中華 状元への道

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2010年 08月 29日

自由研究 日本を知ろう

弟の分だけブログに載せると
姉がすねるといけませんので4年生の自由研究もアップします。

まあ実際はもう子どもの純真さより恥ずかしさの方がおおきくなっていますので
こんなとこの載せるとかなり嫌がられると思います。

日本白地図をでかい模造紙に一から書き、
県名と県庁所在地を記載。

その県が全国に誇る全国一のものを絵に描きました。

壮大な計画なんですが
途中で挫折するとおもってましたので
今年旅行に行った高知県を中心に四国地図と名産を書くようすすめました。

最近父親のアドバイスなどするだけ損で、逆の反応をされるだけの娘は
想定どおりいうことをきかず全国版をつくりました。

北海道からはじめたので北海道にはいくつも名産があり充実していますが
したに行くにつれ一個ずつに。

皆様の故郷の名産はしっかり書かれていますでしょうか?

途中なんども挫折しかかりながらも母親の叱咤>激励のもとなんとか成し遂げました。

恐れ入ります。
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以上
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by zhuangyuan | 2010-08-29 21:46 | 学習 | Comments(8)
2010年 08月 22日

自由研究 世界にはばたけ!

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小1の息子の初めての自由研究。

世界の国旗。

国旗の本から好きなのをえらんで
国にちなんだ絵をいれました。

フランスといえばフランスパン
イタリアといえばピザ

韓国といえば、というと息子は黒い四角を塗りつぶしました。
のり!ですって。

アフリカのマリ共和国には宇宙人がいたって知ってます?



ちなみに一緒に写っているのは
お気に入りのパンダの兄弟。

左から

チャイチャイ
ユニコルノ
トントン
エルドラゴ

チャイチャイとトントンは中国生まれ。
ユニコルノとエルドラゴは横浜中華街で生まれました。

ユニちゃんとエルちゃんは
息子の名前の中国語読みヨウ・フェイからとり
ヨウヨウとフェイフェイと名づけました。

こどもたちに伝えると
なんとパンダっぽくないと却下され現在の名に変わりました。

大人の発想は既成のものにとらわれていていけません。

以上
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by zhuangyuan | 2010-08-22 06:52 | 生活 | Comments(8)
2010年 08月 19日

ヒッチハイクは楽じゃない

本日の早朝勉強会、私がプチスピーチ発表の担当でした。

原稿も用意してのぞみましたのでアップいたします。



「ヒッチハイクは楽じゃない」

今天我跟你们讲夏天的回忆。

我在大学一年期的时候和朋友一起去美国在牧场打工。
平日在夏天的阳光之下从早上坐拖拉机开垦农地,在周末自由的时间去旅行。

一天我们打算去加拿大的蒙特利尔。
我们的牧场离加拿大的国境不远,大概十公里,到蒙特利尔六十六公里。

我们决定搭车旅行去那儿。
搭车就是hitchhike。

那一天早上我们两个人在高速公路上开始等车。
很幸运的是等了不久的时候就有一辆车停在我们的前面然后同意让我们坐车去下一个出口。
开车的是在牧场学农业的学生的父母。

我们在下一站下车以后继续搭车。
这次过了两三个小时还搭不到车。
但是我们没有办法走回去。

我们快要放弃搭车的时候,很温柔的老师傅让我们乘车同意一起去蒙特利尔。
在路上师傅告诉我们,
"小伙子们,在美国不要搭车。开车的人和搭车的人都很危险。再也不要搭车!"

不管怎样,我们终于到达蒙特利尔。我们就去观光指南处预订旅馆后逛街。
那个城市非常漂亮我们很开心。晚上去的饭馆儿里有一个美女。他回说一点点的日语。
我们过得很愉快,忘了时间到十一点喝酒。

我们没想到预订的旅馆拒绝我们因为登记手续太晚了。
那天是周末,旅客很多,房间已经没有了。
我们去周围的十几个旅馆问他们有没有空间但是找不到房间。

我们不得不决定坐巴士回去牧场。
时间太晚了所以只有末班车。
那是直达纽约城市的快速巴士,不停在我们住的地方的车站。

我们想办法后买票。出发以后跟司机商量。
请他让我们在牧场附近的高速公路上下车。
但是他不同意。我们想不到好办法。

在国境的海关所有的乘客一旦下车要办入境手续。
那时海关的职员问我们,“你们怎么回去你住的地方?巴士的司机不允许你们在高速公路上下车,他放你们离开这儿了。你们怎么办?”

