中華 状元への道

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2016年 01月 31日

三つの言語が響き合う 日本語育ちってなに?

土曜日にアメ横を歩いていると
いつものように呼び込みに声が聴こえる。
一緒にいた息子(小6)がいう。

「あの人、日本人じゃないね」
「そうじゃなかったらダメなのか?」
「いや外国のひとだと応援してあげたいなっておもう」
それならよい。

私、異国の地でがんばってる人をみるとそれだけで尊敬しちゃいます。

先月マレーシアに出張したときのお供はこの本でした。
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「台湾生まれ 日本語育ち」

台湾生まれ 日本語育ち

温 又柔/白水社

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著者は台北生まれの日本育ち。

日本語は小説を書くほどですから言うまでもありませんが
中国語は日本の学校で学び、家で母親には台湾語混じりで話しかけられるといいます。そして祖母は日本時代に育ったので日本語堪能だと。

彼女が中国語を話すと、中国人は南方の訛りがあると言われ
台湾人には日本人っぽいと言われ、
中国語がうまい日本人からはデタラメだと言われるそうです。
でも彼女はこの自分の中国語が自慢だと。
自分の時間が刻まれていると思うから。

彼女のこの達観が気持ちいい。

わたしの台湾人の友人にきいてみると、台湾での言語環境はけっこう複雑で、友人自身は國語(中国語)と台湾語をしゃべり、親は台湾語と日本語、子供は國語メインなんだといいます。離れてすんでるとおばあちゃんと子供の意思疎通は結構大変なんですって。中国大陸が経済世界での重要性を増すと同時に若者にとってのグローバル言語である國語=中国語の地位があがっています。

ビジネスの席で外省人(国民党とともに台湾に来た人)と台湾人が混じる席に私が入ると、國語、台湾語、英語のミックス。ただこれが非常にスムーズ。どういった法則があるのかわかりませんがとても滑らかにことばが切り替わります。もちろん私は台湾語知りませんので、いつに間にか知らないことばに切り替わって置いていかれることもしばしば。シンガポールやマレーシアではここに広東語や潮州語が入って来たりします。

ただこのスムーズなことばのミックス環境が日本に住んでいるとなると様相が変わる。なぜなら日本人はことばに寛容でないから。東京では日本人同士でさえ関西弁以外の訛りは聞かれない。ましてや外国訛りであると会話の流れが止まってしまうことも。著者の中国語が日本人からデタラメと評されるってのも同じメンタリティから来てると思う。言語は正しいスタンダードがあり、それを遵守しなきゃいけないという半ば強迫観念みたいなものが日本人にはあるとおもう。

その意味では中国語はその辺はおおらか。中国本土では普通語と呼ばれる標準語があり、学校やテレビで使われますが、綺麗な普通語しゃべる人はそうはいない。みんな各地の訛りを丸出しでしゃべる。その証拠に褒め言葉で、“很标准”(とっても標準的だね)なんて言い方まである。ともかく訛りがあったってヘタクソだって気にしない。聞く方も気に留めない。中国は広いし、いろんな背景をもったスピーカーがいる。そこいくと私も気兼ねなく自信をもってしゃべれます。

日本ではここのところが許容範囲がせまい。これは日本人が外国語を恥ずかしがって話せないことの裏返し。そもそも正しい言語なんてのは学校だけの世界。ことばは動いているし、影響し合ってる。なのに正しくなければならないと思ってる。

日本が偏狭なのは言語だけでなく日本人って存在に対しての思い入れも。先日、大相撲で琴奨菊が優勝を飾った時の表現もそう。「日本出身力士の優勝は10年ぶり」って見出しがおどった。何それ?モンゴル出身力士は日本国籍を取得していいても純粋に日本人じゃないという意識。

著者の温さんも、こういった『「純血性」を貴ぶニュアンス』に敏感だという。
本書でも台湾で親戚のおじさんの言った台湾伝統料理ということばの伝統に引っかかる。その正統性ニュアンスがあると恐ろしくなるといいます。

1/29に下北沢B&Bで行われた管啓次郎さんとの出版記念対談ありました。
(管敬次郎さんの台湾離島紀行も以前読書ブログに書きました。本当はこちらも共著になる予定だったとか。言葉で旅する島々

そこでは冒頭に温さんの詩の朗読がありました。終始可愛らしい声と笑顔で行われる朗読が、日本人のおっちゃんが排他的なことばのを述べるくだりにさしかかると、さらりと運ぶ口調の奥底に芯の強さがぎらりと鈍い光を放ったように感じました。

