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中華 状元への道

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2006年 05月 27日

「西太后」と現代中国

西太后―大清帝国最後の光芒
加藤 徹 / 中央公論新社
読了。

先日ご紹介した「漢文力」の著者、加藤徹氏の近著です。
中国の本って結構見かたに偏りがありがちで褒め称えたり、バッシングしたりいろいろですが
この方の本はバランスがとれてて読んでて気持ちがいい。
いろんなエピソードや風説も交えて読んでてあきさせません。
さらに学者さんにありがちな、まどろっこしさがなく、
ざっくばらんに話してくれるような感覚があります。

西太后といえば現代中国においては
近代中国100年の屈辱の歴史を作った諸悪の根源で評価は最悪です。
まあ彼女自身がどんな人物だったかはともかく
なぜ1人の女性が48年もの長いあいだ、衰退しつつあったとはいえ
まだ超大国であった大清帝国随一の権力者足りえたのか?
やはり歴史的に皇帝が君臨した中国は皇帝がカリスマ足り得ない時にも
カリスマを必要としてそれにたまたま選ばれたのが西太后だったんでしょう。

だって最初に権力を握ったとされるのが27歳ですって。
夫の咸豊帝が死んで実子の同治帝が即位したときです。
27歳っていったら数え年でしょうから、
この前千葉の選挙で勝った民主党のキャバクラ議員と一緒ですよ。
いくらなんでも自分の力では権力とれないでしょ。
周りで利用した奴らがたくさんいたはずです。

それにしても西太后、後宮に入ったのも選秀女というオーディションあがりなんです。
満州族のなかから美女、才女が集められて皇帝のお后探しです。
まさにシンデレラストーリー。当時18歳。
ミスコンで一位になったみたいなものです。
でも厳密には第4位当選。子供を産んで2位まで上昇。皇后はただ1人です。(東太后)
(ちなみに中国では西より東の方が上です。東の横綱が正横綱であるのと同じ論理です。)

27歳で権力を握ってから48年間ずっと大清帝国の中心でありつづけるのです。
今みたいにネットで情報が得られるわけでもないのですから
いったいどうやって統治したんでしょう。

まあ彼女の能力がどうあれ彼女がトップだった時期はほんとに激動の時代でした。
著者の話で面白いのはこの時期の大きな出来事は現代中国に投射されているんですって。
曰く西太后時代は現代中国のパイロットプラント。

洋務運動は今の経済発展、義和団の乱は文化大革命、変法新政は改革開放の
パイロットプラントだと。

特に洋務運動についての記述は面白かった。
阿片戦争に負けたあと1860年代から西洋文明を取り入れ急速に発展します。
そのスピードは明治維新をしのぐほどだったと。
キャッチフレーズは和魂洋才ならぬ中体西用。
“中学为体,西学为用”,希望利用先进的技术维护封建统治,改革不触动封建制度,被认为是失败的根本原因。(中文wikipedia)

「中国の伝統的な学術を基礎として西洋の学問を用いる」つまり先進技術を利用して封建体制を
維持し、封建制度の改革には手を触れない。このことが失敗の原因とみなされている。

権力維持のために西洋技術を取り入れたのです。明治の日本は旧幕府は倒れたjoあとで
新政府はなんのためらいもなく西洋技術を受け入れたが清国はそうではなかった。
日清戦争の時の清国海軍はセーラー服に辮髪だったんですって。
悪趣味な三つ編みお下げの女子高校生に扮したオカマチャンのようです。

この封建制度のところを社会主義と入れ替えるとなんか現代と符合します。
社会主義市場経済。
社会主義を基礎として市場経済を推し進める。

この洋務運動は約30年で終わりました。
いまの改革開放は1978に始まりました。もうすぐ30年。
北京五輪の後かな?

洋務運動の終わりは日清戦争でした。
こんどは米中かな?

いやいやこんな不謹慎なことを言ってはいけません。

ともかくこの本は面白かった。

以上

by zhuangyuan | 2006-05-27 00:26 | 中国関連DVD、本


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