我们吃了一惊,但回答 “这样的话,不得不走回去”
其实我们还是有乐观。

职员们看看年轻的外国学生这样碰到困难的话,
肯定为了我们想办法或者说不定开车送到牧场。

但他们说的是很简单,“一路顺风。”

我们很伤心地在高速公路上开始走路。
半夜的路上非常黑暗很可怕很孤独。

过了几十分钟我们觉得很渴就去加油站里的便利店。
服务员一定觉得很奇怪,在半夜路上没有车也来客人,也是外国人。

我们买了一罐可口可乐回去高速公路。
又开始走路。

那时候突然来了开着红灯的四辆巡逻车,包围我们。

我们非常着急因为我们护照里只有观光签证,但我们在牧场打工。
警察们为了管理非法入境者巡逻那边。

他们看样子很严格,但反而很温柔。
他们不关心我们的签证,知道我们住的地方就送我们。
我们坐装着铁格子的巡逻车内被送到我们的宿舍。

第二天牧场职员们开始叫我们 '疯狂的日本人。'



(超訳)

今日皆さんにお話するのは夏の日の思い出です。
大学一年生の時、友人とアメリカにファームステイにいきました。

平日は真夏の太陽のもとトラクターで農地を開墾し
週末の自由な時間は旅行にいきました。

ある日私たちはモントリオールに行こうと計画しました。
僕らの牧場はカナダとの国境から近く約10キロくらいでモントリオールまでは66キロです。

そこで僕らはヒッチハイクで行こうと決めたのです。

その日は朝からハイウェイで車を待ちました。
ラッキーなことにすぐに車が止まり、次の出口まで連れてってくれました。
運転していたのは同じ牧場で農業を学んでいる学生の両親でした。

次の出口で降りたあと、さらにヒッチハイクを続けました。
今度は2-3時間しても車はつかまりません。
でも歩いて帰ることもできませんでした。

僕らがもうあきらめそうになっていたその時
優しいおじさんがモントリオールまで乗せてくれることになりました。

おじさんは車の中でいいました。
「君たちアメリカでヒッチハイクをしちゃだめだよ
乗せる人も乗る人もどっちも危険なんだ。
二度とするんじゃないよ。」

何はともあれついにモントリオールに着いたのです。
すぐに観光案内所に行き、ホテルを予約して街にでました。

街はとてもきれいでとてもハッピーな気分でした。
しかも夜、入ったレストランには日本語を話せるきれいなお姉さんまでいて
僕らは嬉しくなってしまい夜11時まで飲みました。

まさかホテルが泊めてくれないなんて思いつきもしませんでした。
チェックインが遅すぎたのです。
その日は週末、旅行客が多く、部屋は満室でした。

僕らは周囲の宿を十数件回り、空室がないかたずねましたが
結局部屋はみつかりません。

しょうがないのでバスで牧場まで帰ることにしました。
時間が遅かったので終バスが残るだけでした。
それはニューヨークシティ直行便のエキスプレスバスでした。
僕らの牧場付近には止まりません。

僕らはいい事を思いつき、チケットを買いました。
出発後運転士さんに頼みました。
牧場の近くのハイウェイの上でおろしてくれと。

でも彼はOKしませんでした。
困りましたは代案が思いつきません。

カナダとの国境の税関ではすべてのお客さんがいったんバスをおり
入国手続きをします。

そこで税関職員が聞いてきます。
「君たちは住んでるところにどうやって帰るの?
運転士はハイウェイで降ろせないといって
君らをおいて行っっちゃったよ。」

僕らはびっくりしたけど答えました。
「そんなら歩いて帰るしかないですね。」

でも実は楽観もしてたのです。
だって若い外国の学生困っていたら、何か考えてくれるでしょ、
もしかしたら送ってくれるかも、なんて。

でも彼らの言葉は一言だけ

Good luck!

