中華 状元への道

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カテゴリ:文化、歴史( 187 )


2014年 12月 07日

カレー屋の片隅から世界が見える

近所で評判の南インドレストランで息子(小5)とランチしていますと
インド人母娘と相席になりました。

2人の会話は英語。
ドーサセットがいいんじゃないの?とお母さん。
娘は頷くだけ。
ドリンクは?
首をふる。

「あなた、お母さんが聞いてるんだから、こっち向いてちゃんと返事しなさい!
頷くだけじゃダメ!」

「ふふ、どこの親子も一緒ですね。」と日本語で声をかけてみました。
かわいい娘さんは小学四年生。
習い事のついでにレストランに寄ったと言います。
母娘ともに日本語上手。

「ここに来ると南インドに帰った気がするんです。」
とチェンナイ(マドラス)出身のお母さん。
「インド料理お好きですか?」

「特に南インド料理が好きですよ。今南インド流行ってますよね?」
「通の間ではネ」
お母さん日本語レベル高し。
娘さんの日本語はネイティブ。
帰りに漢字ノート買ってくなんて話してました。

日本に20年いるというので家族間の言葉について聞いてみた。
日本人の旦那さんとは日本語主体。娘さんとはあえて英語だといいます。
母語はタミル語。でも子供は喋れず。三つはムリですと。

英語は必須。故郷の祖父母とのコミュニケーションのため。
自分の孫と話が通じないなんて悲しいですからね。

よく帰るんですか?
年に一度は行くんですけど、自分の育った街には誰もいないんです。
親も引っ越しちゃったし、
友達はみんな海外に出ちゃった。

「同級生の8ー9割が移住しちゃうって想像できますか?
人材の国外流出です。」

同窓会もアメリカ、シンガポール、香港でやるんだって。

という彼女もIT技術者で日本に来てる。
日本に憧れて日本語勉強して日本に派遣されたって。

でも当時憧れてたニッポンと違う国になっちゃいました。
経済もダメだし、若い人は優しくない。日本人も変わっちゃった。

「でもインドも世代間ギャップ大きくなってるでしょ?
インド映画を観ると都市化や海外文化の影響で変わってくインドがえがかれてますよね。
『その名にちなんで』とかね。」

この映画は旦那さんのお気に入りなんですって。

まだまだたくさん話したかったけど、息子がぽつり。
「ねえパパ、もう帰ろうよ。」

以上





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by zhuangyuan | 2014-12-07 09:06 | 文化、歴史 | Comments(0)
2014年 10月 08日

西村京太郎が描く アイヌ、沖縄と出雲を結ぶ線

西村京太郎記念館で先生のお話を聴ける機会がありました。
著作540冊以上、累計発行部数2億冊以上。
超人です。
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十津川警部トラベルミステリーで有名ですが昔は社会派ミステリーも書いていたことを知りました。
この機会を前にいくつか社会派も読んでみました。

「殺人者はオーロラを見た」(1973)
「汚染海域」(1971)

前者はマイノリティ問題、後者は公害問題を扱ってます。

「オーロラ」のほうは題名からは想像できませんがアイヌ問題を扱っています。70年代初めにどの程度のリアリティがあったのか?アイヌの青年がアイヌモシリの復活を目論み、和人から北海道を取り返そうとする。事件を追いかけるものアイヌの血をひく大学教授。

舞台は北海道から沖縄、アジアまで、時代は縄文、古代から現代まで、地球規模の気象現象まで盛り込んだスケールの大きな作品です。アイドル歌手や経営者、政治家までを巻き込んで読者サービスもOK。

私はこういうの大好き。

アイヌは日本列島の先住民だった!?
北海道のみならず沖縄まで。
その痕跡がいまでも地名に残ってるって。

東京にだってありますよ。

日暮里=ヌップリ(山の意味)
五反田=コタン(集落)
信濃町=シ ナイ ノ(大きい谷と水のある土地)

出雲は大和朝廷との戦いに破れたといわれてますが
この出雲族もアイヌだったんじゃないかと。

大国主命(オオクニヌシノミコト)はアイヌの神オオキリムイ、
アイヌ語にはオオクンネヌウシなんて言葉もあるんだって。

島根はシユマネ(岩のあるところ)
出雲はエツモイ(岬のかげの静かな海)

