてだったのです。

大人たちの理不尽な戦争によって生まれた地から引き離される。家も友達も遊び場もすべて突然失うのです。

こころのどこかでずっと思い続けた台湾に人生の晩年で帰るひとりひとりを追ったのです。


台湾に出張に行った際、会食の席でこの映画の話になりました。私が観たいと言っていたら後日、本を送ってくれました。


その後、別の機会で再度台湾を訪れた時、ついに観る機会がやってきたのです。

映画を知った時にはすでに上映が終わってましたのでチャンスを待っていました。


その日は結婚式の披露宴に呼ばれており、昼間はフリー。Facebookで隣町の市民ホールで上映があるのを知りました。

市役所庁舎でチケットを配るというので早めに行って券を確保。なんと無料でした。

開演時刻にホールに入るとデカさにびっくり。3階席までありました。しかもすでに2階席までいっぱいです。


こういう映画にこれほどまでの人がつめかけるとは台湾の親日ぶりがうかがえます。

日本時代に教育を受けた方は今ではかなりのお年ですが流暢な日本語を話されますし、友人の伯父さんは今でもNHKしか見ないと言います。

そんな台湾だからこそのホール満員。まあ年配の方が多かったですが学生っぽいひとも結構いました。

親子で来てるケースも。私の席は空いてる席でゆったりと思ったのですが後から来たおばちゃん軍団に囲まれてしまいました。


困るんですよね、おばちゃんたち。だって号泣するんだもん。

鼻をズーズーさせてさ。オレも泣いちゃうじゃんかよお。

3回涙が出ましたよ。おばちゃんのせいで。


ふるさとを思う気持ちってのはここまで強く重いものなのか。

国家とか国籍とか子供にとってはどうでもよくってそこで過ごした幸せな時間とその土地の街並みもしくは山や川。

突然見知らぬ日本につれていかれ、さらにはその国では必ずしも歓迎されない。それどころか排除される。

ただでさえ食糧難のところに400万人が世界中から引き揚げてくる。


疫病の心配もいわれ島に隔離されたと言います。徳島の島には台湾村ができたと本にあります。

そこも一から開拓しなければなりません。でもそこは故郷台湾の花蓮にそっくりだったと。


花蓮出身の湾生松本洽盛さんのエピソードが印象的です。


回到日本後他一看到「牛」,就想到台灣,因為小時候常在牛背上睡覺,
雖然上面有許多蒼蠅飛舞,嗡嗡的聲音很吵,但卻是回到日本最懷念的景象……

日本に戻って牛を見るとすぐに台湾を思い出すんです。小さな頃牛の背でいっつもいねむりしてたからね。蝿が飛び回ってブンブンいってるのにね、それが一番の思い出のシーンなんだよ。


彼は牛に乗って遊んでいたそうですが、彼の牛は牛同士の争いになると無敵の強さで信頼しきっていたそうです。

ある日とうとう負ける日が来た。

彼はショックで家に帰っても涙が止まらなかったといいます。

ぎらぎら照りつける太陽のもと田舎のあぜ道を牛に乗ってゆったり進む少年。

これだけでじわっときちゃいます。この日々は帰らない。

でもね、彼は戻ってサトウキビを食べるんです。想いに耽りながら。


敗戦引き揚げは当然別れもうみます。親子の別れも。

片山清子さんは台湾人の養子として育った。芸妓だった母親は敗戦後も残留したかったが技術がないために引き揚げる。

できるだけ早く我が子を連れに戻ると言い残し、全財産を置いて日本に引き揚げた。

しかし戦後の混乱期、迎えに戻った時にはすでに預けた家はなく、子供と会えずに生涯を終えたのです。

残された清子はいつも嘆いていたとその娘がいう。


「我的母親一直怨嘆著她媽媽為什麼要拋棄她!」
母さんはいつも恨めしく嘆いていました。ママはどうして私を捨てたのって


悲しすぎます。

そして人生の最後を迎える間際に娘と孫が清子の母親の足跡を日本で辿る。

お孫さんは日本語勉強してるんです。一生懸命学習した日本語って感じが胸をうちます。


そしてもっともグッときたのが綺麗なおばさま湾生、家倉多恵子さんのお言葉。

彼女のお父さんは台湾総督府の役人だった。戦火が激しくなり花蓮に疎開した。彼女は焼かれる故郷を丘から見たといいます。

花蓮で敗戦を迎え、日本引き揚げる。台北には帰らずに。

そこは底冷えのする敦賀の寺。その後ずっと台湾を思い続けた。


「原來我是永遠的異邦人,我對台灣的思念是到死都放不下的。」
「私はずうっと自分が異邦人だと感じてたの、台湾への想いは死ぬまで放せませんよ。」


異邦人

感じるんですよ私も。

私は引揚者でもなんでもありませんが海外にいる時に感じる疎外感。

時には東京でもね。

誰でもある感覚なのかな。

子供の頃に自らの意思とは別に急に失った世界。

どこへ行っても異邦人。


11月に岩波ホールで上映決定だと言います。

必見。



以上


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# by zhuangyuan | 2016-08-14 20:45 | 文化、歴史 | Comments(2)
2016年 08月 11日

