中華 状元への道

zhuangyuan.exblog.jp
ブログトップ

<   2005年 12月 ( 11 )   > この月の画像一覧


2005年 12月 30日

チベット 言葉の海へ

 2005年最後に読了となったのはチベット語になった『坊っちゃん』―中国・青海省 草原に播かれた日本語の種
中村 吉広 / 山と溪谷社

著者中村氏のブログ旅限無にTBした縁でご紹介いただいた本です。

 語学を学ぶ者として言葉とは何かを考えさせられる本でした。
コミュニケーションの道具なのか、民族文化伝承の絆なのか、経済発展のパスポートなのか?
立場によってとらえ方も様々ですがどれも正しく思えてくる。
中国語に限らず語学学習者必読です。一度よく考えてみなくては。

 簡単に内容紹介しますと、チベット文化圏の中国青海省にチベットを学びに行った著者が日本語を講師になってしまう話。中国の少数民族政策及び普通語普及政策に影響を受け、風前のともし火となったチベット語が日本語と似ていることに目をつけた著者が生徒たちを目覚めさせ最後には生徒たちに漱石の坊っちゃんを翻訳させてしまう感動ものがたり。

 チベット民族、文化の歴史、中国の少数民族政策、現代教育事情はたまた現代日本語状況まで論じた盛りだくさんの内容でのめり込みました。
 私が出会った人々に教えていただいたり、本で読んだりしてこのブログで記事にした下記の現代中国の矛盾なども著者は自ら体験し掘り下げています。読み応えあり。
モンゴル
中国農村 貧困と教育
少数民族

 またこの本を読むとまず自分の語学能力以前に日本語に対する理解の浅さを痛感します。
文法に関する知識、失われゆく古い言葉、氾濫する外来語。外国語を学ぶ際、母国語を大切にし、文化を知るって初めて深く理解できるということを教えられます。

 これまで私はチベットについてほとんど知りませんでした。ダライ・ラマ、パンチェン・ラマの名前は知っていてもその他の文化や中国政府とのかかわりについても知識がありませんでした。

 唯一触れたのは今年初め北京の雍和宫に行った時です。そこはラマ教(チベット仏教)寺院で漢族地区にある最大のものです。清の雍正帝がラマ教信者で皇帝の寺院となった。中華皇帝がラマ教信者だったんです。

 そこには写真や絵画を飾る部屋があって歴代皇帝とダライ・ラマが会見する姿が描かれていました。印象に残ったのは現在インドに亡命中のダライ・ラマ14世が中華人民共和国建国当時人民大会議に出席し重要議題に賛成票を投じる姿が大きく写されていました。チベット問題を知らない人が見れば民族友好の証と思うでしょう。

 実際一緒に見に行った米国籍華人は世界史専攻にも関わらず、その写真の意味するいやみというか恐ろしさを理解していませんでした。実際は冷戦状態なのに友好をアピールしている。
 
 そんな政府の政策のなか、チベット文化圏に分け入って、共産党派遣の漢族の教授に囲まれながらも、日本語を通じてチベット語の再定義と蘇生を試みた著者の大冒険は勇気と根気と知力、体力を併せ持って初めて成し遂げられる偉大なものです。とにかく手掛かりのない環境下で力強く前に進んでゆく著者の行動力、実行力はチョーすごい。(わたしの日本語力退化の影響でこんな言葉しか浮かばないのが悲しい。)
感服いたしました。

 この言葉の海への大冒険は200ページでは語り尽くせないと思います。
続編を期待します。

以上
[PR]

by zhuangyuan | 2005-12-30 21:38 | 中国関連DVD、本 | Comments(9)
2005年 12月 25日

満州の真実

 「台湾 朝鮮 満州 日本の植民地の真実」(黄文雄 扶桑社)の満州部分のみを読了。
黄文雄氏は台湾生まれですが日本とくに戦争時代の日本について評価すべき点に光をあててくれる。

 中国語を勉強して大陸のマスメディアに接していると戦争時代の日本についていいことは一つもなく、極悪非道の帝国主義との報道ばかりです。私は祖父母が満州に行っていたこともあり、中国では偽満州などと罵られている満州の優れた一面も知りたく思い読んでみました。

 ただ黄さんの本は数冊読みましたがホントにいいことしか書いていなくてちょっと極端。ただ中国大陸の偏向報道や戦後日本の自虐的報道に対抗するにはこのくらいでないとバランスが取れないのかもしれません。

