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中華 状元への道

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2014年 06月 03日

台湾と日本語 二二八って知ってる?



先日台北でニニ八紀念館を観てきました。

226でなく228。

日本が台湾を去った1947年に国民党政権の締め付けに苦しむ民衆が
タバコ店女性暴行に端を発し、一斉に立ち上がった事件。
その後、一般民衆が大弾圧されました。

当時の政権は今も健在で、ずっとタブーとされてきましたが
民進党政権時に全国に蜂起を呼びかけたラジオ局建屋がニニ八紀念館となりました。
今は国民党が返り咲いていますが、事件についてはどういう整理がなされてるのでしょうか?

前からこの紀念館に興味がありましたが
このところ映画「アクト・オブ・キリング」でインドネシアの華僑大虐殺を観て改めて関心をもち、



さらには「九月東京の路上で」を読み、関東大震災後の大虐殺の様子を知りさらに高まっていたのです。

九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

加藤 直樹/ころから

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館内ですぐ目に入ったのは解説ボード、日本敗戦の玉音放送が、台湾の歴史においても
忘れられぬ一日だといいます。
日本時代を肯定的に捉えてます。

国民党は大陸から入ってきてすぐに日本語を禁止しました。
それまで日本人として日本語を使って生活してきたのが突然の禁止令。
当時のインテリは言葉を失いました。文化的精神的大打撃。

次にはじまったのが漢奸狩り。
日本に協力してたのは誰だ?
台湾と日本語 二二八って知ってる?_d0018375_21405192.jpg

あの1日で天地がひっくり返った。
日本の戦後と比べると興味深い。

敵性言語だったはずの英語が敗戦後は大ブーム。
井上ひさし「ベストセラーの戦後史」には「日米会話手帳」が三ヶ月で360万部売れたとあります。

完本 ベストセラーの戦後史 (文春学藝ライブラリー)

井上 ひさし/文藝春秋

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このお気楽な英語人気ぶりはなんなんだ。敗戦の悲愴感はどこ行った?
その時台湾では・・・・

この後も弾圧が続き、台湾人民に鬱屈がたまり、ニニハ事件へとつながっていくのです。
民衆は全国で立ち上がったのですが
そのあとに続く弾圧はすさまじいものがあります。
いわゆる白色テロ。投獄、処刑。

知人の父親は台湾で中学教師をしていました。
当時のインテリである生徒たちは彼のいぬまに
手のひらに針金通されて数人まとめて海に投げ込まれたそうです。
すさまじい。

立ち上がったものの徹底的に弾圧されて
ついには歴史からも抹殺されようとしたのです。

事件の翌日、全島に蜂起を呼びかけた言葉、
それは日本語なんです。


そしてそんな台湾から徐々に日本語も消えてゆく。

下記にも書きました。

映画「台湾アイデンティティー」の主人公の父親の写真も
紀念館に展示がありました。
彼は台湾自治を主張したとして処刑されました。
山岳民族出身で元日本人で戦後は中国名。
台湾近代苦難の象徴のような人生です。

台北にお寄りの際はぜひ。
台北駅すぐ。
二二八和平公園内。
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以上




by zhuangyuan | 2014-06-03 22:38 | 文化、歴史


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