華語がゆれてるグローバルな世界の片隅で中国語原書を読む私たち

Ayumi Chinese book Cafeさんの主催する中国語原書会に参加しました。

Ayumiさんの積極的な投稿を見て久しぶりに中国語熱が戻ってきましてつい参加表明しちゃいました。仕事では経済方面の中国語ニュースなんかは継続的に読んでますが文化系の読み物はご無沙汰していました。最近はフランス語はじめちゃったので余計に時間が取れません。


ということで私が選んだのは『文化苦旅』余秋雨著。中国の各地を旅するエッセイです。


余秋雨の文化苦旅―古代から現代の中国を思考する

余 秋雨/阿部出版

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ずっと積ん読してました。すみません。

でも全部読むのは大変なので一編を。

华语情结』国語コンプレックスとでも訳せばよいのかな。

中国語原書会ですから華語に関わる話はもってこいでしょう。


そもそも中国人にとって国語って何よ?

ここが問題。

地方地方で音が違う。漢字が言語の基本。

でもその漢字も簡体字が出来て分裂しちゃってる。

日本の漢字もちょっと違うしね。


今回せっかく読んだのだから備忘録として内容まとめておこう。


著者は栄華をきわめた唐朝をふりかえる。

世界の中心であった中国にはシルクロードからペルシャ人がやってきたり

日本人がやってきたり、様々な地域から多様性のある人たちが集まっていた。

その中心には華語があった。外国人たちも華語を話していた。


玄奘三蔵法師がインドから経典を持ち帰っても仏典は華語にしちゃった。


ところが明清の時代になると次第に西洋が優勢になると華語は落ちぶれてゆくのです。

科学の発展時代に成長の足かせのひとつが漢字だっていうのはずっと信じられてきた。

華語を捨てなきゃきけないんじゃないか?


近代から現代にいたると西洋化傾向はさらに強まり、現代の中国では若いエリートは外国語を知らない人の方が少なくなったと。外国語への憧れと傾倒が進みます。


確かに私が中国に仕事で行きだした90年代は国営企業のエリートでも英語はまるっきしダメでした。でも今は全く違います。若い人達ペラペラです。


親も必死になって子供に外国語を勉強させる。留学させる。はたまた移民させちゃう。親も自分が行きたいしね。

名前すらも漢字でつけなくなってしまう。

顔は中国人なのにジャクソンだとかマクスウェルだとかどうなっちゃってるのって。

捷克 、麦克斯韦尔 こうした外国語の漢字表記はしっくりこない。


中国人が作った移民国家シンガポールの例も出てきます。

シンガポールには福建や広東からの移民が多かった。

ある劇団はこんな話劇を演じてます。

時代の変化によって1代目は福建語を話し、2代目は規範華語(普通語)を話し、3代目には英語が中心になってしまった。すると世代間のコミュニケーションが難しくなり、家庭内の隔たりが大きくなり、笑い飛ばせない状況になっていると。


シンガポールは飲み水のない場所だった。そこで移民してきた華人が井戸を掘り当て、牛を引いて水を四方に運び発展していったという。その場所は牛車水と呼ばれ今はチャイナタウンとなっている。「水!」と華語で呼びかけながら地域をめぐり土地と民を潤していった。しかし今は古き良き時代はとうに忘れられ、華語によるふれあいのない殺伐とした誰もが他人である現代都市に変わってしまったと。


そんなシンガポールで出会った老人はある政治家の話をしてくれたそうだ。自分たちは英語を最も重視してきた。これがシンガポール発展のキーだった。おかげで世界有数の先進国となった。でもそれを変えなきゃいけないという。ですが今になって気づいたんです。英語がいくらうまくなっても英国人やアメリカ人にはかなわない。一方で自分たちがこれまで培い受け継いできた華語という母語文化が失われ、もうもはや取り戻せない段階になるのではないかと心配しているのです。100年後にシンガポールはまだあるのかと。そこでリーダーは華語の復活を唱えたのです。


リー・クアンユーのことですね。華語復活のためには「李光耀」と書かなくちゃいけない。昨年亡くなった彼の葬儀にはシンガポール中から弔問の列が出来て、十数時間並んでしたのです。ふだん政治に興味のなさそうな私の知人も参列したそうです。


ちなみに私も追悼本買いましたよ。

「光耀一生」

ちらりと見てみると確かに載ってますね。華語力低下への懸念が。

亡くなる直前には最大の関心事だったようです。

発展は成し遂げたけれど歴史との連続性を分断してしまう恐れを抱いていたんでしょう。

逝死前数月仍挂心双语教育
亡くなる数ヶ月前までも両言語教育が気がかりであった

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でもシンガポールのグローバル化は世界とともにどんどん進んでしまい政策の変化が趨勢を止められるのだろうか?

