中華 状元への道

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カテゴリ:文化、歴史( 188 )


2017年 12月 06日

「火山のめぐみ」とともに

「火山のめぐみ」
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12/2 土曜日、明治大学中野キャンパスまで自転車飛ばしてシンポジウムを聴いてきた。

理工系なのに芸術をやるという不思議な大学院が主催する。司会した管啓次郎さんがおっしゃるこのプログラムには別名がある。PAC=Place, Art, Consciousness 場所、芸術、意識。このシンポジウムは、その名の真骨頂を発揮してる。場所はポリネシアからレイキャビク、霧島連峰からアイヌの地まで。写真、映像、語り、舞踊。神話の世界が意識によって地底から吹き上がる。

 写真家赤阪友昭さんは古事記の話から。稗田阿礼が語った神話は史実かもしれないという。火の神が作った島々は火山噴火の熔岩がもたらした。国つくり後も火山の大爆発は繰り返され文化を埋め尽くし、民族の大移動ももたらした。アラスカ先住民の語り部を日本に呼んだ赤阪さんはいっしょに桜島を訪れ、いにしえの大爆発の話しをする。そこで語り部の記憶が呼び覚まされる。アラスカにカヌーでやってきた民たちはここから来たんだね。文字を持たないアラスカ先住民は民族の記憶を語り部がになう。このお話スケールは8000年。火山が地球を動かしたという万年単位の記憶を現代まで記憶している。爆発と再生の記憶。

 日本で古事記は文字に書かれて外部記憶となった。語り部がいないことで現実とのつながりがうすくなってしまったのではないだろうか。それが地球の裏側の語り部によってふたたびリアルを取り戻したのか?

文字だけでは伝わらないことがある。

 フランス文学者大辻都さんはフラと詩学のお話。フラは、ダンスの動きひとつひとつが詩をあらわしているという。優雅な動きも勇猛な動きもハワイを作った火山をめぐる神話的な詩を含んでいる。ハワイはかつて欧米クリスチャンの世界に組み込まれ、独自文化が衰退する時期があった。洋装フラの写真が印象的だった。しかし今では固有文化が復活しつつある。

 文字でなく踊りに組み込まれたことにより生き残る力がより大きかったのだろうか。

 松田法子さんのレイキャビクに関する話と写真に引きこまれた。火山の国アイスランドは氷の国かと思いきやグリーンが目立つ。熔岩の大地に緑が再生する。森ができて、薪が取れ、暖をとれるようになる。そこに街を作ったのは海の人バイキング。意外にも彼らは都市を作る。レイキャビク、レイキャは煙、ビークは入江。火山が沸かす入江にバイキングは居を構えた。そこはユーラシアプレートと北米プレートの境。アイスランドには大きな割れ目がある。ここで写真スライドは地球の裏側日本へ飛ぶ。奥尻、東北へ。そこの破壊と再生物語。東北大震災の数日後ユーラシアプレートの反対側アイスランドにさらに割れ目ができた。地球はつながっている。

 すぐそこにある再生を映画監督大川景子さんが撮った。熔岩でおおわれた火山島三宅島でイタリアントマトを育てる試みを追う。ドリアン助川さんがニューヨークのメキシコ料理店で食べたというトマトを植えた。育てている農園の方はドリアンさんの熱意に動かされたと語る。1人の意志から再生が始まる。真っ赤な肉厚の実がなった。荒涼とした黒な熔岩の山をバックにブルーのシャツを着たドリアンさんが真紅のトマトを握ってる。この一コマだけで力強い再生の物語が伝わる。トマトを試食した料理店の店長の言葉がささる。何度も火山が爆発してその都度蘇る三宅島に魅力を感じて住んでいる。彼は八丈から来た。そこにはそこの気候にあった文化がある。気候が人と文化を作る。
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 Place, Art, Consciousness 文字だけでは伝わらない世界を確かに受け取った。
私はそれを文字で書いてる。場の共有なしに伝わるかな。まあ自分の備忘録にしておこう。

以上




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by zhuangyuan | 2017-12-06 19:30 | 文化、歴史 | Comments(0)
2017年 07月 15日

チャイナタウンの隠された秘密地下トンネル

米墨西海岸国境の町Tijuana から国境沿いに西へ向かった。荒涼とした岩場を、照りつける日差し下、二時間以上かけて通り抜け目的地Mexicaliにつく。 何もないところをワンウェイの山道が曲がりくねって続くのだが、かつてここは対抗車線もあったそうだ。あまりにも事故が多いためもう1本道路を通したと言う。圧倒的な不毛の地に人間の営みの小ささを思うとともにそこに道を通す意志の偉大さを感じる。
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太陽がきつすぎて人影もまばらな町を通りつつメキシコ人の彼が言う。

「ここMexicaliの名物料理はなんだと思う?」

メキシコ各地には地のものを活かした地元料理があると言うがメヒカリではそれが中華料理だと。

国境の町メヒカリには中国人移民がたくさんいて
その子孫たちが営むチャイナレストランが町に200軒以上あるそうだ。

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華僑が住む世界中の町で人口に対する比率で言うとサンフランシスコに次ぐ大きさだという。