 満州について一ついえるのはたった15年の間に経済をかなり発展させたのは事実でしょう。
満州成立以前にその地を治めていたのは張作霖、張学良らの軍閥で彼らは秋の収穫期になると独自通貨を乱発し収穫物を買いあさる。そして外国に売りさばき軍備に当てていたとのこと。
そして張作霖一家が民衆から搾取した収入は南京政府より多かったとのこと。
その収入はインフラ整備に使わず、公共のためにつかったのはダンスホールのみ。

 そして満州は通貨を統一し交通、農業、鉱工業の発展につとめた。
満州がたてた巨大ダムを見学した当時のフィリピン外相はこう感嘆したとのとこ。
「フィリピンはスペインの植民地として350年、アメリカのもと40年だが住民に役立つものは何ひとつない。満州はわずか10年でこのような建設をしたのか。」

 国土が狭い日本で出来なかった夢を満州で果たそうとしたのでしょう。日本人が指導的立場にあったため傀儡などと言われますが豊かになったのは事実で年間100万人も難民が長城を越えてやってきたそうです。

 これらの遺産は戦後の共産中国の財政に大きく寄与した。いまでのその名残は大きくあります。ただ全て中央に吸い上げられ再投資に向けなかったため発展が停滞しいまではお荷物になってしまったそうです。

 その満州での壮大な実験が日本の戦後の経済発展の礎になったのだとするのが「王道楽土の戦争 戦後60年篇」(吉田司 NHKブックス)。王道楽土とは満州建国のキャッチフレーズ。

 戦後ニッポンは45年8月15日以降、戦前を断絶し民主主義国家に生まれ変わって平和国家として経済発展の道を突き進んだ。とするのが一般的な説。
しかしこの本は戦後も戦前の延長戦で、特に満州の経験が大きく戦後に影響しているとしている。戦中の統制経済と戦後の護送船団方式。これは満州で議会政治を否定し、日本で出来ないことを自由に実験した成果だと。

(国としてやりたいことをやるのは議会制じゃまどろっこしくてだめですね。最近アメリカが民主政治を押し付けるのはその国を混乱させて自国に追いつかないようにさせてるのではないかと思います。段階が必要です。)

また満鉄の弾丸列車→新幹線。戦後の象徴の自動車だってトヨタ日産が発展したのは満州から華北に進出するための軍需からだとのこと。戦後は朝鮮特需で自動車産業も復活。

 あらゆる物が戦前満州とつながっている。そして高度成長、学生運動、バブル経済、失われた10年とつながってゆく。吉田氏の本をはじめて読みましたが発想が新鮮。転換もすごい。

 満州についてわかったようなわからないような。そこには壮大な夢とロマン、実験がありました。
 
以上





 
[PR]

by zhuangyuan | 2005-12-25 23:10 | 中国関連DVD、本 | Comments(0)
2005年 12月 21日

二次会 チャイナパブで中国語

昨日の記事の続きです。

その日は久しぶりにあう中国からの友達との飲みだったので
二次会はバーで語ろうと考えていました。

しかしお客さんが日本は初めてで日本人の女の子がいるお店に行きたいとのこと。
さあ困った。

 私はこの手のお店が基本的にきらいです。
高いし大してかわいい子もいないし飲まされるし
しゃべっててもつまんない。

 余談ですが先日韓国のお客さんに連れられ韓国クラブに行った際はひどかった。
私についた女の子は若い子でまあきれいと言えるがやる気がない。

私もめんどくさいので盛り上げようとも思わない。
するとこう言った。

「お客さん楽しそうな顔してよォ。ほらママが見てる。
怒られるから楽しんでェ」

なんだそりゃ。そんなダイレクトな。
ただ変なエロオヤジの隣にいるより私の隣にいるほうが
なんも気を使わなくていいのでずっと隣にいました。
適当に時間が経つとストレートのショットグラスで乾杯しながら。

 閑話休題。
とはいいつつ本題そのものも閑話なんですが。

というわけで私は女の子のいるクラブなどはほとんどなじみがない。
行くことは行くが能動的にはいかない。

その上、その日は携帯電話を家に忘れ、どこの電話番号もわからない。
とりあえず以前に行った店に行ってみる。
満員。
今は忘年会シーズンですから予約してないとまずい。
でもお客さん行きたいっていってるし。困った。