言葉って重要ですよね。歴史が凝縮されている。グローバル言語がブロークンイングリッシュのグロービッシュだとしてもビジネス上の会話だけなら浅薄です。そこには文化的香りがしない。そこいくと母語のある国は母語を大事にした方がよい。さらに日本語の場合は漢語文化を引き継いでいる。中国語四千年の歴史は漢字でアーカイブされています。ネットの共通語は英語かもしれないが、漢字のストックにアクセスできるのは漢語文化圏の我々だけなんです。その意味だけでも中国語を学習する価値があるよね。


そして今、現代日本の神保町の喫茶店で原書好きが集まって中国語原書を語り合ってる。まだまだ大丈夫だよ華語文化。なんかロマンチックに思えてきた。神保町って場所もいいね。漢字アナログデータが日本で一番ストックされてる場所じゃないかな?もしかして世界一?


当日参加の皆様の濃厚なオススメ本は主催者Ayumiさんがまとめてくれたのでリンク貼っておきます。

第10回中国語原書会・開催報告


ぺりおさんの強烈なご本はこちらです。

中国語で本を読むよ


おそらく語学の大天才であろう稲村文吾さんのブログはこちら。

浩澄亭日乗

ご著書ありがとう。

ぼくは漫画大王

ぼくは漫画大王

胡 傑/文藝春秋

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まずは息子に読ませて夏休み感想文宿題の題材に。


以上










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# by zhuangyuan | 2016-08-11 20:18 | 学習 | Comments(0)
2016年 08月 11日

東インド会社のお嬢様が世界を切りとった


先日マーガレット・キャメロン展会に行ってきました。
青い日記帳さんのブロガー内覧会です。
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19世紀のイギリス女性写真家です。私は今回参加するまで知りませんでした。写真が世に出て間もないころにしかも女性が芸術に昇華させている。

このキャメロンさん、48歳から写真はじめて極めちゃった。そもそも写真が身近にあるっていうんだからいいご身分に決まってる。それもそのはずお父様は東インド会社勤務で、自身はカルカッタで生まれたって。日が沈まない帝国ですね。

どうらくではじめた写真に自信がついて美術館に売り込んだって。この自信のほどが半端なくてがすごい。さすがお嬢様って感じ。その手紙も展示されていました。

‘I write to ask you if you will… exhibit at the South Kensington Museum a set of Prints of my late series of Photographs that I intend should electrify you with delight and startle the world’
南ケンジントン美術館に私の最近撮った写真シリーズを飾ってくれないかしら。その作品はね貴方を喜びで痺れさせるわよ。そして世界を驚かす。


どうですこの自信?

時は明治の頃ですから写真なんてとても珍しく、はいポーズどころか、ずううっと止まっていなきゃならない時代。撮る方は箱を抱えて布かぶって。とられる方だって緊張しちゃいます。一生の記念に気合の一枚。

ポートレートも記録用として表情も硬いものがほとんどの中で
彼女の写真は、というか作品はポスターにあるように生気がみなぎってるんですよね。

彼女のスタイルは当時としては奇抜だったそうでどアップだったりボケをあえて入れたりとそれまでの杓子定規なタイプと違います。同時代の他の写真家作品表情も展示がありますので一目瞭然でした。女性を撮った作品が多いのですがどれもがなまめかしい表情をしているのです。でっかい機器で被写体がじっとしていなければならないはずなのに、このリアル感が出せるのは彼女の実力の証しといえるでしょう。ドキっとしちゃいますよ150年の時を超えて見つめられると。何かを私に訴えてくる。
宗教画だったり著名人のスナップだったり色々テーマがありましたが
私が最も気になったのはインドの写真。マドラスの民族を撮ったもの。
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宗主国の貴婦人にカメラを向けられていっさいおもねることなく人生を達観したような眼差し。植民地でのイギリス人は武力、財力で統治したわけですが、インド人のあの表情を見ると、すべての歴史上の欺瞞はお見通しといった感があります。威張っている英国紳士もさぞかし自分の浅はかさを内心で恥じたことでしょう。

他にも吟遊詩人だったりアフリカの皇太子だったり
世界を制覇していた頃のイギリスの力を感じさせるスナップも残してくれています。

インスタが世界中でもてはやされ、高校生や中学生までもが毎日写真を何枚も撮り世界で共有する。
今では当たり前のものが奇異の目で見られ、それが市民権を得ていく。スマホ時代の起源を今観ておくのも一興ですよ。


以上


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# by zhuangyuan | 2016-08-11 10:36 | 文化、歴史 | Comments(0)
2016年 08月 06日

ブラジルはやっぱりペレ

Pelè 伝説の誕生」鑑賞


想像を超えるスケールの大きな映画でした。ペレの生い立ちだけでなくブラジルサッカー、そしてサッカーそのものの歴史まで、ともすると大航海時代まで視野に入った壮大な物語と言えます。


正直観るつもりはなかったのですが、その日は2つの街で3つの映画に振られ、帰るのも悲しいのでPelèにしました。


私も小学校から大学までは結構真面目にサッカーやってましたし、今も小学生のコーチだったりしますのでペレの偉大さは知っています。でもね俳優がサッカーして、ペレですって言われてもしっくりくるわけないですし、アニメだって上手くできないのに特撮でも無理でしょって。アニメと言えばキャプテン翼がテレビ初放映した時のショボさはわすれられない。ましてやペレですよ。


