中華 状元への道

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2006年 03月 15日

徳川家康 中国人説

前回、足利義満が日本国王と名乗り、明と貿易したことに触れましたが
天皇が存在しながらなぜ日本国王と名乗ったか?
それは明と貿易するには皇帝と国王の間でしか取引できなかったからです。
要は柵封体制。中国皇帝が日本国王を貢物のお返しに認定してあげる。

皇帝は世界にひとりだけというのが中国の常識ですから
日本の天皇なんて存在は無論許されない。
そこで足利義満は国王を名乗ったのです。当時の権勢からだれも文句は言えなかった。
でもこの男は晩年今度は天皇の地位を簒奪しようと狙っていたそうです。

足利義満の後、天皇の地位を脅かすくらい大きな権勢をもったのが徳川家康。
日本国王 源家康とか言われます。

その徳川家康は死後神格化され権現さまとして日光に祀られます。

先月東北新幹線に乗っていました「トランヴェール」という車内雑誌のなかで
「知られざる日光東照宮」という特集が載ってました。

高校生の時、遠足で行って以来ご無沙汰ですが
当時の印象はなんか派手な神社で日本的わびさびとは違った感性で建てられた場所
というイメージです。日本の寺は地味で荘厳な感じ。
でも東照宮は派手で軽い。
家康は趣味がわるい。金持ち振りをアピールしたか?と思ってました。

この記事を読んでびっくりしました。
東照宮の建造物を彩る彫刻類が中国関連のものばっかりなんです。

龍や獅子、鳳凰に始まり仙人も中華風。
孔子や周公まで登場。孟母三遷、司馬温公の瓶割り、なども彫刻に。
司馬温公とは北宋の司馬光のことで『資治通鑑』を編纂しました。(後知恵です。)
これでもかこれでもかと中国オンパレード。
他にもいろんな故事にちなんだ彫刻があり
これを知るだけでも俄か中国通になれます。

あげくは「舜帝朝見の儀」と呼ばれる彫刻まであります。
家康が目指した理想の社会は舜帝が治めた平和な世なのだそうです。
この彫刻は豊臣から徳川へと政権が禅譲されたことの主張にほかならない。
そして舜帝が治めた平和な世こそ、徳川幕府の政治理念である。

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どうみても日本じゃないですよね。

東照宮を作ったのは秀忠と天海だそうですが
この二人、中国に対する造詣は相当深そうですが
日本の万世一系の天皇のことを完全にわすれている。
なんで舜帝が出てくるのでしょう?

しかもこの東照宮という名前は東の天照大神のことらしいのです。
とんでもなく不遜なやつです。
もしかして自分が皇帝になったつもりだったんでしょうか。

もしかしてもしかして徳川家康は中国人だったりして。
隆慶一郎の「影武者徳川家康」(新潮文庫)では家康は関ケ原の戦いで
影武者と入れ替わり、天下統一後の家康は一向宗の放浪の渡世人ということに
なってますが中国人説もおもしろいかも。

義経=チンギスハーン説もあるくらいですから、ないともいえません。
怪僧天海は素性が明らかでないが風水や陰陽五行思想の知識が
深いとのことなのでこちらが中国からきたのかも。

以上
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by zhuangyuan | 2006-03-15 23:22 | 文化、歴史 | Comments(0)


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