もうこれは間違いない。
そこにも住んでたんです。

いま、その出雲に皇族が嫁ぐ。

じゃあなんでアイヌは出雲や沖縄までわたったの?
それは氷河期があったから。
ツンドラ状態で獲物を求めて南下したって。

でもそんな昔じゃないよ。
日本書紀にもオーロラがでたって記載があるらしい。
でもって題名は「殺人者はオーロラを見た」とつながるわけです。

ミステリーですから
たくさん殺人もおこるし
アリバイトリックだって奇想天外。

若き日の西村京太郎。
熱がこもってます。
もうこれは読むしかないよね。

以上
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by zhuangyuan | 2014-10-08 21:17 | 文化、歴史 | Comments(0)
2014年 10月 05日

台湾「自由広場」のヒミツ

台北に行きました。
朝時間があったので中正紀念堂へ。

こんなにデカいとは。

中正とは蒋介石の本名です。
蒋介石が逝去した1975年に建造を決め、1980年に完成。

日本ですと1980年というと現代という感覚ですが
台湾では一昔。
大陸反攻を胸に亡くなった初代総統を悼み、国威発揚する必要があったんでしょう。

いまや時代は変わり、
台北には中国大陸からの観光客がわんさか。
宿敵のはずの蒋介石の銅像をパシャパシャ。
勝者の余裕か、さすがにツバかける人はいませんでしたね。
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この紀念堂、大陸の人のみならず台湾人にとっても複雑な存在。
そもそも蒋介石だって大陸人だし1949に来たばかりですからよそ者です。
みんながみんな尊敬しているわけではない。

でももって2007年に民進党が政権をとると題字を付け替えちゃった。
『中正紀念堂』が『台湾民主記念館』になっちゃった。

一部抜粋します。
蒋介石は1949年に国民政府とともに台湾にやって来て、1975年に逝去するまで、25年にわたる統治は、一日たりとも台湾住民の同意を経ていません。蒋介石の統治の基盤は、完全に一つの幻の大中国イデオロギーの上に構築されていました。蒋介石は、自身を全中国の統治者であり、台湾は中国の一部であるから、台湾を統治する権利があると認識していました。「大陸反攻」のため、国土を回復するため、台湾は戒厳令を敷いて軍事管理下に置かなければならないと考えていました。蒋介石にしてみれば、台湾は暫定的な足休めの場所であり、ロングステイに過ぎないものでした。今日、われわれが中正紀念堂を台湾民主紀念館に改名したことは、台湾の国民が過去半世紀にわたって自由と民主主義と正義を追求するための犠牲と貢献を明確に伝えるだけでなく、台湾の主体意識を新たに構築する意義があります。台湾はわれわれの母であり、台湾はわれわれの祖国であり、海峡両岸、台湾と中国は、それぞれ別の国なのです。
で面白いことにというか政治の泥臭さというは
国民党が政権に返り咲くと名前がもとに戻っちゃった。

というわけで今は「中正紀念堂」
でもこの文章未だに台北駐日経済文化代表処のHPに残ってる。
政治ってめんどくせ。

ところで変わってないというか
変わったままの看板があります。

今「自由広場」と掲げられているところは
民進党以前は蒋介石の座右の銘「大中至正」とあったそうな。
たしかに蒋介石と自由広場の名前はかなり違和感あり。

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大中至正について面白い文章がありました。
極具諷刺意味;又云,「至正」是元順帝年號,元順帝被朱元璋打敗,失去漢土,亡命朔北,這不是在陳述蔣介石被毛澤東打敗,失去中國大陸,亡命占領地的陳述嗎?馬英九說他選上總統後會把「大中至正」再度掛上,再度顯露他的復辟觀。
極端に風刺的な意味としては、「至正」は元朝順帝時代の年号であり、順帝は朱元璋に破れ、漢の土地を失い、北に逃れた。つまりこれは蒋介石が毛沢東に破れ、中国大陸を失い、占領地に亡命したことを意味しているのではないか?馬英九は総統に選ばれた後に「大中至正」を再度掲げると言った。これは彼の復辟観を露になったのではないか。

で結局、馬英九は「自由広場」を掛け替えなかったわけです。
大陸反攻なんて度胸はなかったわけです。
国民にも日和って自由を残し、大陸にも日和って中途半端。

以上

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by zhuangyuan | 2014-10-05 09:13 | 文化、歴史 | Comments(0)
2014年 09月 28日

ボルネオの地図は誰がひいた?

