中華 状元への道

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2007年 07月 28日

独立戦士

先日バングラデシュに出張した際、首都ダッカでダッカクラブなるところに行きました。
ダッカクラブは最貧国バングラデシュにおける極少数の上流階層のためのサロンみたいな
ものです。イスラムの禁酒の国にでもここではお酒はなんでもOK。上流階層はどこでも優雅なものです。

そこで食事をした相手は初めて会う方でしたが
名刺の名前の横に'bir pratik'と書いてありました。
紹介してくれた方も「彼はbir pratikなんだ!」となんども繰り返します。

それは何かと申しますとなんでも独立戦争に貢献した人物に
政府から贈られた称号なんだそうです。

その称号がついているだけで皆から尊敬されるそうです。
確かにクラブに来ている客の多くが彼を見つけるとやってきて挨拶します。
見るからに高貴な感じで思慮深そうな控えめな方です。
とても戦争を勝ち抜いた戦士には見えないインテリ風です。

それもそのはず彼は戦争当時、軍人ではなく学生だったそうです。
19歳だった彼は学生を率いて戦ったい、その功績を認められ称号を贈られたそうです。
この称号をもらえたのはほとんどが軍人で民間人でこれを持っているのは非常に珍しいそうです。

で、聞いてみました。
そもそもなんで独立したかったんですか?

バングラデシュは1971年にパキスタンから独立したのですが
独立前は東パキスタンといいました。今のパキスタンは西パキスタン。
間にインドを挟んでまして飛び地国家でした。
イギリスから独立したインドは宗教により分裂しました。

独立戦争を戦った理由を彼はこう語りました。

「我々はベンガル人です。パキスタンはパンジャブ人です。言葉も全く違う。
当時パンジャブ人はベンガル人を奴隷のように扱いました。
イギリスから独立したにも関わらず我々には自由は全くなかった。」

うーん知らなかった。
だいたい飛び地で民族も違って同じ国ってのがそもそもわからない。
旧宗主国の分割統治の影響でしょう。

ちょっと調べてみるとバングラの当時の状況をわかりやすく説明したサイトが
ありましたのでご紹介します。貧困の悪循環-開発問題の本質
ちょっと引用します。
パキスタンというくびき

 英領インドから分離独立した東パキスタンは喜びもつかのま、今度は西パキスタンの植民地的存在となった。図は東パキスタン時代の物流である。ジュート輸出による外貨収入は西パキスタンの機械・原材料輸入に充当された。政府は国内産業育成のために外国製品に高い関税をかけた。そのため東パキスタンで消費する物資はすべて西パキスタンから買わねばならなかった。自分たちが作った製品の代金は「西」で使われ、その上「西」の消費財を買わされるという植民地そのままの経済構造であった。

 さらに東パキスタンの主要工業であるジュートおよび綿工業の大部分は西パキスタンの財閥の資本か、政府開発公社と組んで投資したものである。その利益は「西」に送金され、「東」に再投資されることはなかった。このため、独立当時はほぼ同水準であった一人当たりのGDPは1970年には1対1.6に拡大した。


イギリス植民地の構図とおんなじです。宗主国が代わっただけ。

彼らは言いました。
「そして我々はこうしてバングラデシュのパスポートを持ち
自らの国の代表としてこうしてビジネスができるんです。」

でも独立から早36年が経ちますが
恒常的な政治不安定や腐敗から経済が安定せず未だに最貧国に甘んじているところが
世の中の難しさを物語っていますな。

でもゴールドマンサックス社によると
BRICSにつづくNEXT11にバングラデシュがはいっていますので
これから期待できるかも。

でも昨年も政治混乱で選挙ができないで軍がバックの臨時政権が運営してます。

以上
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by zhuangyuan | 2007-07-28 22:09 | 文化、歴史 | Comments(1)
2007年 07月 16日

MONSTER MONSOON

出張でインド、バングラデシュ、シンガポールを10日間で回り、金曜に帰宅しました。
未だに腹が癒えず。

インドは大学の卒業旅行で行って以来14年ぶりの訪問です。
インドは昨今急速な経済発展を続けていますのでどれだけ変化したのか?

夜中の一時にカルカッタに到着。眠い。
例のごとく、荷物が出てこない。
一時間半待ってやっとこさ出てきました。

バンコク経由で入ってきたのですがこの便にはタイに物資の買い付けにいったインド商人が
多くのっているそうで荷物がメチャメチャ多いそうです。
荷物というより輸入貨物と言ったほうがよいのかもしれません。

荷物が多いだけなら一時間半も待たない。
この空港では荷物を下ろす作業員が疲れちゃうと休んじゃうそうです。
で一時間半。
この話は後で聞いた話ですので、もちろん出てくるまでは本当に到着してるのかさえ心配して
気が気じゃない一時間半でした。

なんか嫌なスタートです。

ゲートを出ると出迎えの方(日本の貿易商社の方とドライバー)が来てくれていました。

「状元さん、よくいらしていただきました。
しかし大変な時に来られましたね。街は水浸しですよ。
モンスーンが直撃していまして至るところで冠水してまして来る途中も水に浸かって
エンジン止まりましたよ。
ちょっとホテルまで辿りつけるかなんとも言えません。」

そんなバカな、ちょっと想像できない。
とりあえずホテルに向け出発。

しばらくすると水かさが増してきまして
夜中の真っ暗闇に点滅する信号がありまして、その前に数台の車が立ち往生しています。
その行く先は道路というより池です。しかも真っ暗。

