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2017年 02月 01日

映画「十年」香港の核心的価値とは?ヒント:カネじゃない

香港映画「十年」鑑賞@多摩映画祭(2016.11.27)。
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FBで前日に上映会を知り駆けつける。会場はぎっしり。こうした地味なテーマに惹きつけられる同志がこれだけいるとはうれしくなる。

中国大陸の影響が強まるなか香港の十年後の姿を描いた問題作。アクション映画でもなくスター俳優が出ているわけではない本作が公開されると話題が話題を呼び大ヒット。大手映画館にはかからなかったにもかかわらず学校の体育館で上映会をやるなどして広がっていったという。この映画を観ることが現体制批判の意思表示として1つのファッションとなったと。その結果、超話題作スターウォーズを凌駕するヒットになったそうです。

5本のオムニバス形式である本作は十年後の諸相が異なる角度と様々なスタイルで映像化されている。

テーマは下記
国家安全条例制定
歴史の破壊と保存
消えゆく広東語
独立運動と焼身自殺
言葉狩り

それぞれこんな題名がついています。《浮瓜》《冬蟬》《方言》《自焚者》《本地蛋》

国家安全条例立法化をめぐる権力者の陰謀をヒットマンの葛藤から描く。権力におもねる統治者が大陸にいると思しき上層部からの指示で条例を通すための事件をでっちあげる。狙撃役に選ばれた2人はためらいつつもわずかな金欲しさに自分が実行したいと争う。そしてその結果は?

大陸と香港、香港政府と庶民、金持ちと貧乏人、権力と裏組織、いくつものメタ構造がこの狙撃をめぐる人間関係の行く末で預言されてるようで恐ろしい。この条例は胡錦濤が就任直後で国内で政争ネタになるのを恐れて断念した経緯があるそうだ。今中国は当時からすると存在感がぐっと増しており、さらに10年後なら言わずもがな。危機をあおる狙撃茶番など要らなくなるほど香港市民の洗脳が進んでいるかも。であるからこそ香港人民が今こそ政治に関心を持たなくてはならない。これこそが本作の狙いでしょう。もちろんわれわれも日本人も政治を意識しないとね。

人権に関心のない大陸政府に対抗するため独立を願う10年後の若者たちがすがったのがイギリス政府。国際世論の関心を引くためイギリスに訴える方法は強烈すぎる。英国領事館前の焼身自殺。

このストーリーの中で意識されてるのは香港の多様性。自由と民主を求める若者たちの中の重要な役でインド系の女子学生が出てくる。香港といえば中国人と英国人の国。なぜインド人が?香港のイメージは中華系の金融センターでありカネによってシンボライズされている。自由なカネを回すには安定したルールが必要。自由なシステムの元では人種は区別されない。そこではアイデンティティは血ではなく、民主的に決められた法治主義のもとの自由。英国統治時代に香港に来たインド系も多く移民してきており、彼らも代かわりして香港の自由のために戦っている。単に中国からの政治的独立だけでなく普遍の価値を求めた戦いであることをインド系を登場させることで象徴させているのではないか?

正直、映画を観るまでは、報道で若者たちの抗議デモを見ていてもピンと来なかった。民主とか自由とか言っても結局は香港人ってカネ第一じゃないの?土地への帰属心もうすく中国返還が決まったらどんどん海外に脱出したよね。バンクーバーなんて香港人増えすぎてホンクーバーなっちゃった。そもそも彼らに香港人としてのアイデンティティはあるのかと疑問を抱いていた。そこで上映後トークに登場したジャーナリストの福島香織さんに質問してみた。

「香港人のアイデンティティって何ですか?」

Rule of law 法による統治が香港の核心的価値であると香港の識者は主張していると。統治者が都合よく法をふりかざすRule by lawと異なる厳かな法による統治。為政者も法に支配される。「香港を知るための60章」でもイギリスが残した民主主義について触れている。返還を前にイギリスは優位に交渉するためとはいえ香港に高度な自治と社会福祉を充実させたと言う。返還にあたっては「五十年不変」を鄧小平に認めさせた。その高度な自治が骨抜きにされつつある今日、雨傘運動につながってくるのだと言います。

5つの物語で私が好きなのは「方言」。コミカルタッチな作品です。普通語がメジャーになっている十年後の世界では広東語は方言扱いされ、タクシー運転士も普通語をマスターすることが義務付けられてる。普通語試験に合格しないと「非普」のステッカーを貼られ空港などでは営業ができない。空港を利用する人の中にも当然広東語しか話せないひともいるのに広東語では営業できない。早く合格した香港人ドライバーからも蔑まれる。息子は学校で普通語マスターしてるのに親父はできない。香港の地名は広東語か英語だったのに普通語で発音しなきゃならない。サッカー選手のベッカムDavid Beckhamなんてのも香港では英語で呼ぶわけですが普通語では大卫·贝克汉姆と呼ぶ。Dawei Beikehanmu、ダーウェイ ベイコーハンムー。かなり笑えるのですがだんだん悲しくなってくる。言葉統制は統治の基本。日本も韓国や台湾でやりました。

香港では言葉がちょっと複雑。英語が入ってる。グローバルでは英語が主流ですがそれも排除すると言うのが十年後。もちろん想像の世界でのことですが。しかも香港は復帰直後までは中国世界の経済的繁栄の象徴であり、大陸中国の目標であり憧れだった。そのシンボルは広東語だった。スターがしゃべる広東語がかっこよかった。その排除にはかつての劣等感の裏返しがあるんでしょうね。

そのコンプレックス感は「本地蛋」の物語にも出てくる。「地元の卵」って題名です。十年後には中国大陸産卵を食べることが義務付けられ最後の地元養鶏場が廃業する。「本地」ってのは地元くらいの意味ですが香港ではすこしセンシティブです。遅れた大陸中国ではない文明化された我らが香港との響きがある。この「本地」という言葉も十年後には排除の対象となっている。そんな情勢下で衛生と滋養を満たした地元の卵を作ってきた最後の養鶏場経営者が追い込まれて行く。地元卵を売る店も取り締まられる。街を偵察して密告して糾弾するのは少年たち。文革の紅衛兵を模した少年軍。洗脳、密告、排除。醜悪です。でもありえるよね。すこし前にあったんだから。物語の最後には養鶏場経営者の息子が父を支持して立ち上がり希望を残して終わるのですが、いかにもありそうでこわいお話しでした。

私、二年前に久しぶりに香港旅行に家族で行きました。普通語はずいぶん通じるようになってました。ただレストランなどで普通語をしゃべると店員の態度がめちゃめちゃわるくなるのが困りものでした。その理由を友人に聞きました。香港には大陸の旅行者が大挙して押しかけ金に任せてやりたいホーダイ。大陸観光客に経済的にはたよりつつも異質な者として嫌っているのだそうです。香港人は彼らを揶揄してイナゴの大群と呼ぶ。700万人口に対して大陸からの訪問者4700万人(2014年)であると前掲書にある。香港は急拡大する中国と国際社会の摩擦の先端となっている。それを見るだけでも香港に行く価値がある。映画を観た後に訪問するとさらに奥行きが見えるようになる気がする。香港では若者が戦っている。

以上


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by zhuangyuan | 2017-02-01 19:53 | 言葉 | Comments(0)


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