先日、夏のボルネオ旅行でお世話になった動物博士と食事する機会がありました。
旅行好き、動物好きの強者が集まった会合はエキサイティングでありました。

先生は今度少数民族に関する本も出されるとのことで
ちょっと疑問に思ったことを聞いてみました。

「ボルネオ島はマレーシア領とインドネシア領に別れてますが、
どうしてあんなに小さなブルネイが存在しているんですか?」

「そもそもブルネイ王国が島を治めてました。ボルネオって言葉だってブルネイってことですよ。」

それが19世紀にブルックという白人王朝に領土をとられたそうです。

ブルネイ王国はサラワクで先住民の反乱に手を焼いており、
なんの因果かイギリス人探検家ブルックに鎮圧を頼んだ。
見事勝利したブルックはブルネイ王から藩王に指名されサラワク王国を作る。

詳しくはこちら

これがブルネイにとっての運の尽き。
この白人、領土拡大野心がいっぱいでどんどんブルネイの領土を奪っていったといいます。

白人王朝は3代100年も続き、日本の占領まで続くのです。
ジャングルの中に白人王朝。
なんかロマンがありますね。
でも悪そうだな白人君主。

日本の敗戦後はこのブルックさん王国の宗主権をイギリスに譲渡しちゃいました。


ボルネオ島のマレーシア側には上記のサラワク州ともうひとつサバ州があります。

このサバにも宗主権をめぐる面白いエピソードがあります。
これも先生が教えてくれました。

ボルネオのサバは非常に安全な場所ですが
先日、フィリピンから武装集団がやってきたと。

この集団、スールー王国の末裔を名乗って宗主権を主張するそうです。

「たまにフィリピンからやってくるんですよね。実はマレーシア政府はスールー諸島が属する
フィリピンに毎年お金を払っています。領土の賃借料とも言えます。それをもっと値上げしろって忘れたころにやってくるですよ。」

サバ州ある地域はブルネイ王国とスールー王国が統治してたそうです。

マレーシアは1957年に独立しますが今でも英連邦の一員です。
インドネシアの独立はオランダから。

そんなヨーロッパ人が決めた現在の国境では割り切れない事情はたくさんあるんですよね。

マレーシアにフィリピンの武装勢力とか言われたって
スールー王国民にしたらチャンチャラおかしいぜって感じでしょう。
俺たちはスールーだし、
国境のうちも外も、両方俺らのもんだろてなところ。

以上







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by zhuangyuan | 2014-09-28 21:30 | 文化、歴史 | Comments(0)
2014年 09月 23日

トルコ商人に学ぶ 大げさな売り口上

イスタンブールの街でカレー屋を探していると声をかけられた。

「どこいくの?』
「カレー屋」
「まだ店やってないからうちの店寄ってかない?」

と流暢な日本語のデカい兄ちゃん。
トルコ絨毯屋だという。

時間あったのでついていく。
トルコ絨毯屋の商売上手は有名なので一度体験してみたかった。

「お兄さん、イタリア人みたいね?」
「は?」
「声かけられても怖がらないし、面白いこというし、スタイルいいしね。」

とあげあげ攻撃。

店につくと、さらに日本語のうまいお兄さんが説明に。
日本留学経験ありという。
「買わなくていいから見ていってください。」

一枚の小さなラグが広げられる。

「うちの商品はすべて手作り。女性が一人で編み上げます。」
「トルコ絨毯はペルシャと違ってダブルノットだから手間がかかります。」
「一枚一枚模様が違います。」
「すべての紋様に意味があるんです。これはカソリックとイスラムの融合を表します。」
「中央アジアの遊牧民が各地で独自の織り方を伝えました。」
「染料もすべて自然の植物で、この赤はザクロ、黄色はサフラン・・・、虫が嫌うにおいがあるので、100年たっても虫食いなし。」
「光の加減や向きで色が変わります。」

聞いてる分にはめちゃ楽しい。
ちょっと欲しくなっちゃってる。
こわいこわい。

「もっとみてください。」
と次々、べつの兄ちゃんが持ってくる。
いつのまにか3、4人が待機。

広いスペースに私一人のために
どんどん絨毯が敷き詰められていく。

「説明ありがとう。でも買う気はないからもういいよ。」
「買わなくていいんです。でももっと知ってください。いつか欲しくなったらそのときでいいです。」

「これは100年前のもの、こっちは200年前、これは日本だと100万円、こっちは200万円。」

私の周りの床は絨毯だらけに。

「買わなくていいから好きなの教えてください」

いよいよ佳境に入ってきました。

「これかな?」と一枚をさす。

「去年、高島屋で催事をやったんですけど、そこでは42万円で出しました。今日は特別16万円でいいですよ。」

「そんなの買えないよ」
「カードでもいいですよ。」
「買わない」
「こっちは8万円。どう?」
「高い。」
「高くないですよ。一人が8ヶ月かけて作るんですよ。一日1000円でもいくらになりますか?」
「買いません」
「いくらなら買いますか?売らないけど一応言ってみて」