しかも今ペレってことはリオ五輪便乗というかプロモの一環でしょうからこの点も期待を下げる要因でした。でもなんでオリンピックでペレなんだよブラジル?サッカーワールドカップ決勝のゲストに王貞治を呼んだNHK並みじゃない。


後日ラジオで知ったのですが、実はこの作品はブラジルワールドカップの前に出来るはずが間に合わなかったのだといいます。なんともブラジルっぽいエピソードです。この映画を観ていればブラジル代表のモチベーションが上がって、ドイツに世紀の大惨敗をすることもなかったかもね。この映画ではブラジル代表が背負ってる歴史的役割を再認識できるから。

その2014のドイツ戦ってのはブラジルサッカー史上に残る惨劇と言われてます。なにせ地元開催で17ですから。でもそれよりも大きな悲劇が1950年にあったんです。マラカナンの悲劇。Maracanaço。ワールドカップ決勝リーグがリオのマラカナンスタジアムで行われ、ウルグアイに負けて優勝を逃したのです。


映画はここから始まる。

1950年のこの試合に負けたブラジルは国全体が沈み込みペレの尊敬する父親も落ち込んで泣いてしまう。じゃあ僕がブラジルを優勝させるって。当時10歳。そこから初めてのワールドカップ出場の17歳までを描きます。


ぼくらはペレ以降のサッカー、ペレ後のブラジルしか知らないのですが、ペレ前の世界、つまり王様なしの時代が当然あったわけです。ブラジルは当時まだワールドカップ優勝していないし、マラカナンで敗れたブラジルの個人技優先のスタイルは酷評されてたんですね。ヨーロッパの組織サッカーが優れていると。そして個人技は封じられる。


ジンガ。

ブラジルサッカー独特のステップ。これを抑えられてた。

このジンガの歴史と開放、爆発がこの映画の肝です。


ブラジルは移民国家で他民族混合ですが、多くはアフリカから奴隷として連れてこられた。なかには白人に抵抗し逃亡し山にこもって武装した人たちがいました。いわゆるマルーンです。Maroon。彼らは格闘技も習得し、そのアフリカ由来のカポエイラからジンガが生まれたと。そのステップがブラジルサッカーの魂なのです。


それを欧州サッカースタイルに勝つために封じられる。

でもね、17歳のペレは違うんですよ。ファベーラで育った黒人ですからね。

ジンガを爆発させて大活躍するんです。賢い組織されたサッカーを歴史が宿ったジンガサッカーが打ち破る。世界の歴史を反転させるような意義があったんです。ペレ以前はブラジルサッカーにおいても白人優位だったとは全く知りませんでした。


映画を観る前に、自分よりずうっと若いコーチにメッシとマラドーナはどっちが実力が上だと思うかと聞かれたことがあります。マラドーナの方がずっと好きだがチームのシステムの中で機能するという意味でメッシが上なんだろうねと答えました。この質問は常に繰り返され、ペレとマラドーナ、ペレとクライフなんてみんなが比べたことでしょう。正直言ってペレのプレーを今みるとピンとこないんです。というか理解できていなかった。速い、柔らかい、強い、高い。だけどサッカーのシステムとしてどうなの?って。でもねここが映画の肝だったんですよ。ブラジルはこうじゃなきゃいけない。ロナウジーニョなんかまさに血を引いてますよね。


いやあ面白かった。

で今リオ五輪がまさに始まるのですが

ブラジルはペレなんですよ。

なんといっても。


自慢しますが私ペレの足触ったことありますよ。リアルに。


以上





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# by zhuangyuan | 2016-08-06 09:31 | 文化、歴史 | Comments(0)
2016年 05月 15日

ボーダーの向こうの現実をブルースが歌ってる

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最近、メキシコボーダーに関する映画をいくつか観てる。

ドキュメンタリー、カルテルランドはここにも書きました。

「カルテル・ランド」正義の変質 その時ゲバラならどうする?

警察がカルテルを持て余してるので自警団を作った。国境の向こう側アリゾナでも白人が俺たちの生活を脅かす密入国者を退治するため自警団が組織されてる。


「皆殺しのバラッド」国境付近街シウダ・フアレスでは法の執行なんかは期待できず抗争でバンバン人が死ぬ。一方国境を隔てたエル・パソは平和な街。国境の両側で麻薬カルテルの実態を唄うバンドがヒーローになってる。


ボーダーラインでは麻薬カルテル撲滅を狙うアメリカ国防総省が国境越えてメキシコに潜入し、正義のボーダーも踏み越えて悪虐な行為で敵を仕留める。

FBI女性捜査官は国境での作戦に行けと言われ、行く先がエル・パソかと思いきや国境の向こう側シウダ・フアレスでびっくり。そこにはチンケな法なんかはあってなきがごとし。


とにかくどの映画でも描かれるのは無法地帯メキシコ。金の匂いのする麻薬に関わる組織には若者たちも組み込まれカルテルなしには生きられない。富を望まない慎ましい生活を送る一般市民も嫌が応にも巻き込まれ犠牲者が積み上がる。こんな土地誰でも逃げ出したくなる。近くにある国境の向こうには世界で一番の富が集まるプロミスランドアメリカがある。そこでは真面目に働いてドルを貯めれば、個人の力で成功をつかめるんだ。生まれついたところが国境のこっちだっただけ。若者は北を目指す。


