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2005年 08月 31日

税金

上海駐在員の裏日記に税金ネタが出ていました。

中国はよく法治国家でなく人治国家だと言われますけど、税金なんかも結構コネで
適当に処理されているとか。
徴税も取れるところからとれというスタイルなので日本企業は真面目なので格好のねらい目
らしい。税収が足りないと適当な税を作って徴税に来るらしい。

また税率も高く設定して後から還付制度を設けて還付するスタイルが多い。
増値税という付加価値税なんかもそのスタイル。

こうすると税を取るほうに主導権が付加される。
一度もらっちゃえば強い。
還付するかしないかは政府の役人次第。

自分で稼いだ給料を奥さんの口座に振り込み
お小遣い制にしているのとおんなじです。
主導権は奥さんにある。

そして政策に変更に随ってどんどん還付率が変更される。
法律では還付があるはずなのに全然返ってこないなんてのもザラにあるとか。
こういう国の中で経営していくってホント大変ですよね。

でもこういうのはなにも中国だけではない。
友人でインドネシアの日系企業で役員をしていたのがいましたが
昨年彼が帰国した際におごってもらいました。

なんでも接待費を使いに帰国したとのこと。
ネシアでは法人税が高額で前年の利益をもとにしてその年も法人税をとられ
あとから実際の利益を申告し、少なければ還付されるスタイルらしいのですが
一度払ったら返してもらったことがないとのこと。
だから利益が出たら全部使う。これが鉄則だと。

北京で語学学校の先生に聞きましたがその学校の社長は絶対に
税金は払わないそうです。
なぜなら税金を納めてもそのお金を持って海外に逃げるやつが多いからだそうです。
これはもっと深刻ですね。下記参照
公金流失500億ドル
以上
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by zhuangyuan | 2005-08-31 22:06 | 時事 | Comments(0)
2005年 08月 29日

モンゴル

今日は大阪出張でお昼は中国人の友達と一緒でした。
彼は内モンゴル出身の蒙族で今度国に帰るというので久しぶりに会いました。

彼はモンゴル語も中国語もそして書いたものなら満族の言葉も理解できるそうです。
ただ最近は故郷も漢化が進み、モンゴル語を話す人が少なくなっていることを憂いていました。

内モンゴル自治区といいながら漢民族が90%近くおり、モンゴル族はわずかに300万人強しかいないそうです。
(ちなみにもっと驚いたのは外モンゴルは人口270万人で更に少ない)
こんなに少ないのでは漢化して当然ですがモンゴル族の親も将来の子供の教育や仕事を考えて民族学校に通わせず漢民族の学校に行かせるそうです。

もう少ししたらこの民族は消えてなくなってしまうと悲しげに語っていました。
でも外モンゴルがあるから大丈夫でしょと問い掛けると、
彼らと私たちが同じ民族である感じがあまりしないといいます。
彼らはヨーロッパやロシアの影響を受けていて、文字もロシア語から来ていて
自分は読めない。

また自分たちは漢民族の影響を強くうけており違和感があると。
更に最近は外モンゴルに中国製品があふれ、それが偽物製品ばかりなので
外モンゴル人は中国人をかなり嫌っており、内モンゴル人もその片棒を担ぐ
詐欺師の仲間だと思われているとのこと。
最近は外モンゴルの商店には「中国製品ありません」という看板が多く見られるそうです。

じゃあ私の憧れている狼图腾の世界はもうないのか?と問うと
極わずかしかそうした自然は残っていないとのこと。
またモンゴル族の野性味(狼性)ももう失われてひさしいと。

小説のなかにあった文革以後の漢化よりも清朝時代に行われた
モンゴル族弱体化政策の方がもっと効果があったらしい。

清朝は対モンゴル政策としてモンゴル族の主要宗教ラマ教を保護し
寺を多く立てることで彼らの狼性を削いでいった。

モンゴル族は代々、末っ子に優秀な人材が生まれるらしいが
ラマ教では末っ子は仏門に入り、結婚せず子孫を残せないとのこと。
こうしてゆっくりゆっくり狼性が失われていった。