きりがないので引き上げました。
「楽しかったよ、ありがとう。」

聞きしに勝るトルコ絨毯商人。
100年200年の時を超え、草原を走り回り、科学まで語る。
もちろん商売っけはたっぷりです。
物語が価値を増幅させちゃいます。
お金持ちはぜひ経験したらよいとおもいます。
気の弱い方はお勧めしませんよ。

絨毯屋をあとにして、カレーをたべて、
エジプシャンマーケットでお土産を物色。

ここでもいましたよ大げさなトルコ商人が。
スパイスを砕くグラインダーを買いたかったのですが
お土産用と実用っぽいのの値段がぜんぜん違う。
いい値で3倍違います。

なにがそんなに違うのよ?

「これはトルコのブランドです。クオリティが全く違うよ。50年使えるよ。」
「50年、あり得ない!なんでわかる!」
「ママが今でも使ってるからね。」

なるほど。納得。
100年だったり、50年だったり、大げさだね。

結局7個購入。
もちろん価格はハードネゴ。
一種のゲームですね。

以上
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by zhuangyuan | 2014-09-23 19:57 | 文化、歴史 | Comments(4)
2014年 08月 30日

ソフトイスラムはいい感じ

インスタンブール アタチュルク空港から市内へはタクシー。


「⚪︎⚪︎ホテルは知ってます?」
「OK」

乗り込むとジローラモに似たデカイ兄ちゃんは笑顔で言います。
日焼けした肌に白いシャツ。胸にボタンは開けてます。

「$#%^* ホテル?」

のっけからトルコ語。

Can you speak English?と聞くと

No English! と、きっぱり。

どうやらホテルの詳細を見せろと言っています。

英語の案内を見て諦め、ホテルに電話してくれと、スマートフォンを差し出します。

わたしがプッシュし彼が電話に出てホテルの場所を聞く。

OK。

「シガレット?」と赤のマルボロを差し出す。
「ノー」
「吸えよ兄ちゃん」と言った感じでもう一回。
「サンキュー。灰皿は?」
「ないよ。外に捨てな。」
身振り手振りで。
「ホントに捨てていいの?」
「ノーマル」

後で聞くと、トルコは公共の場では禁煙だといいます。
もちろんタクシーも。
見つかったら罰金だって。

でもイスラムで酒が少ないので
代わりにタバコ人口が多いとか。
街でイスラムのカッコした女性が座りタバコしてるなんて
ソフトイスラムっぽくて良い。

人口の95%以上がムスリムといいますが
かなりライトに見える。
別の機会にカッコいいムスリムお兄ちゃんに聞いてみた。

モスク行ってる?
めったに行かない。

お酒飲む?
飲むよ?

ラマダンの時は?
少なめにね。

断食するの?
ラマダンは1ヶ月だから長すぎ。断食デーを決めてやるよ。

こんな感じがいいよね。
現世も楽しまないと。


タクシーの中のカタコト会話は続きます。

「コリア?」
「ノー、ジャパン」
「グー!」

最近海外でこの会話が多い。
それだけ韓国人ビジネスマンが進出してるってこと。
ジャパンはグーなんだけど、最近元気ないよね。
頑張んないといけません。

市場で客引き兄ちゃんからはチノ?って聞かれることが多い。
昔は「社長さん?」とか声かけたんじゃないの?



ホテルに近づくとジローラモはまた聞いてきます。
何ていうホテルだっけ?
なんだよ覚えてねえのかよ。

そして何度か止まり、道行く人に尋ねます。
「⚪︎⚪︎ホテルってどこ?」

やっとたどり着きました。

適当なあんちゃんだけど、笑顔は最高。
運転はうまい。
ぶっ飛ばしてホテルまで届けてくれました。

最後は握手でお別れ。

Google翻訳アプリで今度はトルコ語会話してみようかな。

以上
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by Zhuangyuan | 2014-08-30 12:40 | 文化、歴史 | Comments(0)
2014年 08月 17日