悪いことにお客さんと一緒に来日した方があと二人いてジョインしたいとのこと。
そこでホテルに迎えに行きました。

中国のお客さんを4人もつれて、席が確保できていない店に予約なしで
連れまわるのもかっこ悪い。
誰か知人に紹介してもらうにも携帯がなくて電話番号がわからない。
ほんと普段携帯に頼ってばかりでイカンです。

ホテルで便をしながら考えた。
おう先日はじめて行ったチャイナパブの名刺が名刺入れにあったなと思い出しました。
遠いけどもしゃあない。電話して席を確保。

中国のお客さんにチャイナパブじゃ悪いなとおもいつつも
選択肢がなくゴー。

店に入りお客さんは店の女の子に任せ
私も中国語のレッスン。

30歳のお姉さまに

十八岁一枝花,二十八岁豆腐渣。
女の子、18歳ならお花さん、28ならオカラさん。

などと面白い表現を教えてもらっていると
なにやら総経理さんがママに対して怒っている様子。

彼はただの総経理でなく大企業の会長の息子さん普段は取り巻きがたくさん。
もちろん女性にも威張ってます。地元では怖いものなしとのこと。

“我要改正她的思想。”
「彼女の思想を改めてやらねば」

などとおどろおどろしいことを言っています。
どうしたのと聞くと

“他说世界上最色的事中国人” 「世界で一番スケベは中国人だと言ったんだ」

おおくだらないことで怒ってんなあと思ったが
じゃあどこが一番なの?と問うと。

「一番が台湾、二番が日本だ。まあ台湾も中国だけど」

ママは言い張る。
「私の店には台湾人、韓国人、中国人、日本人みんな来るけど
自分の経験から言って一番は中国人だ」

お客さん怒ってんだから適当にあわせてくれよと思っていると
別の女が追い討ち。
「中国にいたときは芸者の映画とか見たり
戦争中10-80歳は皆日本人にレイプされたから日本人が一番だと
思っていたがやっぱり中国人の方がスケベ。」

もうどっちでもいいから。
中国人の女の子は後に引かない。困ったものです。

「だってあの人座った時すぐにひどいこと言った。」
私はお願いする。
「あの方は大きな会社の総経理でお客さんでもあり友達でもあるんだから
うまくあわせてサービスしてあげてよ」

「社長さんだって関係ないよ。
宰相肚里能乘船って言うの知らないの?」
(宰相はお腹のなかで船にのれるほど大きな心を持っている。)

いい言葉です。でもここはお店なんだからお客にあわせてね。

今度はべつの場面。

広州の友達は日本語が達者。
驚いた女の子は感心した様子。

私は言う「彼は某某大学で日本語学んだんだから頭いいんだよ。」
女の子ムキになって曰く「大学関係ないよ。日本語うまいの大学関係ないよ。」

「お客さんを誉めてんだから話あわせてよ」
「だってほんとに関係ないんだよぉ」
「てゆうかここは日本なんだから日本文化に合わせて相手をたてて下さい」
「日本文化はウソつく文化なのか?」

とこういった様子で私は音を上げました。

皆様はじめは楽しんでいただけたか甚だ怪しいが
お酒が進むと最後には皆楽しそうでした。

私は新しい中国表現は学べたし
中国文化にも触れた気がしたし
はらはらしながらも楽しいひと時でした。
(文化といったら中国のかたに怒られるかも知れませんが。)

もう一時が皆さん帰りましょう。との一言でお開きに。

以上
[PR]

by zhuangyuan | 2005-12-21 22:53 | 言葉 | Comments(0)
2005年 12月 20日

一次会 焼き鳥屋で中国語

昨日は家に着いたのが午前二時。
多少グロッキー。

 広州の友達と四川から来日したお客さんと3人で飲みに行きました。
お客さんが来るのを前日に聞いたのですが
気楽なとこでいいとのことで予定通り焼き鳥屋で飲みました。

 お客さんは年は私と同じですが総経理さん。普段は高級なとこばっかり行っているでしょうが
たまには日本の庶民の生活を知ってもらうのもいいかなと。

 来日は初めてとのことで珍しそうに焼き鳥屋を観察してたずねました。

「ここはなんで男しか飲んでないんだ? それもおっさんばっかりで。
あそこのカウンターにいる人たちは一人で来てるのか?
なんで家で食べないんだ?
若い人は何してるんだ?」