清朝は満州族の国なのでモンゴル族とは親戚みたいなものですから
モンゴル族の弱点を良く知っていてその力を奪っていったとのこと。

当時モンゴルは衰えたといえども戦闘能力は高く清朝もこれを制圧する
には同数の兵をもってあたらねばならない。
ただ兵を向けると他の地域が不安定になる。
そこで宗教を利用した。一つの寺が千人の兵隊より効果を上げたといわれている。

清朝は満族の国でモンゴル族とは同一系統なので親近感があるかと問うと
恨みの方が強いとのこと。

かれは将来モンゴル語と文化のの教育を再建したいと語っていたが
しかし一人では絶対にできないとも。

以上
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by zhuangyuan | 2005-08-29 21:50 | 文化、歴史 | Comments(0)
2005年 08月 28日

夫の愛?

中華的生活「多少銭?」: 中華夫婦とメンツ昨日こちらのブログを拝見し中国夫の妻に対する献身的な愛と面子の関係を知った。

中国夫は妻が妊娠出産で仕事を一ヶ月も平気で休むし、少し風邪で医者にいくのも会社を休んで付き合い、挙句は未婚の彼女にまで同様の行動をとるとのこと。
それも全ては彼女の面子のためなんだそうです。
内の旦那はこんなに私に献身的♪

そんなんだあ、また面子かよ。
などと土曜日の中国語教室に行きました。
すると先生の話の内容が、まさにこの夫の献身的な愛に関するものでした。

彼女は北京出身、日本歴13年。夫は日本歴12年。
いま旦那さんは日本企業に勤めていて中国に出張しているとのこと。
もう出張一ヶ月になりいつ戻るかわからないとのこと。

ところが今週彼女は日本国内で一週間出張で家をあけることに。
そこで問題4歳の息子の面倒は誰がみるか?
姑さんが一緒なので普通ならおねがいするところだが
彼女はそれでは息子がかわいそうだと思い夫の出張先に電話しました。

「今週出張が入ったから日本に帰ってきて。」
「OKわかった。」

うそマジで?日本の会社でそんなのが許されるの?とおもったが
案の定、日本人の社長さんは
「お前の嫁さんの出張とうちの会社になんの関係があるんだ?」と一蹴。
でもこの旦那さんの正直にストレートに理由を話してしまったとのこと。
ここが文化の違い。許されるわけがない。

うなだれた 様子蔫儿nianr)の夫は
「社長がだめだって、ごめんなさい。」
怒った先生は散々文句をいったが「算了算了。もういいわ」と
夫がさらに社長に食い下がることを期待して電話を切った。

するとこの真面目を絵に描いたような旦那さんは社長に
「良かったです。妻と調整がつきました!」
とこれまたバカ正直に妻のことばを受け取り、報告しました。

すると社長さん
「今週は俺も日本にもどるから、お前も一緒に来い。」

めでたく日本にもどれましたとさ。

さすが日本の社長やることが心憎い。
会社の論理と中国の面子を見事調整しました。

でもこの旦那さんも在日12年で随分に考え方が日本化してます。
会社優先で休みを取れないなんて。

朝にに上記のブログを読んでいた私はいいました。
「旦那さんは先生の面子のためにやっているんでしょ?」
「違います。それは愛です。」

わたくしが彼女の面子をプチ潰し。

以上
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by zhuangyuan | 2005-08-28 17:12 | 生活 | Comments(2)
2005年 08月 27日

Identity

火曜日に中国人の友人と食事しました。

彼は国籍は日本ですが出身は中国吉林省、民族は朝鮮族。
韓国人だったおじいさんが戦前に日本に畑を接収され満州に逃れてきたとのこと。

彼のアイデンティティーは?と問うと、中国だとのこと。
なんだかんだ不満はあるがやはり中共に感謝しているとのこと。
というのも吉林の田舎出身の彼は以前だったら、なんのコネもなく田舎で一生暮らし
父親と同様、教師をしていただろうと。

それが1979年の鄧小平の改革開放以来、コネがなくとも成績がよければ
大都市の大学に入る道が開けたとのこと。
そして北京の大学に合格し、30時間列車に揺られ、北京に辿りついた。

当時はほとんどお金がなかったが
学費、宿舎費はただ。ひたすら勉強に打ち込めたとのこと。

卒業後日本語能力を生かして日本に留学することになる。
ただ当時は今ほど開放が進んでいなかったことと
日本に対する悪感情から友人からはかなりののしられたと。

有几个臭钱,能有什么前途?
汚い金が少しぐらいあったって、なんの前途があるんだ?


