2007年 06月 16日
先週の土曜日、長野県立歴史館で開催された「伊藤長七アーカイブス」記念フォーラムに参加しました。 誰それ?ってかたがほとんどだと思いますが それもそのはず私の曽祖父です。 大正から昭和初期にかけての教育者でした。 府立五中(現小石川高校)の初代校長です。 権威と伝統を重んじるそれまでの教育観念を打ち破り、立志、開拓、創作を掲げ 世界に羽ばたく日本人を輩出すべく尽力しました。 大正デモクラシーといわれた時代に自由主義教育の黎明期に活躍したそうです。 長野県出身なのですが若いころにはそれまでに教育界の権威主義と相容れず いくつもの学校から放逐されてます。 ただその活動と実践を重んじた教育が生徒たちを感動させたらしく当時の同級会 がその教育を受けた世代が亡くなった今まで遺族会として継続しています。 破天荒な人生で面白いエピソードが沢山あります。 例を挙げます。 教育視察出張で米国を訪れた際には予定になかった国務卿との面談に成功し あげくは時の大統領ハーディングにも単独会見してしまうのです。 なんでこんなことができちゃったのかと申しますと この出張は米国だけでなく欧州も回ったのですが 出発にさいし、真の国際交流を目指し、日本で少年少女から海外の少年少女宛の 英文手紙を募り、なんと一万数千通もの手紙を持参したのです。 アメリカには4千通をもって行き、国際交流につとめたことを国務卿に話すと その情熱に感動してくれて大統領へつないでくれたそうです。 また別の機会に文部省の命で国際教育会議とやらに出席するためにカナダに10日間の出張に出かけました。 ところがそのまま帰国せず帰国の船を間違えたと称してブラジルに渡ってしまいます。 そしてブラジルの教育事情を視察して3ヶ月後に帰国したのです。 文部省の命で出張してしかも日本で高校の校長という職がありながら勝手に 3ヶ月も飛び回ってしまうのです。ブラジル移民の町 この話は小さいころによく祖父から聞かされたお気に入りの話でした。 曽祖父は日系移民のための学校設立が夢だったようです。 祖父は80歳を過ぎてからブラジルに出かけ父親の足跡をたどりました。 帰国後現地の新聞に載ったぞと嬉しそうに話してくれました。 今回のフォーラムは祖父が大切に保管していた曽祖父に関する資料を 歴史館に納めるにあたり小石川高校同窓会や諏訪清陵高校OB会が中心となり フォーラムを企画していただきました。 諏訪清陵高校は曽祖父が日本一長いといわれる校歌を作詞した縁があります。 フォーラムでは長七の伝記寒水 伊藤長七伝 / 鳥影社 を書いていただいた矢崎秀彦氏の対談もありました。 矢崎氏は御歳91歳。今回納められた2000点以上の資料は満足に目を触れることが 出来ずに執筆したとのことで、公開された資料をもとにもう一冊書くぞーとおっしゃっていました。 私の祖父も伝記執筆を志していたようですが果たせずに10年前に92歳でなくなりました。 こちらのご本は2002年に発行された際に頂いておりましたが 恥ずかしながら今回初めて通読いたしました。 本書で私が興味をもったのはやはり中国に関することです。 長七は朝日新聞に連載した「現代教育観」という著作がありますが 本伝記にこんな文章が引用されています。 明治の教育史上特筆すべき一恨事は、隣国支那の学生を待遇せし 日露戦争後は清国留学生が大挙に日本に留学しますが 当時の日本は受け入れ態勢がならず、国民も馬鹿にしたような態度をとっていたとのこと。 これでは米国の排日思想を批判できないとしています。 以前にもこのような彼の主張を紹介したことがあります。国際人 アジア人 これから戦争の時代を経て現在につながるわけですが 日中のこじれの根はこんなところにもつながっているのでしょう。 明治維新で欧米から多くを学んだ日本にも関わらず 新しく発展を目指す若人を狭隘な精神で迎えたのです。 恥ずかしいことです。 この文章を書いたのは1912年ですから辛亥革命の直後です。 清の変革を目指す熱き若者たちが沢山日本にいたはずです。 彼は満州や朝鮮、台湾、南支那なども教育視察に訪れていますが こんな手紙も引用されています。 南支那は只今国民党の政府勃興の新舞台になっておりますので ただこの具体的内容は当伝記にはあまり触れられていません。 国家黎明期の激動の一ページ。気になって仕方がない 私が資料を調べてみようかな。老後に。 歴史上偉人は星の数をほどいますでしょうけど そのほとんどは資料が残らず現代ではすっかり忘れ去られてしまっているでしょう。 私の曽祖父は立派な教育者であったと信じておりますが 時代の移り変わりと共に直接影響を受けた世代がいなくなり 人物像も影響も風化していくものだと思います。 直系のひ孫である私でさえ祖父の言葉からの知識しかありませんでした。 私が次世代に語るには知識と情熱が足りませんでした。 今回関係の皆様が情熱を持ってこのフォーラムを開催していただき あらためて曽祖父を知り、再度興味を持つことができました。 歴史に名を残すには言葉を残し、その言葉が資料として保存されなければなりません。 こうして埋もれていた資料を歴史館に納め公開できるということは 次世代の人の目にも触れる可能性が出来たということです。 ご尽力いただいた皆様に感謝いたします。 以上
by zhuangyuan
| 2007-06-16 23:14
| 文化、歴史
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