うーん。言われて見れば確かに。あまり意識したことないけど。奇妙といえば奇妙。

「男達は第二次大戦後、戦争に向けたエネルギーを経済に転化し、
仕事に邁進し天皇の民として民道楽土の高度成長を成し遂げたんだ。
そして先の大戦でなしえなかった大東亜共栄圏を作り上げたのだ。
仕事場こそユートピアで居酒屋はその戦士たちので癒しの場なのだ。」

などと今読んでいる本「王道楽土の戦争 戦後60年篇」(吉田司 NHKブックス)
の受け売り(80年代までの話)をしちゃうほど中国語が達者でない私は

「他们不想回家。年轻人加班。」(彼らは家に帰りたくない。若いひとは残業。)

と簡単に答える。

その後はお金に関する質問のオンパレード。
「このくらいの店を開くのにいくらかかる?」
「あのフィリピン人の服務員(ウェイトレス)の給料はいくらだ?」
「日本で小姐(ホステス)したらいくら稼げる?」

適当に予想で答えると

「そんなに儲からないのになんで日本に来るんだ?」
「中国ならもっとかぜげるぞ。
俺の友達は若い彼女に月30万円で家を与えて
小遣いも50万だァ」

ああうらやましい。

お金の話はこれくらいで中国語の勉強の話題になりました。
そのお客さんと2年前に会ったときよりはだいぶ進歩したと誉めていただきました。

唐詩もいいですねというとこういいました。

熟读唐诗三百首,不会做诗也会吟。

唐詩三百首を熟読すれば、詩は作れなくても吟ずることができる。


吟じてみたーい。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
こんな感じで唐詩を普通語で読めたらいいなあ。

最後に学問の心得としてこんな言葉を教えてもらいました。

“书山有路勤为经,学海无崖苦作舟”

本の山には経典に辿り付く道が必ずあり、そこで経典を取得するため勤勉に励まなければならない。ただし学問の海は果てしないものであり、苦心して船をこいでいかなければならない。
(この訳あってるかなあ?)

果てしない道をまた歩き始めよう。

2次会ネタはまた今度。

以上
[PR]

by zhuangyuan | 2005-12-20 22:04 | 言葉 | Comments(0)
2005年 12月 18日

やっぱりダメ(HSK)

今朝10月に受験したHSK試験の成績表がとどきました。

またもや7級。中級試験の最高級8級に再度及ばず。

前回からなんか進歩したのかといいますと。
してません。2点下がりました。

科目 前回→今回
聴力 73→72
語法 86→87
閲読 94→94
総合 84→83
総得点 336→334

8級にをもらうには総得点で337点以上で4科目中3科目で8級レベルをとり
さらに残り一科目でも7級以上を取らなければならない。

わたしは前回同様聴力が6級あとは8級。ゆえに7級。

よくわかったのは私の水準は7級であり、それ以下でも以上でもない。
またHSK試験はよく出来た試験でよく実力を表しているということ。
だってこんな似たような成績ねらったってとれません。

でも悲しいね。半年で進歩なし。

試験を受けてすぐに今回も聴力がダメだったと認識しブログにも書きました。
その後、語学学校の先生にも相談しました。
この口語ばっかりの短文ヒアリングをどうすればクリアできるかと。

模試テープを聞いた先生のことば。
去死路吧 死路一条!(死への一本道=死んでも無理!)
(↑ 上記訂正いたします。やっぱあんたは不合格やぁ!!と先生に怒られちゃいました。すんまちぇん。)


北京でよく使う会話表現が多く、勉強で習得するのはむずかしいとのこと。

うーん。でも悔しいどうしよう。

とりあえず203高地じゃないけど死ぬまで突進しようかな。あと3点なんだから。

 朝食時、結果を妻に報告。

「よかったじゃない。普通留学から帰ったらどんどん退化するんじゃないの?」

おおそういう見方もできるのか退化はしてないわけだ。

「でも俺はもっと上を目指したいんだぁ」

「じゃあ一生中国行ってれば!ちゃんと子供二人連れてってよ。」

すみません。その節は苦労をかけました。(心の中で)

以上
[PR]

by zhuangyuan | 2005-12-18 16:37 | 学習 | Comments(12)
2005年 12月 17日

タクシー事情

 昨日、お客さんとの忘年会会場に向かうのためタクシーを利用しました。
乗ったのはかの有名なMKタクシー。初めて乗りました。料金ただにしてみたり、初乗り100円だったりで以前から気になってました。