しかしどうしても挑戦したいと反対を押し切り留学し、そのまま日本で就職し
ついには日本国籍をとることになった。

彼は毎年故郷に帰るそうですが
いまでも彼の故郷の友人との間では国籍について議論が絶えないそうです。

また自然に囲まれていた故郷が帰郷のたびに、変わりゆくことにさびしさを覚えるそうです。
都市化がすすむとともに人の心の純朴さも失われ、
金が第一という人間がどんどん増えてゆくとのこと。

そんな彼はここまで暮らしてこれたのは中国という国のおかげであるから
将来は必ず恩返しをしたいと語っていた。

以上
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by zhuangyuan | 2005-08-27 10:14 | 生活 | Comments(0)
2005年 08月 26日

阳关

先日の続きでテレサの何日君再来ですが2番の歌詞の始まりにこうあります。

停唱阳关叠tingchangyangguandie (別れ歌を謡うのはやめて)

「中国語で歌おう まるごとテレサ・テン篇」によると
阳关叠というのは送別の歌の代表格で王維の唐詩に由来するとのこと。

王維の唐詩は次のものです。

渭城曲

渭城朝雨邑轻尘,客舍青青柳色新。
劝君更尽一杯酒,西出阳关无故人。


意訳:
渭诚早晨下了一场细雨,路面湿润,尘土不扬。
客店周围青青的杨柳雨后得色泽格外清新。
我们就要分别了,请再喝干这杯离别酒吧,
你往西走出阳关,就不会再有老朋友了。
(学生唐宋詩読本より)

渭诚に早朝小雨がふり、路面がしっとりして、ほこりはたたない。
店の周囲は青々とした雨後の柳が格別に清らかである。
私たちはもうすぐお別れですね、もう一杯別れ酒を飲み干してください。
あなたは西へむかい阳关をでると、もう親しい友人には会えないかもしれませんよ。

私の訳を読むと興ざめしますが
中国語の意味を読んでから3回くらい詩を読んでみると
情景が浮かんできます。

悲しいけれどすがすがしい別れがあります。

もう現代ではこうした深い別れはもう存在しないのでしょう。
「じゃあまた!メールするから。」
どこにいてもつながっちゃうんです。

以上
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by zhuangyuan | 2005-08-26 22:02 | 文化、歴史 | Comments(0)
2005年 08月 24日

干了吧

久しぶりに邓丽君(テレサ・テン)のCDを聞きました。

なぜ久しぶりかというと
私は普段車の中でしか音楽を聴きません。

ただのその車のCDプレーヤーがずっと壊れていたのです。
まず右のスピーカーが聞こえない。
もっとまずいのは「刀郎 2002年的第一场雪」のCDしか聴けない。

2月に刀郎をCDに挿入して以来、他のCDを入れると読み取りが
できずに出てきてしまいます。全く原因不明の毛病にかかってしまいました。

いいかげん毎回聞いていて飽きたので先週新しいCDプレーヤーに入れ替えたのです。

そこで以前よく聴いた邓丽君をひっぱりだし久しぶりに堪能しました。
やっぱりテレサテンはいいですね。

私は中国語学習を始めた際にまず、テレサテンのベスト版を買って繰り返し聞きました。
中国圏でどこでも通じてカラオケに行けば必ずはいっていますから。

ちなみに私がはじめて覚えた中国ソングは月亮代表我的心です。

好きなのは何日君再来
特にいいのは台詞の部分
来来来,喝完了这杯,再说吧!
哎 再喝一杯 干了吧!