今でこそアメリカとの貿易が多くマキナドーラ(保税加工区)が軒を連ねるこの町も、かつては何もない枯れた土地であったことが周囲の土地の諸相から推測される。そもそもなぜ中国人たちはここに住み着いたのか?こんなにも太陽が照りつける土地に。私が過ごした時は日中華氏107度。(42℃)暑い暑いと嘆いていたら3週間前は51℃だったとお客さんが教えてくれた。

19世紀カルフォルニアに鉄道を引いた時、大量の中国人が人苦として雇われたが、敷設後にはお払い箱となった。そこでその労働力を荒れ地開拓に利用しようとした会社があった。コロラドリバーカンパニーが中国人労働者に利益の5割を配分する条件で綿花を作らせた。その労働者が住み着いたのがメヒカリだという。1930年には労働者3万人に上ったという。

https://sandiegofreepress.org/2015/04/the-chinese-in-mexicali/

一緒に夕食した地元の方曰く、今ここに住む中国人のパスポートは19世紀に発行されたものそのものだという。そのものと言っても理解できないでしょう。1900年代初頭に来た初代が亡くなるとパスポートを息子に譲る。息子は写真を張り替えて使う。そして三代目もしかり。生年月日は例えば1870年と記載があったとしても漢字なので係官は気づかない。遠くから来た中国人のミステリアスなイメージがこんな都市伝説を生み出すのでしょう。バクチ好きの中国人はカジノが禁止されていた時も地下に賭場を作り楽しんでいたと言う。またアメリカとの間に長い壁ができた後は国境向こうまでトンネルを掘り自由に行き来していたと言う。ホントかウソか今も中国人の作ったトンネルツアーが観光プログラムに取り上げられているそうだ。

こんな記述を見つけました。
https://america.cgtn.com/2016/06/08/a-guide-to-the-largest-chinatown-in-mexico-la-chinesca

Less than a century ago, La Chinesca, Mexicali’s Chinatown was made up of a series of underground tunnels and basements under Chinese storefront shops. The Chinese built these underground tunnels to escape Mexicali’s oppressive heat and also to hide from Mexico’s immigration authorities. Historians say because of Mexicali’s proximity to the border, bootleggers also used the tunnels to smuggle alcohol to the U.S. during prohibition. Now, tours are given to commemorate this lost community.


100年足らず前にメヒカリのチャイナタウンは中華風の店の下にあるトンネルと地下室で作られていた。中国人達はメヒカリの強い日差しを避けるため、または移民管理局から逃れるためにトンネルを作った。歴史家が言うにはメヒカリはアメリカ国境に近いため、禁酒法時代に密造酒業者たちもまたトンネルを利用しアメリカにアルコールを密輸した。今ではこの失われたコミュニティーを懐かしむツアーがある。

その土地にその土地の秘密がある。

今もなお発見されていないトンネルがあるんでしょうね。誰が使っているかは問わないことにしよう。

以上



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by zhuangyuan | 2017-07-15 09:02 | 文化、歴史 | Comments(0)
2017年 07月 12日

ロスのオタクはアクティブガイ

Uberは2分でやって来た。

ブルーのTシャツ、赤い短パン、黒髪にレイバンのサングラス。日焼けした肌は笑顔がよく似合う。

プリウスに乗り込むなりドライバーがいう。

"Are you from Japan? Your name sounds like Japanese."

私がうなづくと今度は日本語で続けた。

「ワタシハ オタク デス」

聞き取りにくかったので確かめてみた。

"Do you know what you mean?"
"Yes, I do. I'm a nerd!
I like Japanese animation and games."
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日本大好きのオタクだという彼はつい先日、日本に旅行したらしく、池袋でフクロウカフェに行ったという。

Owl cafeってのはじめはなんのことやらわからりませんでしたが何度か聞き返してやっと理解。

それでもわからない人に一応説明しておきますと、カフェに行くとたくさんフクロウがいる。猫カフェのフクロウ版。

「それじゃあメイドカフェも行ったんだろ?」
Yes, once.
やっぱりオタクならこっちに来ないとね。

日本のアニメソングのコンサートなんかもロスで行くことあるらしい。私のためにカーステレオで日本の歌手をかけてくれた。

LiSA
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すいません。しりません。

彼はお気に入りの漫画もいくつか紹介してくれた。デスノート、鋼の錬金術師 etc.
全部読んだことがありません。

かつてはアメリカで日本人歌手って言ったらスキヤキソングくらいしかなかったのに今ではロスの若者がこっちの知らない日本の世界をディープに知ってる。

"I also have to study Japanese culture."

と言ったのはいいがこれはもはや「日本の」という形容詞をつけてよいのかわからない。ただ世界に漂う無数のコンテンツの中でニッポンというタグがついているだけなんじゃないのか?風土だとか歴史なんかに根ざした共有の背景から出て来たものでなく、私自身はまったくシンパシーを感じない世界です。クールジャパンだか、ようこそニッポンだか知りませんが単純に日本文化としてくくりきれない世界が広がってる。黒人ヒップホップをラストベルトのカントリーおじさんが理解しないのと同じかな?