アルバニア独裁者が予見した中国の今

国会図書館でアルバニア検索してみたら、こんなの出ました。
「アルバニアが見た中国の野望」佐藤優 中央公論 2010年7月号

佐藤優はさすが変人。1986年にロンドンでロシア語研修してる時にエンベル・ホッジャの回想録買ったとあります。エンベル・ホッジャはアルバニアの当時の独裁者です。マニアック。

アルバニアは鎖国してたんですが流石は独裁者、国際情勢への洞察力は深く鋭い。

エンベル・ホッジャはスターリン主義一筋で、修正主義フルシチョフも米国に日和った毛沢東も許さないのです。

1978年に既に今日の中国を見抜いてる。

毛沢東思想は、マルクス主義でなく帝国主義の系譜だ。
世界資本主義と反動の所産である人種主義的な世界観を根底としている。

その人種とは肌の色ではなく、
「大支配人種」と「被差別と平民からなる人種」
そして支配人種は存続されなければならない。

中国が帝国主義になるためには
資本主義基盤を整備し、経済を強化するとともに
核戦力を充実させることが鍵だといいます。

そのためには
アメリカとも組みますよって。
だって一番強いやつだから。

まさに今の中国を言い当ててる。
ソ連とも中国とも、どっぷり組んで、見極めて、日和るやつとはすっぱり離れる気骨の独裁者ならではの見立てだったわけです。

アルバニアは歴史的にビザンチン帝国だとかオスマントルコ、ソ連だとか世界の巨大帝国に振り回されてきましたので
帝国主義の発芽はすぐわかっちゃうんでしょう。

当時アメリカはここまでの中国の野望を見通せなかったんでしょうね。
鄧小平は宣言した上で成し遂げたのですが、ホッジャは裏まで分かってた。

で、その未来を予見した独裁者を擁したアルバニア自体がその後どうなったかは
月末行って見てきます。

以上








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by zhuangyuan | 2014-08-17 11:22 | 文化、歴史 | Comments(0)
2014年 07月 21日

梅棹忠夫はジェームス・ボンド

先日、みんぱくの東京講演会を聴きました。
梅棹忠夫のモンゴル調査をたどる
1944年に梅棹さんが辿った1500キロの調査の旅のノートやスケッチを大公開。
戦時中ですから現地のガードも厳しく、地図なんて持ってたら捕まっちゃう。
スパイじゃないかって。ですから地図はバラバラにして、裏にスケッチ書いて、スケッチのカードに偽装してたって。

まず現地につくと乗馬を習って、語学学習に励んだと。
乗馬っていったってモンゴルですからお上品なものではなく
ワイルドな実用乗馬。

語学は民族学にとって必須だそうで梅棹さんは数多くの言語を習得されたといいます。
しかも一ヶ月で覚えちゃうそうです。
その話は大いに気になって関連本を読んでみました。

実戦・世界言語紀行 (岩波新書)

梅棹 忠夫/岩波書店

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世界中で旅をして世界中の言葉を修得する実践講座です。

一ヶ月習得法を編み出したのはスペインだったといいます。

猛勉強のかいあて、一ヶ月もするとわたしはスペイン語がはなせるようになった。
イギリス人のために通訳までやったと。
その方法とは、まず現地でまなぶことである。
一日に300のあたらしい単語をおぼえることは、すこしもむつかしいことではない。問題は、毎日300のあたらしい事物を発見することである。
一ヶ月もすれば、語彙は3000以上になった。
超人的ですね。

モンゴル語の語彙ってのもかなり面白い。
遊牧民の言葉だから家畜を表す語彙が膨大にあると。
ウマを表すことばにも、色や形で細かく分けて何十種類もあるそうです。

オスもメスもその生殖能力に着目して、さまざまな名称が付けらていると。
人間にはそんな分類して名付けないでくださいね。

その言葉をすべてノートに取るそうです。
またはカードに記載する。
頭の記憶装置は使わず、外部記憶をしておくのだと。
頭もメモリーも相当な容量でしょうけど、インプットが凄まじいから外部も使うということでしょう。

でもそのカード必要なくなるとすべて捨てちゃうそうです。
イタリア調査を終えて、すべてのイタリア語カードを橋の上から投げ捨てる様子が描かれています。
もったいない。