さあさあ、これ飲んでからまたお話しましょうよ。♪
ほら、もう一杯あけちゃって。


あんな」色っぽい声で言われるとガンガン飲んじゃいそうです。

テレサテンって別に特別きれいでスタイルがいい訳でもないんですけど。
ほんと魅力ある女性です。

テレサの人生ってホント波乱に満ちてますが
この歌も何度も放送禁止にされるなど波乱に満ちてます。
君と军がjunで同一音のため「軍隊はいつ帰ってくるの」と
日本軍もしくは国民党軍の再来を期待しているなどとイチャモンをつけられたとのこと。

以上
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by zhuangyuan | 2005-08-24 22:10 | 中国関連DVD、本 | Comments(0)
2005年 08月 20日

国民性

先日読み終わった小説「狼图腾」の中に次のような文章がありました。

「魯迅先生が取り上げた中国人の国民性の問題はいまだ解決していない。」

中国人の国民性とは何なのだと疑問を持ちネットで検索してみました。
d0018375_23254183.jpg

鲁迅对中国“国民性”弱点剖析にはかなり強烈なことが書いてありました。

中国人の国民性とは大きく分けて次の三つだと。
“专制者”与“奴才”,“瞒和骗”,“儒家文化”

一つ目は専制者と奴隷。
“临下骄者事上必谄”。

目下の者には傲慢に振舞い、目上の人には媚びへつらう。

二つ目は
“自欺”和“欺人”是同时进行的,前者是麻醉自己不去正视黑暗的现实,以便苟且偷生;后者则是去欺骗他人,以便自己得到好处。


自分を欺き、人をだますということが同時に行われる。
前者は自己を麻痺させて暗黒の現実を直視しないで、自分を偽り生き続ける。
後者は他人をだまし、自分が有利になろうとする。

3つ目は儒教文化。
“中国人的性情总是喜欢调和、折中的。譬如你说,这屋子太暗,须在这里开一个窗,大家定不允许的。但如果你主张拆掉屋顶,他们就会来调和,愿意开窗了。没有更激烈的主张,他们连平和的改革也不肯行。

「中国人の性質は常に妥協と折衷を好む。たとえて言うなら、
部屋が暗くて窓を開けなければならないとき、皆開けることをきっとゆるさない。
しかしもしあなたが屋根を破壊すると主張したら、彼らは妥協し窓を開けるだろう。
強烈な主張がないかぎり、彼らは平和的な改革さえ肯定しない。」

簡単にいうと、現状を改革しない。要は超保守的。

こうした国民性を魯迅は小説で表現し国民性を改造しようとした。
彼は日本で医者をめざして留学していました。
そのとき記録映画を見て、
その中に日本軍に懲罰として処刑される中国人がいました。
その周りでやはり中国人が面白半分に処刑を見物している。
この姿を見てこの国民性を改造するためには文芸によってなすしかないと決断し
医者を断念し小説家になりました。

私も彼の小説を読んだことがなかったので古本屋で岩波の「阿Q正伝」を
ゲットし読んでみました。

最初から作者の意図を理解して読んでみるとかなり強烈。
面子の国中国でこれだけの小説を出版するのは並大抵の勇気と意思なしではできません。

毛沢東も彼を次のように言って賞賛しました。
“鲁迅在中国的价值,据我看要算是中国的第一等圣人,孔子是封建社会的圣人,鲁迅是新中国的圣人。”

私が考えるに魯迅の中国における価値は中国の第一の聖人だ。
孔子が封建時代の聖人なら魯迅は新中国の聖人だ。


魯迅は清朝末期の腐敗した国家と欧米の蹂躙の中で生まれて作品を残しました。
その特別な環境下で書かれた国民性批判です。
こうした国民性は新中国で改造できたのだろうか
私は外国人としてこれを判断するほど中国を理解していません。

どうでもいいけど「阿Q」って「Qちゃん」って意味ですよね。
オバQもこれに影響されて書かれたのかな?


以上
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by zhuangyuan | 2005-08-20 23:26 | 文化、歴史 | Comments(2)
2005年 08月 16日

一衣帯水

8月15日戦後60周年にあたり小泉首相が談話を発表しました。

その中で中国韓国などと日本の間を一衣帯水の間と言っています。

はずかしながらこの言葉、初めて知りました。
この言葉は首相から出てきた言葉だと官僚が語ったと朝日新聞に出てました。
この年代には一般常識として備わっている言葉なんでしょうか。
実際こうした中国成語から来た言葉は以前の方がたくさん使っていたのでしょう。
山田風太郎が21歳の時の日記「戦中派虫けら日記」には牽強付会だとか一瀉千里だとか
普通に使ってました。インテリには違いないけど21歳ですよ。