フラットな世界では細分化が進んでる。

日本の好きなアニメをネットで見て、アニソンをiTunesでダウンロードする。ネットさえつながればいくらでもコンテンツにアクセスできる。そこにはマスで測られたヒットチャートもランキングもない。細かい領域の中での口コミ評価がものをいう。その中のスターは他の世界では知られない。ロスでライブやるアーティストを日本人の私はまったく知らないない。

でも彼は2次元にとどまらずリアルの世界へも出てゆくから面白い。お金貯めたら日本に行ってみる。泊まったのはAirBnBだって。日本の学生がシェアハウスして外国人観光客を泊めているらしい。

片言の英語と日本語で話をして一緒に飲みに行ってラーメン食べる。「ラーメンがハングオーバーに効くってのは知らなかったよ!」それ以来、ロスでも飲んだ後にはカップラーメン食べるって。

彼は言ってた。アメリカ人は内向きでダメだと。外に出ないからアメリカだけが世界だと思ってる。トランプの支持者のこちです。

彼、今度は日本で英語の教師をしたいって。そのために英語教育を学んでる。学業の合間にUberでアルバイト。好きな時に稼げるから学生にあってると。なんかいいよねこういうイマドキ生活。

彼は以前も英語の教師をしたことがあると言う。なんとその仕事場はラオスのビエンチャン。
プエルトリリカンとフィリピーナの間に生まれた彼はクリスチャンの宣教師としてラオスに行った。共産党政権下で大っぴらには布教できずに教会がないので家の中で布教したと言う。英語教師の仕事は時給15ドル。ラオスでは大金です。

今度はちゃんと英語教師の資格を取って日本に向かいたいそうです。

フラットな世界では意思があれば低コストでいろんなことが実現できる。日本でオタクネタ発信するんだろうな。

あっという間に空港に着いた。

出発フロアが混んでたので到着フロアに車を回してくれた。Uberは時間によっては到着フロアへは入れない。到着客待ちもダメ。既得権を守るべくタクシー業界が妨害してるそうです。フラット化を企み、職を奪うエネミーを。アメリカにもあるのねこういう古い体質。でも新しいものが凌駕してゆくんでしょう。新しい勢力はもっと気楽に楽しんで機能を提供してるだけ。

これから行先はメキシコ。
フラットなボーダレス時代にリアルな壁を作ると言ってるその向こう側へ。

以上


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by zhuangyuan | 2017-07-12 13:58 | 文化、歴史 | Comments(0)
2017年 06月 11日

まつろわぬ民の魂を胸に

「まつろわぬ民2017」風煉ダンス@高円寺・座



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出張予定が決まらずに前売券を買えなかったけど、当日券があると知り行ってみた。

こんな最高の舞台を危うく見逃すところでしたよ。私 、白崎映美さんの歌声を聴くとなぜだかこころが疼くのです。


ゴミ屋敷に暮らす老女スエ、開発を目論む女性政治家、解体業者、役所の職員、ワイドショー、

ゴミ山に登る老人と娘カップルが絡み合いナンセンス連発のドタバタが始まります。


人々に捨てられたモノモノモノ、人々にとってゴミでも屋敷の住人にとってはかけがえのないもの。

テレビ、冷蔵庫、電話、こたつ、アイロン、これらものたちがそれぞれ人格を持って、解体作業に対して立ち上がる。

実はこの屋敷は千年前の蝦夷軍団の根城だったのだ。ミカドの支配に従わないまつろわぬ民の末裔なのです。

というかまつろわぬ民そのもの。

千年の時を行ったり来たりする異空間が舞台にあらわれる。

画一化した経済至上主義という錦の御旗を掲げて、合理化という正義で異質なものを排除し、

古いものを捨て、裏側に溜まるものには目をつむる。

そんな体制に反旗をひるがえすまつろわぬ民たち。


ゴミの中には登山老女がかつてお気に入りだったお人形のレイコちゃんもいた。

このおばあちゃんは認知症の兆しあり。レイコちゃんには独眼竜の眼帯がはめられている。

おじさんがいたずらしてマジックで書き足したという。世界が半分見えない。というか見たくない半分を見ないのだ。

その見ていない半分はなんなのだ?

男性に従う古き良き女性像の中で耐えてきた女性自身か?

過去に捨ててきた偽りの自分か?

社会の歯車として押し殺してきた個性か?

安定のために封印した怒りか?

ともかく劇のあいだ中に刺激ある言葉や暗喩がこころにしまったはずの思いを刺激するのです。


蝦夷の一族にはミカドと戦うべく村を後にした若者がいた。彼の名はサンベ。

ゴミ屋敷を解体する若者がそのサンベだとスエがいいだした。息子サンベが帰ってきた。

そしてミカドと改めて戦うのだ。皆は帰ってきたサンベの信憑性を疑う。

でもスエがサンベだと言ったらサンベだと。まつろわぬ民たちもトップに盲従するというブラックユーモアが笑える。

サンベは神話の中だけで生きているファンタジーのはず。であるからこそ皆の魂のよりどころとして機能する。

実際のサンベの行く末は追求しないのが皆の暗黙の了解。

でもサンベが持っていたまつろわぬ魂は誰の胸にも消えずに残っているはず。


ゴミ山解体のクレーンが動き始める様子は見ていられないほど苦しいのです。

権力に自らを委ね力を背景に自ら鉄の塊を振り回す。勢いのままに。その勢いは止められない。

意志がなくなっても惰性は止められない。


私も社会の一員として組織に属しつつもも自らを捨てずに生きている自負はありますが、

白崎映美さんの歌声が響き出すとなぜだか涙が込み上げてくるのです。俺はまつろってるのか?