傷心の僕らはハイウェイを歩き出しました。

真夜中のハイウェイは真っ暗で怖くて孤独を感じました。

数十分歩くと喉が渇いたのでガススタンドのコンビニに行きました。

店員はきっと奇妙に思ったでしょう。
だって真夜中に車もないのに客がはいってきて
しかも外国人なんですから。

僕らはコーラを買ってハイウェイにもどりました。

すると突然、赤い光を点滅させたパトカー四台が僕らを囲みました。

僕はチョー焦った。
だって観光ビザなのに牧場で働いていたから。

彼らは不法入国者を管理するハイウェイパトロールでした。
彼らは厳しそうに見えましたがとても優しかった。

僕らのビザなんか気にせずに
住むところを知ると送り届けてくれました。

僕らは鉄格子のあるパトカーで護送されたのでした。

次の日から僕らはクレイジージャパニーズと呼ばれることになりました。

おしまい。


以上
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by zhuangyuan | 2010-08-19 22:03 | 中文練習 | Comments(8)
2010年 08月 14日

いにしえの韓流

最近は韓国がらみの読書が多いですが
こちらは一風変わった伝奇小説。
主題は朝鮮通信使。

「魔岩伝説」 荒山徹著

魔岩伝説 (祥伝社文庫)

荒山 徹 / 祥伝社


荒山徹の本は数冊読んでますが
時代小説で必ず朝鮮が出てくる。
忍者だとか魔術だとかに興味はないのですが
資料を基にした逸話が面白いです。

徳川幕府が再開した朝鮮通信使は莫大な費用がかかるにも関わらず
将軍交代ごとに行われた。

そこには徳川幕府最大のヒミツが!
その謎をさぐるべく遠山の金さんが立ち上がる。

なんでやねん と思うのですが

遠山左衛門尉景元が朝鮮通信使を迎えるべく対馬に赴いたのは史実らしい。
このどこまでのが史実でどこからが作り話かよくわからないところが楽しい。

さて朝鮮通信使ですが
ずいぶんと傲慢な態度で来日したとのこと。

なにせ中華文明の伝え手として
中国がお父さんなら朝鮮はお兄さんとばかりに
文化、文明を未開の奴らに教えてやるよって態度で臨んでたと。

小説の中にも日本の朱子学者の言葉が抜粋されてます。

「韓客は緒人を蔑視し...」
「文鎮代わりに脚を投げ出し踵にて紙をおさえるなど、狼藉至極」
「我が邦の学の暗きの虚に乗じ...」

接待する対馬藩もあまりの朝鮮勢の振る舞いに切れて

「朝鮮人に道理もなく打擲(ちょうちゃく)されたなら、これを討ち果たせ」と命じたそうです。

文民統治が基本の儒教国家、朝鮮からみたら当時の武士政権なんて野蛮そのもの
未開の奴らは見下ろして対応。

さらに当時は中国ですら遊牧民族満州族に支配されている。

ということは

朝鮮こそ中国なのだと。

迎える日本もそれに迎合する勢力があるわけです。

徳川幕府の学問、朱子学者、林大学頭の一族。

いつの時代にも優勢なもに盲従する勢力があるものです。

まあ朱子学自体が上下の規律を保つためのものでしょうから
しょうがない。

で小説のほうは
こんなにしてまで朝鮮通信史を続けるには誰にもいえない謎があるはずってことで
最後に謎が明かされるのです。

なぞはともかく
歴史においては先輩だと思ってる朝鮮です。

その朝鮮を併合してしまったんです日本はだからこそ100年たっても
恨みがなくならい。

短命政権の人気のない首相が歴史をしょってるみたいに勘違いして
談話発表したって意味ないでしょ。

以上
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by zhuangyuan | 2010-08-14 22:00 | 韓国 | Comments(0)
2010年 08月 08日

ハングルのお勉強

今日は小1の息子の自由研究を叱咤激励しながら
私もお勉強。

息子はでっかい模造紙に世界の国旗の絵を描くという課題にしました。

かたわら私はハングルの練習。

目からウロコの ハングル練習帳 (基礎から学ぶ語学シリーズ)

八田 靖史 / 学習研究社



この本はamazonをながめていたらかなり評価が高いのでついポチッとしたものです。
55件のレビューのうち47件が☆5つ!