この一衣帯水の意味をを調べてみると下記のとおり

一衣带水
yī yī dài shuǐ
一条衣带那样狭窄的水。指虽有江河湖海相隔,但距离不远,不足以成为交往的阻碍。

一条の帯びのように狭い水。川、湖、海に隔てられていても距離は近く、
行き交うのに障害とならないことを指す。


大した意味ではないですがただ「近い国」というより重みを感じますね。西尾幹二氏のブログ
小泉首相を言語少量意味希薄と言ってましたがわかる気がします。
(ちなみに私は小泉さん応援してます。)

先ほどの続きですが
私の持っている成語辞典で一衣帯水の例文として下記が記載されていました。

郭沫若 革命春秋 跨着东海
"那市川虽然属于千叶县,但和东京仅一衣带水之隔”
「市川は千葉県ですが東京とはわずか一衣帯水ほどの隔たりしかありません」

典拠の「革命春秋 日本海を股にかけて」 という大物郭沫若からのギャップがある例文で気が抜けました。

話は変わりますが小泉さんってほんとに侮れない人だなと思います。
というのは私は今年は首相は8月15日に参拝すると思い込んでいたのですが
行きませんでした。
そうかと思い当たりました。
国内で強権発動している時に対外でも強気で押し通したら
かなりの専制イメージがつきますから、それを回避したのでしょう。

以上
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by zhuangyuan | 2005-08-16 21:16 | 言葉 | Comments(0)
2005年 08月 15日

靖国神社

今日は神保町の古書街に出かけました。
昼に薬膳カレーで英気を養い、炎天下の街をぶらぶら。

中国専門書店の東方書店でthe shira blogで紹介されていた「中国人と日本人 ホンネの対話」(金谷謙+林思雲 日中出版)を購入。

散策していると警官隊がぞろぞろ。何かと思えば「戦争はんたーい」と叫ぶでデモでした。
一方右翼の凱旋車も多く繰り出していました。
そういえば8月15日だなと。

神保町は九段下のすぐ近くだから靖国にでも行ってみようかとふと思う。
しかし物見遊山で出かけては失礼かなと思い躊躇。

ただ日中間で議論になっており、日本人として知らないのはどうかなと行ってみました。
訪れるのは初めてではありませんが終戦記念日に行くのは初めて。

日よけ帽子をかぶったご老人たちのほかに家族連れも多く見られました。
もちろん右翼のお兄ちゃんもいます。ただなんかシャキっとしないのが多かった。
こんなに大勢の方が参拝しているとはおもいもよらず。

参拝は大行列のためあきらめ、展示館へ。
今年は日露戦争百周年で記念展示がしてありました。

館内で映画上映がありました。
「明治天皇と日露戦争」

2:30スタートで114分。
終わるのが4:30だと保育園のお迎えに間に合わない。
ふと現実に戻る。

ただこういう機会もめったにないので30分だけでもと思い館内へ。
館内が暗くなり映画がスタート。
そういえば曾祖母が自分の父親だか祖父は日露戦争で連隊長で活躍し銅像も建っているといっていたことを思い出す。

出演者と配役のテロップが流れ出す。
するとなんとご先祖様の名前がありました。かなりびっくり。
これは保育園に遅れても見なければならんと決心。

遼陽会戦において陸軍第一軍神、橘少佐とともに戦死してました。
でも配役は書いてあったが字幕がでないためどれが誰だかわかりませんでした。

祖父もそのまた祖父も満州の地で戦ったのでした。
今ごろ知っているようではいかんですね。

祖先を見て安心して映画館を退出し保育園に迎えに行きました。

時間がなかったため展示はほとんど見れませんでしたので
是非また行きたいと思います。

江戸末期からの外国関係年表がずっとならんでおり
当時の国際関係における日本の立場が良くわかります。

以上
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by zhuangyuan | 2005-08-15 20:23 | 文化、歴史 | Comments(4)
2005年 08月 15日