何かを抑え込んで片目で世界を見てるのかもしれないな。

あるいは、安逸を求めて身をゆだねたい気持ちがどこか奥底にあるのか?


舞台が終わってもしばらくざわざわが止まりませんでした。


ところで白崎映美って名前はエミシとだぶるなあ。




以上



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by zhuangyuan | 2017-06-11 22:57 | 文化、歴史 | Comments(0)
2017年 06月 03日

台湾で知るグローバル化に覆われた先住民問題


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「教会が先住民文化を消滅させた。カナダがローマ法王に謝罪要請」

EVA Airの機内で台湾の新聞を読んでいるとおどろおどろしい見出しにびっくり。


欧州人が新大陸で先住民の土地と文化を奪ったのは今更驚くことではないですが、

トップ会談でこんな話が出てくるということに衝撃を受けました。

カソリックの歴史において革命的といわれるフランシスコ法王だからこそできること。

初の南米出身の法皇は先に南米で行ったカソリックの侵略を謝罪しました。

このショッキングなニュースが日本でどう伝わっているかとググってみると「カナダ首相がローマ法皇と先住民の人権問題で意見交換」なんてぬるい表現でスルーしている。
カナダ首相、法王と会談 先住民の人権問題で意見交換
ちなみにこの記事にも引用されているThe Globe and Mailの記事も読みましたが同じ内容が載ってます。
Trudeau to seek papal apology for residential schools


カナダで何があったのか?この記事から抜粋してみる。




加國政府一八七年代起將近十五萬名原住民兒童強制送入寄宿學校同化,以及當年藉此遂行「文化滅絕」的政策目的


カナダ政府は1870年代から15万人近くの先住民児童を強制的に寄宿学校に送り同化させた。

これは当時文化絶滅の政策目的を遂行した。


他們遠離親生父母、傳統文化與母語,進入加國政府出資的寄宿學校;實際運作多由教會負責,其中又以天主教會為最大勢力,但多數學童遭遇精神、肢體虐待與性侵害,多達六千人命喪校園。

彼らは生みの親、伝統文化や母語から隔離され、カナダ政府出資の寄宿学校に入れられた。実際の運営は教会が行い、そのうちカソリックが最大勢力であり、多くの学童が精神的肉体的虐待、性的干渉を受け、6千人が校内で命を落とした。




こうしたことが行われていたのが1920-80年代がピークで1996年までこのような寄宿学校があったと。現代の出来事ですね。

これについてカナダ首相が謝罪を求めた。台湾の新聞で大きく取り上げられるのは台湾でも先住民問題を抱えるからでしょう。


昨年就任した台湾総統、蔡英文女史は就任早々に先住民に謝罪しました。


「台灣固無史也。荷人啟之,鄭氏作之,清代營之。」這就是典型的漢人史觀。原住民族,早在幾千年前,就在這塊土地上,有豐富的文化和智慧,代代相傳。不過,我們只會用強勢族群的角度來書寫歷史,為此,我代表政府向原住民族道歉。




『「台湾には歴史がなかった。オランダ人がひらいて、鄭成功がつくって、清がこれを経営した」これは典型的な漢族の史観です。先住民族は数千年の昔から、この土地にあり、豊富な文化と智慧を代々引き継いできました。しかし我々はただ優勢な民族の角度からのみ歴史を記してきました。これに対して私は政府を代表して先住民族に謝罪します。』


謝罪した上で政府は「先住民歴史正義と転換した正義委員会」を設置した。

この「轉型正義」=転換した正義=transition of justiceってのがキーワードのようですね。


昨年台南にある国立歴史博物館に家族と行きましたがそこでは台湾では先住民の文化がしっかりと伝えられています。多様性が重視されています。日本で報道されないのは先住民族問題は政府にとって片腹痛い問題なのかもしれません。

台湾の大作映画セデック・バレは日本統治時代に日本文化の押し付けに対して最強といわれるセデック族が蜂起した事件を描いたものです。この映画については以前も書きました。


先住民族問題はグローバル経済の裏側に張り付いている各国が避けて通れない問題です。メキシコとNAFTAに絡む先住民族蜂起はこちら。

冒頭の記事で法王の言葉としてトルドー首相が言っています。


教宗也「提醒我,他終其一生都致力於協助這世界上被邊緣化的人,以及為他們奮鬥


法王も私に気づかせてくれました。彼は一生ずっとこの世界で辺境に追いやられた人々を助け、彼らのために戦ってきたことを。


グローバル経済を語るならそこに息づく先住民族の多様性に目を向けないといけません。

日本への観光客が爆発的に増えていてニッポン大好きなんて言ってくれる知人も多いです。

先日もアメリカのユダヤ系女性がトランプに辟易してニッポンに移り住みたいわなんて言ってましたが

実のところニッポンは外国や異文化に対しての許容度が極端に少ないよとは場が白けるので言えませんでした。


以上






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by zhuangyuan | 2017-06-03 20:56 | 文化、歴史 | Comments(0)
2017年 04月 29日

韓国はいつでも事大主義

韓国ソウル南大門前を歩いていると大きなデモに出くわした。日本でも大きく報じられているパク大統領退陣要求か?でもすでに最高裁の結論は出ているはず。じゃあ一体なんのデモ?警備に駆り出されているイケメン警官に聞いてみた。