 安い料金でなんで儲かるのか?車の値段は一緒だし、ガス代も一緒、給料が安ければ運転士もあつまらないだろうに。そもそも乗る人がMKに乗りたくても流しのMKを東京で見つけることはまずない。

そこで運転士さんに聞いてみました。

儲かってますか? おかげさまで。
客はどうやってMKを選ぶんですか? 8割は予約のお客さんです。
安いから選ぶんですか? サービスもいいです。自分は英語しゃべれます。
(MKのHPを覗くと英語ドライバー¥1000/hとなってました。)

給料いいですか? 会社に払う経費はメチャメチャ高いです。

ガス代、車代、本社経費(家賃、事務員給与など)会社にかかる経費は100%運転士負担だそうです。経費を頭数で割って負担させる。
ただし運賃の95%は運転士がもらえる。一般のタクシー会社は63%らしい。
ゆえに客を呼べる運転士はやればやるほど儲かる。
会社は経費は100%負担されているのでこれもやればやるだけ儲かる。

すごい仕組みです。
わたしこういう新しい仕組みで儲けてゆく会社が好きです。

MKはこうして儲けているのですが一般的にはタクシー業界は結構厳しい状況です。
景気は多少回復しているのでしょうがタクシーの台数が多すぎる。
2002年に規制緩和され台数制限がなくなった。
また運賃も上限規定しかなくなった。(これでMKが安くできる)
台数制限がないので脱サラ運転士が増加。
というかもともとこの政策の目的がリストラ人員の雇用対策でしょう。

北京でも似たようなことになっている。
なにが似てるかというとタクシーの運ちゃんには国営企業を下岗(リストラ)されたのが多いとのこと。江沢民時代には国営企業改革で大量のリストラ職員が発生しました。彼らがタクシーをはじめた。ただ問題はその運ちゃんは正式のタクシーでなく黑车(黒車=白タク=無許可)。

この数が半端じゃない。
東京のタクシー数が5.6万台。
北京は正式タクシー6.7万台。それプラス黑车7.2万台。

七万辆黑车猖獗

  北京的出租车数量在全国各大城市名列第一,达到6.7万辆。然而,北京的非法出租车也十分猖獗。据北京市交通执法总队称,目前北京共有约7.2万辆黑车,超过合法出租车的总量。

 北京のタクシー数量は全国の各大都市で第一で6.7万台に達している。しかしながら北京の違法タクシーも充分にはびこっている。北京の交通執法総隊によると現在北京には7.2万台の白タクがあり、合法タクシーの数量を超えている。

  在北京的城乡结合部、城铁车站,以及许多居民小区,到处可以见到等客的黑车。谈起黑车,出租车司机无不义愤填膺。由于交通拥堵、油价一涨再涨、车份居高不下,本来赚钱就不容易,大量黑车又抢走了他们的生意

 北京の都市部と郊外の結合部や電車の駅、また居住区のどこでも客待ちしている白タクが見られる。白タクについて話だすと怒らないタクシー運転士はいない。渋滞が多かったり、ガソリン代があがる。車の借り賃も下がらない。本来の儲かるはずが難しくなっている。そこでまた大量の白タクが彼らの商売を奪ってゆく。


 北京に行くとほんとに黑车が多い。空港おりると客引きに集まってきます。大学の前にも常に待機。語言大学にの前ににいた運転士なんて黑车のくせに名刺もってました。

「北京語言大学 司机 王某某 手机1368×××」
(北京語言大学 運転士 王何々 携帯1368×××)

違法なことやってて名刺はまずいだろ。つかまるぞ。
でも7万台のあるんですからもうどうしようもないんでしょう。

でもそんなに多いわけですからみんな利用していて結構良心的なひともいます。
メーターないのに領収書まで用意してたりして。

 また車の節約で24時間使う。友達と二人で二交代勤務。
一人の人なんて以前輸入のトヨタクラウンに乗ってて一台で100万キロ走ったといってました。
さすがトヨタだ壊れないと関心してました。

24時間の例を一つ。(ぐーすか様からのコメントで思い出しました。)朝早くタクシーに乗ると疲れた様子のオヤジが運転してました。
少し走ると頼んでもいない農村っぽい家の前で停車。
なんだよと思っていると家の中から子供を抱いたお母ちゃんが出てきてその運ちゃんとなにやら言葉を交わす。よく見ると奥さんはタクシーの制服みたいなのを羽織っている。そして運転席のオヤジと代わり再度私を運んでいった。
こんなのありかよー。でもたくましい。どうでもいいけど客のいないときに内緒で交代しろよ。

