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中華 状元への道

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2012年 09月 17日

スペイン領サハラってどこ?

中国語早朝学習会を続けていますが
今読んでいるのは「撒哈拉的故事」(三毛著)

大陸生まれの台湾人女性三毛(sanmao)とその旦那ホセ(スペイン人)が
サハラで暮らすハチャメチャ生活を描いたものです。
1970年代の話です。

中国語の勉強にサハラの話を読んでもしょうがないかなと
ずっと前に紹介されてからよんでいませんでしたが
これがチョー面白い。

奔放な三毛と純粋一途なホセとの異国の地でのドタバタが次から次へと繰り広げられる。
そこにさすが小説家三毛がインテリとして中国歴史の小話をさらっといれてくる。
この夫婦どちらも魅力的。

今度出てきたのは当時の時事ネタ。

サハラにいるうちに運転免許を取ろうとする話に出てきます。
サハラで免許を取るのは天国へいくより難しいとされ
そこへ至る道が「天国への階段」と呼ばれています。

在摩洛哥国王哈珊来,"西属撒哈拉"喝茶以前,我得把这个天梯爬到顶,现在我爬到了。
"魔王"还没有来。

(モロッコ国王ハッサンがスペイン領サハラにやって来てお茶を飲む前に、
私はこの天国への階段を登り切らなくてはならず、今それができたのです。)

当時、三毛たちが暮らしていたのはスペイン領サハラで運転免許は
スペインの法律に基づいて発行されます。
なぜモロッコ王ハッサンがくる前に免許を取らなきゃならないの?

ちょっと調べてみました。
まずびっくりしたのはこのスペイン領サハラは現在西サハラと呼ばれていますが
未だに帰属がはっきりしていないのです。
スペインは早々に領有権を放棄してますが、
モロッコと亡命政権サハラ・アラブ民主共和国がお互い領有権を主張していると。

確かに家の風呂に貼ってある子ども用世界地図を見ても
西サハラ部分は、サハリンと同じく、白く塗ってあり、国名がない。
全然知らなかった。

さて、時代を三毛の頃に戻すと
当時はスペイン領有時代の末期であったことがわかります。
領有は1844-1975まででありスペイン帝国最後の植民地とされます。
フランコ将軍が亡くなるまで続いた。

ではハッサンとは何者?
モロッコ国王ハッサン二世。独裁的で二回も暗殺未遂されたっていうから
相当なツワモノでしょう。
国内の不満をそらそうとしたのか知りませんが
歴史的にみた西サハラの領有を主張しスペインにプレッシャーをかけています。

そしてこの後一世一代の大仕事をするのです。
緑の行進。
モロッコの非武装民間人を35万人も集めて、西サハラまで行進させたのです。
撃てるものなら撃ってみろと。
空軍機で護衛したと言いますが独裁者でないと思いつきません、こんなこと。
35万人は当時の西サハラ住民より多かったと。
サハラ・アラブ民主共和国
恐ろしい人です。でもこれもあってスペインは撤退。


三毛が自動車学校に通ってた当時は、スペイン領時代の末期で
当時はモロッコだけでなく国連からも圧力がかかり、撤退はすぐそこって感じだったんでしょう。
そうなると早く免許とっておかないと苦労は水の泡。
免許証が無効になるだけでなく、そこにもいられなくなるでしょうから。

でもこの小説はそんな国際関係の緊張を感じさせないおおらかな二人と
現地人サハラウィ人との素朴で粗野な触れ合いせめぎ合いを描いてて楽しいです。
大陸系台湾人の三毛ですから台湾問題も意識しながら、あえて国際政治を外におきつつ
人々の生活に焦点をおいて、シニカルに国のエゴを批判してるのかも。

ちなみにスペイン人ホセはリン鉱石の採掘会社に勤めてます。
おそらく西サハラをみんなで取り合うのはこの利権が目当てでしょう。
でも石油じゃなくてリン鉱石ってとことが中途半端で未だに雌雄を決しないのでしょう。

以上

by zhuangyuan | 2012-09-17 17:34 | 中文練習


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