「闇の列車 光の旅」はそんな若者を描いたものだった。ギャング団の下っ端でボスに気に入られるも恋愛する自由もない。組織の稼ぎは国境に向かう列車で強盗を働くこと。列車に乗ってるのは中南米から貨物列車に無賃乗車するアメリカへの国境を目指す不法移民たち。不法って言ったって既得権益者が自らの富を守るために作った方ですからボーダー越えちゃえばなんとかなると皆、北を目指すのです。


もう一人の主人公はアメリカを目指すホンジュラスの純朴な少女。少年は列車を襲った時に彼女を助けて仲間を殺す。そして北を目指す列車の乗客となる。乗客っていっても屋根の上ですけどね。もちろん彼は組織から追われることになります。


この国境を目指すまっすぐな列車が閉塞した人生を象徴しているようで辛いのです。線は国境までつながってる。しかもいつもそこを通ってアメリカ国境まで行ってる。でもまっすぐしか進めないし、そこしか走れないから阻止するのも簡単です。待ち伏せするのも容易。国境の向こうの光の国に進んでいるのに闇に囲まれてる。この邦題は素晴らしい。


列車が繋がってるだけでなく、今はみんなケータイ持ってますから通信なんて自由にできる。電波は簡単に国境を越える。でも人は超えられない。ただそこに生まれたと言うだけで壁に阻まれる。法に阻まれる。土地のしがらみにも。


この映画の車窓というか列車周りの風景が美しいのも辛いんですよね。自然は美しくどこまでも繋がってるのに人間だけが壁作って法作って差別して搾取のシステム作ってる。


映画のネタバレして恐縮ですがホンジュラスの少女は国境を越えることに成功します。

夢の国にたどり着いて先に移民した親戚に電話する。希望の国での第一歩を踏み出して映画は終わります。


この先少女にどのような人生が待ってるのかわかなないのですが、そこで思い出しちゃったのがブルース・スプリングスティーンの曲。アメリカに渡ったメキシコの兄弟を歌ったもの。Sinaloa Cowboys (The Ghost Of Tom Joad)1995年のアルバムです。国境の両側のシビアな現状をアルバム全体で詞にしています。


私当時友人に誘われこのアルバムのツアーを聴きに行きました。アコースティックギター一本で静かに歌い上げるでしたがブルースの英語がさっぱりわかりませんでした。ライブ後に歌詞カードを読んで意味の深さに後になって知るという失敗をしたのです。


歌の中でアメリカに渡ったミゲールとルイスは農場で仕事を見つける。

でも3年経っても生活は苦しいまま。

そこへもっと金になる話が聞こえてきた。


Word was out some men in from Sinaloa were looking for some hands
Well deep in Fresno county there was a deserted chicken ranch
There in a small tin shack on the edge of a ravine
Miguel and Louis stood cooking methamphetamine


シナロア男たちが人を探してるって

そこはフレズノの奥にある荒れ果てたニワトリ農場で

渓谷の淵に掘っ立て小屋があるミゲールとルイスはメタフェタミンを作った



麻薬工場ですよ。シナロアってのはメキシコにあるケシの産地。

国境を越えたはずなのにまたあのしがらみに絡まってる。

いわゆるグローバリズムってこういうことだよね。キレイな単純労働は世界にどこだって安くなる。国境のこっちでも。手っ取り早くて金がいいのは方の裏側だけ。


でこの後どうなると思います?アニキのルイスは小屋が爆発して死ぬんです。

ミゲルは燃える小屋を見てる。そしてアニキと貯めた金を持って旅に出る。これが希望というならむごすぎる。


ブルースの観察眼には恐れ入ります。一曲で人生歌い上げる。

この曲1995年のものです。そして20年経った今も構図変わらない。秩序がなくなってもっと悪くなっているのかも。

私、1990年にメキシコを一ヶ月旅行しましたが、当時こんなメキシコの事情を知らなかった。

25年ぶりにメキシコ行きます。来週。仕事ですけどね。


以上



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# by zhuangyuan | 2016-05-15 09:00 | 時事 | Comments(0)
2016年 05月 05日

「カルテル・ランド」正義の変質 その時ゲバラならどうする?

