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中華 状元への道

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2014年 10月 05日

台湾「自由広場」のヒミツ

台北に行きました。
朝時間があったので中正紀念堂へ。

こんなにデカいとは。

中正とは蒋介石の本名です。
蒋介石が逝去した1975年に建造を決め、1980年に完成。

日本ですと1980年というと現代という感覚ですが
台湾では一昔。
大陸反攻を胸に亡くなった初代総統を悼み、国威発揚する必要があったんでしょう。

いまや時代は変わり、
台北には中国大陸からの観光客がわんさか。
宿敵のはずの蒋介石の銅像をパシャパシャ。
勝者の余裕か、さすがにツバかける人はいませんでしたね。
台湾「自由広場」のヒミツ_d0018375_09095373.jpg
この紀念堂、大陸の人のみならず台湾人にとっても複雑な存在。
そもそも蒋介石だって大陸人だし1949に来たばかりですからよそ者です。
みんながみんな尊敬しているわけではない。

でももって2007年に民進党が政権をとると題字を付け替えちゃった。
『中正紀念堂』が『台湾民主記念館』になっちゃった。

一部抜粋します。
蒋介石は1949年に国民政府とともに台湾にやって来て、1975年に逝去するまで、25年にわたる統治は、一日たりとも台湾住民の同意を経ていません。蒋介石の統治の基盤は、完全に一つの幻の大中国イデオロギーの上に構築されていました。蒋介石は、自身を全中国の統治者であり、台湾は中国の一部であるから、台湾を統治する権利があると認識していました。「大陸反攻」のため、国土を回復するため、台湾は戒厳令を敷いて軍事管理下に置かなければならないと考えていました。蒋介石にしてみれば、台湾は暫定的な足休めの場所であり、ロングステイに過ぎないものでした。今日、われわれが中正紀念堂を台湾民主紀念館に改名したことは、台湾の国民が過去半世紀にわたって自由と民主主義と正義を追求するための犠牲と貢献を明確に伝えるだけでなく、台湾の主体意識を新たに構築する意義があります。台湾はわれわれの母であり、台湾はわれわれの祖国であり、海峡両岸、台湾と中国は、それぞれ別の国なのです。
で面白いことにというか政治の泥臭さというは
国民党が政権に返り咲くと名前がもとに戻っちゃった。

というわけで今は「中正紀念堂」
でもこの文章未だに台北駐日経済文化代表処のHPに残ってる。
政治ってめんどくせ。

ところで変わってないというか
変わったままの看板があります。

今「自由広場」と掲げられているところは
民進党以前は蒋介石の座右の銘「大中至正」とあったそうな。
たしかに蒋介石と自由広場の名前はかなり違和感あり。

台湾「自由広場」のヒミツ_d0018375_08423595.jpg

大中至正について面白い文章がありました。
極具諷刺意味;又云,「至正」是元順帝年號,元順帝被朱元璋打敗,失去漢土,亡命朔北,這不是在陳述蔣介石被毛澤東打敗,失去中國大陸,亡命占領地的陳述嗎?馬英九說他選上總統後會把「大中至正」再度掛上,再度顯露他的復辟觀。
極端に風刺的な意味としては、「至正」は元朝順帝時代の年号であり、順帝は朱元璋に破れ、漢の土地を失い、北に逃れた。つまりこれは蒋介石が毛沢東に破れ、中国大陸を失い、占領地に亡命したことを意味しているのではないか?馬英九は総統に選ばれた後に「大中至正」を再度掲げると言った。これは彼の復辟観を露になったのではないか。

で結局、馬英九は「自由広場」を掛け替えなかったわけです。
大陸反攻なんて度胸はなかったわけです。
国民にも日和って自由を残し、大陸にも日和って中途半端。

以上


by zhuangyuan | 2014-10-05 09:13 | 文化、歴史


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