こんな簡単な本でこの評価はきっとなにかあるに違いない。

3日で終わる文字ドリルという副題がついてます。

チョーわかりやすい。

私、1997年にハングル文字は読めるようになったはずですが
その後、IMFショックに見舞われ、勉強を完全中断。
まったく進歩なし。

ちょーゆっくりなら読める。

復習には最適でありました。

難しいところは覚えないで、飛ばしてしまえ!って指導がいいね。
この八田靖史さんってのは只者じゃないな。

韓国人の使うビミョーなカタカナ発音がマスターできて
ちょっとうれしい。

ヘムボゴ=ハンバーガー なんて。


ところで私、先日韓国出張時に韓国語電子辞書を買ってきました。

NURIAN X37です。

Mandarin Noteさん新書中心主義さん 韓国語電子辞書の選び方で絶賛されてました。

でも注意書きがありました。

初心者は買っちゃダメって。

でも買っちゃいました。

やっぱり背伸びしたい。

買いに言ったお店でききました。

英語のマニュアルはついてますか?

ハングルだけです。
でもヘルプは英語で見れますよ。

この言葉にすがって買ってみた。

でもいまだに英語のヘルプがみつけられない。

でもハングルキーボードを打ってるだけでもなんかたのしい。

ゆっくりやりましょう、ゆっくり。

でもディスプレイが全部ハングルなのには参った。

電子辞書のタッチパネルの文字を紙に鉛筆で転写して、
電子辞書で調べるなんてわけのわからないことをやってます。


以上
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by zhuangyuan | 2010-08-08 14:46 | 学習 | Comments(8)
2010年 08月 01日

日韓発展の礎 満洲

先週は韓国出張。
韓国財閥企業はスピード経営で世界を席巻しています。

韓国の戦後の高度成長は韓江の奇跡と呼ばれました。
この成長を成し遂げたの独裁者、朴正煕大統領。

彼の成功のルーツには満州があるんですって。

「大日本・満州帝国の遺産」

大日本・満州帝国の遺産 (興亡の世界史)

姜 尚中 / 講談社



朴正煕と昭和の妖怪、岸信介を中心に戦後の発展と満洲の関わりを描いています。

満洲で岸は官僚主導の傾斜生産方式での経済発展をすすめ、戦後首相になると統制経済ばりに経済発展を押し進めた。その意味で戦前と戦後には断絶はなくダイナミックな連続性があるといいます。

その満洲方式を日本以上にうまく成し遂げたのが朴正煕率いる韓国。「あんなにうまくいくとは思わなかった」と岸にいわせるほどの成功であったと。

朴正煕はじつは満洲の陸軍士官学校をでているそうです。当時は日本名高木政雄を名乗っていた。

当時の満洲はいわばエルドラドのようなものであったそうで希望に燃える日韓の若者を引きつけていた。韓国では当時、四大狂という言葉があり、満洲狂はその筆頭で一攫千金を目指すひとであふれかえったと。

韓国はいまでもそうですよね。
中東がいいとなるとみんな中東にゴー!
中国がいいとなったら今度は中国!
今はインドかな?

これが当時は満洲だったんでしょう。

戦中満洲ですごした朴正煕は戦後紆余曲折をへて首相にまで上り詰めます。

そして当時の満洲トップ岸と関わることになるのです。
岸は韓国にふかく結びつくのですが韓国発展のおおきな原動力の一つになったのは日本の戦後賠償。

1965年の日韓条約以降、有償、無償借款が日本から行われ発展の基礎を築くのです。この巨額の資金は日韓与党の利権ともなり戦後の日韓政治家の結びつきを深めたのでした。

こうして両国ともに満洲の実験を糧にめでたく経済発展を成し遂げたのです。



出張中にお客さんがいいました。

「朴正煕は在職中は独裁者だとして非難されましたがそのあとの大統領がひどすぎたので今は評価する声の方が大きいですよ。今の韓国は民主化しすぎてなにも決まりません。日本もそうでしょう?朴正煕のような人が出てくれば不況から抜け出せるんじゃないですか?」

「そうかもしれませんね。でも開発独裁は切り捨てられる人多いですからね。」

翌日、大統領官邸、青瓦台のそばを通りかかったとき、お客さんがいいました。

「私は子供のころ、このあたりに住んでいたんですよ。
でもに住んでいたんですよ。朴大統領の時代に立ち退きさせられたんです。」

やっぱり大変ですね。

以上
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by zhuangyuan | 2010-08-01 21:09 | 文化、歴史 | Comments(2)