「このデモは大統領サポーターのデモですよ」

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デモ隊は何か整然としていて統制がとれている。大きな声を上げるが怒りのトーンはない。たまにスピーカーから明るい音楽まで流れる。太極旗と並び大きな星条旗を掲げている。


市庁舎広場にはテントが張られ大きな布にスローガンが書かれている。大統領弾劾は北朝鮮の陰謀だとかなんとか。


日本では朴槿恵大統領弾劾要求デモしか報じられませんが、考えてみれば当たり前、選挙でえらばれたわけですから支持母体があるわけです。彼も次の大統領を争わなきゃいけない。


支持者は年配者が多く漢江の奇跡前の貧乏時代を知っているそうで親米政策が功を奏したと考えてると。


ふと気づくと通りのはるか向こうにもデモ隊がいる。光化門の方から世宗大路を南下してくる。反大統領デモです。こちらは若者中心。いわゆるキャンドルデモ。


若者たちは富の偏りと就職もできない自分たち世代を憂いている。


通りの北と南で対峙する。

怒りが溢れ出していてもたってもいられず街に繰り出したというより、動員され組織だったデモと感じた。運動会の騎馬戦で戦いの位置につくような感覚。緊迫感ないね。


不思議に思ったのは北と南の配置。ソウルは風水の影響を色濃く受けています。北の山を背に王宮があり、今は景福宮があり光化門から南に向かい世宗路が通る。王様は北から南に向かうのです。非常に良い気の流れがあると言います。ちなみにに日本時代はこの流れを断ち切るように朝鮮総督府ビルがドカンと建てられました。今は撤去されましたけどね。



このデモをみると王が睥睨するはずの北から来るのが反体制派キャンドルデモなんです。南から来るのが大統領側です。違和感あり。野党が勝つのが決まってるからかな。


まあその王宮だって北京の紫禁城にいる皇帝が上であるから現代でいうと北京に支持されている北朝鮮、さらにはそれに先導されているというところの左派が北からってのはありなのか?


妄想はともかく韓国の政治を見ると外国勢力の影響が非常に強いのがみていてつらい。大国に囲まれた半島にあるという不幸ゆえ歴史的に隣国に翻弄されてきた。中国、日本、ロシア、アメリカ。外国の干渉のたびに国内が党派に分かれて対立する。いわゆる事大主義におちいる。権力基盤が変わると以前愛国者であったはずのものが売国奴に変わり、抑圧されていたものが不屈の志士となる。西大門博物館は日本時代の刑務所ですがたくさんの独立の志士がたたえられていました。


最近韓国映画を立て続けに観ました。「お嬢さん」「アシュラ」「哭声 コクソン」どれもが戦う相手お互いがどこか別の大きな勢力に操られてる。当事者は騙したり騙されたりしつつもどちらが正義か判別がつかないうちに消耗してゆく。「コクソン」では山あいの村で奇病が流行り罹患したものが家族虐殺を行う。これは最近村に入った謎の日本人が呪いをかけてるにちがいない。朝鮮伝統の呪術師に退治してもらおう。いやカトリック神父に原因見つけてもらおう。いやもしかしてあの美女が元凶?当事者たちは外に解決を頼み、それを鵜呑みにしてさらに戦い続ける。どんだけ血みどろで死ぬんだよ。韓国の歴史というか運命を物語で暗喩的に示してるんでしょうね。


事大主義の最大の対象はなんといっても中国ですが、この影響から逃れるために漢字をなくしちゃった。これはスーパー不便。表音文字のハングルがありますが漢字語とのセットで韓国語が成り立っているわけで70%を占めるという漢字語もハングルであらわすってのは土台無理がある。漢字なし政策のせいで若者は自分の名前の意味もわからない人が増えているという。基本漢字ですからね。また表意文字である漢字があらわす微妙な意味の違いが音だけで表現されて豊かな感情表現ができなくなってると年配の韓国人の友人は言っています。そもそもハングルは歴史的にはそう重んじられていなかった。政府の文書は漢文だった。ハングル漢字混じり文を教育に取り入れたのは日本時代だそうです。ハングルは世宗大王が14世紀に作りました。その功績で歴史上の英雄といえば世宗なのです。その証拠に光化門前の通りには王宮を背に大きな銅像があります。その前にはもう一人の李舜臣将軍の銅像もあります。秀吉の日本軍を撃退した英雄です。ところが世宗の後の時代にも関わらず碑銘には「忠武公李舜臣将軍像」としっかり漢字で書かれているのです。

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もちろん世宗のほうは「세종대왕」とハングルで書かれてます。


これだって漢字語ですけどね。韓日辞書を検索して漢字語だとがっかりします。覚えようというモチベーションがわかない。これがいつになっても韓国語ができるようにならない理由の一つです。한자어가 진짜 많아요。


以上




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by zhuangyuan | 2017-04-29 08:27 | 文化、歴史 | Comments(2)
2016年 11月 08日

ヒラリーは王家の娘?

