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2010年 10月 03日

大日本帝国崩壊 その時満洲では?

「大日本帝国」崩壊―東アジアの1945年 (中公新書)

加藤 聖文 / 中央公論新社



大東亜戦争、太平洋戦争敗戦といいますと1945年8月15日。
ポツダム宣言受諾して、玉音放送。
ミズーリ号で調印してマッカーサー上陸。

ってだけで終わったわけではありません。

当時日本の勢力は広大でありました。

在外軍人300万人。
在外居留民310万人。

満洲、樺太、朝鮮、台湾、東南アジア、南洋群島。

各地での敗戦時の諸相をまとめてくれてます。
ふと忘れがちですが各地にそれぞれの敗戦があり
権力の移譲が行われたわけです。

でも敗戦時に政府は本土防衛ばかりに頭がいっていて
版図の隅まであんまり考えてなかったとのこと。

「居留民は出来うる限り定着の方針を執る」

なんて指示をだして事実上切り捨て。
事実朝鮮半島には1876年日朝修好条規以降定住して二代、三代目が
かなりいたそうです。

台湾人や朝鮮人に対しては、ちょっと前まで帝国臣民とかいってたくせに
負けるとすぐに保護は連合国に丸投げ。

満洲は植民地でなく国であったのですが
事実上日系が重要ポジションを占め
満人は大臣などに名を連ねるものの権限はなかった。

ただここは4000年の歴史中国。
支配者が代わることなんてへっちゃら。
なれたものです。

満系が主導権を握って非常事態にのぞもうとした。

満州事変の時に、張学良側の地方有力者が関東軍に協力したのと同じ行動原理だと。
ソ連侵攻で右往左往する日系を尻目に
すでにポスト日帝を見据えて行動していたと。

さすが中国したたかです。

満州国国務院総理つまりトップの張景恵もなかなかの男です。

もとは張作霖の仲間の馬賊。
その後に張学良につき、国民党に合流。

満州国ができたらすぐ参加して
総理まで上り詰める。

著者いわく

彼にとって満州国の滅亡は自身の滅亡につながるものではなかった。

ここまでいくとカッコいいですね。

まあでも彼はソ連に拘束されちゃって
戦犯として中国でも収容所にいれらちゃった。

でも息子は満洲時代に共産党に入党して新中国で立派に生き残って成功する。

歴史の有為転変をくぐりぬける術をわかっているのです。

そこいくと近代化でちょっとつけあがった青二才の日本が
中国まで出て行くのはちょっと分不相応だったのかもしれません。

あと千年くら歴史をつまないといけませんね。

以上
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by zhuangyuan | 2010-10-03 20:37 | 中国関連DVD、本 | Comments(4)
Commented by minamihorie at 2010-10-07 22:30
いつ支配者が変わるかわからん東アジア大陸の諸民族やカラ
敵味方、はっきりさせたら不味いし、信用できるのは
家族だけ  ということなんでしょうね
Commented by zhuangyuan at 2010-10-08 05:44
minamihorieさま それでいていつでも味方だってのを演じなきゃいけないのがつらいですね。友達ってのもライトな感覚な付き合いがなくてどっぷりいってあげくは幇までなってしまう。ディープすぎてしんどい世界。
Commented by NTMBASHE at 2011-07-18 07:48 x
まぁ中国人の民族性はいくら歴史を積んだって変わらないよね(笑)

いや、むしろ酷くなってきてるな(爆笑)
Commented by zhuangyuan at 2011-07-30 19:45
NTMBASHEさま どんな時でも生き抜く術を知っているって感じですね。


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