 最近は北京のタクシーは北京現代(韓国現代自動車)が増えてきましたが現代の車は故障が多くてイカンといってました。

どうでもいいけど北京現代の車の色って黒と黄色なんですけどこれが街に調和してなくて気持ちわるい。古いダイハツシャレードの赤のほうがよかった。
以上
[PR]

by zhuangyuan | 2005-12-17 22:35 | 時事 | Comments(3)
2005年 12月 13日

黄色

先日お客さんに連れられチャイナパブに行きました。

帅哥。帅呆了。  (いいおとこォ。うっとりしちゃう。)
汉语讲得很标准。  (中国語も正確ねェ。)
因为我北京大学读过书。 (だって北京大学出身ですから。)2週間いただけですけど。

そんなおだてに乗りつつ
行きがかり上今読んでいる中国語小説「丰乳肥臀」を見せました。

この小説は中国で一番ノーベル賞に近い作家と言われていた莫言(もうノーベル賞は先を越されました。)
が著者で東北の大家族の激動の歴史を描いたものです。

私はこんなに高尚な類いの本をしかも中国語で読んでいるのだと誇らしげに
店の女の子(哈尔滨人)に見せてあげました。

そこで彼女がいった言葉。
“是不是黄色小说?”(それエロ小説?)

ショックでした。

ただよく考えれば「丰乳肥臀」=豊かな乳と肥えた尻ってことですから
そう思われてもしかたがないかも知れません。

ただ小説の内容からすると
妖艶な色気のあるものではなく肝っ玉かあさん豪快で牛の乳のようなおっぱいしかイメージできません。

ところで黄色って色はいつからこんな意味に用いられるようになっちゃったんでしょうか?

そもそも黄色は皇帝の色だったはず。
清朝のラストエンペラーなんかの服も黄色だったはず。
他の人は着ちゃいけない色なのです。
中国では黄レンジャーなんて存在が許されない。
彼はカレー好きでしたからインド出身かもしれませんが。

清の八旗も正黄が一番上ですよね。

なぜ黄色が尊いかというと諸説あるようですが
黄huangと皇huangが同じ音だとか
中国4000年の歴史の祖先初代皇帝黄帝から来てるとか。

以前中国語教室で中国でなぜエロ小説を黄色小説と呼ぶかという話題になった際
先生の説明では昔は黄色いビニールに入って売っていたからとのことでしたが
そもそもなぜ黄色なんだという答えにはなってませんでした。

wikipediaを見てみると
紙が古くなると黄色くなることから「低俗」「大衆的」などを意味すると書いてありましたが
いまいちピント来ません。

でもほんと黄色っていろんなのがありますね。
イエローキャブとかイエロージャーナリズム、イエローカード。
黄河、黄土。
黄表紙なんてのもありました。

なかでも一番すぐに浮かぶのは
「幸せの黄色いハンカチ」
子供のころ見た数少ない映画の一つで妙に印象に残っています。

以上
[PR]

by zhuangyuan | 2005-12-13 22:23 | 文化、歴史 | Comments(2)
2005年 12月 10日

それぞれの天安門

 昨夜は上海出身で最近に日本で会社を設立したお客さんと中華を食べました。
彼は91年の来日。当時上海で大学生だった彼は天安門事件の影響で政治思想教育ばかりの授業に飽き足らず留学することにしたそうです。


別の上海出身の友人も言ってましたが当時の大学生は中国の将来に不安を感じ,外国に活路を求めたと。

(高校生)
昨夜のお客さんは天安門事件の当時は高校三年生で受験を控えていたそうです。
事件の影響で大学入試そのものがなくなるのではないかとのうわさがあり不安な日々をすごしたそうです。

上海でもかなり民主化要求運動への支持は広がっていて騒然としていたそうです。
でも高校一年生,二年生はとても楽しい経験をしていたとのこと。
なんでも北京に民主化運動の学生を応援に行くといえば汽車の切符がただになったとのこと。
それを利用して旅行に出掛ける学生が多かったと。ただ3年生は受験待ちのため動きがとれなかったそうです。

汽車の話が本当なら国の機関にも学生を応援する勢力もかなりあったのだろう。要は政治闘争ですね。

(社会人)
 北京の一般庶民も学生を応援支持するムードはかなりあったようで北京の語学学校の先生は当時30才くらいで夫が大学に勤務していたためよく大学に行き,学生たちとも交流があった。