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「カルテル・ランド」試写会にて鑑賞。

メキシコ ミチョアカアンで麻薬カルテルが跋扈し警察も手がでない。さもなくば警察も彼らに抱き込まれてる。子供たちまで巻き込んだ殺戮の繰り返しに対し、街を守るのは自ら銃を持って立ち上がるしかないと自警団が立ち上がる。中心になったのはミレレス医師。長身痩躯にカーボーイハット。優しい面立ちにも鋭い眼光が光り、演説すれば民衆を惹きつける。街の支持を得た自警団は徐々に勢力を拡大しカルテルから街を取り戻してゆく。

勢力が拡大すると警察権力が抑えにかかる。ヘリでやってきて武装解除を迫る。民衆がおびえていると。しかし民の支持をバックに武装した警察隊から武器を取り戻す。街の安全のため。正義の武装がなし崩し的に認められる。

カルテルアジトを急襲する場面もカメラが回る。思わぬ方向から銃声がなり画面が揺れる。ドキュメンタリーならではのヒリヒリとした緊張感。カルテルの幹部を連行する。自警団メンバーは幹部を殴る。次から次へとやってきて押さえつけられた幹部を殴る。憎しみの過剰。

正義を掲げた小さな抵抗から、勝利を重ねるごとに勢力を増し、大きな力を得ると惰性がつき、正義があやふやになる。驕りも加わり過剰へと進む。そして中から変質してゆく。リーダーミラレスは嘆く自警団はカルテル化していると。警察組織からの再三の懐柔工作を受け、ついには迎合の時を迎える。

ミラレス医師は身の危険を察し、組織を離れて街を出て行く。

試写会にはスペシャルゲストとして「ゆきゆきて神軍」の原一男監督のトークがありました。

4回観たといいドキュメンタリーとして絶賛するも観れば観るほどわからなくなるという。権力に対するため民衆が武器を持ち立ち上がることを否定しないが自警団の変質や権力への同化の見せられると自信がなくなると。
「皆さんどう思います?」と原一男監督。

わからない。
特にわからないのはミレレス医師。カリスマ性を持つリーダーがあっけなく組織を去る。組織を立て直すことにカリスマ性を発揮すれば正義の道もあっただろうに。映像の迫力と多層な構造の絡み合いに頭が熱し答えが出ない。

映画の余韻冷めやらぬまま翌日にはGWの家族旅行に出ました。旅先で私なりの答えを見つけたんです。というか本に教えてもらった。ふと立ち寄った古書店でみつけたのはゲバラの本。
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現代思想 2004年 10月臨時増刊 「総特集 チェ・ゲバラ」そのなかの一編「路上の紳士」(越川芳明)にこうある。

ゲバラが10代の頃にに取り憑かれていたのは、革命でなく放浪だった。

ゲバラは自ら血の中に、ほうっておけば立派な独裁者になりかねないカリスマ性と残虐性があることに気づいていた。


そしてイギリスの作家の言葉を引く
「生物学の一般的な規則によれば、移動性の種は定住性の種ほど"攻撃的"でない。」


ゆえにゲバラはキューバを去った。
ミラレス医師もそこに自覚的であったのではなかろうか?定住する権力は攻撃的になる。そのなかでカリスマとなることの危険を達観していたのか?武器を持ち続けると抑圧側にまわるという必然を避けていたのか?ミレレスは放浪の旅へ出て、警察傘下となった自警団はいかなる未来があるのか?

なんてことをアレコレ考えてたらあっという間に目的地に着きました。さあ旅を続けよう。

アメリカ側ボーダーでのプアホワイト自警団の成り立ちも非常に興味ぶかいしシンプルにはわりきれないのですがこれは映画を観てのお楽しみ。



以上


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# by zhuangyuan | 2016-05-05 18:25 | 映画 | Comments(0)
2016年 04月 30日

山河ノスタルジア 中国大発展のひだにある故郷と広東語

中国映画 山河ノスタルジア 鑑賞@渋谷 ル・シネマ
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やっぱり中国映画が好きです。
時代の大きな変化の波涛にもまれる小さな人々の人生が描かれる。
そしてその時代に私自身も参加している感覚を持ってます。

物語は3部構成。
1999年 過去
2014年 現在
2025年 未来

私にとって1999年なんて昨日とさして変わらないし、20世紀の終わりとしてむしろ未来の象徴として認識して子供時代を過ごしてました。その未来としての1999はたいした変化もない連続した日々の延長でしかありませんでした。

でも中国では違う。
鄧小平の改革開放経済を経て、1997年に香港返還を過ぎ、1999年はマカオ返還、そして2008年のオリンピックに向けて音をたたてるように変動が大きくなってゆく時でした。

第1部舞台は山西省の炭鉱の街
来る新世紀を街全体で祝っています。

主人公は幼なじみの3人
町一番の美人 タオ
お金大好き ジンシェン
勤労青年 リャンズ

幼なじみで男女3人といったら起こることは決まってますね。
友人の二人は一人を愛し…。


ところで日本で観る中国映画の欠点は字幕で名前をカタカナで表記すること。
音が違うから漢字表記すると混乱を招くとの心づかいなんでしょうけど。
それでいて苗字や役職で読んだ時も同じ呼称を使ったりする。

漢字で書いたほうが趣きがあります。
饰 沈涛 Shi Shen tao
张 晋生 Zhang Jin sheng
梁 建军 Liang Jian jun

石炭はこの頃はまだただの石ころ
でもここから中国の経済発展を支える黒いダイヤモンドに変わるんです。

投機好きのジンシェンはリャンズの働く炭鉱を丸ごと買っちゃいます。
そして石炭価格が急騰していき富豪になる。
で、もちろん?タオはジンシェンを選び、リャンズは街を出てゆく。