梅棹さんは戦中にチベットもいこうとしたそうです。
ビルマから山越えで入ろうとしたけれど
当時ビルマは日本軍が制圧する前で、戰場を通らねばならない。

そこで考えついた秘策とは飛行機での山越え。
でもチベットには着陸すべき飛行場がない。
なんと湖上に着陸する作戦をたてるのです。

完全にジェームス・ボンドの世界です。
でも誰に言われるわけでなく、ただただ学問的探究心につき動かされてる。

まさに超人ですね。
その梅棹さんの調査一端がみんぱくサイトで見れます。

以上





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by zhuangyuan | 2014-07-21 20:58 | 文化、歴史 | Comments(0)
2014年 07月 14日

世界はブラジルに凝縮される

ワールドカップブラジル2014は南米大陸の新参者、ドイツの優勝で幕を閉じました。

開催地ブラジルについて
読書ブログに書きました。

汗牛充棟 読書ブログ(引っ越しました)
世界はブラジルに凝縮される
↑クリックしてね。

以上

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by zhuangyuan | 2014-07-14 07:32 | 文化、歴史 | Comments(0)
2014年 07月 12日

アメリカの大地をまっしぐらに

先月ロスの郊外でBBQに招かれました。
最近、丘の上に建つ邸宅を購入したという。

「まさにアメリカンドリームですね。」
「いやあ状元さん、メンテもけっこうたいへんですよ。買って半年で家の中でサソリを7匹捕まえましたからね。」

サソリとは!さすがアメリカ!
「この辺は野生動物たくさんいますよ。鷲なんかも飛んでるし、ポッサム多いし、マウンテンライオンもいますよ。」
なんかわくわくしちゃいます。

邸宅のテラスからは海が見えます。
となったら海までいかないと。
で、時間もらって海まで散歩に。
「日差しが強いから水を持ってってくださいね」なんて。

さすが自動車大国、歩道なんてない。
ちかくに見えた海がけっこう遠い。
一本間違えると軌道修正がたいへん。
あせびっしょり。

サボテンのある丘からは住宅が見渡せます。
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海ははてしなく広い。
歩道には「ガラガラヘビに注意!」
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Give them Distance and Respect.
リスペクトってのがいいなあ。

ウサギちゃんもぴょこぴょこ。
ヘビに気をつけてね。

帰りはずっと上り坂です。下りしか考えてなかった。
車ないと住めないな。

BBQには邸宅の主のお兄さん夫婦もいっしょでした。
お兄さんはアメリカ歴40年。
アメリカン・ドリームを夢見て渡ってきたんだろうなあ。
弟さんの邸宅に来て大画面で日本のヤクザ映画観るのが趣味なんですって。

2番目の奥様は60を過ぎてから初めてのアメリカを楽しんでいるという。
「状元さん 時間あるんでしょ? ここの夜景はホントに最高なのよ。」

夕刻になり邸宅を後にし
お兄さまの80年代製だというホンダシビッククーペに乗り込む。

ブィーーーーン。

硬いシートに乗り込むといきなりぶっ飛ばします。
辺りは街灯もない山道で真っ暗け。

ウィンドウはしっかり閉まらずに、風はスースー。

助手席に座る私は遠慮がちにいう。
「安全運転でおねがいします。」

「何言ってんだよ! 俺は毎日ここ走ってんだよ!心配すんな!
おっと危ない!」
前から対向車あり。
心配です。

「もう、あなた子供なんだから、お客さんが怖がってるんだからゆっくり走ってよぉ」
と奥様が助け船。

でも結局スピード大好きのお兄さまは目的地までぶっ飛ばしつづけました。
なんでもモトクロスサイクルで山道を駆けるのが大好きで
先日下り坂で大転倒して頭切っちゃうほどなんですって。

到着したところは
真っ暗な丘の上。
軍事用レーダーがおいてあるという。
辺りには人影なし。
車もなし。

丘から街を見渡すと
平地には街の明かりが広がっています。
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なんだか不思議な気分。
宇宙人が地球になってきて初めて人里を見つけたときはこんな感じかな。
少しけむり加減なのも幻想的でよい。

ホテルへの帰り道も当然ぶっ飛ばしました。
途中、道に動物が倒れており、急ハンドルでさっと避ける。

「ん? 臭いな。今のはスカンクだよ。轢かれたんだね。」

すごいなカルフォルニア。
想像を超えてる。

御年70すぎのお兄さまはホテルまで送ってくれると
さっそうと走り去って行きました。

アメリカで40年。
こうしてまっしぐらに走り続けてきたに違いない。
かっこいい。

以上






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by zhuangyuan | 2014-07-12 10:58 | 文化、歴史 | Comments(0)