 天安門でのデモが始まると毎日応援に行き,夜食を差し入れするなどして学生たちを寝ずに支援したそうです。6月4日事件の日も現場にいた。彼女いわく,軍隊は発砲したがゴムの弾だったと言ってました。車に轢かれる人などは出たが海外で報道されているような悲惨な現場ではなかったとのこと。

(駐在員)
 当時北京にいた商社駐在員にその話をしてみると。確かに天安門の中ではほとんど死んでいないただ別の地域では沢山死んだと。

駐在員として現場に居合せたかめさんの迫力ある記事もすごいです。

(国有企業財務部長)
 中国通の方なら誰でもしっている有名国有企業を引退した大先輩は当時そこで財務部長をしていました。彼は責任ある立場として正式に学生支持のカンパ金を5万元計上したそうです。
国有企業でそれをできるわけですからかなり広い支持がされていたのでしょう。

 天安門事件は東西冷戦の終焉と共産主義崩壊の流れのなかに位置して鄧小平の決断がなければ今の中国はなかったかも知れないわけで歴史上非常重要な事件であり,こうしていろんなかたがたの話を聞いてみると,海外で思われている以上に共産党中国は崩壊の淵にあったのかもしれません。ひとつ言えるのは当時政府が瓦解していたら今の発展はなかったでしょう。ばらばらで。中国は圧倒的力で君臨する人か組織がないと空中分解しちゃう。

(私)
 私は当時大学一年生。中国には特に興味なし。ただ共産主義の崩壊という歴史に立ち会っているという高揚感はありました。大学に入りたてのころで背伸びしたくもあり,天安門事件を特集した英文雑誌『TIME』を買いました。でも英語が難しすぎてほとんど理解できなかった記憶があります。私はその雑誌で初めて鄧小平がDeng Xiaopingと読むことを知りました。

 89年は昭和の終わった年でもあるしある意味歴史の節目だったのでしょう。
ただ当時の私の頭のなかは、早く彼女ほしいなとか、サッカー止めてテニスにしようかなど世界の激動とは全く関係のないくだらないことだけが占めていました。でも夜飲みに行くと大学一年生のちょっと生意気な思い上がった気分で知識もないのに、共産体制がどうのと中途半端な議論をしたりして。

以上
[PR]

by zhuangyuan | 2005-12-10 19:04 | 文化、歴史 | Comments(10)
2005年 12月 04日

身にしみる言葉 (論語より)

 昨天,我爱人告诉我,
“谁都不理解我的辛苦。真没有自由的时间。这一年一直忍耐下来,但是忍不住,我想辞掉工作。”当然他批评我。

如果我翻译得让大家容易明白这句话的话,就是这样,“你不了解我的辛苦,大部分的家务和照顾孩子的事都靠我。但你感谢的词也没有。你应酬比较多,还有学中文,有自由的时间能提高只自己的能力,反过来我傍晚回家后,照顾孩子以外就是睡觉,没有自己的时间。你去年去中国留学的时期我非常辛苦,你回来以后也我依然很忙。如果你没有多帮助一点的话,我不得不辞掉工作。”

我自己认为,我也为家人尽力而为。每天早想做饭,洗盘子,和孩子玩儿。
但我的评价不高。两个孩子睡觉时没有妈妈就是哭,他睡不觉。礼拜天的白天,午睡时也一样,他们都喜欢妈妈,爸爸没办法。

晚上我烦闷着看书。书的名字叫“汉语力”。
书本里我看到孔子的这个句子,
「不患人之不己之,患不知人也。」(论语 学而第一)

我就明白我要自己努力理解我爱人。

说实在的我看这个句子时,想让老婆看这个句子,让他理解我。
一会儿过去了,我洗澡的时候在澡盆里,我想到“我要患不知也”。



(訳)
 昨日、妻に言われた。
「誰も私の辛さをわかってくれない。本当に自由な時間がないの。この一年ずっと我慢してきたけどもう耐えられない。仕事やめます。」
もちろん私を批判しているのです。

この言葉を皆さんにわかりやすく翻訳するとこうなります。
「あなたは私の苦労がわかっていない。ほとんどの家事や子供の世話は私ばっかり。でもあなたは感謝の言葉一つない。あなたは夜はお客さんで遅いし、中国語教室もある。自由な時間があるし、自分だけ自分を磨いている。逆に私は夕方家に帰って、子供の世話以外は寝るだけ、ほんとに自分の時間がないの。あなたが中国留学の時はほんと辛かった。でも帰ってからも私は依然としてすごく急がしい。もう少し手伝ってくれないと、やめたくないけど仕事をやめるしかないわ。」

