中華 状元への道

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2005年 10月 09日

兵隊中国語

先日ご紹介した新井一二三さんの本にもちらっと出ていましたが安藤彦太郎氏の「中国語と近代日本」(岩波新書)という本があります。
この本は中国語という言語と日本の近代歴史の数奇な運命の絡み合いを解き明かしてくれて大変興味深い。

①戦前
中国語は外国語として認識されていなかった。
外国語は英語、ドイツ語、フランス語、中国語は特殊言語。

漢文は唐の時代から日本で親しまれている。というか昔は漢字しかなかった。
漢文を学ぶ人は多かったが漢文を訓読し日本語として捉えるため外国語として認識がなかった。
そして中国語を読むときも自然と目読し頭の中でレ点をつけて読んでしまう。

確かに私の時代(18年前)大学受験などでは漢文は国語の一部分とされていました。
今は知りません。
ちなみ私は漢文に興味がなくてメチャメチャ苦手でした。ゆえに漢文が試験に出る大学は受けませんでした。それが今では漢語の虜。

②戦中
日清、日露、日中、大東亜と戦争を繰り返す最中、中国語とのかかわりが多くなった。
ただその時の中国語教育は軍事と商務の二方面に重きがおかれた。
インテリの学問ではないと。

現地に多数の日本人が行っていましたが実際に現地の老百姓と接するのは
憲兵。外交官も下級官僚しかしゃべれなかったとのこと。
当時の会話集には下記のような、品のないものが多かったとのこと。

「手を挙げろ、俺は憲兵だ、お前の身体検査をする。服を脱げ」
(残念ながら中文は記載されていません。)
『憲兵支那語会話』などという本も市販されていたとのこと。

でもこの手の会話集結構長生きしたみたいです。
中国に30年前に駐在した商社の方にいわく
当時、別の会社で駐在していた人は、日本を出る際、おじいさんに支那語会話集を手渡された。
その中の例文は「我々は帝国陸軍である・・・・。」で始まる文ばかりだったとのこと。

そんな会話集で適当に勉強して正式に中国語を学ばなかった当時の在支
日本人は兵隊たちの使う日本語と中国語がごちゃ混ぜな言葉を使ったらしい。
それは兵隊支那語と呼ばれ、現地の人は日本語だと思っていたとのこと。

例:「サンピンニケー」=「三びんた你给(nigei)」=3発ビンタしてやる

③戦後
戦後も中国語教育はまた混乱。
中国本土が共産化してしまい、反共政策と台湾とのからみもあり迷走が続く。
中国語検定を開催すること自体も大変な問題だったらしい。

その後国交回復、改革開放を経て今にいたる。

本格的に中国語教育が行われ、沢山の学生が興味を持つようになったのは
極最近なんです。ということは希少価値がある。
確かに中国語関係の本って、学習の本も歴史の本も著者の数がホントに限られている気がする(。最近出るのはいろんな人がいますけど。)
この点英語なんか大違い。

私は中国語をはじめた当時にこの本を読み思いました。
今からでもスペシャリストになれるかも。

更に日本だけでなく大陸中国でも地方のひとは普通語を勉強して、上海や香港でも普通語検定なんてみんなで受けている。
しかもその普通語も体系化されたのは戦後で
文法は近代中国小説からとってきたという。

なんか今から勉強しても全然遅くない気がしてきて
学習する意欲と継続する根気が出てきます。

皆様がんばりましょう。

以上
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by zhuangyuan | 2005-10-09 09:13 | 文化、歴史 | Comments(3)
Commented by かめ at 2005-10-14 11:42 x
兵隊中国語とそれをまねした中国語、おもろいですね~。 9月18日まではそんなドラマばっかりでした。 時々更にそれを真似します。
Commented by かめ at 2005-10-14 11:45 x
そうそう、昔の写真を整理していたら、新井一二三とのショットが出てきたよ。 今はお互いにどの位変化しているのだろうか。 
Commented by zhuangyuan at 2005-10-14 21:19
なんか昔の写真って照れくさいですよね。例の本にも作者の現在のお写真が載っていますよ。横から撮ったものですが。


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