この純血性への偏狭な態度は近代においても悲劇を起こし続けてる。日本は台湾、韓国で言語の押し付けを行ったし、中華民国も台湾に入って来て当分の間は、正式言語たる國語(中国語)が押し付けられた。そして台湾のことば台湾語が押し込められた。

本書にはその台湾語がたくさん登場します。カタカナで。
著者のお母さんの言葉として。私このお母さんにかなり感情移入しました。最終章でのカタコトの日本語言葉からその人生重みが伝わり、ぐっとこみあげるものがありました。

著者は言う、
「そもそも、中国語と台湾語と日本語と、ひとつずつ数える必要はないのかもしれない。三つの母語がある、というよりも、ひとつの母語の中に三つの言語が響き合ってる」P234

私は台湾にも東南アジアにも何度か行き、この言語ミックスの自然さ、不思議さを身近に感じています。このエッセイも音で聴きたいと感じました。
対談では特別にお母さんの台湾語口真似を披露していただきましたが、是非朗読で聴いてみたい。

以上



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by zhuangyuan | 2016-01-31 16:34 | 中国関連DVD、本 | Comments(2)
2016年 01月 24日

中国ではみんなが天下を狙ってる

ネオ・チャイナ:富、真実、心のよりどころを求める13億人の野望

エヴァン・オズノス/白水社

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大迫力。おすすめします。

読書ブログに書きましたのでこちらも寄ってみてください。


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by zhuangyuan | 2016-01-24 21:59 | 中国関連DVD、本 | Comments(0)
2016年 01月 23日

「非情城市」が描く台湾 それは声を失った男

侯孝賢監督「非情城市(1989公開)」鑑賞。
早稲田松竹。

日本時代が終わってから1949年に国民党が逃げてくるまでの台湾本省人家族の物語とくに四人の兄弟を中心に描きます。

ずうっと観たかった。というより観なきゃいけないと思ってました。

日本に住む台湾人の方から228事件当時の国民党による弾圧様子を聞いて以来、関心を持っていました。でもねレンタルに出てないんですよね。

228事件とは大陸から来た国民党の悪性に台湾人が反乱を起こし弾圧された事件です。中華民国が台北に来て以来1897年まで戒厳令がしかれ、228事件はタブーです。それを侯孝賢がこの映画で破りました。228については以前も書きました。台湾と日本語 二二八って知ってる?

その描き方がリアルなんですよね。センセーショナルじゃない。台北で起きてる大事件が舞台である九份にも聞こえて来るのですが、大事件としての緊迫感がありながらも遠くから断片だけが顔を出し、家族から事件に関わるものが出ますが、事件は直接描かれない。人の噂であったり、ラジオの放送であったり。ラジオでは政府の反乱グループに対する懐柔であったり、脅しであったり。政府の放送は慌てた様子から姑息な擦り寄りへと移り、最後には残忍な牙を剥く。この変化がうまく表現されています。歴史上のどんな大きな事件でも当事者として関わることは滅多になく、時代の大きなうねりの端っこに触れるってのが市井の人々の歴史への関わりだと思う。でもわずかに触れた揺らぎが人生に思いもよらぬほどの影響を及ぼしたりするんです。

四人兄弟の長男は日本時代に街の顔役であった父の後を継ぎ、旧来の風俗を守りつつも、権力者が変わった世を戸惑いつつも気丈に生き抜こうとする。

次男は上海で日本語通訳をして帰国するが精神に異常をきたす。持ち直すも漢奸容疑で監禁され、再発する。時代の激動に合わせて、次男坊らしくうまく立ち回るも、荒波に飲み込まれ、道を外れると、これまた次男坊のひ弱さが露呈する。

三男は日本軍として南方に行き戻らない。

四男は幼い頃から耳が聞こえない。よってしゃべれない。
この役を演じるのは香港の大スター、トニーレオン。香港人でたいわんごしゃべれないから、四男をしゃべれない役としたとwikiにありました。その真偽はともかく、しゃべれないことが歴史の大河における台湾人を象徴していると感じます。

オランダ統治から清を経て、下関条約で日本へ割譲。日本配船で中華民国に戻る。その中華民国だって1911年建国ですから、日本に渡した後にできたわけです。そしてついには中華人民共和国誕生によって、大陸から国民党が逃げてくる。台湾というか台湾人に選択肢はなく、黙って翻弄されるだけ。

言葉も揺れます。マンダリンに台湾語そして日本語、国民党の蒋介石は浙江省ですからその辺り言葉と上海人もたくさん入って来ます。四男は常に筆談しますが、健常者もほんとに皆が意思疎通できるのは漢字だけでしょ。