私自身は結構やってるつもり。朝食は作るし、皿も洗う、子供とも遊んでる。

夜もやもやしつつ本を読んでいました。その本は「漢語力」といいます。
そこには孔子の言葉でこうありました。
子曰わく、人の己を知らざるを患(うれ)えず。人を知らざるを患(うれ)うるなり。(論語 学而第一)
「他人から理解されないことを悩むな。自分が他人を理解していないことを悩め。」


私は妻を理解することに努めねばならないとわかりました。

実はこの文を読んだときにこう思いました。
妻にこの文を読ませねばならぬ。俺を理解させるために。

しばらくして風呂につかっているとき、ふと気づきました。
私が知らざるを憂う必要があると。

以上
[PR]

by zhuangyuan | 2005-12-04 14:59 | 言葉 | Comments(8)
2005年 12月 03日

チャイニーズ 子だくさん

 世界一の人口大国中国はご存知のとおり、人口抑制策として一人っ子(独生子女)政策を採っていますが、
今読んでる《丰乳肥臀》には、どうやって人口が爆発いてゆくかという見本みたいな家族が描かれています。

この本は語言大学の先生に紹介してもらったのですが
これ一冊読めば中国の近現代史は全てわかるとのことです。
確かに凄まじい農村社会の実態がよくわかります。

以前も書きましたが、主人公は末っ子で9番目。でも長男。
要は男が生まれるまで生みつづけた。

お母ちゃんがめちゃくちゃたくましい。
貧乏を極めているのですが女で一本で育ててゆく。

9人いる子のうち、一番上,大姐は遊撃隊の隊長についてゆき家を出る。
一名減。

減ったのもつかの間、大姐が子供を産んで、母親に預ける。

二姐も地元の名士かつ抗日部隊隊長の4番目の奥さんになって家を出る。
その際に旦那の3番目の奥さんの子(腹違いの子)を母親に預ける。よって人数は減らない。

あまりに貧乏で七姐を西洋人に売る。
今度は四姐が母の薬代のために自ら女郎屋入る。これで二名減の7名。

それもつかの間、三姐が哑巴(口が利けない男)に嫁ぎというかやられ
二人出産。これで9名に逆戻り。

ここで抗日戦争が終わる。

すると大姐と二姐が戻ってくる。しかも二姐は子供を産んで返ってきた。13名。

二姐の旦那の仇敵と結ばれた五姐は旦那とともに追い出される。12名。

五姐が子供を産んでもどり母親に預けようとする。14名。

ここで母親は「いいかげんにしろーてめえらあ~」って感じで大激怒。
“我给你养?我把你的私孩子给你扔到河里喂王八,扔到井里喂蛤蟆,扔到粪里喂苍蝇!”

「あたしがあんたのために養うだって?あんなの私生児なんて河にぶん投げて亀に食わすか、
井戸に落として蛙にやるか、糞のなかで投げ捨てて蝿にくれてやるわあ!」


確かに怒る気持ちはわかります。
こうやって人口が大爆発してきたんでしょうね。

まだ半分も読んでませんがこの先どうなることやら。

 一人っ子政策は中国以外では受けが悪いですがどうにも仕方がないので
採っているのでしょう。

この本を推薦してくれた先生も言ってました。
「俺も9人兄弟だ。それはそれは貧乏だった。何も事情を知らない外国人に批判されたくない。
人口抑制は必要だ。」

日本も以前は随分兄弟が多い人が多かった。
私の祖母は13人兄弟。でも夭逝した子が多かったとか。
祖父は7人。

でもそのころの日本も人口が増えたわりには経済力がなく、
特に農村などでは食うに食えず、満州やアメリカ大陸に移民する人が多かったとか。

ちなみに私は今では珍しい。4人兄弟。
なんとか移民せずに日本でやっていってます。

私は子供が二人ですがもう打ち止めです。

 日本は今年半期ベースで人口が減少しました。
これからは人口が減る時代。将来は移民がくるでしょうね。
フランスのようにならないことを祈ります。

以上
[PR]

by zhuangyuan | 2005-12-03 22:31 | 文化、歴史 | Comments(4)