バンクーバー空港でローカル紙National Postを手に取ると明日行われる米国大統領選一色です。
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せっかく取材したんだから選挙前に書いとかないとどっちかの記事は御蔵入りになっちゃうからね。 地元カナダと候補者二人の先祖とのゆかりについても書かれていました。

トランプの方はというと

Liquor, women behind Trump family fortune
Grandfather gambled on Yukon gold rush

トランプ家の資産の影に酒と女
ユーコンリバーのゴールドラッシュでひと儲け

センセーショナルですがまあ読まなくても想像できるね。読んだけど、あっそう、って感じ。

ヒラリーのはかなり面白い。

Clinton's Quebec roots
date to New France

クリントンのケベックルーツは
ヌーヴェル フランス時代に遡る

今回出張のお供に「ケベックを知るための54章」ってのを持ってきてましたのでちょうど良かった。ケベック州はフランス語人口が70%で多くはフランス植民地時代の子孫です。今でもフランス語が第一言語。

ヒラリーの家系図をたどってゆくと「王様の娘たち」Filles du Roiまで行きつくという。

Filles du Roi
King's Daughter

というからには華やかな王侯貴族か?

実はその反対で17世紀に自分の意思に反して植民地に送られた娘たちを指すそうです。人口増加策として。

ルイ14世の時代に700人の女子が植民地に花嫁候補として送られた。多くは孤児や捨て子、中には売春婦など、地位の低い出身ばかりであったと。

その中でヒラリーの祖先は特定されている。Jenne Ducorps

彼女たちはしっかりと役割を果たし4,459人の子をなしたという。当時のヌーヴェル・フランスは人口が少なく、彼女たちはMother of nationと呼ばれているそうです。前掲書によると100年後の1760年においてもフランス植民地人口は7-8万人とあるので彼女たちの貢献の大きさがわかる。ちなみにイギリス植民地人口は同時期150万人であったという。

以上のことからフランス植民地に起源を持つケベック人の95%が王の娘たちの子孫だという。

カナダの首相もセリーヌ・ディオンもマドンナもアンジェリーナ・ジョリーもヒラリーの遠い親戚だって。

たった半ページの記事だけど歴史を旅することができました。

でもさ、先祖ってたくさんいるだろうけど、かたや売春宿の親父を選び、一方は建国の母をピックアップして並べて記事にするってのはずいぶん恣意的だね。外国だけどさ。

以上




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by zhuangyuan | 2016-11-08 16:40 | 文化、歴史 | Comments(2)
2016年 08月 14日

映画「湾生回家」 こころのふるさと台湾をおもふ

「灣生回家」という映画が台湾で大ヒットしたのは知っていました。台湾生まれの里帰り。

戦争前に台湾で生まれた日本人が台湾に帰る。そのころ子供だった人たちの故郷への想いと帰郷を綴ったドキュンタリーです。

そんな映画がヒットするのが台湾なんです。


敗戦まで台湾は日本でした。日清戦争で割譲されて以来、自国での人口圧力緩和のために台湾に続々と移民し開拓しました。

戦争で敗れると自らの意思とは別に日本に引き上げていった。その間50年ですから台湾で生まれて育った人たちがたくさんいたわけです。

引揚者の数は48万人。


数字で書くと膨大すぎて物語が浮かびませんが、そのころの子供にとってはふるさと台湾が人生のすべてだったのです。

大人たちの理不尽な戦争によって生まれた地から引き離される。家も友達も遊び場もすべて突然失うのです。

こころのどこかでずっと思い続けた台湾に人生の晩年で帰るひとりひとりを追ったのです。


台湾に出張に行った際、会食の席でこの映画の話になりました。私が観たいと言っていたら後日、本を送ってくれました。


その後、別の機会で再度台湾を訪れた時、ついに観る機会がやってきたのです。

映画を知った時にはすでに上映が終わってましたのでチャンスを待っていました。


その日は結婚式の披露宴に呼ばれており、昼間はフリー。Facebookで隣町の市民ホールで上映があるのを知りました。

市役所庁舎でチケットを配るというので早めに行って券を確保。なんと無料でした。

開演時刻にホールに入るとデカさにびっくり。3階席までありました。しかもすでに2階席までいっぱいです。


こういう映画にこれほどまでの人がつめかけるとは台湾の親日ぶりがうかがえます。

日本時代に教育を受けた方は今ではかなりのお年ですが流暢な日本語を話されますし、友人の伯父さんは今でもNHKしか見ないと言います。

そんな台湾だからこそのホール満員。まあ年配の方が多かったですが学生っぽいひとも結構いました。

親子で来てるケースも。私の席は空いてる席でゆったりと思ったのですが後から来たおばちゃん軍団に囲まれてしまいました。


困るんですよね、おばちゃんたち。だって号泣するんだもん。

鼻をズーズーさせてさ。オレも泣いちゃうじゃんかよお。

3回涙が出ましたよ。おばちゃんのせいで。


ふるさとを思う気持ちってのはここまで強く重いものなのか。

国家とか国籍とか子供にとってはどうでもよくってそこで過ごした幸せな時間とその土地の街並みもしくは山や川。

突然見知らぬ日本につれていかれ、さらにはその国では必ずしも歓迎されない。それどころか排除される。

ただでさえ食糧難のところに400万人が世界中から引き揚げてくる。


疫病の心配もいわれ島に隔離されたと言います。徳島の島には台湾村ができたと本にあります。

そこも一から開拓しなければなりません。でもそこは故郷台湾の花蓮にそっくりだったと。


花蓮出身の湾生松本洽盛さんのエピソードが印象的です。


回到日本後他一看到「牛」,就想到台灣,因為小時候常在牛背上睡覺,
雖然上面有許多蒼蠅飛舞,嗡嗡的聲音很吵,但卻是回到日本最懷念的景象……

日本に戻って牛を見るとすぐに台湾を思い出すんです。小さな頃牛の背でいっつもいねむりしてたからね。蝿が飛び回ってブンブンいってるのにね、それが一番の思い出のシーンなんだよ。


