2006年 11月 19日

科挙

先日mixiの中で中国について勉強する本を推薦している書き込みがあり
その中で余秋雨というエッセイストの本を紹介していました。ただ日本で出版している彼の本はどれも高鋳物でした。そこでネットで検索して探して見ました。
便利な世の中です。簡単に見つかったのでいくつか読んでみました。

十万进士(十万進士)
進士とは科挙試験に合格した人のことです。先日書いたいい女、魚玄機がうらやましげに見つめていた合格者です。

私もzhuanyuan(状元)とか名乗っていながら、科挙については特に詳しいわけでもないので
いい機会でした。ちなみに状元は進士の中のナンバーワン。

 中国ではアヘン戦争から日中戦争終結までを屈辱の100年と呼ぶらしいのですが
20世紀の初頭の憂国の志士たちが、当時の清国の停滞のもっとも大きな原因としてあげて
いたのが人材の不足であり、この官吏登用システムとしての科挙試験の弊害だったそうです。

1300年も続いたこのシステムが時代の変化に対応できず機能しなくなっていた。
どうしてそうなっちゃったのか?

人材登用システムとしては非常に平等で公正。だれにでもチャンスがある。
親戚や同郷などの縁故者がはばかる風潮を断ち切り
広く全国から優秀な人材を選抜した。

でも続けていくうちにどんどん難しくなり、それと共に権威もついてくる。
挙句は官吏として国を導くことよりも、科挙自体を突破することが人生の目標になってしまう。

中にはずっとチャレンジし続けて老人になっても合格できない。
50才なら若いみたい。五十少进士。
でも引くに引けないなんてのが沢山いたそうです。

地方の秀才がチャレンジぞろぞろチャレンジしに首都にやって来るのですが
田舎の代表として地方の期待を全身で背負って出てくるわけですが
そんなに簡単には合格できない。でも合格できないと故郷に顔向けできなくて帰れないそうです。

ましてやその浪人中の秀才の家族は故郷でも周囲に合わす顔がないくらい気まずいそうです。
文章に面白い例が載っていました。

 ある地方で将軍の娘が秀才に嫁いだのですが、この秀才は都に出て科挙にチャレンジするもののなかなか合格できない。
地方の有力者である将軍家ですらこのことが気まずかったとのこと。
 ある日、将軍家は一家総出で新年会に出席したのですが、その際、その嫁に行った娘も
宴会に参加しました。ただその娘の夫が科挙に合格できないことを恥ずかしく思い
娘の座る席の周りには幕が張られ彼女を隠していたそうです。かいわいそー。

宴会正在进行,突然一匹快马驰来,报告赵琮得中科举的消息,于是将赵琮妻子棚座前的帷障撤去,
把她搀出来与大家同席而坐,还为她妆扮,而席间的她,已经容光焕发。


宴会が行われていいると、突然一匹の早馬がやって来て、赵琮が科挙に合格したとの報告をした。
すると赵琮の妻の席にある幕が取り払われ、彼女が出てくるのを手助けし、皆と共に座らせ
彼女に化粧を施した。席に座る彼女も、すでに血色が良くなり顔が輝いていた。


めでたしめでたし。

私なら今までそんな目にあわせてくれた周囲のの奴に仕返ししたくなっちゃいますけど
この時代はこんな雰囲気は当たり前だったのかもしれません。

家族の境遇がこんな感じで一変しちゃうんですから
もし合格したら本人は有頂天になるのも当然でしょう。

結婚もせず苦学の末の合格者は浮かれてこんな要求を知事に送りつけた人もいたそうです。
我有两件事求您,一是希望您在今年之内为我找一个女人,二是希望您在明年之内为我找一个官职。

二つお願いがあります。今年中に嫁を一人見つけてください。二つ来年には官職を見つけてください。


ともかく長年の苦労の末、やっと合格するわけですが
その勉強といったって古代書物の暗記がほとんどですから
本当の政治にどれだけ役立つかわからない。
しかも長年の苦学の最中は世間との接触がほとんどないわけですから
そんな人が政治をしたってうまくいくわけがない。
こうして科挙はどんどん形骸化していったそうな。

この人材選抜ってのは人類永遠の課題ですね。
日本でも司法試験とかがむずかしすぎるとか言って門戸を広げてますが
今後どうなることやら。

受験戦争についても批判が多くゆとり教育なんて導入して
これも数年で学力低下してやり直し。

日本の受験もウルトラクイズだとか青色ダイオードのおっちゃんに批判されて
もっと創造的な自由な発想を育てるべきだとか言われてますが
そんな創造する力なんか持ってる人はごく少数ですから
あるていどの基礎学力の鍛錬は必要でしょう。
その上で本当に自由な発想が出来る人はその枠を打ち破ることができるでしょう。

東大の官僚が国をだめにしたとかよくいわれてますが
おぼっちゃまの三世議員の首相が国をよく出来るとも思えませんけど。
安倍さんなんかは科挙の時代だったら全然だめでしょうね。

でももしかしたら皇帝の一族で科挙なんかなくても
外戚として苦労もせずに国政に関与してたりして。

私の場合は外戚でもないし
科挙もちょっと無理そうだし
すると残る一つの道は、ナニを切るしかないのかな。いたそー。
やっぱり科挙にしよう。
ということで状元への道今後ともご愛顧願います。


以上
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by zhuangyuan | 2006-11-19 17:03 | 文化、歴史 | Comments(0)


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