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中華 状元への道

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2006年 11月 30日

たかが辮髪 されど辮髪

清朝といえば辮髪です。
なんか昔の中国人のイメージっていうとあの髪型が思い浮かびます。
「キン肉まん」に出てきたラーメンマンのあれです。
たかが辮髪 されど辮髪_d0018375_21345651.jpg

余談ですが私が子どものころクラスにポニーテールの三つ編みをした女生徒がおり
私が彼女を「ラーメンマン」命名したことが保護者会で問題となり、えらく怒られた記憶があります。

それはさておき古来、中国人にとって髪型っていうのは、そう簡単な話ではなく
髪型を変えるのは自分の思想信条を曲げるようなことらしく
清朝の始まりの時も終わりのときもさまざまなドラマが生まれたそうです。

日本なんかは髷を結っていた江戸から明治維新にかけて
欧米文化の流入で簡単にころっと変わっちゃたようですが中国は大変です。

清朝は満州族の王朝で北から流入してくると辮髪を漢族にも強要したのですが
留头不留发,留发不留头
頭を残せば髪が残らず、髪を残せば頭が残らず


つまり辮髪にしなければ首をちょん切られるといった状況だったそうです。

前に飛行機で見た鄭成功の映画でも満族の勢力が優勢になればなるほど
辮髪が増えていき、味方だと思っていた漢族の軍隊が実は清に下っており
兜をとったら全員辮髪だったというショッキングな場面がありました。

魯迅の头发的故事(髪の話)の台詞にはこうあります。
“我们讲革命的时候,大谈什么扬州三日,嘉定屠城,其实也不过一种手段
;老实说:那时中国人的反抗,何尝因为亡国,只是因为拖辫子。

我々が革命を語る際、揚州十日やら嘉定虐殺やらを論じるが、実際それは一種の手段に過ぎない。
率直に言えば、当時の中国人の反抗は、亡国が嫌なのでなく、辮髪をたらすのがいやだっただけさ。


辮髪たらすのを拒否して虐殺されたんじゃたまりまりません。

太平天国の乱が起こると
辮髪だと太平天国の軍にやっつけられ、長髪にすると清の役人にやっつけられるという
大変な状況だったとのこと。

清朝末期になると今度は辮髪が完全に定着しており
辮髪をきったら今度は危険分子とみなされてしまう。

革命勢力が優勢になると今度は皆がチョキチョキ。
人間の心理ってのは難しいですねえ。

こんなことを書いていましたら私の中学校時代の头发的故事を思い出しました。

私は中学時代サッカー部でしたが、先輩たちは皆、かっこいい髪型をしていました。
野球部とバレー部は全員坊主、でもサッカー部は髪型自由で先輩たちはけっこう女の子にもててました。
男でもドライヤーでかっこよく決めるってのが始まりだしたころだと思います。

先輩たちの最後の大会の時、顧問の先生が言いました。
「お前ら区大会で3位に入んなければ、みんな坊主だ!」
先輩たちは女の子にもてるために一番大事な髪型を壊されるのが怖いので
かなり頑張りました。
でも結局3位になれず、みんなホントに坊主になりました。
学校で皆で集まってひとりづつバリカンで刈られました。
練習をさぼりがちな部員はモヒカン刈りにされ校庭を走らされました。
もちろん私も坊主。一厘刈り。道で近所のガキからマルコメ!と呼びかけられました。

でなんだかそれが毎年の恒例になり
私の代になり、例のごとく3位に入れず、再度坊主になることになりました。
すると大変な事態になりました。
先輩たち以上に髪型を大事にしていた軟派な後輩君たちが坊主が嫌で集団で退部してしまったんです。

結局十何人いた後輩たちがどんどんやめて
私の弟とあと一人だけになってしまったんです。
で部員が11人を切り、試合を出来ない事態になってしまいました。

最初は強気だった顧問もさすがにやばいと感じたらしく
キャプテンだった私を職員室に呼び、全員を呼び戻すように依頼しました。
ただし顧問が言ったとは言うなと。

で私、皆戻らせました。当然のことながら坊主の習慣はなくなりました。
なんて軟弱な野郎どもだと私内心では思っておりました。
でも何の因果か翌年、かっこいい頭をした後輩諸君は区民大会で3位になったのです。
時代は代わって行くのです。

以上

by zhuangyuan | 2006-11-30 22:33 | 文化、歴史


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