2016年 03月 04日

観察映画ってなんだ?「牡蠣工場」に中国がやってくる

観察映画「牡蠣工場(かきこうば)」鑑賞
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瀬戸内海岡山県牛窓にある牡蠣工場にカメラが入りひたすらに牡蠣の殻をむく作業が続く。



「中国来る」

スケジュールボードに書き込みあり。

作業員の高齢化にともなう人出不足から中国から研修生を呼び寄せる。となり町にはずいぶん多くの中国人が働いているらしいが、この町にはまだわずか。舞台である工場に来るのは初めてのこと。

近所の工場では数日でやめちゃった。
中国人はマナーわるいらしいよ。
事件もあったしね。
町の噂が聞こえてくる。

期待と不安、あきらめ、緊張が交互に訪れるも
時間は着実に日を重ね、Xデーが近づく。

準備も大変です。
住むところも用意しないとね。
言葉は通じるのかな?

こんなやりとりをする様子を解説なしで写し撮ってゆく。観察映画。
観察を通して、その人の歩いてきた人となりが浮かび上がってくる。

年老いたオーナー、継がない息子、東北から来た後継者、街の若者たち、牡蠣をむくおばちゃんたち。彼らを撮しているだけで彼らの人生が詩のように浮かび上がってくるんです。

町への愛着、誇り、狭いコミュニティの圧迫感、都会への憧れ、政府の無策へのあきらめ。

目の前に広がる美しい瀬戸内海は世界につながっている。毎日、静かに船が往来している。牛窓もかつて朝鮮通信使も宿にしたといいます。さらに昔は都にのぼる渡来人も通ったことでしょう。つまり歴史的にずうっとグローバルであったはず。でも外へつながる海が逆に町を陸に閉じ込めたようにも思えるのです。車時代に往来から外れている町。いつの間にか外から入ってるのがむずかしいコミュニティになってしまう。そこに過疎があり産業がよわり、そうして皮肉にもまた中国から人がやってくる。

実はそこんとこは中国も一緒です。明や清の時代に海禁政策をとった。
国家が貿易独占を企んだり、倭寇をおそれるあまり締め付けたりして、人々が海へ出ることを取り締まったのです。
その結果、漁民や商人が海を自由自在に行き来して繁栄した国家が内向きになりついには衰弱へむかう。するとまた外からひとが入ってくる。

グローバル経済のなか日本も安い労働力をもとめて仕事が外へでてゆく、その結果田舎町は過疎へとすすみ、人手がたりない。今度はそとからひとを呼んでくる。

でもってそうして牡蠣工場にやって来た中国青年二人は笑顔いっぱいに、ヘタクソな日本語を一生懸命使うんです。出迎える側も頑張ります。子供たちもいっしょになってみんなで中国語勉強してる。ニーハオマ?ニーマンマってのもあるよー!子供たちうれしそう。你忙吗?ni mang maのことですよ。

お互いを受け入れようとする気持ちが画面から伝わってきます。牡蠣工場のおばちゃんたちもはにかみながらご挨拶。なぜかときどき英語が混じる。外人は英語通じると思ってる。かわいい。

彼我をへだてる壁なんて人間個人が勝手に作ったメンタルブロックなんでしょう。通じようという意思があれば理解し合える。言葉なんて自然とできるはず。

そんなブロックがないのはいつでもどこでも脇目も振らずマイペースに走り回る子供たちと、何度も登場する白い猫ちゃんだけ。

いろいろ想像してたら145分があっという間でした。とにかく美しいんですよね海が。

以上


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by zhuangyuan | 2016-03-04 21:43 | 映画 | Comments(0)


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