2012年 05月 06日

耳塚の話

京都奈良の旅から帰りました。
といっても妻の実家ですが。

旧所名跡をいろいろ回り、国宝やら重要文化財をたくさん見たのですが
私が心に引っかかったのは比較的マイナーなこちら。
d0018375_21271484.jpg

耳塚といいます。
私たちは家族でこの横の耳塚児童公園というシュールな名前の公園でお弁当を食べました。

場所は秀吉を祀る豊国神社の前です。
神社の横にはかの有名な方広寺の鐘があります。

国家安康 君臣豊楽 

家康を引き裂いたっていちゃもんつけて大阪冬の陣を起こした例のやつです。
今でも鐘にこの文字があるとはびっくり。

さて耳塚ですが
こちらは読んで字のごとく耳が埋まってる。

秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)で持ち帰った敵方の耳を供養のために埋めたそうです。

軍功を検分するために、首は持ち帰れませんので耳にしたと。
そもそもは鼻塚といったらしいのですがwikiによると林羅山が鼻では野蛮だからと耳にしたといいます。
どうして耳だと野蛮じゃないのかわかりませんが。

鼻をそぐことは古代中国では刑罰として用いられていたそうですが
それを表す(yi)
なんて漢字までみつけちゃいました。


耳塚は史跡として指定されていますが京都市がつけた説明文には日本語とハングルが両方記されています。
内容は事実を淡々と記せばよいものを、卑屈な文章が気になりました。

「天下統一した豊臣秀吉が大陸にも手を伸ばそうとして朝鮮半島に侵攻したいわゆる文禄・慶長の役(朝鮮史では壬辰・丁酉の倭乱)、・・・・・」

天下統一したら世界に乗り出すのは自然の流れ。
明まで取ろうとしたわけですから立派です。
日本での説明文に倭乱って書くのはどうかと思いますよ。

でもハングルのほうで豊臣秀吉を토요도미 히데요시(トヨトミ ヒデヨシ)と書いているのはまだ救える。
풍신수길(プンシンスギル)であったら困ったものだ。
こちらは漢字を韓国語風に読んだもの。
韓国でプンシンスギルは伊藤博文と並ぶ嫌われ者ナンバーワン。
まあ嫌われる理由もわかりますけど。

ところで朝鮮出兵は秀吉の死で終わるのですが
結構優勢だったみたい。
明史にはこうあるそうです。
『明史』巻322・外国3「日本伝」より、豊臣秀吉の条
関白侵東国、前後七載、喪師数十万、糜餉数百万、中朝与朝鮮迄無勝算。至関白死、兵禍始休

関白が攻めてきて、7年、数十万兵を失い、数百万費やして、明と朝鮮連合軍に勝算なし。
関白が死んでやっと戦争がおさまった。


明史ってくらいですから清朝で編纂されたんでしょうから
明末のことは良く書くわけありませんので話半分にしておく必要があるかもしれませんが。

ただそんなに強かった秀吉も死んだらすぐ横の鐘が原因でお家を滅ぼされてしまう。
怨念が祟ったかな。


以上
[PR]

by zhuangyuan | 2012-05-06 22:27 | 文化、歴史 | Comments(0)


<< 木を買わずに山を買え       ものの値段 辞書を買う >>