タオはジンシェンと結婚し長男が生まれる。名づけた名前がダラー。
Dollarって意味です。米ドルのこと。漢字で書くと到乐。楽に至る。外来語の中国語表記ってのはいつもセンスありますね。

2部、3部と時代が変わると、ジンシェンはタオと離婚し、ダラーをつれてまず上海に行き、その後オーストラリアに移住します。大金稼いで街を捨てて富豪への道を駆け上っていく。人間関係のしがらみだけでなく、絆も断ちながら。こんな時代なんです激動中国。


ここでジンシェンの名前に意味が出てくる。
「晋生」
晋ってのは山西省のことです。古い国の名前。
山西生まれってこと。お父さんは国境を愛してたんだろうな。
それが炭鉱買って、山を破壊し、妻と友人と縁を切り、故郷をすてて、あげくは国を出る。
カネ、カネ、カネ

1999年に赤いアウディ買ったジンシェンとタオの会話で、いつかアメリカに行きたいなと夢を話します。遠い目標としてのアメリカ。香港でもいいなあ、でも広東語喋れないな。憧れとしての香港。当時すでに発展していた香港は文化の最先端として大陸では羨望の的でした。開放の象徴として。歌手も俳優も洗練されたスターの多くは香港出身でした。喋るのはもちろん広東語。

物語では広東語が中国経済発展過程を測る重要なキーになってます。

1999年タオが働くのは音響機器のお店。
お客さんが持ち込んだCDは香港女星サリー・イップ。
憧れの香港スター。言葉わからないけど雰囲気に浸る。
日本でいったら若者が洋楽聴くって感じでしょうね。



この曲がたびたび重要な場面で流れます。
私もカントン語わかりませんが好きになっちゃいました。
iTunesで落としてヘビロテしてます。

中国にとっての香港は2000年代の中国大発展を経てだんだん色あせて、香港スターも大陸市場をめあてに広東語でなく普通語を使うようになります。映画も歌も普通語バージョンががメジャーに。ジャッキー・チェンだって、アンディ・ラウだって普通語上手になりました。昨年家族で香港旅行しましたがブランドショップに並ぶのは大陸観光客ばかり。でっかい声で普通語しゃべってます。レストランで私が普通語喋るとウェイターの態度は悪いですね。経済的逆転とやっかみ。複雑な香港市民。サリー・イップだっていまではイップでなくイエと呼ぶらしいです。葉=叶の読み方が広東語から普通語へ。

映画の場面2025年での舞台はメルボルン。
ジンシェンは中国を脱出し、息子ダラーとくらす。
ダラーは中国語を忘れ、父とのコミュニケーションはGoogle翻訳。未来だしね。
世界経済で重要な存在となった中国と関わるには中国語が必須との考えからダラーには中国語を習わせます。

ここで皮肉なのはダラーの中国語先生が香港出身なこと。ダラーの母親年代ですが上品な美人です。
おそらく香港返還前に脱出したんでしょう。大陸支配を懸念して自由を求めてカナダトロントへ。トロントは世界有数のオールドチャイナタウン。いろいろあったんでしょう。豪州メルボルンに流れてきた。今は広東語を捨てて、需要の多い中国子息のための普通語教師です。

父ジンシェンのコミュニティはおそらく国には住めない華僑。カネを持って国外脱出。
ここで話されるのは普通語。かつてチャイナタウンといえば広東語か福建語と決まっていました。移民の国をオーストラリアではこの未来では中国人がメジャーなのかも。でも故郷を失い、世代が進むと言葉も消える。カネだけが残る。孤独な老人が無機質に暮らすだけ。

印象的なのはメルボルン観光地の12使徒。
ダラーと女教師がデートします。
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崖が侵食し、奇岩が林立しています。かつて9本立っていた奇岩は徐々に崩れ本数を減らしてる。2009年に8本になった。2025年は5本だったかな。崩れる原因は知りませんがカネ目的の人類が精神を蝕みながら聖徒を犠牲にするように地球を破壊してゆく。ジンシェンが国土を爆破して石炭鉱山を開発したように。

国を出た根無し草の二人がドライブし流れる曲がここでもサリー・イップ「珍重」
もう失いたくない。故郷も国も家族も友人も。

不肯不可不忍不捨 失去你
盼望世事總可有轉機
牽手握手分手揮手 講再見
縱在兩地一生也等你

以上


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# by zhuangyuan | 2016-04-30 10:12 | 中国関連DVD、本 | Comments(0)
2016年 03月 27日

小6で書道を極めた悟りの境地はどんなもの?