言葉は違うけど顔はみんな同じ。広義ではおなじ民族でしょ。日本人だっておなじ。こんな言葉の状況をビビッドにあらわすエピソードが映画にも出てきます。228事件の頃、本省人(台湾出身台湾人)は外省人(国民党と大陸から渡ってきた人)への恨みから、徹底的に外省人を探しだしリンチを加えます。電車に乗った四男も外省人を探す本省人グループに尋問されます。「你哪裡人?お前はどこから来た?」と台湾語で聞かれます。四男は耳が聞こえませんから返事できません。次に本省人は日本語で聞くのです。「あんたどこの人か?」と。外省人は日本語できませんからね。答えられないと外省人と断定するのです。これはほんとにあった話。台北の228記念館にも同じエピソードが書いてありました。四男は答えられないので外省人だと思われ殴りかかられます。その時、四男はあがきながらも声を絞り出すのです。「私は台湾人だ!」これが四男の映画でしゃべる唯一の言葉なんです。

台湾人。かれのアイデンティティ。でも言葉はしゃべれない。
彼は日本を喋り日本風の名前を持つ女性と結婚し子供が生まれ家庭を持ちます。
そしてあらたな台湾人がそだつ。

以上



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by zhuangyuan | 2016-01-23 23:23 | 文化、歴史 | Comments(0)
2016年 01月 16日

生涯ベスト級の小説「狼图腾」が映画になった

映画「狼图腾」




日本で公開はいつなのよと待っていましたが
ひっそりと公開されてましたので危うく見逃すところでした。

邦題「神なるオオカミ」
小説の邦題と同じですね。

私は原文で読んだため、ゆっくり丹念に読みました。
読書人生のトップテンに間違いなく入る名作です。
完全に私のツボにはまりました。

中国語ブロガーさんたちとのウェブ読書会にも参加しました。
当時の私の投稿はこちら。
いい場面でしたので力をいれて書いてます。

文革時代に北京の知青がモンゴルに送られる。
草原では人間の活動も大自然の摂理の一部。
神が支配する草原で君臨するのは狼。
人々は生活の糧である牧羊を狼から守るのですが
敵でありながらも畏れを抱き崇拝の対象でもあるんです。
戦いつつも神の決めた絶妙なバランスを保つ。
これが草原で暮らす掟。

長老が率いる遊牧集団に若者2人が預けられる。
毛沢東の政策で知識分子が田舎に出向き農民や遊牧民として労働をさせるというもの。

つまりこのころ中央の意思が草原にまで届いている。
社会主義体制は神を否定し、エリートたちが計画をたて生産を行う。
神の摂理は気にしない。生産、生産、拡大生産。科学万能主義が草原まで達する。

青年たちは大自然の生活になじみ、草原とともに生きたいと思う。
しかし彼らの思想も都会育ちのもの。良かれと思いつつも草原の掟から少しずつずれてゆく。狼の子をこっそり飼っちゃうとかね。

小説ではとにかく自然の描写が圧倒的で、その中で生きる人間を含めた動物たちが翻弄されつつも、歴史の知恵で自然と折り合いをつけてゆく姿が描かれます。

これって映像化できるの?

映画化は嬉しいのですが、狼と馬の群れの戦いだとか、ブリザードの中の狼だとか、餌付けされて野生を失いつつもがく狼の子だとか、うまく表現できるにだろうか?CG使い過ぎて興ざめにならないだろうか?そもそも狼そんなたくさんいるの?

そんな心配は取り越し苦労でしたよ。
モンゴルの大自然も、獰猛な狼も、大迫力の戦闘場面も、
鎖に繋がれた小狼も。期待にたがわぬ映像でした。
小説の映画の権利を買ってから8年かけて動物を撮るのにふさわしい監督を探したというだけのことはある。

この動画に撮影秘話が出ています。映画みてからのほうがいいかもしれませんが。



俳優たちの演技も素晴らしい。
特に中央から派遣された生産隊主任の小役人演技が秀逸。
命令だからと言って自然の掟に背き、失敗したらスケープゴート探し。
上級のために生産あげます。短期間に。

これって60年代の話ですが、こうして自然は破壊されてきた。
計画達成のため、生産拡大のため。
それが改革開放以降は市場経済でさらに拍車がかかって、モンゴルの草原ばかりか地球まで破壊しかねない勢い。そろそろ経済成長至上主義をやめないといけない。
自然の掟に逆らうといつか報いを受ける。

モンゴルの風景にひたるだけでも観る価値あり。


以上

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by zhuangyuan | 2016-01-16 22:16 | 中国関連DVD、本 | Comments(0)