中華 状元への道

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2005年 05月 07日

少数民族

昨日初めて習った先生は吉林省出身の朝鮮族(人口192万人)。ただし母方は漢族。

彼女は中学校までは民族学校に通っていたとのこと。
民族学校では基本的に朝鮮語で授業が行われ、小学校2年生から漢語をならうとのこと。
ただし一日一時間の授業しかなかったため一般漢族に比べ国語能力が劣るらしい。

特に古文がだめだとのこと。漢族の学校では小学校一年生から古文の授業がはじまり、
故事成語や唐詩宋詩などを叩き込まれます。よって一般の中国人は会話の中にポンポン古文知識を要する言葉を繰り出していきます。

彼女は読み書きでは問題ないが会話に自然と古文を出すことができないとのこと。
普通の会話は全く問題ないので普段は少数民族であることは意識されないが自分としてはかなり言語能力の差を感じているそうです。

こうした状況は政府も認識しており、大学の全国共通試験では少数民族優遇として20点加点されるとのこと。

中国は子供でも意味はわからずも詩の暗誦などができます。
この部分は30歳過ぎで中国語をはじめた自分には到底到達できない部分ですね。

以前再見という映画を見ていたら里親を探す子がが自分が利口であることをアピールするため詩の暗誦をしていました。
(この映画かなりなけます。私は飛行機の中で座席のモニターでもいて一人で泣いてしまい恥ずかしかったです)


以上




清代初期に満州人が中国を征服すると、彼らは大挙して中国本土に移住し、また清朝は満州を祖先の地として漢族の移民を禁止したので、清代を通じて満州は人口希薄地帯となった。一方、この時代の朝鮮では農村が疲弊して逃散する農民が多く、これらの窮乏農民が次第に豆満江(中国では図們江)を越えて満州に入り込み、焼畑などを行うとともに、野生の朝鮮人参の採集などに従事した。その数は時代が下るにつれて増加し、清朝と朝鮮の国境紛争も発生した。朝鮮では豆満江を越えた朝鮮人居住地を間島(カンド)と呼び、鴨緑江を越えた朝鮮人居住地を西間島(ソカンド)と呼んだ。清領への朝鮮人の流入はとくに1860年代に朝鮮半島北部で起こった大凶作と、1885年の満州への移民禁止の撤廃をきっかけに爆発的に増加した。

近代になって朝鮮が日本の植民地になると、土地を失った朝鮮農民がさらに満州に流亡し、1932年に日本の影響下で満州国が成立すると、日本の移民政策もあって新天地を求めて満州国に渡る朝鮮人が激増した。この時は間島地区だけに限らず、満州全域に様々な職業の朝鮮人が拡散した。満州国の朝鮮人人口は一説に300万人とも言われる。満州国の崩壊と朝鮮の解放によって多くの朝鮮人が帰国したが、約100万人が中国内に残留し、これが今日の朝鮮族の起源となった。

中華人民共和国が成立すると中国共産党は1952年、民族区域自治実施要綱を発表し、55の国内少数民族に自治権を付与した。これに伴い吉林省南部に延辺朝鮮族自治区が誕生し、1955年には延辺朝鮮族自治州と改名された。自治州の州長は朝鮮族である。首府延吉には朝鮮族のための高等教育機関である延辺大学も設置されている
(WEKIPEDIAより)
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by zhuangyuan | 2005-05-07 06:30 | 文化、歴史 | Comments(0)


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