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年長さんから続けたお習字も小学校卒業を機に昨日でおしまい。

最後に好きな言葉を書いていいよって先生が。

そして選んだのがこの言葉だって


ネットで検索してみますと
荘子にある言葉のようですね。

至人无为,大圣不作

意味はこうあります。
至人无为 大圣不作

学养最高的人懂得人要顺应自然,不能自命不凡地恣意妄为、心血来潮地胡作非为

教養を極めた人は、人間は自然に合わせて生きるべきだと知っている。自らを過信し、己れの思うがままに無茶をしてはならないし、気まぐれに非道なふるまいをしてはならない。

智慧最高的人懂得天地万物的运动变化有它自己的规律和法则,各种事物的表象及相互间的关系十分复杂多变,人不可能完全认知和把握它们,故不会自以为是地妄自造作,时时保留一种谨慎的敬畏的态度。这样人与自然,人与社会才能和谐相处,共存共荣。

最高の知恵を持つものは理解している。万物の変化は自らの規律や法則で成り立つこと、各種事象は相互に複雑に関わっているので、人間が完全に認知し把握することはできないこと、思い上がって行動せずに、謙虚に慎み深い態度を取らねばならないことを。このようにして人と自然、人と社会はやっと調和してました共存共栄できるのである。


息子は小さな頃からじっとしていられない質なので、週に一度くらいは正座して集中する時間が必要と始めたお習字ですが7年もやるとこうした境地に至れるのかな?

私は不惑をとうに過ぎていますが、自然にゆだねるどころか毎日ジタバタしております。



でもって本日の息子との会話はこちら。

「〇太は卒業式で△子にコクって両想いになったんだよ。マジでリア充うざいわあ。」

「とか言ってお前も誰かと両想いになりたいんだろ。」

「チゲエし。オレはリア充撲滅委員会入ってんだよ」

まさか全てを自然にゆだねろと言っといてさ
二次元に理想像をもとめてるんじゃないだろうね、


でも最近は三次元もリアルに近づいてる。やっぱ人間は四次元じゃないとね。
時とともに積み重なる人間としての深み。
これがないとね。

悟りにはまだ早いな。小6じゃねね。


文字、そしてお習字って宇宙的。
荘子って言ったら2000年以上前なんですが
たった4文字の白地に墨が時を超えて現代人の脳を刺激してる。リアルってのはなんだろか?
以上

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# by zhuangyuan | 2016-03-27 21:15 | 文化、歴史 | Comments(2)
2016年 03月 20日

ねえ、あなた「ロースにする?ヒレにする?」

韓国ではトンカツが人気であるとは聞いていた。
でもここまでとはね。

数年前のことですが、グルメなお客さん御一行が来日した際のこと。
食事の好みを聞くと「日本食が食べたい、特にトンカツが、という話になりちょっと意外に思いました。
トンカツが和食の代表選手にはいるのか?その日のお客さんは大満足で帰ったのですが、それ以来、韓国のトンカツが気になっておりました。

先日も後輩が有名な牛カツ店に行ったときのことを思い出します。
いくら旨いとはいえ、3時間半並んだと聞きびっくりしたのですが、行列している人の大半は韓国人観光客だとのことでさらにぶったまげたのです。そんなに好きなのか、カツ?どうやら韓国では日本に行ったら必ず食べるものとして牛カツが挙げられてるとのこと。

でもってこのたび、韓国出張を機に、晴れてトンカツ定食を食べてみました。専門店でなく複合ビルの日本食店ですけど。

まずは名称。トンカツじゃない。トンカス。돈까스。でもメニュー上のなぜかロースカツのカツはカチュ(까츠)になってる。韓国語には日本語の「ツ」をあらわす文字がない。でもそもそもは日本語のカツだってカツレツからきていて、Cutletの「T」が「ツ」になっちゃってるんですから人のこといえません。このことだけでも食文化の伝播の経緯がわかります。
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でももって、「ス」か「チュ」か問題を一緒にいた韓国の方に聞いてみましたが、どちらが正しいというわけでなく混在してるんですって。ただ街のトンカツ店をながめてみるとトンカス店と称すものが多かったのでトンカスがメジャーなんでしょうね。

メニューの写真を見る限り、日本のものとさして変わらず違和感は感じませんでしたが、
運ばれてきたロースカチュ定食を見てビックリ。カツはともかく、付け合わせが想定を超えてる。日本だとキャベツに味噌汁、ついてて漬。これでおわりですよね。
韓国トンカス定食にはキムチはともかく、ほかにもいっぱいついてました。
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うどん⁉︎  
でかいです。

シチュー⁉︎ 
ちょびっとにしてはスプーンがでかい。

タクワンは日本をイメージしてる?
ナタデココの場所はここじゃないだろ。

でもこれらは定番だそうです。
で、なにこのご飯の少なさは?
そしてデカイフライドポテトが一つ。油たっぷりで重いです。
肝心のカツは薄め、油少なめでおいしいものでした。衣はサクサクの合格点。切り方はちょっと細すぎ。

文化体験としてはじゅうぶん面白いものでした。
食後に街を車で移動しましたがナムサンタワーの近くにはトンカス屋ばかりが並ぶストリートがありました。
日本にはないですよね、近くにトンカツ店が2軒あることって。こちらは2軒どころでなくトンカスだらけ。有名店の横に便乗出店したんでしょうね。

そしてなんとその通りは若者たちが集まるデートスポットだと言うのです。
デートでトンカツ。これがソウルっ子のトレンド。

ねえダーリン❤️
ロースにする?
それともヒレ?
うどんは大盛り?

こんな甘い言葉がかわされるのです。

でもねトンカツデートは色気がないね。
しかもトンカスだしな。

以上


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# by zhuangyuan | 2016-03-20 20:48 | | Comments(0)