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中華 状元への道

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2017年 06月 11日

まつろわぬ民の魂を胸に

「まつろわぬ民2017」風煉ダンス@高円寺・座



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出張予定が決まらずに前売券を買えなかったけど、当日券があると知り行ってみた。

こんな最高の舞台を危うく見逃すところでしたよ。私 、白崎映美さんの歌声を聴くとなぜだかこころが疼くのです。


ゴミ屋敷に暮らす老女スエ、開発を目論む女性政治家、解体業者、役所の職員、ワイドショー、

ゴミ山に登る老人と娘カップルが絡み合いナンセンス連発のドタバタが始まります。


人々に捨てられたモノモノモノ、人々にとってゴミでも屋敷の住人にとってはかけがえのないもの。

テレビ、冷蔵庫、電話、こたつ、アイロン、これらものたちがそれぞれ人格を持って、解体作業に対して立ち上がる。

実はこの屋敷は千年前の蝦夷軍団の根城だったのだ。ミカドの支配に従わないまつろわぬ民の末裔なのです。

というかまつろわぬ民そのもの。

千年の時を行ったり来たりする異空間が舞台にあらわれる。

画一化した経済至上主義という錦の御旗を掲げて、合理化という正義で異質なものを排除し、

古いものを捨て、裏側に溜まるものには目をつむる。

そんな体制に反旗をひるがえすまつろわぬ民たち。


ゴミの中には登山老女がかつてお気に入りだったお人形のレイコちゃんもいた。

このおばあちゃんは認知症の兆しあり。レイコちゃんには独眼竜の眼帯がはめられている。

おじさんがいたずらしてマジックで書き足したという。世界が半分見えない。というか見たくない半分を見ないのだ。

その見ていない半分はなんなのだ?

男性に従う古き良き女性像の中で耐えてきた女性自身か?

過去に捨ててきた偽りの自分か?

社会の歯車として押し殺してきた個性か?

安定のために封印した怒りか?

ともかく劇のあいだ中に刺激ある言葉や暗喩がこころにしまったはずの思いを刺激するのです。


蝦夷の一族にはミカドと戦うべく村を後にした若者がいた。彼の名はサンベ。

ゴミ屋敷を解体する若者がそのサンベだとスエがいいだした。息子サンベが帰ってきた。

そしてミカドと改めて戦うのだ。皆は帰ってきたサンベの信憑性を疑う。

でもスエがサンベだと言ったらサンベだと。まつろわぬ民たちもトップに盲従するというブラックユーモアが笑える。

サンベは神話の中だけで生きているファンタジーのはず。であるからこそ皆の魂のよりどころとして機能する。

実際のサンベの行く末は追求しないのが皆の暗黙の了解。

でもサンベが持っていたまつろわぬ魂は誰の胸にも消えずに残っているはず。


ゴミ山解体のクレーンが動き始める様子は見ていられないほど苦しいのです。

権力に自らを委ね力を背景に自ら鉄の塊を振り回す。勢いのままに。その勢いは止められない。

意志がなくなっても惰性は止められない。


私も社会の一員として組織に属しつつもも自らを捨てずに生きている自負はありますが、

白崎映美さんの歌声が響き出すとなぜだか涙が込み上げてくるのです。俺はまつろってるのか?

何かを抑え込んで片目で世界を見てるのかもしれないな。

あるいは、安逸を求めて身をゆだねたい気持ちがどこか奥底にあるのか?


舞台が終わってもしばらくざわざわが止まりませんでした。


ところで白崎映美って名前はエミシとだぶるなあ。




以上




by zhuangyuan | 2017-06-11 22:57 | 文化、歴史


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