彼は牛に乗って遊んでいたそうですが、彼の牛は牛同士の争いになると無敵の強さで信頼しきっていたそうです。

ある日とうとう負ける日が来た。

彼はショックで家に帰っても涙が止まらなかったといいます。

ぎらぎら照りつける太陽のもと田舎のあぜ道を牛に乗ってゆったり進む少年。

これだけでじわっときちゃいます。この日々は帰らない。

でもね、彼は戻ってサトウキビを食べるんです。想いに耽りながら。


敗戦引き揚げは当然別れもうみます。親子の別れも。

片山清子さんは台湾人の養子として育った。芸妓だった母親は敗戦後も残留したかったが技術がないために引き揚げる。

できるだけ早く我が子を連れに戻ると言い残し、全財産を置いて日本に引き揚げた。

しかし戦後の混乱期、迎えに戻った時にはすでに預けた家はなく、子供と会えずに生涯を終えたのです。

残された清子はいつも嘆いていたとその娘がいう。


「我的母親一直怨嘆著她媽媽為什麼要拋棄她!」
母さんはいつも恨めしく嘆いていました。ママはどうして私を捨てたのって


悲しすぎます。

そして人生の最後を迎える間際に娘と孫が清子の母親の足跡を日本で辿る。

お孫さんは日本語勉強してるんです。一生懸命学習した日本語って感じが胸をうちます。


そしてもっともグッときたのが綺麗なおばさま湾生、家倉多恵子さんのお言葉。

彼女のお父さんは台湾総督府の役人だった。戦火が激しくなり花蓮に疎開した。彼女は焼かれる故郷を丘から見たといいます。

花蓮で敗戦を迎え、日本引き揚げる。台北には帰らずに。

そこは底冷えのする敦賀の寺。その後ずっと台湾を思い続けた。


「原來我是永遠的異邦人,我對台灣的思念是到死都放不下的。」
「私はずうっと自分が異邦人だと感じてたの、台湾への想いは死ぬまで放せませんよ。」


異邦人

感じるんですよ私も。

私は引揚者でもなんでもありませんが海外にいる時に感じる疎外感。

時には東京でもね。

誰でもある感覚なのかな。

子供の頃に自らの意思とは別に急に失った世界。

どこへ行っても異邦人。


11月に岩波ホールで上映決定だと言います。

必見。



以上


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by zhuangyuan | 2016-08-14 20:45 | 文化、歴史 | Comments(2)
2016年 08月 11日

東インド会社のお嬢様が世界を切りとった


先日マーガレット・キャメロン展会に行ってきました。
青い日記帳さんのブロガー内覧会です。
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19世紀のイギリス女性写真家です。私は今回参加するまで知りませんでした。写真が世に出て間もないころにしかも女性が芸術に昇華させている。

このキャメロンさん、48歳から写真はじめて極めちゃった。そもそも写真が身近にあるっていうんだからいいご身分に決まってる。それもそのはずお父様は東インド会社勤務で、自身はカルカッタで生まれたって。日が沈まない帝国ですね。

どうらくではじめた写真に自信がついて美術館に売り込んだって。この自信のほどが半端なくてがすごい。さすがお嬢様って感じ。その手紙も展示されていました。

‘I write to ask you if you will… exhibit at the South Kensington Museum a set of Prints of my late series of Photographs that I intend should electrify you with delight and startle the world’
南ケンジントン美術館に私の最近撮った写真シリーズを飾ってくれないかしら。その作品はね貴方を喜びで痺れさせるわよ。そして世界を驚かす。


どうですこの自信?

時は明治の頃ですから写真なんてとても珍しく、はいポーズどころか、ずううっと止まっていなきゃならない時代。撮る方は箱を抱えて布かぶって。とられる方だって緊張しちゃいます。一生の記念に気合の一枚。

ポートレートも記録用として表情も硬いものがほとんどの中で
彼女の写真は、というか作品はポスターにあるように生気がみなぎってるんですよね。

彼女のスタイルは当時としては奇抜だったそうでどアップだったりボケをあえて入れたりとそれまでの杓子定規なタイプと違います。同時代の他の写真家作品表情も展示がありますので一目瞭然でした。女性を撮った作品が多いのですがどれもがなまめかしい表情をしているのです。でっかい機器で被写体がじっとしていなければならないはずなのに、このリアル感が出せるのは彼女の実力の証しといえるでしょう。ドキっとしちゃいますよ150年の時を超えて見つめられると。何かを私に訴えてくる。
宗教画だったり著名人のスナップだったり色々テーマがありましたが
私が最も気になったのはインドの写真。マドラスの民族を撮ったもの。
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宗主国の貴婦人にカメラを向けられていっさいおもねることなく人生を達観したような眼差し。植民地でのイギリス人は武力、財力で統治したわけですが、インド人のあの表情を見ると、すべての歴史上の欺瞞はお見通しといった感があります。威張っている英国紳士もさぞかし自分の浅はかさを内心で恥じたことでしょう。