しばし逡巡したのち、ドライバー氏は果敢に水の中に発信しました。
車の脇を波が動いてゆく。タイヤが埋まる程度の水かさです。
大丈夫かいな。

水の中を進むと二手に道が分かれています。
で暗くて狭いほうに進みます。
すると急に真っ暗になりました。
ヘッドライトまで水に沈んだのです。
当然マフラーも沈んでます。
だんだんタイヤも空回りが多くなり、エンジンは唸りを上げます。
そのうち水蒸気なのか何なのか煙がもくもく立ち始め、とうとう止まってしまいました。

車の中への浸水を恐れて足を抱えながら乗っていたのですが
ふと気が緩み、足を下ろす。ピチャ!
やっぱり浸水してました。で再度足を抱えます。靴は代えがありません。

ドライバー氏、再度アクセルを踏み込み、空回りしつつも何か動き出す気配。
かすかに進み始め、再度まわりの水を波立たせていきます。

すると前方に上り坂が見え道路が露出していました。
助かった!
「ここまでくれば大丈夫です。ホテルにいけますよ状元さん!」

こうしてやっとこさホテルに辿りつきました。現地時間3:30AM。日本時間7:00。

のっけからすごいスタートです。この旅は果たして終えられるのだろうか?

翌日というより当日は8:30から予定3時間のロングドライブ。
朝、部屋に届けられた朝刊を見るとこんな感じ。
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モンスター・モンスーンですよ。見出しでびびっちゃいます。
48時間でどうなっちゃうんだろうか?
どこもかしこも水ばかり。ウォーターウォーターエブリウェア!

これはちょっと予定中止かななどと心配していたが決行。
雨季だから6時間かかるかもなどと脅されてスタート。
雨は上がっているものの道路は雨の影響でボコボコ。

いきなり渋滞で全く動かなくなる。
みんな車を降りて話している。
ドライバー氏が渋滞原因を調べに歩いていった。
戻ってくるとまもなく解消されるとのこと。

理由を聞くとそこはイスラム教徒の多く住む地域で政府に抗議するため
デモを行い道路を止めていたとのこと。
インドはいろいろありますなあ。

道は貨物トラックであふれています。
ところどころで路肩に落ちて立ち往生したトラックや
溝にはまって動けなくなったトラックが原因で渋滞を引き起こしています。

道路脇の家という家というか小屋はほとんど水に浸かり、
水かさが増してどう見ても湖か池にしか見えない田んぼを横目にひたすら車に揺られます。

ぐちゃぐちゃな道中でしたが何とか予定通り3時間ドライブで到着しました。
で仕事を終え、帰りも似たような3時間を過ごしホテル着。
もう初日からぐったりです。
もしこの予定が次の日であったらさらに土砂降りで行けなかったようです。

今回の出張は常に日程が順調に進むかばかりを気にして
ヤキモキしながら過ごした10日間でした。

でも今は日本にいますので何事もなく帰国したのです。

以上
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by zhuangyuan | 2007-07-16 18:21 | 生活 | Comments(4)
2007年 07月 01日

1930年 魔都上海

1930年代の上海というと独特のイメージを抱かせます。
宮崎正弘のメールマガジンのなかで胡桃沢耕史や伴野朗の小説でそのころの
魔都上海の様子がよく描かれているとありました。

胡桃沢耕史はイメージとしては翔んでる警視正シリーズなんかの軽いイメージですが
中国関連の小説も結構あって面白いです。
魔都上海といえばそんまんまですが「上海リリー」なんて小説もありました。

伴野朗という人の本は本屋でよく見かけますが読んだことはなかった。
そこで古本ハンターは意識して探してみました。
適当なのが見つかりました。
「上海伝説」集英社文庫
100円かと思ってレジに持っていくと400円。

まあ、ひねりのないそのまんまの題名。
紹介がなければ絶対手に取らない題名です。

背表紙で内容をみると結構面白そう。
汪精衛に向けられる蒋介石の刺客うんたらかんたら。

早速読んでみました。
1930年代の魔都上海を舞台に歴史の断片を軸にして謀略が繰り広げられる。
そこに史実の小ネタがちりばめられててあっという間に読んじゃいました。
軽いタッチで読み進められますが
新聞社で上海駐在だっただけあって中国人の人間関係なんかもよく知って書いていて
ところどころにうならせる描写があります。

汪精衛のほかにも川島芳子や児玉誉士夫、青帮の大ボス杜月笙、悲劇の名女優阮玲玉
までも登場してきます。

阮玲玉って誰?って方も多いと思いますが
わたしも昨年までは知りませんでした。

上海に出張した際に雰囲気のいいレストランで食事をしました。
そこはまさに1930年代の上海を懐かしむようなスタイルでした。
この資本主義の象徴みたいなものを懐かしむことができるんだないまの中国はと妙に関心しました。
そこで昼から紹興酒を飲みながら食事をしていると
部屋の周りには沢山の美しい女性の肖像画が並んでいました。
その中で一際目が惹かれた絵の主を尋ねたところ、
それが「阮玲玉」でした。
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それまで聞いたこともなかったのですが
帰国後しらべると、30年代に活躍した大女優でなんと25歳で自殺していることがわかりました。

それから妙に気になっていたのですが
この短編小説集の最後の作品「南京路の幻影」は彼女の物語でした。

日本人の男性主人公が彼女が駆け出しのころ一夜をともにしちゃうのは
小説ですからご愛嬌といったところです。

映画が社会に与える影響が今とは比較にならないほど大きかった時代に
新しい女性像を演じ、国民党批判ととられ危険視されて政治的に抹殺されそうになり
そこに男女関係が絡み合い死を選ぶのです。

彼女の葬儀には20万人が繰り出したそうです。

伴野朗の小説もまた読んでみようと思います。

以上
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by zhuangyuan | 2007-07-01 22:48 | 中国関連DVD、本 | Comments(4)