蟻の兵隊

なんか面白い映画ないかなとネットで探していると蟻の兵隊を見つけました。

この映画まだ製作中で上映されていませんが内容が非常に気になりました。

日本敗戦後、中国山西省で日本軍の一部が国民党軍に引き渡され国共内戦を
戦ったそうです。その生き残った兵士を追うドキュメント。是非見たい。

大きな歴史のうねりの中で必死にいきながら歴史に翻弄され
結局忘れ去られる。
こうしたものに再びスポットを当て映像化することは歴史認識に新しい尺度を
あたえることができる有意義な仕事ですね。

ちょっと中国サイトでこの山西の出来事について調べてみました。
上万日军帮蒋打内战被解放军全歼(蒋介石を支援して内戦を戦った一万を超える日本軍が解放軍に殲滅された。)という刺激的な見出しの文を抜粋します。
(何分戦争についての文章で一方の側から書かれた文章なので公正が保たれているかどうか
はわかりません。)
当时,山西的日军第一军有5.9万人,阎锡山既想把这支部队的武器装备据为己有,又想将日军残部收编,以对抗共产党领导的八路军
当時山西には日本軍が5万9千人いて阎锡山はこの部隊の兵器を占有し、日本軍も再編成して八路軍に対抗しようと考えた。
“日军虽然战败了,但素质优秀,希望能留下一部分日军负责保安工作。”

「日本軍は負けたが、素質は良いので一部の軍隊が残って保安を担当してくれ」
と阎锡山は日本軍将軍に言った。
“如果留守人员总数达不到阎长官要求的1.5万人,就将在山西曾犯有杀人、掠夺、强奸等罪行的日军官兵作为战犯判刑,复员回国毫无希望。”
「もし残留する人員が長官の要求する一万五千人に至らないなら、山西で殺人、略奪、強姦などの罪を犯したものは戦犯として裁き、復員の望みはないぞ」と脅し結局一万五千が残留したとのこと。
内战初期,阎锡山狂妄地认为,装备精良的晋军足以对付晋冀鲁豫的共产党军队,并没有让日军直接参战,而是按照“第二战区司令长官合谋社”的计划,让日军更多地参与后勤保障、通讯、训练等工作。
内戦初期、阎锡山は傲慢に次のように思っていた。山西の装備は優秀で各地の共産軍に対峙するには充分であり、日本軍には直接参戦させなくて良い。そして第二戦区司令長官の計画によると日本軍は後方支援、通信、訓練などを行うことになっていた。

しかし結局参戦することになり、
在1948年至1949年的太原战役中,又有大约1100多名日本兵参战,700多人被打死,400余人被俘,至此,阎锡山部队中的日军已基本被解放军全部歼灭。

1948-49年の太原戦役で1100人の日本兵が参戦し700人が志望し、400人が捕虜となった。ここに至り阎锡山部隊の日本軍は解放軍に殲滅された。

(個人的にはここからが怖い。)

对于这些双手沾满中国人民鲜血的被俘日军官兵,解放军却发扬了人道主义精神,把他们送往大同云冈一带的煤矿进行劳动改造,特意安排他们在相对安全的地方“背矿”,并且保证他们能吃饱穿暖,帮他们改造思想。这些日军战俘从心灵深处感受到了解放军的关怀和温暖,他们中的一些人被遣返回国后为中日友好积极奔走,还有一些人留在了中国,希望能用自己的实际行动弥补日本军国主义对中国人民犯下的滔天罪行。

これらの両手が中国人民の鮮血で染まった日本軍の捕虜に対し、解放軍は人道精神を発揮し、彼らを大同云冈一带の炭鉱に送り、労働改造を行い、特別に安全な場所で鉱石運びをさせた。そして食べ物と衣服を保証し、彼らの思想改造を手伝ってあげた。これらの捕虜は解放軍の配慮や温かさに心から感動し、日本返還後も中日友好に積極的に奔走し、またある人は中国に残り、日本軍国主義が中国人民に犯した甚だしい罪を自ら行動することによって補っている。

(事実の列挙だけにしてもらうと興味深く読めるんですけど
抽象的な宣伝っぽいのが入ってくると何かさめちゃいます。)

歴史は後から書かれるものですので敗者の事情など一顧だにされません。
ましてや一人の兵士のことなど。
国民党が勝ってたら日軍義勇軍といて英雄になっていたかも。

以上
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by zhuangyuan | 2005-08-15 10:19 | 文化、歴史 | Comments(2)