他にも吟遊詩人だったりアフリカの皇太子だったり
世界を制覇していた頃のイギリスの力を感じさせるスナップも残してくれています。

インスタが世界中でもてはやされ、高校生や中学生までもが毎日写真を何枚も撮り世界で共有する。
今では当たり前のものが奇異の目で見られ、それが市民権を得ていく。スマホ時代の起源を今観ておくのも一興ですよ。


以上


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by zhuangyuan | 2016-08-11 10:36 | 文化、歴史 | Comments(0)
2016年 08月 06日

ブラジルはやっぱりペレ

Pelè 伝説の誕生」鑑賞


想像を超えるスケールの大きな映画でした。ペレの生い立ちだけでなくブラジルサッカー、そしてサッカーそのものの歴史まで、ともすると大航海時代まで視野に入った壮大な物語と言えます。


正直観るつもりはなかったのですが、その日は2つの街で3つの映画に振られ、帰るのも悲しいのでPelèにしました。


私も小学校から大学までは結構真面目にサッカーやってましたし、今も小学生のコーチだったりしますのでペレの偉大さは知っています。でもね俳優がサッカーして、ペレですって言われてもしっくりくるわけないですし、アニメだって上手くできないのに特撮でも無理でしょって。アニメと言えばキャプテン翼がテレビ初放映した時のショボさはわすれられない。ましてやペレですよ。


しかも今ペレってことはリオ五輪便乗というかプロモの一環でしょうからこの点も期待を下げる要因でした。でもなんでオリンピックでペレなんだよブラジル?サッカーワールドカップ決勝のゲストに王貞治を呼んだNHK並みじゃない。


後日ラジオで知ったのですが、実はこの作品はブラジルワールドカップの前に出来るはずが間に合わなかったのだといいます。なんともブラジルっぽいエピソードです。この映画を観ていればブラジル代表のモチベーションが上がって、ドイツに世紀の大惨敗をすることもなかったかもね。この映画ではブラジル代表が背負ってる歴史的役割を再認識できるから。

その2014のドイツ戦ってのはブラジルサッカー史上に残る惨劇と言われてます。なにせ地元開催で17ですから。でもそれよりも大きな悲劇が1950年にあったんです。マラカナンの悲劇。Maracanaço。ワールドカップ決勝リーグがリオのマラカナンスタジアムで行われ、ウルグアイに負けて優勝を逃したのです。


映画はここから始まる。

1950年のこの試合に負けたブラジルは国全体が沈み込みペレの尊敬する父親も落ち込んで泣いてしまう。じゃあ僕がブラジルを優勝させるって。当時10歳。そこから初めてのワールドカップ出場の17歳までを描きます。


ぼくらはペレ以降のサッカー、ペレ後のブラジルしか知らないのですが、ペレ前の世界、つまり王様なしの時代が当然あったわけです。ブラジルは当時まだワールドカップ優勝していないし、マラカナンで敗れたブラジルの個人技優先のスタイルは酷評されてたんですね。ヨーロッパの組織サッカーが優れていると。そして個人技は封じられる。


ジンガ。

ブラジルサッカー独特のステップ。これを抑えられてた。

このジンガの歴史と開放、爆発がこの映画の肝です。


ブラジルは移民国家で他民族混合ですが、多くはアフリカから奴隷として連れてこられた。なかには白人に抵抗し逃亡し山にこもって武装した人たちがいました。いわゆるマルーンです。Maroon。彼らは格闘技も習得し、そのアフリカ由来のカポエイラからジンガが生まれたと。そのステップがブラジルサッカーの魂なのです。


それを欧州サッカースタイルに勝つために封じられる。

でもね、17歳のペレは違うんですよ。ファベーラで育った黒人ですからね。

ジンガを爆発させて大活躍するんです。賢い組織されたサッカーを歴史が宿ったジンガサッカーが打ち破る。世界の歴史を反転させるような意義があったんです。ペレ以前はブラジルサッカーにおいても白人優位だったとは全く知りませんでした。


映画を観る前に、自分よりずうっと若いコーチにメッシとマラドーナはどっちが実力が上だと思うかと聞かれたことがあります。マラドーナの方がずっと好きだがチームのシステムの中で機能するという意味でメッシが上なんだろうねと答えました。この質問は常に繰り返され、ペレとマラドーナ、ペレとクライフなんてみんなが比べたことでしょう。正直言ってペレのプレーを今みるとピンとこないんです。というか理解できていなかった。速い、柔らかい、強い、高い。だけどサッカーのシステムとしてどうなの?って。でもねここが映画の肝だったんですよ。ブラジルはこうじゃなきゃいけない。ロナウジーニョなんかまさに血を引いてますよね。


いやあ面白かった。

で今リオ五輪がまさに始まるのですが

ブラジルはペレなんですよ。

なんといっても。


自慢しますが私ペレの足触ったことありますよ。リアルに。


以上





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by zhuangyuan | 2016-08-06 09:31 | 文化、歴史 | Comments(0)